2021-04-21

世の中はクソです

それは君が世の中を作った訳ではないからです

そして、君が世の中を作ったとしてもやっぱり君は世の中に納得出来なくてクソと呼ぶのです

神が作ったとしても神の作った世の中は完璧とはいえないし、完璧であるかどうかを矮小人間風情が理解できるはずもないので、やはり矮小人間超人たる神が作り出した世の中というものをクソだと認定するのです。

例えそこに無宗教だという愚か者が入ってきたとしてもです、それが先頭を走っていようと最終的にもっと傍若無人存在チンパンジータイプライターシェイクスピアの作劇を描くような確率で世の中をまともらしくしたらしめても

やはり、世の中はクソと思うものなのです

 

大体、クソというものを下に置きすぎなのです

クソは生物として革命的なものであるのに

人間はなまじコンクリートや鉄を使いこなせた他人がいたばかりにクソとかいものが不潔で不要ものだと断じてしまうのです

ですが、クソというのは人間必要ものです。生物必要ものです。

肥料もなければ野菜は育たず、異臭がしたりクソの形がわからなければ体調の良し悪しもわかりはしないのです。

そして、仮にクソとかいものがなくなっても、我々は目ヤニや耳垢、身体から出る垢、瘡蓋に至るまで不要存在だと認定するのです。

血を封じていたりするから瘡蓋はまだ有用性を認識やすいのですが、垢に至ってはその新陳代謝が産んでいるもの理解できなければ体から出てくるベタつき、または粉です。

その点、クソというのは捻り出すもので、その苦労の結果出てくるのがあの現代社会での利用価値汚染しか無いと思わしき異臭を伴った粘着性の物体です。

それ故にクソというもの不要もの、目の上のタンコブ、障害侮蔑表現として嗜まれているのです

ですが、そうして世の中に対してクソだと言っているとするなら

やっぱり世の中はクソだという言葉は正確ではあるのです

神が齎したもうた異臭を伴う粘着性の汚染物質は、その観点を変えれば利用価値のあるものなのだから

から、世の中はクソなのです。

そう、世の中というクソはある観測者にとってはとても利用価値のある存在で、もう一方の観測者にとっては現状で手に余る有害存在なのです。

そうして考えてみるなら、世の中というもの自体は多数の観測者によって成り立ってるものから、それがクソで無益ものになったり、それがクソで植えた野菜栄養となったり、それがクソでイカれた武士の傷を塞ぐ存在となることもあるのです。

そうして世の中がクソだと気付けた人はイカれた武士プレイヤー達が自分達のポジティブライフにクソを塗りたくってる様子を見て発狂するのです

俺はこんなクソを塗りたくるような真似はしないぜ!と言いながら目の前に置かれたクソを前に罵詈雑言を述べることしか出来ないのです

そうしてクソに対して猛弁を奮って唾を飛ばすことでクソを臭くて冷えたビチャビチャにさせるのです

 

クソを目の前にしてクソだクソだと言うだけで一生を終えるのです。

 

私はなるべくのこと、このクソを肥料にするか、メタンガスが誘爆を引き起こすまでになんとか利用するかを考えてはいるのですが

まぁ最近では自分のケツに付いたクソを拭くことすらままならなかったりするので、トイレットペーパーに付いたロールシャッハテストを眺めながら

えんがちょと呟くのでした

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