だいたいな、将棋とかいうクソは断れないんだよ。「将棋やろうぜ」と表面上は相手に選択の余地を持たせておきながらもう駒を並べ始めている。将棋とかいうクソゲー信者の最悪のクソ行動がこれ。しかも将棋とかいうクソはなまじ歴史と権威を普遍性を持っているせいか、
は通らない。まさにクソ。「やったことあるだろ?」とか「将棋もできないのか」などともうすでにしたり顔をキメやがる。アルハラはこれだけ認知されてるのに将棋とかいうクソハラスメントには誰も何も言わない。まぁゲームとしての面白さはあるんだろう。だが俺はやりたくねぇんだよクソ。勝てる可能性のないゲームをやりたがるクソがどこにいるんだ?
現代のどの対戦ゲームも一番重要なのはマッチングだろ。何が「頭いい奴は将棋が上手いからな」だクソ野郎。間接的に自慢したいだけじゃねーかクソ。将棋とかいうクソは地頭の良さとか関係ないだろもはや。一般人レベルだと。こっちががんばって独力で火の起こし方から車輪まで必死こいて再発明してる前で
「まだそんな文明レベルで消耗してるのwww?こっちはもう原子力発電所建てちゃったよwww」
とかクソしたりクソ顔でぼこぼこ駒をとってきやがる。うるせぇ俺はこの車輪の発明に命かけてんだよ定石に乗っかってるクソが偉そうに言うんじゃねえよクソ。将棋とかいうクソから漂う生白い饐えたチーズみたいなマッチョイズムが俺の気分をクソにする。
まぁどんなゲームも面白さに気づいたら面白いんだろう。それは否定しない。だがな。どんなゲームでもクソ中級者のクソ初心者狩りはクソだろ。例外なく。将棋とかいうクソはそういったクソが家庭レベルで起こるからクソなんだよ。マッチングをどうにかしろってのは無理な話だから、せめて断る権利くらい与えろよ。将棋とかいうクソは圧倒的な知名度を誇るがゆえに断ると角が立つんだよ。しかもなんか将棋が弱い=頭の残念な奴 みたいな扱いじゃねーか。血液型性格診断よりも俺は将棋とかいうクソを撲滅したい。いやすまん、撲滅は言い過ぎた。せめて「将棋?いややったことないです」が通じるまで衰退してくれ。もしくはマッチョイズムを撲滅してくれ。
羽生選手(選手っていうのか?棋士ってのは)が「人間が機械に勝てなくなったらルールを変えればいい」と言ってたらしい。俺はこの発言に全面的に同意する。何なら毎年ルールを変えてほしいくらいだ。そうすりゃ定石に乗っかっただけでしたりクソ顔をするクソから俺は解放される。
まぁ俺がこんなところでクソを叫んでも将棋とかいうクソの権威は揺らがないだろうけどな。
「定石知ってりゃある程度勝てるようになるんだから勉強すれば」とかのたまうクソがクソのようにクソグソしく湧き出してくるかもしれないが、そもそも俺は将棋とかいうクソに興味がない。
それにな。勉強し始めたら腕試ししたくなるだろ?
自分の強さを見せつけたくなるだろ?
そうなると「将棋やろうぜ…」と初心者を狩るために駒を並べ始める俺のクソビジョンがクソの如く見え始めてくるだろ?
俺はそんなクソスパイラルに加担はしたくない。マッチングもろくにできないこの将棋とかいうクソに取り込まれるのはゴメンだからな。こんなクソマッチングのクソゲーよりも格ゲーの方がマシだ。格ゲーもクソ弱いけどな。
どんなゲームにも愛好者はいるだろう。それは素晴らしいことだと思う。だがクソしたり顔とマッチョイズムと初心者狩りとレッテル張りだけはやめろ。それが生まれ出でた時点でそのゲームはクソとなる。
上級者がコマ落ちしないのは人格の問題であって将棋のせいじゃない。