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2024-01-24

昭和時代に人々はどうやって迷わず電車に乗っていたのか。

オモコロhttps://omocoro.jp/kiji/430490/電車経験者が電車に乗ってみる」がちょっと話題になった。


当該記事の筆者は大人になるまでまともに電車に乗ったことがなく、記事執筆のために今回電車に乗ることになったのだが、昭和並みの制限を課すことになった。「Google検索禁止である。確かに昭和時代Googleはおろか、一般の人々が検索に使えるインターネット存在しなかった。そういうことを考えれば、これは昭和当時の制限に見えるかもしれない。


しかし、彼女はもう1つ制限を課すのを忘れていたことで、非常に迷うことになってしまったのだ。課さなかった制限とは「ICカードで乗らず、必ずきっぷを買って電車に乗る」である。この行為昭和再現するには必須なのだ


これを課しておけば、彼女目的地へのきっぷを買うために路線図を見る羽目になっていた。きっぷの自販機の上にはほぼ確実に路線図がある。これを見れば、乗るはずの電車がどちら方向に行くかはそこまで迷わなかったはずだ。彼女の失敗は全てここに起因する。まあ、彼女がやりたかったのは「昭和再現して電車に乗る」ではなく「電車に乗ったことのない人が電車に乗る」なので、そこに気が付かないのはある意味しょうがないのではあるが。そこは途中まで同行した父親が教えようよ。




路線図交通図とも言われるこの地図小学校中学年では郷土地理的社会を学ぶ時間があり、その題材としてうってつけなのだ福岡現在もその授業があるかどうかはわからないが、東京など特に鉄道が多い地域小学校では当たり前のように授業に取り入れられている。それが回ってフィクションでもその描写がある。


先生のつうしんぼ」が非常に有名な童話作家宮川ひろ作品の中に、「四年三組のはた」という作品がある。この作品の主要なエピソードきっかけとして、東京交通図が登場するのだ。担任先生産休で休んでいる時に、クラス児童たちは交通図を作る実習授業の際に日比谷線人形町駅そばにある水天宮存在を知り(当時半蔵門線存在しなかった)、安産お守りを買いに学区外に出かけることになる。この作品は「先生のつうしんぼ」同様、日活映画化している。


話がズレた。検索が使えない昭和の人々は、手帳交通図を挟んで移動していた。そもそもまともな手帳には一番うしろの方のページに東京大阪運が良ければ名古屋交通図が印刷されていた。平成初期に「好みのリフィルを挟んで自分オリジナル手帳に出来る」という名目流行ったシステム手帳にも、リフィルの1つとして交通図は売られていた。


結局、どこかに行きたい場合昭和の人々は交通図を見てその方向を確認していたのだ。




交通図にはデフォルメ存在する。このせいで引っかかることがいくつもあった。子供時代自分の住んでいる街を交通図で把握していた自分は、市と同じ名前の駅が丸いマークに囲まれて書いてあるので、自分の住んでいる市は丸いものだと思いこんでいた。これは前述の社会授業で覆されることになる。


自分だけでなく多くの人が交通図でひっかかり、さらに語り継がれているのが「大手町駅」の存在だ。地下鉄での乗り換えを考慮したとき大手町は非常に便利な乗換駅に見える。実際には、大手町駅は乗り換えには非常に不便な駅なのにも関わらずだ。つい最近まで、受験のために上京する学生に対しての指導には「大手町で乗り換えることを考えないように」という一言が付け加えられていた。平成初期に、乗り換えの便利さ、不便さをわかりやすくしたデザイン路線図が作られ、メガネ拭きなどに印刷されて販売されたこともある。https://hakutsuru583.hatenablog.com/entry/2023/12/20/193000 その実物がこのエントリにあった。


最近自分が気がついたのが、埼玉の広さだ。交通図では、東京圏の交通図はせいぜい和光市ちょっと豪華で所沢までが記載されていた。壁に貼るポスター程度まで大きくなると、八高線を含む飯能までが収録範囲になる。自分はそれを見て、最近まで「東京圏の端は飯能、つまり飯能市は埼玉西端にあるのか」と思い込んでいた。まさか同じことを思っている人が多いとは思わないが、そう思っている人は改めてGoogle Mapsで飯能市を検索してみてほしい。飯能市は埼玉のけっこう中央にある。

 
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