ええやんけ、別に。
そう思った。
この歌が描こうとしたのは、ある母親の意識の変化と、子供への愛情。子供が生まれてから生活は色々変わったし、我慢することも増えた、でも、それよりも子供がいることの幸せが勝るという話だよね。
共感できないという声をたくさん見たけど、「愛する子供のために何かしてあげたい、何でもしてあげたい」「子供と一緒にいられて幸せ」という内容に共感しないの?と思う。
歌詞に描かれた母親にしても、別に全てを犠牲にして子育てをしているわけではないと思う。手を抜けるところは抜くだろうし、適度に息抜きもするだろう。父親とだって協力しているかもしれない。歌詞では描かれていないだけ。
なぜ描いていないのか。その答えはシンプルで、そこはテーマじゃないから。この歌詞のテーマは最後のブロックにまとまっていて、そこまでは全て前置き。最後に『それ全部よりおかあさんになれてよかった』と言うために、変えてきたもの、我慢したものを列挙している。『おかあさんだから』と連ねて書く事で辛さを強調し、最後にそれを否定して見せて子供への愛情をさらに強調するという構成になっている。
詞(歌詞)というのは色々なものを削ぎ落として、凝縮したテーマを少ない字数で表現するもの。受け取る側としては、そこにある言葉から何を読み取るかが重要なのであって、(テーマから外れた)語られていない事を想像して責める事には何の意味もない。
最後のくだりを大きく見せるためにネガティブなフレーズが続いてしまうから、好き嫌いは分かれるだろう。それでも、母親の愛情を表現するという意味で言うなら、よく練られた歌詞だと思う。嫌いだという人は相当数出るだろうから、冒険したなあ、とは思うけども。
もちろんイマイチだと思う部分はある。『立派に働けるって強がってた』は「女性は立派に働けない」と容易に読み替えられてしまう。ただ、どう考えてもこれは誤読。なぜならそんなメッセージはこの歌のテーマと全く関係ないから。この母親のエピソードとして捉えるなら、「若い頃、仕事に不慣れでうまくできなかった、でも先輩に負けないよう肩肘張って頑張っていた」というような意味で『強がってた』と読む方が正しいだろうと思う。少なくとも女性蔑視と受け取るよりずっと自然だ。その強がっていた過去も、この母親にとっては誇らしい、良い思い出なんだよ。だからこそ、それを諦めてパートに変えたのが辛い事になって、歌詞の構成に合う。「女性だから立派に働けない」ではこのブロックが浮いてしまって、意味が通じない。
『もしもおかあさんになる前に戻れたなら』というフレーズも、現状への不満として受け取れてしまう。後に続く『それ全部よりおかあさんになれてよかった』で打ち消しているけど、どうにも「あの頃はよかった(今はよくない)」という印象が強く残ってしまうし、引っかかる人はいると思う。例えば「でもすぐに帰ってきてしまうだろう、だってそこにはあなたがいないから」みたいなフレーズが入っていれば印象も違ったのではないか。
私達は、育ててくれた親や親代わりの人に、程度の差はあれ負担を強いてきたはずだ。でも、その人達がそれを乗り越えたのは、少なからず私達に愛情を持っていたからじゃないのか。それを謳う歌詞を否定していまう人が多い事の方が、私は悲しい。
ポジティブワードで固めた歌詞だって書けただろうに、ネガティブワードで応援歌を作ったというのは氏の作家性の一部だと思うし、そこは否定してはいけないと思う。