老人が「今の若者は甘ったれてる」とか言うのを目にするけど、いつの時代も若者が常に正しい。俺はおっさんだが、若者の価値観のほうが正しいと思っている。
老人の考えは時代遅れである。成功体験とか生存バイアスにとらわれすぎて、自分の価値観だけでしか物事を判断できていない傾向にあるように思う。全ての基準は「俺の若い頃は」だ。だが、若者は今を生きている。
クルマ離れがある。これについて老人は「ステータスとしてのクルマを買って、美女を従える気概を持て」と言う。しかし、若者は各々が今の状況を鑑みて「クルマは要らないのではないか」という判断を下している。決して大多数の若者が裏で示し合わせてクルマを買わないのではない。
音楽とかゲームとかのサブカルもそう。老人は「昔の音楽は良かった」なんて言うけれど、それは単なるノスタルジーでしかない。第一、音楽に良し悪しはない。老人が時代について行けなくなっただけ。
フリン効果がある。人類のIQは常に高くなり続けているという理論である。特に新しい世代は客観視に優れているそうだ。昔の人間は「俺が知らないからそれは存在しない」と断罪する傾向にあることもわかっている。物事を判断する際に重要なことはメタ的視点であり、客観視だ。物事を客観視できる若者は正しい。
「若者は根性が足りない、努力が足りない」と言う言説も聞く。確かに努力は重要かもしれない。だが、若者は正しい。とすれば、今の世の中は努力が無意味な世界になってしまっていて、若者だけがそれを見抜けていると言うことはできないだろうか。
俺はおっさんだ。だが、自分よりも年下の若者が正しいと思っている。個人としてではない。全体としてだ。たしかに「ロマサガ2みたいなすごいゲームは現れないなー」とか「昔のインターネットは良かったなー」とか思うことはたまにある。だけど、若者が作っている今が常に正しい。俺が間違っている。これは絶対だ。
若者に、例えば「クルマはあったほうがいいよ」とか「ロマサガ2っているゲームがあってだな」とか言いたいのであれば、根性論やポジショントークではなく、実例として見せていく必要があるのではないか。「Undertale」を若者がプレイしているかどうかはわからないが、そうやってきちんと努力して訴求していくことだ。年金暮らしやエスカレーター式の出世にあぐらをかきながら「今の若者は」とのたまうことに説得力はない。
若者は常に正しいと私は考えている。