教師という職業をバカにしているのではなくて、勘違いしていると誰も幸せになれないよという話だ。
アメフトの話をみてつくづく思うのだが、そのことを知らずして大事な子供を預けることなんて絶対してはダメだ。
教師というのは、基本的に学校出て教職員になるための指導を受けて教師になる。
それで教師になったら、教師の世界の中で教師としての成長を遂げて、教師の世界の中での生き残り方を学ぶことになる。
それによって生み出されるのは教師としてのスペシャリストであって、社会の中で揉まれに揉まれまくって角が取れた成熟した大人ではないということだ。
彼らは一見して社会人みたいな顔をしているが、一般社会の企業に務めるという経験をほとんどしてない。
教師は教師の世界で理不尽なこともあるだろうが、普通の社会人が社会に出て味わうであろう日常的な理不尽とは縁遠い存在なのだ。
売上のためにクソみたいな顧客とクソみたいな上司に板挟みにされても笑ってなければいけないようなこともなければ、行き詰まって職を転々としながら居場所を見つけるような経験もしたことはない。
その中から針に糸を通すような光明を見出して、人間性を大きく成長させるような機会もないのだ。
教師という閉じられた特殊な世界の中にいる人間が、どうしてこれから社会に出る若者たちに社会のことを教えることができるというのか。
もし教師の世界に限界を感じた人間がいたとしたら、彼らはすでに教師を続けていない。
いうなれば、教師を続けている人間は、教師という世界に適応できた人間に限られているということだ。
所詮教師が教えられるのは、学問と教師としての生き方でしかない。
そんな人間に子供を平気で預けておいて、ひどい目にあってから教師を恨んでもなにも始まらないではないか。
学校は生徒を立派な人間に育て上げるだなんてエゴはもう捨ててしまえ。
人間性を育てるのは家庭であり親の役目だ。
学校は学問を学ぶ場所であり、教師を志す人間を育てる場所でしかない。
それが理解できない限り、自分の子供が正しく成長することは諦めたほうが良い。
日大の内田監督は、教師ではなく大学のただの事務職員だぞ。 単純に言えば教師は教師でしかないということ。 アメフトの話をみてつくづく思うのだが、