2016-03-31

学校指定上履きを返品した話

春を迎えると、高校入学時のことを思い出す。

入学式における校長の話は何一つ覚えていないが、学校上履き制服を売る業者に嫌味を言われたことは今でも鮮明に思い出せる。

入学式を控えた春休みに、学校指定上履きを買わされた。

申込用紙に足のサイズを書き、後日学校まで出張ってくる業者から受け取るのだ。足のサイズが合わない場合は、その場で別のサイズのものと交換する。

業者が売っていた靴は、恐ろしく幅狭であった。

カブカのサイズを選んでも履けたものではない。

私の足が特に大きいわけではないから、みんなきっと我慢して履いていたのだろう。

しかし私は正直だからその幅狭な靴を返品し、代わりの靴を受け取らなかった。中学時代上履きを履こうと思ったのである

 業者指定の靴を履かない? そんなことできるわけないのに」

商売からだろうか。繁忙期に雇われたバイトしかったが、ずいぶんと冷たい態度であった。

幸い、私の靴をめぐる一件はこれでしまいになる。

母が中学の靴を履き続ける旨を担任手紙で伝えたからだろうか。学校に咎められることはなかった。

『そんなことできるわけない』の一言それからしばらく忘れていたのだが、大学進学後に再び思い出されることになる。

靴が権力象徴であること、軍隊モデルにして学制を敷いたこと、そしてキャンパスにも社会にも全く馴染めない自分

日々、死にそうな苦痛を感じている私は、返品するべくして靴を返品したのだ。

人間矯正する過程教育なら、私は見事に""落ちこぼれた""のだ。

もし、我慢して幅狭の靴を履けるような人間なら、高校卒業後の毎日はずっと楽だったに違いない。

あの時、自分の居場所がないことに気づいていたら、人生は変わったのかもしれない。

私は理系だったのだが、ひょっとしたら哲学科や神学部への進学を選んだかもしれない。

卒業後は就職などせず、社会の外側を求めてヒッピーになっていたかもしれない。

どういった進路が良いという話ではなくて、ただのIFである

しか自分をよく知るという意味で、気付きはなるべく早い方が良かったなという後悔はある。

自分探し小馬鹿にする人はいるし、私も肯定的立場ではない。

ただ、気持ちは分かる。自分をよく理解していればなぁと、上履きのことを思い出す時の気持ちだ。

ちょっぴり後悔の念があって、しばしば意識に頭をもたげてくるから当人としてはそのモヤモヤを振り払いたくなるのだ。

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