昨今、暴力表現がある作品を所持してる人が犯罪を起こすと「この作品の影響!!」など言っている人がいますが、
そんな表現は昔から小説、ドラマ、漫画、絵画、いろんなもので存在していたわけで影響もくそも無い気がするのですが…、
自分たちの教育が間違っている事を指摘されても認めず、作品を徹底的に叩く姿はどちらがモンスターなのかなと悩む所です。
私が子供の頃にはテレビの中で殺人表現されてるドラマがあれば、殺人は怖いもの、他人を傷つけてはいけない、あれはあくまでテレビの演技など、親に様々な教えを受けたものです。
時代が流れても、教育の過程では一種のマニュアルのようなものではないだろうか…と思うのですが、たまたま児童達100人弱くらいとコミュニケーションをとる機会があり、
こういった教えを保護者からされているか質問してみた所「されていた」児童は20人程度でした。
これを見て、まず思ったのは保護者がやるべきことをしているのかどうか、という事でした。
昔の人が優秀であったわけではありません。
むしろ色々な部分で現在に劣ります。当たり前です。発展した未来と過去を比べるのは愚かですから。
しかし、教育という観点では昔の教育は今より厳しかったとも考えられます。
やってはいけないことをすれば、ゲンコツが飛んできたものです。
痛い思いをして教えられる。人には必要のある経験かと私は考えます。
昨今では痛みからの教育はタブーのようになっており、仮に行うと虐待だと騒ぎ立てる親が多くなりました。
非常識なほどのお仕置きは駄目だと思いますが、軽めのゲンコツ程度は体罰と考えるには少し考えすぎな気がしますし、
そもそもそういう事が起きないようにしたいのであれば、まず保護者から子供への教育をきちんと行ってほしいですね。
子供の教育を学校へ丸投げしておいて、何かあればギャーギャー騒ぎ立てて子供が問題あるのは学校のせいだ!なんだと言っている様は、モンスターそのものです。
そんな方々が口を揃えるのは○○という漫画はーアニメはーという作品叩きです。
正直な所、作品叩きだって極論からすれば現存する作品全てが有害になりますよ。
今は保護者となった大人たちが見てきた本やテレビ、アニメ、全てが有害です。
子供が同じ道を歩んでいるだけなのに、自分たちが見てきたものをなかったことにしてあらゆる作品を叩くのです。
それっておかしいですよね。
自分たちが暴力的な表現のある作品を見てきて、なぜ問題を起こさずに大人になり、親になれたかを考えないのです。
自分が大人になれたのならば、子供もまたそのように教えていけばよいではありませんか。
しかし、自分たちが成長の過程で経験してきたことを活かすこともせず、親もメディアも何かあるたびに作品叩きをします。
叩く前にやるべきことをやっているのかと。私はそう考えるのです。
本当におかしいのは、昔から変わらず作られている作品たちでしょうか?
私は悩むのです。