勢いのままに書いちゃいますが「東南アジアから来たとおぼしきブス」に引っかかっちゃたので。
改めて言うのも変な気がしますが、東南アジアの女性全てがブスとか、東南アジアのブスのほうが日本のブスよりひどいとか、そういう事実はありません。
いや、わかるんですよ?この部分は東南アジアの女性を落とす意図は全くなくて、むしろブスな自分を落としてるわけですよね?
差別、とか巨視的なことが言いたいわけじゃないんですが、「東南アジアの人は不細工」または「落とす先として東南アジアが自然に設定できる」っていう前提が
一億以上の人が生活する日本で、いまだに大多数の共通認識としてすんなり受け入れられているという事実にびっくりというか。それ、大丈夫なの?
いや、本当に「差別がいけない」とかそういうことが言いたいんじゃないんです。僕は個人の主観・好み・感情というものを肯定しますし、むしろ絶対視してる節もあります。
「東南アジアの女はみんなブス」と思ってる人がいてもいいでしょう。好みの問題ですから。(「東南アジア」っていう括りがまずおかしい、っていうのはありますが。それはここでの本旨ではないので)
そうではなくて、僕がいいたいのは、このブスが来たとおぼしき東南アジアは、現実の東南アジアですか?それともあなたがうすぼんやりと思いえがく、心の中の東南アジアですか?っていうことなんです。
どうもうまくいかないな。。。
いま読み返してみたら「東南アジア=ブス」じゃなくて「東南アジア=濃い」っていう認識なのかな?脚注5を見ると。
まぁ、それでもここでの論旨に変わりはないんですが。めんどくさいんであげちゃおう。
想像してください。
あなたは東南アジアの国から日本を訪れた、若い女性です。外見には人並みに気を使いますし、容姿も十人並み以上かな、と密かに自負していたりします。
日本語にも十分に堪能なあなたはある日、東南アジアと容姿が劣ることの関係を示唆するような言説を(インターネットで・週刊誌で・テレビで)目に、耳にします。
なにかおかしい。東南アジアと呼ばれる地域に生まれたことと容姿に何の関連があるのでしょうか?あなたは自分の思いを日本で出来た友人に伝えようとします。ここでも言葉の壁はないと思ってください。
でも伝わりません。「これはあなたのことじゃないのよ。あなたはすごくかわいいし」「東南アジアの人が全員ブスじゃないってことは、みんな分かってるって」みな一様にそう言います。実際、本心からそう思っているのです。
いいえ、分かっていません。いえ、分かっているのなら余計に、なぜ容姿が劣ることの形容詞が「東南アジア」で、それが何の説明も必要とせず誰からも理解されるのでしょう?
「いや、それは一般論であって、個々人には当てはまらないし、そんなことはみんな理解している」その一般論は間違いではないのか?間違った認識を皆なぜ頑なに持ち続けているのか?
あなたはヒジョーに煙たがられることになります。「うるさい女」「少しかわいいと思って(ry
いいえ、そんなことにはなりません。あなたは若く綺麗なだけじゃなく、賢くもあります。空気も読めるし、こんな無意味な議論はしません。そんなこといってなんになるでしょう?この人たちはすでに「理解している」のです。
こんなことは、ありふれた、どこにでもある、些細な、絶望。たいしたことじゃありません。この程度のことで、夜寝られないなんてことはないし、仕事にも影響しないし、友人との関係も良好です。
でも、あなたは決して理解されません。彼らの認識と自分の知っている事実の間には大きな隔たりがあって、この国で意味があるのはかれらの認識だけで。あなたが何を言っても、この「認識」は1ミリも動きません。
あなたにとって彼らの間違った「認識」は時に不名誉なものですが、そんなこと誰も気にしません。何しろ彼らはその認識が間違いだということはすでに理解しているのです。それでも認識は変わりません。この無力感。