2019-10-23

社会に向いていない

社会に向いていないと思う。

会社トイレの上部についている小窓から、まだ青々としている木を見るたびにそう思う。

会社員なりアルバイトなり何かしら働いている人たちは、多かれ少なかれ働いている。

けれど私は働いていない。私は普通ですという顔をしておきながら働いていない。

労働から常に逃げている。仕事を出来るだけ先延ばしにする。なんなら無視する。適当適当を重ねて、マジでどうにもならなくなるレベルまで放置する。そしてちょくちょく失敗する。

仕事スタンスだけじゃない。コミュニケーションも取りたがらないし能力もない。

言葉咄嗟に出てこない。気を利かせることが出来ない。相手の事を考えられない。

多分他人に興味がない。基本的に他の人は自分より出来る人しかいないので尊敬はしているつもりなのだが、興味はない。尊敬という言葉で壁を作っているのがダメなのだろうか。

友人も親友と呼べる人はいないし、数少ない友人らしき人たちともほとんど連絡を取らない。恋愛も性欲を根拠に運よく付き合ったことはあるが、恋やら愛やらというものが良い年齢になっても分からない。

基本的に、社会必要とされるものを持ち合わせていない。五体満足で健康で、その点は親に感謝しかないが、それを社会で十全に取り扱えていない。申し訳なく思う。

こんなことを書いているが、ここまでに湧き出た道徳観や倫理観常識道理感情といったものたちが、自分のもののように思えない。幼稚園から大学まででインストールされたものをその場その場に合わせてアウトプットしているだけのような感覚に襲われることが多々ある。

私は社会に向いていない。それでも社会で生きていく以外に選択肢はない。

「あれ? 死ねば良くない?」と思うこともあるが、その時は刷り込まれ知識感覚がその考えを阻害する。加えて自分の好きなものを生きがいとして捉えて生への執着を強化してくれている。

ただ、その好きなものにさえ愛はない。

最初にそれに衝撃を与えて貰ったから、好きだと思いこんで、それを毎日刷り込み更新しているだけだ。

SNSなどで「〇〇愛がすごいですね」みたいなことを言われることもたまにあるが、あまりにもピンとこなくていつも曖昧言葉や表情しかできない。

私は社会に向いていない。表面上だけ取り繕えているだけまだましかもしれないが、向いていない事には変わりない。

それでも私は今日刷り込み機能することで生きている。

いつか、私の中に刷り込まれものたちが、薄れたり壊れたりしたのなら、その時が私の死期なのだろう。

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