今年の3月でジオシティーズのサービスが終了するので、懐かしのサイトに消えてしまうには惜しい作品群を自PCのローカルにダウンロードしている。
今から10~15年ほど前までは、特に二次創作の界隈において、自分の作品を発表するには個人サイトを持つ必要があった。
サイトのコンテンツには絵や小説と言った作品の他に、自分の内心を赤裸々に、ありのままに、あるいは誇張して、もしくはかなり淡々と書いた日記を置く人が多かった。
今思えば黒歴史、今でも藻屑としてウェブの大海を漂っているのならば、いっそ消して欲しいと思う人もいるのではないかと思う。
実際、個人サイトを持っていた私の友人の大半は、死ぬ前までには完全消去したいという意見の方が多かった。
私自身はどちらかと言えば、いつかいつでも誰かが見て喜んでくれるかもしれないから残しておきたいという意見であるが、その気持ちもとても分かる。
今回、ジオシティーズのサイトの他に、リアル友人のサイトも保存した。
ジオシティーズではないけれど、そもそも個人向け無料ホスティングサービスが下火も下火だから、数年以内に消えてしまうだろう。
だからその前に保存した。
肝っ玉の母ちゃんになって沢山の孫に囲まれた婆ちゃんになるのが一番似合うだろうに、死んでしまった。
イラストも物凄く上手くて、他人には絶対にない独特すぎるくらいのセンスを持ち合わせていた。
とても親孝行で常識もあって料理が上手で、加えて他にはない感性を持っている彼女の死は本当に早すぎた。
友人は前述でいうところの、死ぬ前にサイトを完全消去したい派の人だったのだが、結局今現在でも友人のサイトは残っている。
レンタルサービスの日記はサービス終了してしまったのでもう見ることができないけれど、極彩色のイラストの数々はまだ残っている。
友人の創った世界観はまだインターネットの中にあって、まだ私はそれに触れることができる。
友人が生きていたその時に何を思っていたか、その想いをなぞることができる。
それを嬉しく思うし、私にとっては救いである。
だけど友人は何を思うだろうか。恥ずかしいと言うだろうか、許してくれるだろうか、黙ってパソコンの電源を消せと言うかもしれない。
私に取って友人のサイトは、彼女が過ごした城であり、墓標である。
折に触れて、友人のサイトを訪れている。何でも無いときでも、何かあるときでも訪れている。
私にはそんな資格はないのかもしれないけれど、懐かしんでいる。
友人が死んでしまったこと、その事実を受け入れて思い出になってしまったことをもの悲しく思っているけれど、
まだみんな学生だったあの頃、周りの友人らがみんなサイトを持っていて、私信を飛ばしまくってああだのこうだの言っていて、
すごく下らないけどものすごく面白かった頃のことは今でも思い出せる。
その頃のことを直接駄弁れないことは、やはり悲しいと思うのだけれど。