2021-08-29

さびしいもんだね

ハイパーハードボイルドグルメリポートで触れられた、ゴミ処分地に住んでる14歳の子供を見て、俺はどんな気持ち対峙すればいいのかわからなくなった。

資本主義いくら中指を立てていても、こういう状況に対して自分ができることはゼロだ。募金なりなんなりあるだろうと思うかもしれないが、そんなことはまったく関係ないし、なんなら無駄だ。できることはゼロだ。そこに立たないとそもそもスタートすらできない。

俺はただの人間生活者自分生活を成り立たせていくことで精一杯だ。世界にある矛盾をずっと甘んじて受けながらも自分快楽を追い求めてる。たまに贖罪されたくって、赦してほしくってそれらしいことを話したりするけど、お前なあ、そんなことで何かが変わるだなんて一瞬でも思うなよ。ずっとずっと違和感けが俺のありもしない尻尾を引っ張る。つれえなあ。

俺の生活は俺だけの責任で行きたいんだけど、まあ、みんなも知ってる通り「生きる」ってことに他者が関わらないことは一切ない。これはまじでそうだ。仕事をする、飯を食う、歩く、何かを見る、お店で話をする、風邪にかかる、なんでもいいんだけど、世捨て人はいないってことだけは言い切れる。他者ってのをあなた人間に固定していない限りは。

俺は人が好きだ。人と関わることが大好きで、延々くだらない話をお酒飲みながら(最近ハイボール、前までは発泡酒)ずーっとどうでもいいこと話していたいし、仕事でも私事でも相手の好きなところをずっと話していたい。もちろん、一乗寺疎水が実はサイホン式じゃなくなったのけっこう前なんすよとかそういうなんの役にも立たないことも。

役にたつって死ぬほどくだらねえなって思い始めたのはいつくらいからだったんだろう。そもそも役に立つってなんなんだろうか。我らは、どういう家庭状況かに関わらず、今、楽しいかそうでないかに関わらずおしなべてすべて、「生まれてきたくて生まれたんじゃねえ」ということはもちろんそうだと思っていて、ここに反論ある人はいないと思ってるんだけれど、それはあってるかな?生まれてきたくて生まれて来た人いるなら、連絡くれる?

前提だけが先行していて、その中でじゃあ、選べって言われて、そんなのまじで無理ゲーだと思ってるのが40年近く生きてきた俺の結論だ。

いや、不惑とかそういうことついつい自分も言いたくなるけど、その不惑は諦めって言葉と何が違うのかな。俺にはまったくわからんよ。書き出しか全然話が変わってしまっている。申し訳ない。何を言いたいのかは俺も全然からない。これから生きていく意味なんてみんな持たなくていいと思う。でももっと考えたい。どうしたら自分が心地よくなるのかとかを。

で、その前提になってしまっている、なぜかこの土地に生まれしまたことよる、いや、土地もそうだし、どういう家庭環境に生まれしまたかによってそもそも多くのことが決まってしまうのに、それに対して俺らが生きてる社会はあまりにも無慈悲じゃないか?働かざるもの食うべからず以前の話をしないとどうにもできないじゃない。

俺らは搾取されている。それは、国家というものがあるからだ。でも、国家を完全に否定できないのは、それがあることで社会弱者弱者という言葉はひどい差別用語なのでなるべくなら使いたくない、が、意味合い的にもそうだし通りやすさもあるので今は使う)を救えている側面もある。でもそれができないならそもそも国家なんて必要なくないか。今、それができているか不勉強ですまないが、西欧国家が作り出しただろう、民主主義資本主義世界に行きわたった結果どうなってる?それが今目の前に広がっている景色なんじゃないのか?

答えはない。ごめん。でも、一番最初に持ち出した少年覇気のない目のことを私は忘れられない。し、私は彼のことを助けられないし、助ける気もない。私はわたしのことで精一杯だ。

なんだよこの世界とずっと思うけど、何もできない自分の状況に反吐をもらしながらでも忘れねえとしか言えない。大きいことは言えないし、何もできることはない。

でも。忘れることは一番の悪だ。それ以上に悪なのは善意のふりをしてこの世界中のことをつなげてしまったインターネットだ。知っちゃったら、無関係でいられないじゃないか

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