2020-04-14

両親の不仲について

両親の喧嘩が絶えない家庭で育った。といっても、毎日、諍いがあるわけではなくて。父親単身赴任をしていたので月に二度、帰ってくるのみだった。だから月に二回の喧嘩があった。そういう状態だったので、私は母親の味方だった。父親のことが嫌いだと思い込んでいたし、父親に娘としての好意を示すことは母親に対する裏切りだと信じていた。母親は私に父親愚痴をよく聞かせた。私はいっしょになって父親愚痴を言い、母親一方的被害者として慰め、それが中学生までの私たち家族だった。

今、両親は離婚している。父親再婚して、再婚相手とその連れ子と暮らしはじめて何年になるだろう。父親は、母親のことがなかったとしても満点の父親ではなかった。そもそも両親が険悪になったきっかけは父親浮気であるし。ただ、娘でありながらもはや娘ではないという関係になった今、父親と話をするのは楽しい私たち他人同士であればうまくいく相性だったのだと思う。それで、当時、一方的に嫌っていたことに罪悪感がある。

からは当時のことを感謝される。つまり、私が母親防波堤となり、母親のすべての苦悩を受け止めていたからこそ自分はまっとうに育てたのだと。すげえこと言うじゃん!でも、かわいい弟の精神を守れていたならそれは嬉しいことだ。

母親は…少し面倒くさい。両親の離婚を勧めたのは私だった。というか、母親離婚したいというから勧めた。けれど離婚したあとになってから離婚しなければよかった」と言うので、私は、自分がとんでもない間違いを犯したのだと思って、それ以来、他人選択に一切の口出しはやめることにしている。他人責任を持つって怖いね。ほんとにね。

責任を恐れること、好意を抱くというそのものに罪悪感を覚えること、人に弱音を吐けないこと。私は一人で大丈夫だというポーズで助ける側に回ること(助けられるとほんとうに申し訳なくなる)全部養育環境説明がついちゃうんだな〜、と思う。最後のはあれね。弱っている母親にこれ以上の気苦労をかけたくなくて学校いじめられていること、言い出せなかったことです。まあそれから不登校になったので気苦労はかけたんだが!

もう、だれのことも恨んでない。父親との関係は良好だ。弟を守れたなら嬉しい。不登校ですべての存在価値をなくした私にとって、母親が、母親を守るという存在価値を与えてくれたことも事実だ。どろどろの共依存関係だったが、自立した今、私の方はうまくあしらえていると思うし。なにより私は成人した大人なので、今更、両親のせいで、なんてかっこわるいまねはできない。今の破綻している自分性格だって大嫌いで大好きだ。でもなんかね、たまにね、やっぱり今でも泣きたくなるなってそれだけです。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん