はてなキーワード: そばとは
どっちもいれて温そばとか
イギリスとノルウェーのすべてをレビューすることはできませんが、ロンドン(Lūndonjon / Lūndyn / Lunden)をレビューすることができます。
西暦873年にそこに立っていたであろうものの多くは欠けています。ユービーアイソフトの歴史家は、ウィキペディアからこの地図を参考にしたようだ。
https://en.wikipedia.org/wiki/File:Map_Londinium_400_AD-en.svg
しかし、その地図には、当時のロンドンの少量の建物が含まれています。このレベルの歴史研究では、ウィキペディアのような一般的な知識サイトは不十分です。
一般:
または、フォーラムの南にあるCandelwic Strætのロンドンストーン(Millarium / Praetoriumゲート)から放射する道路のパターン:
Trajectus Way:Douegæt(川までダウンゲート)からLondon Stone(Candelwic StrætのPraetoriumゲート)まで
Wæcelinga Stræt(Praetorian Way):南東からニューゲートまで
Earninga Straete (Ermyn/Ermine street a.k.a.オールドノースロード)は、Wæcelinga Stræt southwarkに同行し、南西からDouegætに入り、Cripplegateまで北上しました
ヴィシナルウェイ(フェンチャーチ通り)TrajectusからAeldgate(旧門)を通ります
フォーラムの東:
フォーラムの西:
クリップルゲート:
ルンデンウィッチ:
ゲームには一般的な「Lundenwic Abbey」が1つあります。9世紀には、ルンデンウィッチには5つまたはおそらく7つの修道院があっただろう。
他のいくつかの観察:
元々あの立地で公共交通機関のみの徒歩生活送るとか無理じゃん。
そんなの、よっぽど田舎もんで無い限り分かってたでしょ。
環二が便利なったから車で晴海フラッグのそば通るようになったけど、
休日自転車移動するファミリー多く見るし、徒歩の場合はベビーカー押してるとかそういうケースだし。
なんで、都心に生まれたエアポケットのような都下・千葉・埼玉ベッドタウン程度の利便性の土地に、
車買えば便利だぞ。あそこらへん。
某SNSで優先席がどうのこうので話題になっていたので、自分の体験を思い出しながら書く。
昔、足の骨をやってしまった時、数ヶ月入院してその後数ヶ月杖をついて歩いていた時のこと。
幸い電車に乗らなくてもいい生活ができたので普段は乗らないけど、どうしても電車に乗らざるおえない時がたまにあった。
立っていられないということはなかったが、足に負担がかかりすぎると痛くなってくるので座れるならすわりたかった、
杖を付いているので、こんな時くらい優先席でも白い目でみられんやろうと思い、
電車に乗る時は優先席付近のドアから乗って優先席が空いてればそこに座りたいなという感じでいた。
満員電車は足を踏まれる可能性もあったし踏ん張れる状態じゃないので完全に避けて乗っていたが、
数ヶ月の杖生活で、電車におそらく20回くらい乗ったか乗らないかくらいだったが、
その間に優先席を譲ってくれる事は1度もなかった。
いやまぁそんなもんだと思っていたので、はなから諦めていたが、
たまたま優先席が1つ空いている時(空いた時)に目の前で席に座られたのは全部女性だった。
優先席そばのドアから入って空いてる席に頑張って行こうとするが杖をつきながらの歩行は少し遅いので、一緒に入ってきた女性に抜かされて座られるが2回。
優先席前に立ってて目の前の席の人が下車で立ったけど、自分が少し邪魔だったので道を開けたら逆となりに立ってた女性に先に座られたのが1回。
どの時も、「杖ついてるの隣りで見えてたよね?横から抜かして歩けるくらい俺よりは元気だよね?」とは思ったけど、
きっと本人はヘロヘロでこの空間で一番優先されるべきは自分だと思ったから座ったのでしょう。
座った後足組んでスマホいじってる人もいたけどきっとそうだったのでしょう。
妊婦なのに席を譲られなかったとか、その逆で体調わるいのに妊婦に席譲れとどなられたとか、
まぁ理不尽だとはおもうけど、弱男は負傷してても優先席の優先度は最下位だよ、という話。
余談
たまたま割と優先席が空いていてドア横の席に座ることができた時、別の停車駅で乗ってきた老婆に「席をゆずってくれませんか」と言われたことがある、
今まで一度も言われたことがないのに、足折ってコンディション最悪な時に言われるとは思わなかった。
話題になって読んでみたんだけど
喜んでてびっくりした
手のひらに水を乗せるとぺろぺろ舐めるとかも
知らないんだろうな
つまりあなたに撫でられたくて寄ってるんじゃなくて木に身体を擦り付けるのと一緒、あなたは
木と同じ扱いなのよ
>分析の結果として、ウシは男性よりも女性がそばにいることに強い好みを持ち、人間の女性もウシに対してより強い愛着が湧くことがわかった。
もう人間未満じゃん……。
逆に全然そういうのわからん子と付き合うべきなのかがメインで知りたい。
スペックは32歳。男。178cm75kg。
アニメは大体期にやってるやつは全部見る。
ソシャゲはFGOとアークナイツと学マスとFANZAのエロブラゲ3本ほど、加えてマスターデュエル。
紙の遊戯王は大会もたまに出る。天盃とエクゾディアとマドルチェ握ってる。
映画はやってるやつは大体見てる。
今の町山は載ってるけど柳下は載ってない映画秘宝も購読している。好きな映画はワイスピ。
三谷幸喜も地味に好きでアイツのやってる劇もたまに行く。
skebには毎月10万くらいfamtia,ci-en,ファンボは月3万くらい。
ライブはアイマス、ラブライブを中心にアニサマとかアニマとかアレ系はいく。
アニクラは何回か行ったけど合わんかった。
コミケ、コミティアは大体行けば10万〜30万くらい使う。エロ中心。
でもデカパイも好きです。
なお実家ぐらしで、昔ハヤテのごとくのハヤテに憧れてたから掃除とか料理はクソ好き。
こんな感じなんだけど、どういうタイプの女性と付き合えばいいのか検討もつかん。
子供は滅茶苦茶欲しい。
こんな感じなんだけど、どういう系の女性が向いてるのか教えてくれ。
題名は某ホッテントリのオマージュ。当該エントリの人、頑張ってはるなぁ。
自分は170cm/95kgから、この9ヶ月ぐらいで85kgぐらいまでダイエットした。今もしている。
まだまだ全然太ってるが、大して頑張っちゃいないのにこれぐらい減らせて良かったなぁと思ったのでそのメモ。
同じぐらいの体重のおっさんで、食べるの好きで、ダイエットめんどくせぇなぁという人の参考とかになればいいな的な奴です。
まぁ、この2ヶ月ぐらいは停滞してるので、なんか追加の工夫が必要なんだろうけど。
高タンパク(100~110g)摂取を意識しながら、総カロリーだけ考えて好きなように食べる。
摂取総カロリーは大体1800~2000kcalぐらいにしている。管理はあすけん。
(最近体重減らないので、運動量を増やさないとだめかと思っている)
タンパク質しっかり取ろうとしながら、カロリー摂取量を抑えようとすると糖質や脂質の取る量は勝手に減る。
塩分とか食物繊維とか気にしない。サプリでマルチビタミンだけ一応飲んでいる。
なお、自炊は一切しません。外食or中食オンリーなのでエンゲル係数はだいぶ高いです。
だいたいこの5つのうちのどれか。ベースブレッドや、コンビニのタンパク質が取れるロールパンを食うこともあるし、それらに加えてプロテイン飲んだりもする。
ごはん少なめにすることを徹底して、揚げ物多い定食は週1にするぐらいで好きなように食べる。
もう残りのカロリー摂取可能量が決まってるので、その範囲で適当になんでも好きなものを食べる。
なんも食わないけど、たまに食べたって良い。その分晩飯が貧相になるだけである。
飲み物はウーロン茶か水かレモン炭酸水か、ゼロカロリーの何かしか基本的に飲まない。
たまにジュースを飲んだって良い。その分晩飯が貧相になるだけである(テンプレ)
毎日8000~10000歩くだけ。土日祝日も歩く。テレワークの同僚が多いが、これもあって自分は出勤勢である。
スクワットもランジもプッシュアップもプランクもクランチもバービーも腹筋ローラーも一切何もしない。
何もしない代わりに歩く。靴はちゃんとしたの履いたほうが良い。足底筋膜炎になるぞ(なってる)
自分の場合、普通に出勤して帰宅するだけで4000歩ぐらいは歩く。
他に、昼休みに飯屋行くときに適当に2000歩ぐらいその辺を歩く。
あとは、駅のホームで電車待ってる時間にホームの端っこまで歩いて戻って来る活動をしたり
帰宅時は適当に遠回りしながら帰ったり、階段をひたすら使用するとかして歩数を稼いでいる。
土日祝日は、遠くの飯屋やスパ銭まで歩いたり、目的の駅の一つ前で降りたりして歩く。
散歩はタイムパフォーマンスが悪いって人もいるが「飯屋とかどこかに移動する」という行為にするとその気持は薄れる。
そして、自分の場合はYoutubeで配信者の動画アーカイブを消化する時間に当てることで、効率化しています。
食事制限ではなく、食事管理をするところから始めるのはやはり基本だと思う。
んーで、食事制限だけはだめだぞ運動しないと駄目だぞ論に対してはタンパク質たくさん取るのと路線で対抗していく。
とにかく、食い意地張ってる美味いもの食うのが人生の楽しみなんだおっさんには
「このカロリーの範囲なら自由に何でも食って良いはずなんだ」という思考を定着させるところからスタートである。
そうすると「朝昼にガッツリ食うと夜になんも食べれない(´;ω;`)」となる。
じゃあ、朝は軽めにしておこう、となり、でもタンパク質は取らないとなぁ、となった結果
プロテイン飲むしかねぇなってなるし、そうすると他の食事は大分自由度があがるのでストレスフリーであった。
体重計はリビングのど真ん中に置いといて気が向いたら乗るぐらいで、そんなに毎日乗らなくてもいい。
まぁ、毎日乗ったほうが良いけど、トイレに行ったりするだけで数百グラムぐらい変わるし、
細かい数字の変化は本当に気にしても仕方ない。長い目で見よう。
完全に蛇足なのはわかってるけど、俺がうかつにも二人ともモテないとか書いたせいでブコメで妻までブス呼ばわりされてムカつくので追記
俺は低身長チー牛顔だからまあ何言われても仕方ないけど、妻は客観的に見ても(無理だけど)美人なんだ
でもちょっと気が強いというか、昔から勉強もスポーツも人よりできて言いたいことをはっきり言うタイプだったから、女子グループからは浮いて男子からは敬遠される感じだったんだ
だからお互いモテないし友達少ないし、自分にはこいつしかいないなって感じでここまできた
ブス呼ばわりは許さんから
なんかただ惚気話を吐き出しただけなのにたくさん反応もらって驚いた
問題は飽きてあっさり捨てられるとこやね
いや、いまさら飽きるとかないわ
児童館の子育てサークルからいっしょなんだぞ(いうて流石にその頃のことは覚えてない)
耐えられるとは思えない
それ抜きで子育て無理だったと思う
お互い大学以外地元を離れたことないので視野は確かにかなり狭い自覚はある
いや、もちろん生物のオスとしては反応するけれども、自分とそういうことする相手だとは全く思えないわ
というか幼稚園のころに「増田くんのお嫁さんになってあげる」と言ってくれた人と実際に結婚して良かったことを書いていく
これには理由があって、異性を意識し始める頃にはすでに好きだったので、俺の中ではかわいい=彼女になってるから
当然ほかの異性をそういうふうには見れないので浮気も考えられない
自分のダメなところも全部知られてるから、無理にかっこつける必要はない
大人になって自分を取り繕えるようになってから出会ってたらこうはいかないだろう
どれだけ俺の社会的地位が上がっても、彼女にとっては「泣き虫だった増田くん」のままだから、そばにいると安心できる
結婚した時点ですでに知り合って20年くらい経ってるわけで、お互いの考えてることはだいたいわかる
それで喧嘩せず仲良くいられるのは、お互いに絶対こういう嫌なことはしないとか、相手にとってマイナスになることはしないっていう信頼関係ができあがってるから
よく察してもらえないですれ違ってる夫婦のネタが上がってるが、ああいうのは無縁
そのかわり、隠し事もできない
浮気するつもりは全くないんだけど、もししたとしても秒でバレる
お互いの実家もよく知ってるし、親同士も仲が良い
近くに住んでるので、子育ても両方の親に助けてもらえたから本気で楽だった
同じ地域の同じようなレベルの家庭出身で、ずっと一緒に生きてきたから金銭感覚がだいたい同じ
今はそこそこ金を稼げるようになったけど、無駄遣いはしないし、望んでる暮らしのレベルが一緒だからお金で揉めることは全く無い
最初に言っておくが「リアルな冒険をするために敢えて不便なつくりにしている」といった言い訳には逃げないで欲しい。
たとえば「牛車に乗っていると定期的にモンスターに襲われて牛車が壊れてしまう」というのはまったくリアルではない。
なぜなら現実でそういう状況になれば、絶対に何かしら対策をして問題解決を目指すからだ。
不便さに対する「もしこれが現実ならこうやって解決するのにな」というプレイヤーの発想を実現してこそゲームはリアルになるのだ。
一つは、当然だが「徒歩」である。
もう一つは「刹那の飛石」というアイテムを使ってのファストトラベル。
アイテムの数が限られていて気軽に使えないのは、なるべくファストトラベルを使わずにフィールドを探索してくれ、という考えからだろう。
牛車に乗りながら「目を閉じる」を選ぶと瞬時に(ゲーム内時間は進むが)目的地に着く、つまり実質的なファストトラベルになる。
が、ゲームのコンセプトからすれば、なるべく「目を閉じる」のは避けて、のんびりと牛車に乗っていきたいところだ。
道沿いの敵を倒しながら進むのも、ふと遠くに見えた建物を目指して途中下車するのも、いかにも冒険らしいじゃないか。
……と思ったら、これが遅い。あまりにも遅すぎる。せめて徒歩と同程度の速度はあってほしかった。
このカタツムリのような速度で目的地に向かうのは非現実的である。
ファストトラベルをして欲しくないのではなかったのか?
牛車は「夜間は休んで安全な昼間だけ走る」設定のはずなのだが、この遅さのせいで目的地に辿り着くまでに確実に夜に突入する。
そして夜になったために湧いてきたモンスターに襲われて牛車は破壊されてしまう。
途中でキャンプでもすればいいのに。そのほうがよほどリアルだし、旅っぽいと思うのだが。
このゲームのフィールドは高低差がきつく、街道から少しでも離れると崖だらけになって、まともに進めなくなる。
つまり道なりに進むことを余儀なくされる。プレイヤーの行動範囲が道沿いに限定されてしまう。
見晴らしも悪いので「遠くに見えるあの建物を目指してみよう」といったオープンワールドならではの体験も起こりにくい。
そしてプレイヤーが道沿いでしか行動できないということは、強力なモンスターも道沿いに配置しないといけないということだ。
牛車が行き交う主要街道に、巨大なサイクロプスやミノタウロスが頻繁に登場する。
王都のすぐそばにオーガがよく出現しているのだが、あの暇を持て余している兵士たちは討伐に向かわないのだろうか。
たとえば、街道は兵士が警備していてわりと安全であり、街道から離れるほど強力なモンスターが出現しやすい、といった設定でいいのではないか。
たまに街道に大型モンスターが出現したら、大騒ぎになって討伐部隊が結成されて、そこに主人公も参加できる。
みたいな感じにすれば、それ自体が面白いイベントになると思うのだが。
開発陣がとても頑張っていることはよくわかる。
かなり規模の大きなオープンワールドを作り上げているし、戦闘システムにも光るものがある。
NPCの制御なんかも凝っていて、プレイヤーの行動に応じて意外な反応があったりする。
シナリオは薄味で、セリフは淡白で、イベントはバグだらけで、ロールプレイしようと思うと冷める瞬間が非常に多いのだが。
それでも「開発陣はこういうことがやりたいんだろうな」というのは伝わってくる。
正直、「学校の健診やってる医者なんか全員変態オヤジだ」なんて本気で言ってる人はほとんどいなくて、「せめてやり方に配慮してくれよ」と思っている人が大多数だと思う。
現在30歳の自分が小学生だった頃の健診では、保健室で全員が上裸になり、体育座りで待機させられていた。
アイカワさんやイノウエさんは早々に名前が呼ばれるのですぐに服を着て教室に戻れていたけど、ヨシダさんやワタナベさんは自分の番が来るまでずっと裸で待ち続けていた。
Twitterには「裸にしないと虐待の痕跡が見つけられない」と言う人もいたけど、背中やお腹にアザのある子を、クラスの全員の前で上裸にすることが「虐待を見つけるための良い手段」であると本当に思えるのだろうか。
(高学年になってからは男女別になったが、やり方は変わらなかった)
高校生の頃の健診では、教室で下着を外し、上は薄手の体操服一枚になって隣の校舎の健診会場まで移動した。
大人とほぼ同程度まで身体の発達した女子高校生を、ノーブラで、薄っぺらい体操服一枚にして、他の全教室から見えるグラウンドを歩いて移動させる必要は本当にあったのだろうか、と10年以上経った今でも疑問に思う。
そして教室にブラジャーを置きっぱなしにすることに反対する教師は一人もいなかったのだろうか。
ちなみに健診会場は男女同じ場所だった。すぐそばに男子生徒も男性教師もいたのでずっと前で腕を組んで胸元を隠していたことを今でも覚えている。
少なくとも私は、大人になってからの健診では胸部レントゲン以外でブラジャーを外したことはない。高校生はブラジャーをしていては健診を受けられない理由があるのだろうか。
そして問診のカーテンの裏に行ってからブラジャーを外してはいけない理由もあったのだろうか。
私の通っていた学校がたまたま特殊だったのか、今でも同じような学校が多くあるのかはわからないけど、スムーズな健診を諦めてでも変わるべきところや、スムーズな動線を維持しつつも変えられるところはあるんじゃないかと思う。
親・祖父母から家を引き継いだ系、家族で農家や飲食店や工場などを営んでいる系、ロマンを買った・ペットを優先した系、労働から解放されし勝ち組以外は、
だいたい見栄っ張りなメンヘラ嫁にそそのかされて負動産を買っている
しかし、た~まにどうもそうじゃないコメントも見る。そして揃いも揃って賃貸に対する認識がおかしい
これって下記どちらかじゃないのか・・・?🤔ってふと気付いたわ
RCかSRCは人権だし、今時の賃貸は高気密高断熱だぞ。あと賃貸に出すために分譲買う人はそれなりにいるので分譲借りればいいだけやで
あと戸建ても賃貸出てるぞ
人間不信ゆえの愛想ばらまき娘が自分にデレデレになりました。本当にありがとうございました。
しかしこの子、出会った当初は自分が傷つくことを極端に恐れる繊細さんで、壁を何重にも張っていました。
交際開始後、疑心暗鬼に駆られては試し行為を繰り返しており、こりゃいかんと思いました(メンヘラ対処検定一級)。
何度もボコボコにされながらも彼女の特性を理解し、上手くやっていく方法を示し、過去のトラウマも誰にも言えない秘密も受け容れて、今では専業主婦をしてもらってます。
週末は一緒にパン作りをして、平日毎朝手作りパンを頬張れる幸せを噛みしめています。
夕飯は毎日俺が手作りして、妻が「美味しい」と喜ぶのを見ては癒やされてます。
家に居る時間の90%はくっついてくるのが可愛い。でもそれは不安が根底に幾ばくかあるゆえなのは分かってるからね。
心の底から全てを打ち明けた経験に乏しくて、全て曝け出しても受け容れられるか、それが一時的なものじゃないのか不安なんだよね。
親しい友人が、ディープステートをはじめとする陰謀論にハマりました。
趣味のSNSで陰謀論について積極的に発信するようになり、陰謀論者である主催者がおこなうパンデミック条約反対デモに参加すると言い出しました。
私は、陰謀論の主張内容にも、それを信じ広めようとする人たちの態度や振る舞いにも賛同できません。友人がそういった思想に染まることが耐え難く、陰謀論を信じることをやめてほしいし、最低限デモには行って欲しくないと思い、説得を試みました。結果、陰謀論への信仰(本人は自分の主張を陰謀論とは思っていない)を止めることは叶いませんでしたが、デモへの参加は思いとどまってもらえました。友人を説得するために手紙を書いたのですが、直接口頭で伝えることができたため、この文章を送ることはなくなりました。
せっかく書いたのにもったいない(笑)ので、供養と、私と同じように陰謀論デモへ行こうとする友人にモヤモヤしている方の気持ちを整理するきっかけになればと思い、ここに投げることにしました。また、手紙の本文中に挙げた書籍は、陰謀論の実態を知るために読んだ十数冊の中から、中立的な立場から書かれていると感じたものを選びました。特に「情報パンデミック」は読みやすくおすすめです。
なお、私の友人は「ここまで心配してくれる友達との仲を壊してまで行くのは止めよう」という気持ちからデモ参加を取りやめたのであって、陰謀論を信じること自体を思い直したわけではなさそうということを書き添えておきます。予断を許さない状況は続いています。
友人へ。もし、この投稿を見つけたのなら、陰謀論というワードで検索したか、少しでも疑問を抱いたか、だと想像します。正直、私の反対を押し切ってデモに行くなら絶縁もありうると思っていたし、陰謀論を信じ続けるのであれば今までのようには付き合えません。考え直してほしいです。
パンデミック条約反対デモに行く気持ちは変わらないと聞き、今の時点での私の思いを伝えておきたいと思い文章にまとめることにしました。返信しなくて構わないから、読むだけは読んでください。
あなたが心から日本の現状を憂い、未来を良いものにしたいという善意と熱意からデモに参加しようとしていることは、十分理解しているつもりです。その気持ちを否定したいのではありません。
でも、私との友人関係と「真実」を多くの人に知ってもらう活動、そのどちらかを選べと言われたら、今のあなたは後者を選ぶでしょう。そのことが本当につらく、悲しいです。実際にそうなるかもしれないという危機感と覚悟を持って、今この文章を書いています。
陰謀論を信じている人を説得することは困難、むしろ逆効果であることも承知の上です。本来であればスルー一択の状況だけれど、私はあなたとの友人関係を失いたくない。その一心からであって、決して非難や攻撃をしたいのではないということ、分かってください。
ここからは、あなたの信じる「真実」のことを陰謀論と呼ばせてもらいます。安易なレッテル貼りが良くないことは重々承知していますが、他に適切な言葉が見つからないので、ごめんなさい。
一部の権力者が外からはわからないように自らの利権を得るためのはかりごと=陰謀、陰謀があるという前提で世の中の事象を説明しようという試み=陰謀論、と捉えています。史料や証拠があり明るみに出ているものは陰謀、明確な根拠がないのに仮説をそのまま事実と主張するものが陰謀論、です。現在進行中で明るみに出ていない陰謀もあるかもしれませんが、明るみに出るか確実な証拠が見つかるまではそれも陰謀論の範疇といえます。正しくないかもしれないけれど、間違いを回避するためにはこのスタンスを取ることが健全ではないかと考えます。
今回のデモの主張内容、ワクチン関連死の真相解明・超過死亡の原因究明・パンデミック条約反対、これら自体は真っ当な主張に見えます。
しかし、主催者の発言などを見ていくと、おそらく陰謀論の論理、価値観を前提にしているのだろうと推測ができます。「日本を滅ぼしたい何者かがばら撒いた毒によって人がたくさん死んでいる」と言いたいのですよね。
陰謀論は、科学的根拠を精査しておらず論理が飛躍していることにも違和感があるのですが、それ以上に「全ての事象には必ず明確な原因がある」という二元論の姿勢こそに、問題の本質があるように思います。
あなたは、デモの主催者が陰謀論者であるという私の指摘に対し、彼の言うことを全て信じているわけではないと言っていました。陰謀論には、荒唐無稽なものから、真実に近そうなものまで多々あります。しかし、荒唐無稽なものは信じていないから、というのは、陰謀論を信じていないということにはなりません。
「根拠の不確かな」「それっぽい説を真実と信じ込み」「善悪二元論に帰結させ」「反論する相手のほうが間違っていると攻撃し」「自分の信じる真実を理解しない者は反対勢力に洗脳されていると憐れむ」「対話不可能な」言論に心当たりはありませんか。
あなたの主張には、おそらく正しいもの、現実に即したものも多々含まれる。しかしその根底にある信念(ディープ・ステートによる世界の支配)は、紛れもなく陰謀論のものです。ディープ・ステートの存在は、現時点ではあるともないとも証明のしようがない。それを「ある」と確信しているところに、危うさを感じます。
利権絡みで政治が歪むというのは普通にあることでしょう。歴史を紐解けば、そういった陰謀が実際に存在したこともありました。
しかし、少子化・報道・感染症対策をはじめ、あらゆる現象がそこへ帰結するというのは、いくらなんでも飛躍しすぎです。ディープ・ステートが本当にあると信じることが、認知を歪めてしまっていると感じます。
世の中には「わからない」ことがたくさんあります。答えが一つではないことも、立場が変われば意見が変わることもいくらだってあります。
ワクチン関連死の真相も、超過死亡の原因も、おそらく現時点では「わからない」のです。わからないなりに、未知の感染症になんとか対抗しようと手探りで行われた結果、思いもよらない被害が出てしまった。そんなところではないでしょうか。
もちろん、それで良かったとは言いません。原因も究明されるべきでしょう。それでも、わからないかもしれない。科学の、医学の力なんてそんなものなのです。
もし原因が判っても、今の政権は都合の悪いことを発表しないかもしれない。隠蔽を疑いたくなるのはごもっともです。だからデモで抗議する。理解できます。
しかし、それがなぜ「隠された陰謀によるもの」と結びつくのでしょうか。「明確な答えがないと不安」な気持ちを、絶対悪である何者かの所為にすることで安心したいのではないですか。
カルトやマルチや自己啓発セミナーと同じ構造です。不安を一発で拭い去ってくれる魅力的な何か、「気づき」、昨日までの自分とは違う覚醒したような気持ち。そういったものを陰謀論はもたらしてくれるのです。脳にとっては快楽です。だからハマる、依存性があるのです。
真実だからスッキリ納得がいくのではありません。スッキリするからそれを真実と錯覚するのです。
私は、陰謀論を広めようとする人たちの、自分たちの主張が絶対に正しいと信じて疑わない(ように見える)立ち振る舞いが苦手です。
世の中に、絶対的な悪や完全な正義はないと思うからです。世界の仕組みも人間の行動も、数十分の動画で簡単に説明できるほど単純ではないと思うからです。理不尽で不可解な状況に置かれたときも、一旦は現状をありのまま受け止めることからしか、理解は始まらないと思っているからです。この点において、陰謀論のスタンスとは相容れないのです。
そもそも、隠された世界的な陰謀が本当にあったとして、それを一般市民がYouTubeで手軽に知ることができるなんて、おかしいと思いませんか。
デモに集まるのは、陰謀論的な価値観の人、それに疑問を感じていない人たちだと思います。同じような意見の人に囲まれていると、その意見が多数派で正義のように思えてくる。リアルな陰謀論のコミュニティに参加することで、あなたがそちらの世界にますます傾倒してしまうことを恐れています。
デモはきっと楽しいでしょう。同じ意見の人たちと語り合い、声を上げ、この国の未来のために行動しているという実感が得られるわけですから。せめて、ここまで読んでもらって、陰謀論の「おかしさ」に少しでも疑問をもってくれていたらと思います。
また、陰謀論とスピリチュアル、自然派、マルチ、カルトは親和性が高いです。これらは、日常生活や人間関係に大きく影響します。コミュニティの内側にいると気づきにくいものですから、引きずられないよう気を付けてほしいです。
「陰謀論と言われても負けない」「陰謀論なんて信じてないけどこれは真実」「正しい情報は隠されているから自分で調べなければならない」これらは陰謀論に飲み込まれる人が必ずと言っていいほど口にする言葉です。
あなたは政治・経済に詳しい。それは誰もが認めるところです。けれど、政治に関心が高い人ほど陰謀論を信じやすく、逆に教育の高さや政治的立ち位置は陰謀論への染まりやすさに影響しないということは知っていますか。
ネットやYouTubeだけでなく、ぜひ一度関連書籍も見てみてほしいと思います。あなたに勧められた動画を見ていない私が言える立場ではないとは思いますしその点は申し訳ないと思うのですが(実はいくつかは観ようとしました。しかし冒頭から何を言っているのか意味がわからず、苦痛で、すぐに観るのを止めてしまいました)、少なくとも誰でも好きなように公開できる動画よりは、ファクトチェック体制のある書籍のほうが信頼できると私は考えています。
参考までに、陰謀論の歴史やそれを信じるに至るメカニズムを、心理学的・統計的な調査をもとに分析している書籍を挙げておきます。
「陰謀論入門」ジョセフ・E・ユージンスキ 作品社 2022年
「情報パンデミック」読売新聞大阪本社社会部 中央公論新社 2022 年
私は賛同できないけれど、陰謀論を信じること自体は個人の自由です。それなのになぜその世界観を否定するのかを、最後に書きます。
あなたは、「真実が一人でも多くの人に広まってほしい。生活が安定しなければ趣味も楽しめない。政治は生活だから、政治のことを発信していく」と言っていましたね。
しかし、まず大前提として、趣味のSNSではみんな趣味の話をしたい。人の家の生活、たとえば晩ごはんのメニューがどうでもいいのと同じように、人の政治的主張もどうでもいいのです。
もちろん発言することは自由です。時には「あ、なるほど」と思い、時には「ちょっと面倒臭いな」と思い、多くはスルーされるでしょう。平和的な、現実に即した発言であれば、ですが。
陰謀論の本質は、全てを二元論に帰結させがちなところにあります。つまり何かを語る時、一方的かつ断定的な物言いになる傾向があります。率直に言って「怖い」のです。反論なんかしたら百倍になって返ってきそうだし、話が通じなさそうに見えるのです。
それを見た人はどう反応するか。同じ意見を持つ人は賛同を表し、ますます先鋭化していく。反対意見の人は、反論して不穏な空気になるか、黙って去る。そしてほとんどの人は、そっと離れる。だって怖いから。
すると、いずれどうなると思いますか。あなたの周りには、同じように陰謀論を信じ広めたいと考える人が残り、先鋭化した思想についていけない大多数の人は離れていくのではないでしょうか。
陰謀論を広めようとする人たちは、自分たちの主張を絶対に正しいものと信じ、否定するものを断罪し、自分たちの主張に都合のよい事実のみを根拠としてつまみ食いします。
陰謀論は思想だから、言説を信じることで次第にその行動様式にも染まっていくのです。
最近のあなたの言動が、これに近づいていることは自覚していますか。陰謀論をひとつの説として受け止めるにとどまらず、その善悪二元論的な考え方を自分の中へ取り込んでいることに気づいていますか。
先月、攻撃的な言動や非科学的な情報の拡散を控えてほしいとお願いした頃、次第に過激化していくあなたの振る舞いをそばで見ていて、私はとてもしんどかったです。趣味のアカウントで積極的に思想を発信し、周りから静かに距離を置かれていることを察して切ない気持ちになっていました。非科学的な言説に対し、どう反応してよいのかわからず困惑していました。
しんどければミュート・ブロックしてくれとあなたは言いますが、実際にそれをしてしまえば、今後あなたと一緒に趣味を楽しむことはできなくなりますよね。
受け止め方は人それぞれだから、と言うのは、一見、冷静な態度に思えます。離れてもどうでもいい他人ならばそれで構わないでしょう。
しかし、私や親しい人たちに対してまで、気に入らないなら見なければいいと言ってしまうのは軽率ではありませんか。私はあなたにとってその程度の存在なのかと、悲しくなりました。
趣味を楽しむために始めた発信なのに、一緒に趣味を楽しむはずだった人々が離れていく。そして孤立すればするほどこの傾向が加速する。
信じることが自由であっても、思想を広めようと発信することには責任が伴います。その思想自体に賛否があることはもちろん、その他の発言も陰謀論的な価値観を持つ人の発言と受け取られるようになります。「結局、陰謀論を広めたいんでしょう?」「ヤベー奴の言うことはヤバい」となるのです。既に、趣味アカウントの一部のフォロワーの間ではそういう空気になっています。
陰謀論の主張内容や拡散方法に対して、不快感や嫌悪感を抱く人がいることを想像していますか。第三者にそういった感情を抱かせる発信をする人から、離れたいと思う人がいることは想像できますか。
陰謀論は、カルトやマルチと同じように、思想に染まることで人格を変え、周りに広めようとすることで人間関係を破壊するのです。
くり返しますが、あなたが心からこの国と未来を憂いて、善意と使命感から陰謀論を信じていることを非難するつもりはありません。
あなたはきっと世の中の不条理や無理解に対し、大変な憤りを感じているのでしょう。あなたが世の中の問題へ真摯に向き合った結果、周りへの影響を過小評価し、私との関係を犠牲にすることすら厭わない態度を取らせるに至らしめた陰謀論が憎いです。同時に、それをあなたへ広めた陰謀論者の人々もまた、心からの善意と使命感からそうしているのだということにやるせなさを感じます。
だれも悪くないのにどうしてこんなことになってしまうのか、言葉が見つかりません。ただただ悲しいです。
結局のところ、私が何を言おうと、あなた自身が気づかなければ私の言葉が響くことはないでしょう。あなたもきっと、私に対して同じように思っているのではないですか。私は体制側に洗脳されている、陰謀論とレッテルを貼ることで真実から目を背けている、結局は自分の力で気づくしかないと思っているのではないですか。
極端な思想を語ることのリスクはこれです。どんなに気が合うと思っていても、世界観、価値観の相違をあぶり出してしまう。関係の薄い相手であれば容易に分断を生み、親しい間柄にさえ話しても無駄という諦めが溝を生む。
自分は思想を押し付けたりしていないのに、私からは考えを押し付けてくるのは干渉しすぎだと思いますか。そうかもしれません。これが例えば宗教の話だとして、キリスト教や仏教なら何も言いません。でも、統一教会やオウムなら全力で止めますよね。陰謀論はそういう性質のものだからです。少なくとも無害ではない。これ以上深入りすれば、あなたは私の知っているあなたではなくなってしまうかもしれない。だから、行き過ぎを承知で言っています。同時に、陰謀論と言われても仕方ないと解っているのに、信じるのを止められないことへ無力感を覚えます。
初めにも書きましたが、もっと関係の薄い相手であれば、陰謀論にハマったと感じた時点で穏便に距離を置いていました。思想に洗脳された人を見るのはしんどいし、説得することは困難だからです。
それをせず、反感を買うかもしれないこんな長文をわざわざ送り付けたのは、私があなたを失いたくないからです。どうか、私のために頭を冷やしてほしい。
その男は自分の母親(子供からしたらおばあちゃん)に子育てを丸投げしていて、毎週土日になると趣味のツーリングに単身で来ていた。
家に帰るとすぐ自室にこもってオンラインゲームやバイクの改造に精を出していた。(フレンドだったのでわかる)
子供をメンバーに紹介して「え?お子さんいたの?」「かわいいね~」と等と言われまくっていた。
彼は釣りスポットを下見したいと、どこかへ散策しに行ってしまった。
メンバーはほとんどが独身で子供の扱いがわからない。お子さんはしゃがんで石をいじって遊んでいた。
2,3人の優しいメンバーが「お肉食べる?」「とうもろこし食べる?」などと声掛けしてあげていた。
父親は「川を自転車で渡ろうぜ!」と言って、はしゃいでいた。それをお子さんは物乞いのような目で見ていた。お子さんは自分の唇をつまんでいた。
帰り際に、みんなが「お子さんお利口さんですね」などと声掛けしていたが
父親は「うちの子はいい子かもしれないけど、正直頭は良くないと思うw」と言い、嬉しそうな顔でヘラヘラしていた。
6才くらいだったので、話の内容はわかるだろう。お子さんは大人同士の話を聞きながら、常に不安そうな顔で父親の表情を読み取ろうとしていた。
「そういう話は子供が間にうけてしまうんじゃない?やめたほうがいいんじゃない?」とオブラートに包んで言ってみたら、彼は「貶しても、その分いっぱい愛情を注いでいるから大丈夫」と言っていた。
道中で お子さんが酔って吐いてしまったら、彼は急に不機嫌になった。
「ちゃんと袋に吐けよ」と言っただけで、何も手を貸そうとしなかったし、運転を止めるつもりもなく、子供は自分でビニール袋を持って吐いていた。
そして、そのビニール袋を道端に捨てるために「このまま置いとくと匂うから、これ、道に放置してくる。ちょっと車止めるわ。」と言った。
彼はその間ずっと運転席でタバコ。私が車に戻ると「ありがとう」って言ってた。
この間子供を心配する言葉が一切ないのが気になったが、私は子育ての経験がないのでそんなもんなのかな?と思ってしまった。
私が子供についてたからだろうけど、彼は音ゲーで遊んでいた。たまに様子を見にきて「こっちのほうがいっぱいメダル出るよ」などとアドバイスして、また戻っていった。
子供は「パパ、これほしい!これはお勉強もできるんだよ!」と言った
「・・・◯◯ちゃんは本当にこれがほしいの?」
「うん。ほしい」
「・・・◯◯ちゃんは、カメラがほしいんでしょ? これはね、お勉強するやつで、カメラはおまけなんだよ。お勉強は本当はしなくてもいいんでしょ?
「・・・◯◯ちゃんはカメラはほしいからそう言ってるんだよね? 本当はお勉強するやつはいらないんでしょ?」
「お勉強もするよ」
「・・・◯◯ちゃん、パパ怒らないから正直に言っていいんだよ。本当にこのお勉強するやつがほしいの?本当は、カメラがほしいだけなんだよね?」
「(涙目で)うん・・」
この時、私は別の店を見ていたので↑の会話は彼本人から聞いたんだが、
「子供ってオマケが欲しいだけなんだよね。カメラだけが欲しいって言うと、買ってもらえないか怒られると思ってたんだろうね。でも、ちゃんと時間をかけてじっくり聞いたら”カメラだけが欲しい”って言っててさ。最後には涙目になって素直になってくれたよ。あとで1万くらいするちゃんとしたデジカメを買ってあげるつもり」と言っていた。
私は、お子さんが自宅でしまじろうのダイレクトメールで届いてくるサンプルDVDを見ていて、サンプルのワークとかもやっていた形跡があったのを知っていた。
おばあちゃんとやってるから、彼はそのことを知らなかったのかもしれない。
お子さんがとてもかわいそうになってしまって、そのあとに私とお子さんでファンシーショップに入り、欲しがったものを何でも買ってあげた。
屋上駐車場が見えてくると、まだ帰りたくない!やだやだ!と、ごねはじめた。
彼は怒って無言になり、黙ってスタスタ車に行ってしまった。私とお子さんを階段の登り口に残したまま。
階段あるし、外は真っ暗だし、子供が一人でいるのは危なさそうなので、子供のそばにいた。
お子さんは「パパが行っちゃったぁ・・・・」と泣いていたが、私はまだ子供と会って2,3回だったので、うまいなだめ方がわからない。
とりあえずそのまま待っていた。10分たっても彼は戻ってこない。お子さんは「パパいなくなっちゃったぁ・・・」と泣いている。
電話をかける。出ない。私はお子さんを連れて車に向かった。彼はずっと機嫌悪そうに黙っていた。お子さんはずっと泣いていた。
お付き合いする前はお子さんのエピソードをいっぱい聞かせてくれて、愛情いっぱいのお父さん!というイメージで、一緒に子育てできたらいいな。と思って交際を始めたのだが、思ってたのと違った・・・
私は中卒フリーターで、キャバクラでバイトしながら定時制高校に通っていたのだが、彼は専業主婦になったら働かなくて済むよ。と言ってくれた。
私が4年かけて卒業した時には「高校卒業おめでとう!」と祝ってくれた。
いざ、お試し同居を始めてみよう、という段階で
「専業主婦だと今までみたいに遊べなくなるから、少し働くとかはどう?」と言ってきた。
「じゃ、せっかく高卒になれたから、正社員で働きたいな。今まではバイトしかしたことないから、正社員になりたいな。」
「正社員は(育児との両立が)辛そうだぞ~。パートにしといたほうがいいぞ。」
「実は、来年◯◯(教育系)の資格の学校に通おうと思っててね・・・。その仕事で正社員になりたいと思ってるの」
「お前に人に教える仕事は無理だ。やめとけ」
「でも、職業訓練校だからお金もかからないで資格がとれるんだよ」
「いや、働き始めたら、お前が辛くなる。やめとけ」
別れる前には「結婚しないでいいから彼氏彼女として付き合ってくれ」と言われて少し関係を持っていた。
結婚話が宙に消えてからは、高級なレストランを予約したり、私が欲しがっていたペンタブを「そんなの使わないから買うな」といった後でこっそり買っておいて後でプレゼントしてくれたりした。
私が「◯◯ちゃんにはパパと長く過ごして欲しいから、◯◯ちゃんが幼稚園に行っている間だけにデートしよう」って提案した。彼は三交替勤務で平日休みなので、それでも問題ない。
彼は「正直に言っていいよ。他に男いるんでしょ?だからそんなこと言うんでしょ?」とヒスっていた。
お子さんは誰にでもよく懐く子で、私にも懐いてくれたのもあり、さみしかったが、子供の心の傷を増やすことになるかもしれないから、それ以降は会わないようにしていた。
彼の話ぶりで女の子は大学とか進学させてもらえない雰囲気だったので、お子さんが大きくなったらの進学まわりで世話してあげようか?
元彼と関わるとなんで軽く鬱みたいになっていったのか。
早押しクイズみたいに。評価が高速で断定的であればあるほど頭の回転が速いと考えているようだった。
優越の欲求自体は私の中にも存在するし、それが無ければ大学受験や就職活動を乗り切れていないようにも思う。
エナドリ飲むように、優れていたいとか勝ちたいとかいった感情に酔っぱらうことで戦えるという一面はあるけど、それが人生のすべてではない。
勝つことが全く意味がないとも思わず、人生のなかの重要な一部であるとも思うけど、プライベートの人間関係に持ち込むのは相性が悪いから使い分けが必要だと今の私は考える。
しかし優勝劣敗が物理法則のようにこの世のすべてに当てはまるような世界観を手放さない人だった。
身長が低い男性や、肥満体型の男性など、女性受けがよくなさそうな容姿の同性の友達とつるんでいた。
彼女ができる可能性が低そうな友達の前で、自分が彼女持ちであることをマウント要素にしつつも、私がブスでなければもっとマウント取れたのにという不満を持っていた。
友達の前で私の容姿を馬鹿にしていた。おそらく友達に可愛い彼女ができて、「負けた」と感じたら元彼は発狂していたと思う。でも知りうる限りそんなことは起きなかった。全く女に縁がない男の具体的なイメージとして今でも彼らの姿が頭に浮かぶ。
この人のそばにはいたくないと思って別れてほしいと言ったら、すぐに別れてくれたけど悪評を流された。
訂正して回る気が起きなくて共通の知人がいるコミュニティからも逃げた。小学生のときにいじめられたことあるんだけど、それとは比較にならないほどのストレスを受けた。ストレス反応の身体症状が出まくった。このときの対人関係ストレスを上回る出来事はその後起きてない。
それ以降、伝聞の悪口を信じなくなった。その噂は丸々嘘の可能性もある。
なんで元彼と付き合ったのか。
行儀が良いコミュニティにいたのを、ブスだから私には誰も欲情しないと思っていた。男性のストライクゾーンの広さについての理解が浅かった。お互いが唯一の存在になるという女性向けコンテンツにありがちな関係性幻想に染まりすぎだった。
最初に露骨に口説いてきたのが元彼だったし、私に勃起する人がいるんだと感動した。
(これを若いブス狙ってレイプすりゃいいんだなと解釈する人間が湧きそうで本当に嫌だ)
「俺に欲情して強引に露骨に口説いて彼女になる女はいなかった。ブスにはそういう男が湧くのに。やはり女はイージーモード」と呪われそうだ。
買って済む話ではないことはわかる。ホストに貢ぐための金を得るために必死な女の時間を買うことでは解消できない種類のもの。
私大の陽は怖いけど受験勉強を真面目にやった芋なら大丈夫だろうみたいなポジティブ方面の偏見、安心感を持っていた。単純化は愚か。怠惰。
元彼の両親は偉い父親と専業主婦、うちは二馬力だったので家庭に関する感覚が全く違っていた。
元彼は父親に強要された価値観に苦しめられているように見えたけど、父親の価値観をインストールして母親を馬鹿にしているようにも見えた。
「親によって苦しめられ歪められた人を恋人が救う話」というコンテンツの影響を受けてきたオタクだったから、初めての恋人との関係を美談に仕立て上げていたが、元彼は私にまったく救われていないし、そもそも私に救われることを望んでいたか。私が空回っていただけの可能性が高い。元彼の望みは「整形ではない可愛い処女の彼女ができて高カーストの男からも羨ましがられるようになる」辺りのほうが本質的だったのではないかと思う。