病院で働いてると、発達障害(未診断)としか思えないような高齢者が時々いたりする。でも診断がついてないから、問題行動は「そういうキャラクター(性格)だから」として処理されてしまう。本人も発達障害なにそれ?って感じで、ゴーイングマイウエイ。理解力がなくて、他責的で、威圧的で、わがままで、衝動的で、自分の行動がいかに他患者・医療者に迷惑を掛けてるかなんて知ったことではない。もちろん認知症ではなく、不穏などの一時的なものでもない。家族も、迷惑かけてすみません。家でもああなんです。と代わりに頭を下げていく。患者本人は何が悪いのか分からない顔。
生き辛さを感じ、発達障害の診断が降りたことでホッとしたと言う若者たちは多い。他者と違うという漠然とした不安感は、生まれ持ったあるいは発達過程でのアクシデントによる障害という理由づけができたことで、自分を見つめ直し前に進むきっかけとなるのだろう。今は薬もある、カウンセラーもいる、一般の理解も進んできた。個人差はあるが、それで生き辛さが和らいだ人は必ずいる。診断が付くことはスタートラインなのだ。
でも、昔は今より発達障害の理解はなかっただろうし、診断されるような病院もなかったんだろう。生き辛さを自覚しながらそれでも生きるしかなかったのだろう。家族も、おかしいと思いながら「そう言う人」「癖の強い人」としか処理できなかったのだろう。診断がない限りは、今も「癖の強い健常者」な高齢者彼ら。
今日もあの高齢者たちは他者に迷惑をかけて家族に尻拭いをさせて、ゴーイングマイウエイ。今日も今日とて医者に噛みつき、看護師に怒鳴り、治療放棄するのに病院には居座り続ける。診断がつけばわたしたちも多少気持ちが楽になるのにな。障害だから仕方ないって思えるのにな。でも、自分の生きたいように生きて、診断がない限り健常者でいられる彼らのマイペースな生き様は、今の若者にはなく、これもこれで幸せなのかな(ただし他者の無償奉仕や犠牲が付き物)と思うこの頃。
近年増えてきたと思う発達障害も、昔から沢山いたけど、たんに未診断なだけだったんだろうな。それがいいか悪いかは分からない。