ダブスタって同様のシチュエーションで合理的な理由もなく結論が異なることだと思うんだけど、最近流行りのダブスタ指摘エントリしかり、雑なダブスタ認定多すぎないか。
もちろん明らかにダブスタとしか言えないような意見は馬鹿にすればいいと思うんだけど、シチュエーションに差異があるのに結論が異なるだけで即ダブスタって言うのはやめようよ。
例えば「銃の所持禁止には賛成なのに包丁の所持禁止に反対しないのはダブスタだ」みたいな。銃と包丁の差異がどう結論に差異を生むか妥当な説明があればそれはダブスタじゃないでしょ。
相手の意見がどういった背景や文脈のもと形成されているか留意した上で批判しないと1ミリも議論進まないじゃん。
今回の献血ポスターと表現の不自由展の場合でも色々差異がある。公共の開かれた空間かどうか、公権力の介入があったかどうか、公金が入ってるかどうかとかさ。
ポスター批判かつ不自由展擁護、またはポスター擁護かつ不自由展批判だからといって直ちにダブスタとは言えない。例えば前者で、法曹関係者の多くは公権力の介入の有無を問題にしている人多いよ。不自由展も個人が批判する分には自由にやったらいいってさ。後者でも、公金が入ってないなら不自由展も好きにしろって言うならダブスタではない(俺はその意見に賛同しないけど)
あと雑なダブスタ認定して勝った気になってるけど結局お前はどうしたいんだよ。「不自由展では表現の自由って言ってたんだからポスターも表現の自由だろ。ダブスタだ!」って、不自由展やめさせたいからポスターもやめさせられていいの?もしくはポスターがOKなら不自由展も許すの?中立気取って冷笑してるけどたいてい党派性丸出しなんだよな。
逆に雑なダブスタかますやつ。個人の不快感をそのまま表明せずに主語を大きくしたり強い表現借りたりして、間違った一般化するから矛盾が生じるんだよ。私はこっちは好きだけどあっちは嫌いならただの主観だから結論が異なってもダブスタじゃない。これ一般化しちゃったら逆にこうとも言われちゃうよなって少しは想像しろ。
ちなみに俺はポスターも不自由展もどっちも問題ないと思ってる。法律に反しない限りどんな表現も好きにやってくれ。別に実害を受けるものでもない表現に、敵意むき出しにするやつの気が知れないよ。