テクノロジーが進歩していってAIが発達し、今後はAIがどんどん仕事をしてくれるようになる。そうなると人間がやらなくていい仕事はどんどん無くなり、ほとんどの仕事は在り方が変わるだろう。短期的に見れば失業者も出るかもしれないが、人間はより人間らしい仕事や暮らしをしていけばいいことになるから、これは良いことだと思う。
テクノロジーが進歩すればするほどモノの生産コストは下がり、モノの価値は下がる。生活に必要なものはベーシックインカムとして人々に分配されるようになり、社会の仕組みが変わるという話も出ている。
そうなると本気で遊ぶことに価値が出てきて、それでフォロワーの共感を集めることでお金が集まるようになる、なんていう話も聞く。
私は関東の田舎に住んでいるのでそんな世界になるのかという実感は湧かないが、世の中はそんな流れらしい。
でもこの話を聞くたびににひとつ引っかかることがある。
ここでいう人間らしさとは「社会性」や「コミュニケーション能力」のこととしておきたい。
社会性やコミュニケーション能力といった人間らしさを生まれつきあまり持ってない人たちがいる。
ASD(自閉症スペクトラム障害)の人たちだ。別の疾病分類ではアスペルガー症候群とも言われている。
ASDの人は知能には問題がない(知的障害ではない)が、生まれつき社会性が低い。
今置かれている状況や相手の言動、表情などから相手の気持ちを察して行動するということ(社会的コミュニケーション)が苦手なのだ。会話の中では本音と建前があるものだが、言葉を文面通り受け取ってしまうことが多い。
そして偏った分野への興味と類稀な集中力を持ち合わせていることが多く、また記憶力の高い人も多い。そして合理主義者でありパターン化されたものを好む傾向が強いと言われている。
ASDの人たちは機械に近い脳を持った人間であると言えることができると思う。社会性には乏しい面があるが、それを補えるだけの良い面もある。
しかし問題なのは、テクノロジーの進歩によってその良い面がもつ価値がどんどん下がってきてしまったことだ。
インターネットが普及し情報が溢れかえる社会の中では知識の価値が下がるし、AIが普及すればそれで代用できることの価値は下がる。
人間の中の機械的な部分が必要とされなくなる時代には、この手の人たちはかなり生きづらくなるのではなかろうか。
ASDの人たちは理系の人に多く、シリコンバレーのエンジニアの10%はASDであると言われている。また研究者にも多く、ASDだったであろうと言われている偉大な研究者も多い。
偏った興味と類稀な集中力で多くの優秀なASDの人たちが世の中を良くしてきた。しかし先人たちがASDの強みを活かしてきた結果、ASDの人たちが生きにくくなってしまうのであれば皮肉な話だ。
どうかそうならないように祈る。