2019-08-01

幼少期の経験がすべて

小学校低学年で病気でつまずいた。

パニック障害だった。強烈な不安がいつでもあって、マズローでいう安全欲求も満たせなかった。

同じ境遇の人がいたら、言葉にできない程の辛さであるし、黙って抱きしめてやることしかできない。

登校も半々で社会的欲求も発芽しなかった。

友だちと友情を育む経験がまともにできなかった。

20歳の頃、地元の優良企業就職できた。

その頃に社会的欲求が芽生えた。

友だちが欲しかった、作るメンタリティーがあった。

ただ周りはもうとっくに友だちを作っている人達であり、自分の初めて友だち作りたいという温度感とは違っていた。

今考えれば同期と友達になろうというのが間違っていたかもしれない。

その欲求小学3年生にでも混ざらないと満たせるものではなかった。

こういう結果になっていることはすべて自分が悪いと思った。

自分スキル努力も足りないし、人以上に何かをしなければと思い自己啓発をした。

そして、とにかく人と会う機会が欲しく、23歳でマルチ商法で人と会いまくった。100人200人300人と。

個人的にはコミュ障で人とうまく話せなくても、仕事と考えればメンタル的に楽だった。

ただ横の繋がりがどうしても不快感があるし借金が膨らみ、続けられかった。

自分には何もできないのかと思える。

24歳で職場での適応障害になった。

仕事質的な難しさがあって頭抱えて苦しいなか、上司には罵声を浴びせられる

周りは名門大学出身の優秀な人たちばかり。

なぜ、まともに学校行ってなかった自分と超有名大学の優秀な人が席を並べてる意味が分からない。

学歴関係ない。そう思ってはいるが、ここでは学力があり考える訓練をしてきた人たちが標準であり、

そういう人にはそういう仲間もいるし徒党を組む。この環境では自分のような存在は劣等だった。

劣等感ばかり。

退職してから仕事選びの基準メンタルを崩さな環境であること。が最優先事項になった。


何が言いたいかって、同じ病気になるにしても、

はい学校通える!社会的欲求芽生えた!友達できた!自信ついた!良い大学会社行けた!

 から病気になった…、でも支えてくれる人がいて頑張る」

とはステージが違いすぎるんじゃないか?って件。

複利が効いてくるのでね。

という私の悲しみ日記でした。

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