2019-11-02

大事な人が死んだんだけどさ

死んだことを上手く消化できなくてよくわからなくなったかはてなに初めて書いてみる。

おれはもう中年鳴かず飛ばず会社をやっている。

やっていると言ったったのは、経営しているというほどのものじゃなくて

ほんとにただ生き残っているだけだから起業してから10年。

ホリエモンテレビで見て、何かを変えていく力に憧れた。

そして、ホンダソニーパナソニックといった日本を支えた経営者たち、

IT企業を始めとしたベンチャー成功してきた人たちの本を読んだり

記事動画を見たりして、いつかこうなりたいって思いながらやってきた。

でも、もう中年、ほんとに鳴かず飛ばずでだめかもしれない。

おれなりに必死に頑張ってきたつもりではあるが、能力も運も何もかも足りなかったね。

もちろん、諦めて自暴自棄になっているわけではないよ。これからも一生がんばっていくつもり。

そんなおれを起業した時から、いや生まれた時から見守ってくれていた人が死んだ。

死ぬ少し前にもおれのことを心配してくれていたことを人づてに聞いた。

その人は自分のことを犠牲にしてでも人のためにやさしくできる人だった。

世渡りもうまくはないと思う。まじめで優しい人だった。

家が貧乏だったか大学にも行けなかった。

高校を出て働いて妹のために学費お小遣いをあげていた。

親の介護のために一人で頑張っていた。

遺品を整理していたら、日記をみつけた。

最後にその人に会った9月21日の前日に体調が悪かったが少し良くなったと書いてあった。

最後に会ったその日、友達がなくなったりして「おれも死んじゃうかもしれないな」と冗談で言っていた。

よく考えれば以前に比べて痩せていたが、その時は「大丈夫だよ」と笑って答えてしまった。

あの時、強引にでも病院に連れて行けばよかった。

ずっと前から具合が悪く、疲れていたようだ。

死んだ後の手続きや片づけをしていると、本当にいろんなことをしているようだった。

地域での活動小学生の見守り、町内会仕事…こんなにやってたらそりゃ大変だよ、今年の夏は暑かったし。

誰にも弱音を吐かず、他の人のために頑張っていた。

もっと自分のための時間を楽しめばよかったのに。ずっとそういう人生だった。

いい人や控えめな人間が損をする社会はやだ。すごく悔しい。

自分でもよくわからないし、その解決策やそういう人にとってほんとに何がいいかはわからない。

おれに力があったら、世の中の役に立てるような仕事サービスを作れたかもしれない。

「おかげでこんなことできるようになったよ」って報告できたかもしれない。

自分無能が情けなく、力不足がほんと辛い、吐きそうだ。誰にも言えないけど。

だって中年だし、一応、対外的には会社社長でもある。こんな愚痴こぼしてはいけないよね。

まとまらず、何を言ってるか読んだ人はわからいかもしれない、ごめんなさい。

別にかに読んでほしいとかではないんだけど、ここに書けばその人のことが世界に残る気がして。

話しを戻して、これを読んでくれた人にとって役に立てばよいなと思うことを

最後に少し書かせてください。もちろんただのたわ言です。お気になさらずに。

明日死ぬかもしれないと思って今日を頑張る」って思って頑張っている人いると思う。

ステイフーリッシュ的なやつね。

でも、「明日大切な人に報告ができなくなる」と思って今日頑張って報告するようにした方がもっと力湧くよ。

そして、当たり前なんだけど、後悔はしても意味がない。

大切な誰かは突然死んでしまうことがある、自分自身も含めて。

少しでも時間があるうちに、時間無駄にせず後悔しない行動をするといい。偉そうでごめん。

みんなも後悔する前に大切な人と大切な時間を過ごすといいよ。

おれはもう、話したかった事、行きたかった場所、過ごしたかった時間。できないから。

子供のころの夢は野球選手だったんだって

一緒にヤンキース試合を観にNYに行きたかったな。

  • 日本軍の本に 日本人は死人には極めて低調だって書いてあった

    • どうなんだろうね、戦時中も軍単位では低調かもしれないけど、家族にとっては重いのかな。

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