あんたら、と言われるのは心外ですが、確かに他者のプライベートの問題について差別のロジックを用いて指弾するものはたくさんいます。
例えば欧米ではジェンダーに対する差別の是正の為に、街中やネット、テレビの広告の中にジェンダーロールを強化するような思想を入れ込んではいけない、と言う考え方が最近とても根強いようです。女性は痩せていてかつグラマーでなければならない、男性は勉学に励んで要職に就く努力をすべきだ、そのようなストーリーを内包する広告は全く歓迎されず、場合によっては規制されます。
そういう話を聞くと我々などはあまりに過激だと思うものですが、これもパブリックとプライベートの問題なのです。広告というのは黙っていても目に飛び込んでくるものでしょう? その様に個人の意志で選択ができない情報なので、これは大いに公共的な性質のものだとされています、この様な性質の情報をpush型の情報と言います。自分から好んで選択しなければ行きあたらない例えば書籍などのpull型の情報とは違うという事ですね。ゾーニングの問題というのも実にこの様な話と関わるものです。
とはいえ先にも述べた様に、どこまでがパブリックでどこからがプライベートと言えるかは難しい問題になります。映画はパブリックかプライベートか? 大々的に公開されるビックバジェット映画はパブリックで、細々とした単館上映はプライベートかもしれません。でもどこで線引き出来るかは決めきるのは無理でしょうね。曖昧さはどうしても残ります。
しかしどうでしょう?公私の線引きをしようという努力はなされるべきで、それは正当だと思いませんか?そして公私の線引きのない差別根絶の指摘はそれ自体無意味だというのは前のエントリでもしていますし、貴方も同意見かと思います。とかく日本人は何が"公共"なのかという事に対する意識が著しく低いのだと思います。それには様々な理由もあるのだろうと思いますが、しかし差別というロジックをこの社会にインストールしなければならない以上、それについてをこそ考えなければならないという主張に、元増田は反論できますか?特に反感を覚えるところはないと思いますけどね。
そうして元増田は差別差別と喧しく他者を指弾するヒステリックなプライベート侵害野郎とは決別して、決然と賢くなる道を歩み始めることができるのでした。めでたしめでたし。
だから「そこの線引きがちょっと恣意的なんじゃない?」って突っ込んだだけで 凶悪な差別主義者と一緒くたに扱われるのが問題なわけじゃん そういうとこがいかにもファシズム的なわ...
これは差別だから許されない これは差別ではないから許される これは公的だから問題である これは私的だから問題無しなどという 人文エリート様のご英断に判断に任せるくらいなら 全...