2017-12-27

そもそもけもフレの二期をたつきがやるのは果たしてベストなのか

正直けもフレ成功は「一杯目のビール」だぞ、いわゆる。

同じようなテーマ物語をもう一度やるのはもう無理だ。

アイデンティティを無くした少女が未知の世界を旅する話はもう出来ない。

主人公記憶喪失にしようが登場人物をまるごと変えようがもう無理だ。

何故なら視聴者にとってジャパリパークが未知の世界ではなくなったから。

からもうけものフレンズであの話は出来ない、少なくとも前ほど効果的には。

そして別のテーマけものフレンズをやっても見てる側は前ほど盛り上がらないだろう。

1期の期待値に対する内容とのギャップによる効果が今回は期待できないのもある。

もっと大きく影響するのは視聴者が求めるけものフレンズ像が一期の繰り返しだからだ。

でもそれはもうどこにも存在しない。

一杯目のビールは既に飲んでしまったんだ。

けものフレンズという世界にもうそれは存在しない。

それなのに視聴者は、あの時と同種の感動を求める。

その矛盾作品は耐えられない。

間違いなく二期の評価は落ちる。

確実だ。

そんな中でたつきけものフレンズ監督をやって欲しいのかと改めて問いたい。

これは票の別れる所だろう。

たとえ一期と同じような感動を得られなくても一期の続きが見たい気持ち自分にもある。

同時に「たつきけものフレンズ」というハードルを心の中に置いた状態けものフレンズ二期を見たくない気持ちもある。

解釈けものフレンズがみたい気持ちもある。

たつきけものフレンズ二期でも監督をやるのがベストであると決めつけるのは簡単ではないように思える。

もっと相応しい監督がいると言いたいのではない。

前作がうまく行ってるのなら同じ監督が続投するのは間違いなくベターより上だ。

マイナスにはならない。

だが、けものフレンズの状況はだいぶ繊細だ。

そもそもけものフレンズが上手く行った裏には独自制作手法存在する。

たつきが力を発揮するのはそのやり方を取ったときだろう。

その方式を二期でも使うのが正解なのかどうかは確実に課題となるだろう。

たとえば、最終話において一部のキャラクターが動きを止めてしまったのを見るに、あの方法はかなりギリギリだ。

そして二期に求められるハードルは、そのような作りの甘さを果たして許容できるのか未知数だ。

制作方法を変更しもっとリッチ体制を作れるようにすることで作品が良くなるのならば、それは視聴者側としては十分アリだ。

はいえ、自分が求めているのは面白い作品からこう言えるのだろう。

面白いかつまらいかよりもたつきけものフレンズであることが重要な人もいるだろう。

それは声優オタク特定声優が出るか出ないかを視聴基準にするかのように。

そういう人にとってはたつきであることはベストだ。

そこを否定はしない。

だが、ある人にとってベストとなる選択肢があるという事は、他の人間がそれぞれにとってのベスト考察することまでは否定しないはずだ。

から私は考える。

果たして、私にとってけもフレ二期をたつきがやるのはベストであったのかを。

  • 今さらそれを考えてどうなるの どうせベストじゃなかったんだしって自分を慰めるの?

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