2020-09-04

国家を歌わない教師を信用していなかった

大坂なおみテニス大会棄権しようとしたことに関してこのような批判がされていた。

スポーツ選手の行動は子どもへの影響が大きく『主義主張があれば競技棄権してもいい』と思わせてはいけないと考えます

これを見て国歌斉唱拒否する教師に対しての不信感を思い出した。

個人的な心情を言うなら私は君が代など歌う必要などはないと思っているし、そもそも当の私が君が代を1フレーズも歌えない。

学校では習わなかったし(音楽教師はご丁寧に君が代が載っている教科書のページにプリントを貼るよう指導してくれた)日本代表試合なども見ないため君が代という曲をろくに聞かず歌わず現在に至る。

逆に世間の人々はどういうタイミングであの曲を歌えるようになったのか少し気になるぐらいだ。あのリズム音程などは普通に聴いてるだけでは歌えるようにならないと思うのだが…

なのでたとえ日本代表選手君が代を歌わなくても私は何も思わないであろう。

しかし、教師が歌わないとなると話は別である

なぜなら教師というのは生徒に規則押し付け存在からだ。

我々が学生時代の頃など普段の授業などはともかくとして集まりたくもない夏の校庭や冬の体育館などに無理やり集められ、歌いたくもない校歌を歌わさせられたものである

学校にそういう規則があること自体は仕方ない。

もし規則がなければ夜の校舎の窓は割られバイクは盗まれ走りだし猫は炬燵で丸くなる。若者集団とはそのようなものだ。

しかである

その規則押し付ける側が思想良心の自由を御旗に掲げ、国歌斉唱拒否するのはどうなのか。

もし自分が「自分がこの学校校歌を歌いたくありません」などと主張すればどうなったか

おそらく私の内申点は地に落ち、音楽の成績は見る影もなかったであろう。(どちらも元々大したものじゃなかったが)

そうやって生徒に対し圧倒的な強権を持ち多くのことを強制してきた教師がいざ自分たちが何かを強制させられる立場になると憲法を持ち出して規則から逃れようとする。

その姿に私は大変理不尽ものを感じたものだ。

教師だって一人の人間だしそりゃやりたくないことや従いたくないことの一つや二つや200はあるだろう。

ただ私としては自分主義主張を優先して、卒業式など生徒のための式典を円滑に進行することすらできない者に規則だのルールだのを押し付けられたくないなと思った次第である

  • 君が代を歌う教師は上から規則を押し付けられて下に押し付ける教師だし、 歌わない教師はそうでない可能性がある。

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