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2024-06-02

與那覇潤センセイはウクライナ史を知らない?

呉座勇一さんとの新刊の「おわりに」を公開します。

https://note.com/yonahajun/n/n5f920bd34136

これ読んでぶったまげたわ。

「ゼレンスキー政権の全体を「ネオナチ」と呼ぶロシアプロパガンダの歪みは明らかだが、独ソ戦下にドイツの側につくことでソ連から独立を策した、ステパン・バンデラ標榜する勢力ウクライナ存在することは事実だ。

 少なくとも彼らの視点では、ナチスは「良いこと」もしたのである。そう主張する、私たちにとって十分にはクリーンでない人々とも手を組まなければ、プーチン侵略という「悪いこと」に対抗できない。世界はそこまで、追いつめられている。 」

バンデラを英雄視するウクライナ人が、「ナチスは「良いこと」もした」とは言わんだろ。

かにバンデラは反ソの立場からナチドイツに協力しようとしたが、それは同床異夢でしかなく、独ソ戦開始直後の1941年7月ナチドイツから捕らえられて、強制収容所に入れられてるんだから

また今の情勢で「ナチスは「良いこと」もした」なんて言おうもんなら、国際世論から非難されるうえ、ロシアプロパガンダに塩送ることになるわけで、ウクライナナショナリストもそこまでバカではないよ。

しかも、「私たちにとって十分にはクリーンでない人々」って誰を指してんの? その直後に「プーチン侵略という「悪いこと」に対抗できない」とあるから、もちろんナチではないよな?

直前の「そう主張する」とあわせて考えると、「ナチスは「良いこと」もした、と主張するウクライナステパン・バンデラ標榜する勢力」ということなのかもしれんが、繰り返すように、別にバンデラを英雄視するウクライナ人が「ナチスは「良いこと」もした」と主張しているわけではないからな。

とにかく日本語としてわかりにくいうえ、ウクライナ歴史ならびに歴史認識の複雑さをまったく無視した暴論としか言いようがないよ。

2024-06-01

ボランティアってもしかしてやりがい搾取?もしくは裕福層の暇つぶし

私、ブログとか初めて書きます

しかったし悔しかったし、誰かに聞いて欲しい。

日本語学習者を支援するボランティア講習会(全3回、1回でも休むと参加資格なし)(3回しかないけど)に参加した。

特に資格は持ってないけど、外国人との交流が好きだったし、日本語を学ぶ人を通して私も学べることがあるはず!と思って、引っ越したばかりで娘の保育園も決まってないけど、義母や義姉に見てもらって、時間を作って行ってきた。

2回目までは楽しかった。資格がある教師資格がない支援ボランティアとの違いを学んだり、「やさしい日本語」を使って実際に外国人と話したり…ディスカッションアイデアを練ったり、「資格がなくてもあなた気持ちがあれば日本語を教えられる!」という言葉で、資格がない私でもできるかも!って思った。誰でもできるっていう言葉を信じてワクワクしてた。

今日、その講習会の3回目。

ボランティア団体の紹介をしてもらえたんだけど、だいたいどこのボランティアも参加するのに年会費必要と。えっ、ボランティアって無償の施しだとは思っていたけど、むしろこちらが費用負担するの?しかも高いところで年に7000円?ちなみに支援を受ける側の費用負担は無い。えっ、無いの?あなたたちの使う会場やテキスト、その他諸々の費用私たち負担するってことなの?

様々なバックグラウンドの人が平等勉強する場を設けたいというのはわかる。それに対してお金のかからないボランティアを募るというのもわかる。でも、自ら来日してきた人に対してマンツーマンで教えてあげる上にこちらが費用負担って…それって私たちがしてあげる必要ある?

さらにはここへきて、日本語教育に関しての資格などがないと厳しいと。興味ある人はブースへお立ち寄りくださいって言われて、のこのこ行ったら無資格の方は必要いかな…みたいな顔されて、恥ずかしかったわ。交通費かけて行って3時間みっちり講習を受けて、最後最後で、資格がない人はちょっと…みたいな、酷くない?2回までの「気持ちでなんとかなる」みたいな講習、なんだったの。

費用負担してくれる有資格者のボランティア募集って、多くを求めすぎでは?

ボランティアしたことがないんだけど、そういうものなのかな。

誰かの助けになりたくて、周りに協力してもらって子供預けて参加して、これから活動するなら定期的に見てもらえるところ探さなきゃなー!とかワクワクしてたのにな。

まあどれもこれも参加しなかったらいいだけど話なんだけど。そういう慈善活動は余裕がある人とか、誰かに施したいやりたい人がやればいいし。それはわかってるんだけど。

折角、頑張って参加したのにな。うまく言葉にできないけど、全部、蔑ろにされて無駄になった気分、なんだか泣ける。

勝手に傷ついてる自分ウケるよね。やらないなら関係ないじゃんってね。

こんな文章力で、日本語支援もままならないかボランティアしようなんておこがましかったのかな。

イスラエル嫌いもここまで来ると…

change org がこんな署名おすすめしてきた

ガザ虐殺への加担を許さない!東京藝大生の声

私たち東京藝術大学に、イスラエル国立美術学校、ベツァルエル美術デザインアカデミーとの国際交流協定打ち切りを求めます

イスラエルのベツァルエル美術デザインアカデミー2023年10月9日イスラエル軍がパレスチナ占領ガザ地区への侵攻に備える増派のため予備役36万人に大量動員をかけた際、軍服や装備品の大量不足を補う目的で、関係者の主導により臨時の縫製作業所を構内に設置。特に同月中旬からは朝8時から夜21時まで約80人のボランティアを働かせて、スタイリッシュかつ機能的な軍服や装備を生産していました。

美をジェノサイドに役立てる学術機関国際交流を続けても害しかありません。実際このために、ノルウェーベルゲン大学2月)、オランダハーグ王立美術学院4月)および同国のアイントホーフェンデザインアカデミー5月)が、現時点までに提携解消または交流凍結を発表しています。このほか、米ニューヨーク州クーパーユニオン美術デザイン学校、米ロードアイランド州ロードアイランドデザイン学校、米イリノイ州シカゴ美術付属美術大学ドイツベルリン芸術大学でも学生卒業生から提携打ち切りを求める声が強まっており、時間が経つにつれて提携打ち切りさらに広がる見込みです。

東京藝術大学日本国における美術および音楽最高学府として、イスラエル軍によるこの歴史的戦争犯罪人道に対する罪を前に決して沈黙したままでいることなく、これらを明確に非難する声明を出した上で、これらに加担したベツァルエル美術デザインアカデミーとの国際交流協定を速やかに打ち切ってください。」

ガザ虐殺への加担を許さな東京藝術大学在校生卒業生および市民有志一同

なんねこれ、一部の卒業生市民意見

交流が打ち切られてしまうんね

賛同なんか集めてる暇があったら藝大生の声を聞いてあげた方がいいと思うんね

https://www.change.org/p/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E8%97%9D%E8%A1%93%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%AF-%E3%82%AC%E3%82%B6%E5%9C%B0%E5%8C%BA%E3%81%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E3%82%92%E7%B6%9A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E8%BB%8D%E3%82%92%E6%94%AF%E6%8F%B4%E3%81%97%E3%81%9F%E3%83%99%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%82%A8%E3%83%AB%E7%BE%8E%E8%A1%93%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E4%BA%A4%E6%B5%81%E5%8D%94%E5%AE%9A%E3%82%92%E6%89%93%E3%81%A1%E5%88%87%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84?cs_tk=AhQ1dajeVYn5S1rKXmYAAXicyyvNyQEABF8BvPW40oPHCEvTW2VT1LKu5Uc%3D&utm_campaign=0a714d6def8442319e81600ca904de8b&utm_content=initial_v0_5_2&utm_medium=email&utm_source=aa_sign_ask&utm_term=cs

カブトムシみたいに

カブトムシみたいに美しくなりたい。

写真には写らない美しさがあるから

 

カブトムシの角や光沢、見た目の力強さと儚さのコントラストは、実際に手に取ってみないと分からないものだ。その美しさは、表面的なものだけではなく、存在のものにあるのだと思う。私はそんな内面から滲み出る美しさを手に入れたいと願っている。(美談

日常生活の中で、私たちはどうしても見た目や表面的な部分に囚われがちだ。スマホカメラに収まる範囲自分評価しがちだが、実際にはそこに写らない部分こそが本当の価値を持つ。人間関係も同じだ。見た目や表面的なやり取りだけでなく、その奥にある感情や思いが重要なのだ。でしょ?

ところで、私は彼氏が正し過ぎて別れたことはありません。

多くの場合、人は自分価値観や考え方が正しいと信じてる。でも、正しさだけで人を惹きつけることはできない。むしろ完璧すぎる正しさは、時として距離を生む原因にもなる。人間らしい弱さや不完全さが、逆に魅力となることもあるから。そう、カブトムシみたいに。(?)

過去恋愛を振り返るとき、私は彼の正しさに圧倒され、息苦しさを感じることがあった。それは、彼が悪いというわけではなく、私がその正しさに対して自分を見失ってしまたからだ。カブトムシのような自然な美しさとは、無理に完璧を目指すのではなく、自分らしくいることにあるのだろう。どや?

日々の中で、自分を偽らず、本当の自分でいることの難しさを感じることもある。それでも、自分自身を大切にし、自分らしく生きることが、最終的には最も美しい生き方だと信じている。写真に写らない美しさを追求すること、それが私の目指すべき道だ。

 

今日も頑張リンダ。

彼氏が正しすぎて別れたことある

anond:20240531110922

これを読んで昔の彼氏のことを思い出したのでちょっと書く。この増田の話と私の話が同じとか言うつもりはない思い出しの書き散らしだ。

私の元彼優先席でなくても電車でお年寄り子供連れを見つけたら速攻で立って譲るとか、ゲームセンターで取れたぬいぐるみ子供にあげるとか、街中で迷ってるぽい人がいたら声かけて道案内するとか、お年寄り荷物持ってあげるとか、フィクション登場人物か?ってくらい人助けをする人で、それは別にデート中とか関係なく行われる超正しい人であった。そういうところが好きだったんだけど、そういうところが原因で別れた。

ひとつのことが原因というより積み重ねだったのだけれど、一番決定的だったのは彼と私が好きだったキャラクターショップ限定商品を求めて並んだときのことだ。この手の行列にしては短いのかもしれないけど、一時間半くらい外で並んで整理券を手に入れた。一人一枚なので彼と私で二枚。

記載時間までかなり時間があるからどうしようか、って歩いているところで整理券が終了したこと店員に告げられて泣いている子供と慌てている親がいた。正直に言って超嫌な予感がした。案の定彼氏はその場で店員に一枚で親子が入れるか確認したうえで自分の分の整理券を譲った。二人分の個数制限分ほど買わないからこれでいいよね、外で待ってるから俺の欲しいものもお願い、と言われた。

彼氏の行動は今考えても間違ってはいないと思う。一人分の購入制限で欲しいものは足りるのも、子供がメインターゲットに含まれているようなコンテンツだったので、子供を優先する態度を取るのも正しい。

でも綺麗にかわいくラッピングされたりオブジェが置かれた店内を一人で回って、なんで私は今これを一人で見ていて、かわいい素敵だなって彼氏と言い合えていないんだろう?と思った。それを彼氏に伝えた。でも子供優先じゃん。俺が見られなくても、その分あの子たちは楽しんだと思うからよかったよと言われた。喧嘩した。たぶん幻滅された。別れた。

よく女は感情(笑)って言うけど、そうなんだろうなーと思う。結果だけ理性的に見れば、彼氏の行動は超正しい。むしろ利益を生み出している。私たちは欲しいものを全て買うことができた。譲られた親子も欲しいものを買うことができただろう。私が一緒に店内を見たかったとか、買い物がしたかったっていうのは感情の話だ。彼氏にとってその感情他人のために我慢できる範囲であった。皮肉でもなんでもなく素敵な価値観だと思う。

でも私はそうなれないなと思った。テーマパークで一日遊んだあと、足が痛くて疲れてるのに優先席でもない席でお年寄りに席を譲れるほど、美味しそうって事前に言ってたのに後ろの人が食べたがってるからってビュッフェで残り少ないケーキ我慢できるほど、頑張って朝から並んで手に入れた整理券を知らない子供に譲れちゃうほど、他人のために我慢できないのである。それが当たり前だって言えない。

彼氏は当然私にもその飛び抜けた善性を期待するが、私は利己的な人間のため、電車を一本見送ったら座りたいし、自分の順で食べられるものは食べたいし、ゲームセンターで二人でとったぬいぐるみは思い出に持って帰りたかったし、朝から並んだら一緒に店内を見て回りたい。それも伝えたがわかりあえず、私は彼氏の当たり前の基準値の高さについていけなかった。

たぶん人によって他人のためにどこまでリソースを払えるか、損を許容できるかってちがって、それがずば抜けて広い人と私みたいな狭いカスが付き合うと破綻する。

私はおばあちゃんの迎えが来るまで待ちながらイライラしてしまった彼女さんの気持ちがわかってしまう。好きな相手との初めてのデートで、二人で楽しく過ごす時間というリソースがどんどん他人のために払われていくことが辛くて、辛く思ってしま自分の心の狭さを感じてさらに辛くなったのだと思う。私もそうだった。聖人カスは付き合えない。

2024-05-31

育児家事も一人で抱える父親本音

私は三歳の子供を育てていますが、妻は家事育児をあまり行うことができません。もともと不器用な面があり、少しのことで疲れてしまうため、責任感を失ってふさぎ込むことが多いのです。妻は「子供の世話は自分にはできない」と言うので、産後の子供の世話もほとんど私が行ってきました。

夜は、妻を先に寝室に行かせてドアを閉め、私は子供リビングで寝かしつけています子供が寝たら、私も寝室のベッドに移動します。ミルクをあげるのも、夜中の対応も、ほとんど私がやってきました。妻が子供と二人で出かけたことは一度もありませんし、家で妻と子供が二人で留守番することも年に数回しかありません。その際も、私が床屋に行く時やどうしても外せない用事がある時くらいです。

妻はシフト制の仕事をしているため、土日はどちらかあるいは両方が出勤日になることが多く、私は土日に一人で育児をすることが多いです。私は、妻が育児できないため、育児休業を1年と1ヶ月取得して子供の世話をしていました。妻も1年育児休業をとっていましたが、産後の不調が長引いており、基本的に何もしないで過ごしていました。

妻ができるのは洗濯です。子供が1歳になる頃から洗濯をして干して畳んでしまうことができるようになりました。また、保育園リュックに着替えとおむつを入れるのも妻の仕事です。しかし、食事の支度や日用品の買い物はできません。医者によると、妻は鬱状態であるとのことです。とはいえ、同じ鬱状態でも家事育児をこなす人もいるので、少しはできるのではないかと思ってしまます

妻はもともと不器用家事があまり得意ではなく、育児にも自信がありませんでした。子供が欲しかったものの、いざ子供ができると育児ができず、自信を失って他責的な思考に陥りがちです。二人で散歩をしていた頃は楽しく過ごしていましたが、今では責任を持って育児をしない妻をあまり尊敬できなくなってしまいました。

私にとっては子供が最優先なので、子供の世話と家事仕事で手一杯です。そのため、妻に気を使ったり慰めたりする時間や余裕がなくなってきました。たまに、父子家庭の方が楽かなと思うこともありますが、妻が多少は洗濯をしてくれる分、まだ父子家庭よりはマシかなと考えてしまます

ただ、妻も辛い状況にあることは理解しています。私も妻のサポートをしながら、少しずつお互いの負担を減らしていけるように努力していきたいと思います私たちが協力し合って、子供にとって最良の環境提供できるように、日々頑張っていきたいです。

同級生だった男の子が好きだった

同級生だった男の子が好きだった。幼稚園から高校までエスカレーターでもないのにずっと同じだった。一番好きだったのは高校生の時期だった。家が近いわけでもなかったし同じ趣味があったわけでもなかった。クラスはたまに同じになったり離れたりしていた。高校生のとき同じ部活に入った。彼が入ったから入った。他にも理由はあったように思うし、後付けのような理由だったとも思う。女子競技人口が少なくて大学進学時の箔付けになるから。そう自分を誤魔化していたように思う。ボードゲーム部活からかいだって部室の空気は緩く、先輩後輩の上下関係もなく、先生にもタメ口で話していた。学校に持ち込むのを特に禁止されていたわけでもなかったお菓子をみんなでつつき、暗くなるまで駄弁っていた。皆仲が良かった。帰りが遅くなったからと送ってもらったことがある。10年以上前なのに未だに鮮明に覚えている。あの時流行っていた曲の歌詞のような時間だったと思う。あの曲は今でもカラオケに行くたびに歌い、この帰り道のことを思い出している。

彼の色素の薄い柔らかい髪の毛が好きだった。彼の皮だけが伸びる柔らかい頬が好きだった。彼がたまに剃らずに残しっぱなしにしていた無精髭を撫でるのが好きだった。付き合っていなかった。小さい頃からそこそこ近くで過ごしていた、そのバグった距離感の中でずっと甘えていた。人生で一番心地の良い時間だったと思う。何もかもが許されて、そしてこちらには何も要求されない。ずっと続けばよかったのに。私たち卒業してしまった。

卒業してからは全く会わなくなった。私たちは別々の地方へ進学した。私は地元大学へ、彼は都会の大学へ進学した。彼の親も一緒に彼について行ったので、彼はこちらに帰ってくるという理由を進学と同時に失った。私は彼に会いに行くこともなかったし、彼が私に会いに来ることもなかった。ただの幼馴染にもなれない近しいだけの人間関係とはそういうものだった。私は大学彼氏を作ったけれど、やっぱり心の中には彼がいた。一度経験した何もかもが許されそして何も要求されない。あの感覚は一度経験するともう逃れられないと思う。好きだったけれど、付き合いたいとかそういう感情ではなかった。独り占めしたいだとかそういうことも考えたことはなかった。ただ近くにいると私の心は凪いで安心した。それだけだった。

成人式で彼は地元に戻ってきていた。中学の校舎に集まっていた中のひとりだった。一緒に写真を撮った。ポーズを決めて、ピースして。でも、私が一番欲しかった写真はこれではなかった。成人式が終わった後、彼と一緒に当時の卒アルを見返していたときに私の親が勝手に撮っていた写真を見せてもらった。私はこれだと思った。一番私が欲しかった写真だった。日常の切り取り、自然ポーズ自然距離感自然笑顔。この写真わたしの宝物となり、彼氏があれからころころ変わってもずっと部屋の中に飾っていた。

彼にはあれから一度も会っていない。私はもう二度と彼に会いたくない。私は高校時代の彼が好きだったのだと成人式で気づいたのだ。高校時代のあどけなさ、可愛らしさを残さず成長してしまった彼を成人式で見てからずっと思っている。私は彼が好きだったけれどずっと愛せるわけではなかった。あの時代の彼を切り取って今もずっと大事にしている。私の部屋には成人式の時の写真が今でも飾られているけれど、アルバムの中を占めているのは高校時代の部室の写真ほとんどだ。

私が会いたいのは彼ではなく、高校時代の彼なのだ。私が好きなのは彼ではなく、高校時代の彼だった。

戻れるならあの時代に戻ってずっとそこで暮らしたい。

何も要求されず私の欲望けが許されていたあのぬるま湯時代でずっと生きていきたい。

いくら歳を重ねても私は彼に囚われたままだ。スマホロックは彼の誕生日のままもう長年変更していないし職場で作らされた銀行暗証番号も彼にちなんだ数字である。彼の影が私の日常に溢れている。私は彼の影とともに日々を生きていく。

横に彼がいなくても。横に彼以外の誰かが並んでいても。彼のことを恋愛的に好きではないままずっと囚われている私と共に進んでくれる人と一緒に。

2024-05-30

(ChatGPT)以下の冒頭から続く文章を、文体の特徴を揃えて1,000字程度で作成してください。

東京地方のどっちが住みやすいとか、文化資本がどうとか言われても、まったくピンとこない。

自分にとっては、東京ゴミ溜めであり、故郷は雪に埋もれた死体だった。

そんな俺が今、どういうわけか、20歳も年下の彼女結婚している。このこと自体が信じられない。俺の人生において、こんなに若い人間と一緒にいることなんて想像もしていなかった。

彼女、名は美里と言う。都会育ちの美里は、デジタルネイティブ世代で、SNSの使い方が俺とはまるで違う。俺がスマホの使い方に四苦八苦している間に、彼女はインスタで新しいカフェを探し出し、サクッと予約まで済ませてしまう。俺はそれを見て、正直感心することもあれば、呆れてしまうこともある。

「ねぇ、これ見て!また新しいフォロワーが増えたよ!」と美里が嬉しそうにスマホを見せてくるたびに、俺は一瞬、彼女世界についていけないと感じる。そんな時は、世代間のギャップを痛感せざるを得ない。彼女はどんどん前に進んでいるのに、俺はまるで止まったままのような気がする。

そんなある日、俺たちは彼女実家に招かれた。彼女の両親は、初めて会った時から俺たちの年の差について心配しているのが明らかだった。食事の席で、彼女父親が静かに言った。「美里幸せにできるのか?」その問いかけに、俺は一瞬言葉を失ったが、「もちろんです」と答えた。

しかし、心の中では自信がなかった。俺と美里関係が、この世代間のギャップを乗り越えられるのかどうか。それでも、彼女の明るい笑顔と、彼女が俺に対して見せる無邪気な信頼が、俺に少しの勇気を与えてくれる。

ある晩、俺は彼女に尋ねた。「美里、本当にこのままでいいのか?俺たちの年の差、時々不安になるんだ。」すると彼女は笑って、「そんなこと気にしないで。私たち、いいチームじゃない」と言った。その言葉に、俺は救われた気がした。

そして、俺たちは互いに歩み寄る努力を始めた。美里は俺の好きな古い映画を一緒に観て、俺は彼女が教えてくれる最新のトレンドに耳を傾けた。俺たちの間には確かに世代の壁があったが、それを超えるための橋を一つ一つ架けていくことに決めた。

ある日、美里が言った。「あなたといると、なんだか落ち着くの。今までの人生とは全然違うけど、それがすごく新鮮で好き。」その言葉を聞いて、俺は少し照れくさくなりながらも、心の底からしかった。

それからも、俺たちの生活は続いていった。彼女が新しいアプリを教えてくれたり、俺が彼女に昔の音楽を聞かせたり。世代間のギャップは完全には消えなかったが、それを補うための工夫と努力を重ねていくうちに、俺たちの絆は確かに強くなっていった。

最終的に、俺たちは互いの違いを尊重し、補い合うことで、より良い関係を築くことができた。そして、そんな日々が続く中で、俺はふと気づいた。東京ゴミ溜めだとか、故郷死体だとか感じていた俺の心に、少しずつ温かい光が差し込んできていることに。

それは、美里との結婚がもたらした変化だった。俺たちの世代間のギャップを乗り越える過程で、俺自身も変わっていった。そして、そんな俺たちの未来に対して、今は少しずつ希望を持つことができるようになったのだ。

ハッピーエンドそうかもしれない。俺たちはまだ道半ばかもしれないけれど、少なくとも今は、互いに寄り添い、支え合いながら歩んでいく決意がある。それだけで、十分だと思う。

anond:20240530154607

ほんならヴァルハラについて機械翻訳からコピペ

イギリスノルウェーのすべてをレビューすることはできませんが、ロンドン(Lūndonjon / Lūndyn / Lunden)をレビューすることができます

西暦873年にそこに立っていたであろうものの多くは欠けていますユービーアイソフト歴史家は、ウィキペディアからこの地図を参考にしたようだ。

https://en.wikipedia.org/wiki/File:Map_Londinium_400_AD-en.svg

しかし、その地図には、当時のロンドンの少量の建物が含まれています。このレベル歴史研究では、ウィキペディアのような一般的知識サイトは不十分です。

他の歴史家が詳細を知りたい場合は、お気軽にお気軽に。

一般

または、フォーラムの南にあるCandelwic Strætのロンドンストーン(Millarium / Praetoriumゲート)から放射する道路パターン:

Trajectus Way:Douegæt(川までダウンゲート)からLondon Stone(Candelwic StrætのPraetoriumゲート)まで

Wæcelinga Stræt(Praetorian Way):南東からニューゲートまで

Earninga Straete (Ermyn/Ermine street a.k.a.オールドノースロード)は、Wæcelinga Stræt southwarkに同行し、南西からDouegætに入り、Cripplegateまで北上しました

ヴィシナルウェイ(フェンチャーチ通り)TrajectusからAeldgate(旧門)を通ります

フォーラムの東:

フォーラムの西:

クリップルゲート:

ルンデンウィッチ:

ゲームには一般的な「Lundenwic Abbey」が1つあります9世紀には、ルンデンウィッチには5つまたはおそらく7つの修道院があっただろう。

現代ウェストミンスター(ルンドンウィッチの南)

他のいくつかの観察:

  • 服は歴史的な、間違った色ではありません(青は純粋に黒い衣服と同様に、非常に高価な衣服の色でした)。ほとんど誰もそれらを持っていないだろう。ほとんどの北欧衣装は、茶色、赤、黄色、緑の優勢な色を持っていただろう。かなりカラフルです。彼らはすべて同じ制服を持っているわけではありませんが、Ubisoftがそのように描くことを選んだ理由は明らかです。
  • ノルウェーの季節はすべてめちゃくちゃです。深い冬のように地面に雪がありますが、栄養屋台は新鮮な夏の作物でいっぱいです。昼と夜のサイクルは季節などと一致しません。些細なこと。
  • 襲撃中に奴隷を取ることができない。これはバイキングの襲撃の大きな利益でした。誘拐された奴隷を売り返す。
続きを読む:**イングランドのこの期間に興味がある場合は、ここでさらに読むことができます

科学教育への要求が言外に主張するのはどんな問題であれ科学的な訓練を受けた者の問題への取り組み方はそうでない者よりも知的であろうということだ。

科学者の政治的見解、つまり社会学倫理、時には芸術に関する見解さえ、科学のもの門外漢のものより価値があると言っているのだ。

言い換えればもし科学者が支配すれば世界もっと良い場所になるだろうというのだ。

しか私たちが見てきたように現実には「科学者」とは厳密な意味での科学の一分野の専門家という意味だ。

そうすると化学者物理学者などが詩人法律家などよりも政治に関して聡明であるということになる。

そして実際のところすでに固くそう信じている人々が数百万人もいるのだ。

だが科学とはいえない問題客観的方法で取り組むことに関して狭い意味での「科学者」がそれ以外の人々よりも適しているというのは本当に真実なのだろうか?

そのように考える理由はあまりない。

科学とは何か ジョージ・オーウェル

https://open-shelf.appspot.com/WhatIsScience/chapter1.html

anond:20240429184400

親族(両親の兄弟姉妹)に障がいを持っていた経験のあるアラサーです。

あなたの言いたいことはよく分かる。

おそらく、おそらくだけれども、昭和中期ごろまでは

知的障碍は多くのコミュニティ嬰児殺の対象とされてきたのではないかと思う。

実際に、優生保護法によって手術は行われていたし、周囲に隠すのも当たり前な時代

今夏出るであろう最高裁判決には注目している。

私の場合当人身体的な部分であったので周囲の介助で何とかなりました。

自分も幼少のころから喜んで介助していました。

昭和前半生まれにしては裕福な家庭だったようで大学まで行って、家業経理担当をしていたそうです。

ただ祖父母の話を聞くに、当人兄弟姉妹たちの縁談では非常に苦労したと語っていたのを思い出します。

自分地域では多少人権意識が進んでいたのか、いわゆる特別学級が隣だったこともあり

当人が生まれた当時、幼少時代を考えると非常に大変な思いをしたのだろうと感じていました。

身体的な障がいに関しては、古くから按摩さんに始まり社会の中で活躍する場があるし用意できるでしょう。

ただ、知的な面においては、勿論憲法規定されているということは理解しているつもりでも

当人の為にも、周囲の為にも、社会の為にもならないのではないか、というのは個人的感情では思います

自分も半出生主義とまではいきませんがパートナーと子作りに消極的なのはそこが大きい気がします。

それを、一家族、一個人に任せていいのか、という思いがあります

行政支援があるとか、そういう話ではないのです。産んだ責任、とされるのが怖いのです。

なぜ子供ガチャを許してくれないのですか。

人権人権人権、って、私たちにも子供普通にコミュニケーションがとらせて下さい。

から私たち子供を産まないと思います

そのくらいの覚悟を持って子供を産めということなのであれば、私の遺伝子はここで途絶えるのがいいのでしょう。

anond:20240529220823

そういう親って脳内改変が大好きだから

「私は〇〇って言われたのが嫌だった」

っていったら

「そんなことはいってない」とかいうし

 

「私は〇〇が1番辛かった」っていったら

「それはあんたが好きでやってたんでしょ」っていうし

 

何なら家族の仲の良さも過去改変して

「お前が文句言い出すまで私たちは仲のいい家族だったのにお前のせいで関係が壊れた」

 

ぐらいまでいう

ワイはいわれたので絶縁したやで

 

あいつらに脳内改変能力すごいわ

まるでこっちが嘘つきみたいな気分になってくる

 

あいつらいまだに改変した妄想の中で暮らしてるんだろうな知らんけど

2024-05-29

「なんで私たちがお嫁になれないんだ」子どもに泣かれた施設職員の苦悩「人生が終わりです」不妊手術強制された女性絶望 “旧優生保護法”巡り最高裁で審理開始

https://news.yahoo.co.jp/articles/50b9aa0df9e87ac93175b8cd555c1169e80f785f

フェミの人はこの人のところにいって「「普通に結婚して、子どもがいて、孫がいて、幸せな家庭。友だちのところに行くと、いつもうらやましいと思う。もう本当に旧優生保護法のことだけで、人生が終わりです。とても残念です」なんて、お仕着せの価値観だ、女性もっと自由だ、と説得したりしないの?

なんで弱者男性ばかりいじめてるの?

言語化に自信がありません。言語化の魅力?

言語化スキル言語化能力を上げるのは難しく身につけることは不可能です。

身につけることは可能です。

頭の中の **もやもや** を言葉にする力のこと

言語化能力は、自己表現問題解決に不可欠です。インターネット上の成功した人々の情報自己肯定感を低下させることもあります自分の望む人生言葉にすることで、私たち自己反省を促進します。AIの台頭により、エンジニアビジネスサイドやマネージャーとのコミュニケーション効率化する必要があります。これは、開発時間圧縮するためのコミュニケーションスキル重要であることを意味します。将来的には、技術力だけでなく、ビジネス側とのコミュニケーション能力を持つ人材が求められます。ChatGPTのようなプロンプト作成スキル需要が高まっており、これも言語化能力の一部です。エンジニアにとって、言語化は常に重要スキルでした。言語化により、複雑な概念プロジェクトを適切に伝え、不明点をスムーズ解決できます言語化価値は増していますが、その重要性は変わりません。言語化能力を向上させるには、実際にアウトプットを通じて訓練することが必要です。経験や考えを書く訓練は時間がかかりますが、それによって言語化能力が向上します。アウトプットが難しい人は、このプロセスに不快感を感じることが多いですが、それは能力が向上している証拠です。言語化能力を測る指標は、実際にアウトプットを通じて訓練することです。

2024-05-28

モテ男性に慣れちゃった

大学でよく話す男子グループがいる

正確に言うとよく話しかけてくる男子グループ

全体的にパッとしない。いかにもな感じの人たち。(ごめんね)

じゃあ話しかけられる私たちは魅力的なのかと言うとそんなこともなく。よくて二軍といったところである

ではなぜ話しかけてくるのかと言うと、おそらく最初に話した時、愛想良くしたのが悪かったんだと思う。

彼らはそれが気に入ってしまったようだ。

でもそんな彼らも目でおったり話題に上げたりするのは、ミスコンかに出ている上位の女の子たちだ。

本来はああいった子たちと仲良くなりたいのだろう。

だが明らかに身分が違うのでしっかりとわきまえている。そこは共感が持てる。

そして、妥協して私たちのところへ来るのだ。

だが悲しいかな、

女性には仲良くなるだけならとモテ男性とも関係を築く事は可能だ。

ある程度身体を許してしまえば、お前らより上位の男たちに相手をしてもらえるのである

要は男女を5段階で分けるとしたら(数字が大きいほど非モテ)1の男が1〜3の女を独占することができるのだ。

から弱者男性妥協してわきまえた上でお近づきになろうとする女も、自分よりずっといい男に慣れてしまっているパターンがある。

なので非モテ男性にはもっと妥協しないと彼女ができないかも。

それも本来はもうちょっとマシな女でも見合うのにそれは上位男の元にあるといった悲しい状況に耐えながらの恋愛

まあそんな恋愛若いうちだけ、ある程度の年齢になると穴モテすらしなくなったアルファオス使用済み中古女が君たちのもとにやってくる。

どうかそれまで虚しい状況に耐えて欲しい。

anond:20240527193342

この問題イスラエルパレスチナ問題と同じだと思っている。

かつて強力な国家であったイスラム国家と虐げられてきたイスラエルは、近代以降の欧米という後ろ盾と自らの軍事力によって形勢逆転したが、今現在でもイスラエル被害者ヅラしてやりたい放題だ。

翻って男女の関係も同様であり、かつて腕力社会的地位で優っていた男性その男性に保護・あるいは虐げられてきた女性が、近代以降の国家人権という後ろ盾、力の不要労働形態によって形勢逆転しつつあるが、今現在私たち男性より不利な状況にある」とする主張を繰り返し、男性権利蹂躙し続けている。

イスラエル問題解決できない事と同様に、本件も解決困難な重大な事象であると皆が認識すべきなのだ

anond:20240528070509

「俺を虐げるな」=「無条件で俺を世話して性処理をする女をあてがえ」

そもそも、誰かがそう主張すること自体自由です。その主張を議論俎上に載せて対話するのが民主主義です。もちろん、こんな主張を議論に乗せれば、それが通らないことは自明です(1人の人権保障するために1人の人権犠牲にするのでは社会にとって問題は何も解決しないからです。一般的に言って、無辜な何者かの生活犠牲にすることによる解決は、少数意見尊重する真っ当な民主主義においては認められる主張ではありません)が、それはそれとしてその「主張をすること」は自由であり権利です。逆に、その意見封殺することは非民主的な行いです。

従って、

そんな主張なんか知ったこっちゃねえよとしかならんのだよな

という態度は望ましくありません。意見荒唐無稽だとしても、両者の意見のすりあわせと妥協点を探る(女性奴隷にせずに、「俺」さんが「虐げられていない」と考える道は本当に無いのか?など)態度が民主主義です。このように、民主主義標榜するなら「俺を虐げるな」などと言う人と対話しようとする姿勢必要です。もちろん、相手がマサカリ武装しているなら、対抗言論上多少きつい言葉を使うことも許容されるべきでしょう。しかし、少なくとも人権民主主義尊重する近代人のふりがしたいなら、対話すべき相手人間以前の生き物のようにレッテル貼りして言論封殺しようとするべきではありません。そういう( 「弱者男性に対する )マッチョな振る舞いが一部界隈では人気を博すのかもしれませんが、それは人権に名を借りたただの差別主義です。

差別主義とは何か。それは、社会に、本来存在しない見えない線を区切ることです。そのような見えない分断は多くの人にとってはただ不都合しかありませんし、特に、その区切りによって不利益を被る側には耐えがたいマイナスですが、その分断を強く主張し主導する人々にとってはそれが権力の源泉となります。たとえばエセマナー講師は、わかりやすいその一例です。奇妙なマナー提唱して、社会を「"マナー"を知ってその通りに振る舞う人/"マナー"知らずで無礼な人」に区分けする、多くの人にとってはただ面倒が増えるだけですが、マナー講師にとってはその「社会全体の不利益」がそのまま「飯の種」になります。「流行ファッション」などというのも、多くの場合これです。しかし、流行ファッションを飯の種にする人は多くいて、そうなるともうこの「流行」なるもの実態のように振る舞い始め、被搾取者だけでなく受益者まで巻き込んで様々な悲喜劇引き起こします。「文化伝統」「宗教信仰」もその類いであることは言うまでもありません(本来信仰の守り手として受益者であるはずの行為宗教家が、狂信者となることでどんな悲喜劇を引き起こすことか)。

ここで、しっかりと区別しておきたいことは、私はこのように振る舞うのが「好きだ」、私はこのような服装が「好きだ」、私はこのような文化が「好きだ」、私は神様を「信じている」……それは差別主義ではありません。しかし、人はこのように振る舞う「べきだ」、このような服装をする「べきだ」、このような文化を守る「べきだ」、誰もが私の神を信じる「べきだ」……となると、それはもう差別主義に足を踏み入れています。なぜならそれらは、そうする人としない人を区分けする考え方であり、しばしばまさに「区分けするため」になされる主張だからです。敵と味方にわけて闘うための思考差別主義です。差別主義は戦いからこそ利益を得るのです。

同じく、私は人権を「大事だと思う」、人権は「大切だと思う」、はただの選好ですが、誰もが人権を「尊重するべきだ」、人権を守る「べきだ」、人権を信じる「べきだ」、人権に則って振る舞う「べきだ」……は、ここで言う差別主義に当たることになります一見人権を大切にする結構な主張に似て見えますが、それらは社会に分断をもたらすことで結局は全体に不利益を与え、見えない壁を作り、そしてそう主張する者だけがそこから部分的利益権力を得る、そんな行いだからです。人権民主主義も、この社会構成員全てを等しく扱う考え方であり、「敵/味方」という思考から最も遠いはずのものですから、「彼らは民主主義の敵だ」とか「我々は人権派だ(あいつらはそうではない)」といった主張は、本来存在するはずがないのです。

私たち一人一人は、弱く愚かです。間違いも犯す。だからこそ、いろいろと問題のある中で民主主義が選ばれ、尊重されているのです。たとえ自分民主的人権尊重する人間であると自負していたとしても、私たち不断に自らが本当にその名にふさわしい振る舞いをしているか再確認する必要があるでしょう。人権民主主義はありがたく飾っておけばすむ錦の御旗などではなく、常に実用最前線にあり、限りない問いかけと異議申し立ての中で磨きぬかれてきた存在なのです。

anond:20240527193342

知ってた。女だけど同性には「私たち大事にしない男などどうなっても知らない」と高笑いできる強さがある。

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