他にも
『イジメ』
『恋愛』
『ボッチ』
『胸糞』
『成長』
『停滞』
とか色々思いつくんだけど、
多分一番本質にあるのは
『自己弁護』
なんじゃないのかなって。
この作品って、どのキャラが自分にどういう理由付けをしてそういう行動に出たのかが徹底的に描かれていると思うんだよね。
キャラの行動に読者が納得するのに必要だからとか、キャラの心情を描くことで読者に共感や衝撃を与えたいとか、そういった一般的なレベルじゃ収まってない。
回想シーンを挟んでいるだけじゃなくて、モノローグを入れているとかだけじゃなくて、人間がある程度雰囲気で動く部分のその雰囲気がそれぞれどうなっているのかまで徹底的に描写しようとしているというか。
その上でどのキャラも自分なりの理由付けがあって、一見すると不可解とも言えるほどの暴挙に出るんだけど、本人の中では本人なりの屁理屈が通っていて、それが無理筋だと本人もわかっている時ほどタップリと言い訳が塗り込まれて、それを勢いで押し切って自分の生き方は正しいと自分や周りに必死に言い聞かせようとしている。
物語上フォーカスがあたっている大部分のキャラが「私の生き方こそが正しいんです」と言い張りたがり、時には「あのときは間違ってました。それを償おうとする今の私の生き方は今度こそ正しいのです」と言い張ったり、「いいえやはりあの時の私は悪くありません。悪かった部分もあるが必要悪だったので私の存在そのものが悪とは言えません」とわざわざアピールしてくる。
それらは一概に正しいとは言えない意見ばかりではあるし、むしろ主要人物の言ってることはエゴイストの暴論ばかりですらあるんだが、あちこちから不条理や不合理が飛んでくる世界の中で自分らしく生きながらも自分は正しいと言おうとしたらそうやって言い張るしかないという気持ちには共感できるし、そうすることをやめてただ黙って周りに合わそうとしたらやがて何もかも奪われてしまいそうなほど現実は理不尽で窮屈だってことにも共感できる。
そういうわけで自分は、聲の形のテーマは『障害』や『イジメ』ではなくて、『自己正当化』や『自己弁護』や『自己憐憫』であって、あくまで『障害』も『イジメ』もそれを表現するための舞台装置ぐらいの物と認識してもあながち間違いじゃないのかなと考えました。
いかがでしたでしょうか?