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2024-06-01

anond:20240601065458

自民党バカ失言するたび「切り取りだ!」って擁護がわくけど蓮舫のこれこそ本当の切り取りだよな

自民党失言は全部読むともっとひどいことばっかり

2024-05-30

anond:20240530180805

私の場合は友人の相談事(夫婦のことや体のことなど)を夫には話さない。それが誠実な態度だと思う。

しかし!

友人は私の相談ごとを彼に話していた。二人に合った時に彼がその話を私に振ってきたので驚いた。出来れば友人だけにとどめておいて欲しい内容だったので、かなり引いた。その彼は全く気がつく様子もなくデリカシーの無さに呆れましたが、案外、男の人って重く考えずにぽろっと言ってしまうことって多いね。友人の方が彼の失言で、私に平謝りで複雑な気持ちだった。

夫婦仲良いのはわかりますがツーツー、という方もいたことには少し驚いた。

2024-05-27

静岡県知事選2024 大村慎一が勝利した理由

anond:20240526201503

静岡県知事選2024:劇的勝利の裏側とその真実

2024年5月26日静岡県知事選自民党推薦の元総務官僚大村慎一が勝利を収めた。この選挙結果は「劇的な逆転勝利」と報じられたが、県政ウォッチャーとしては予想通りの展開だった。ここでは、その背景とプロセスについて詳しく分析する。

大村慎一の戦略的準備

4月初めに川勝前知事が辞任を表明した直後、大村は速やかに出馬を表明。彼は3年前の知事選でも自民党の対抗馬として名前が挙がっていたが、準備不足を理由に辞退していた。その後、彼は静岡県内の中東政財界とのコネクションを築き、次の選挙に向けた準備を着実に進めていた。

地元紙は公示から大村が川勝前知事の4期目の間に自民県連を通じて影響力を強化し、次の知事選への布石を打っていたと報じていた。また、川勝辞任直後から総務省に影響力を持つ自民党幹部が各市長に「大村を頼む」と直接依頼するなど、密接な連携が見られたという。

メディア戦略県内の支持

鈴木康友浜松市長出馬表明後、県内テレビメディア候補予定者の人となり報道を開始。しかし、その報道内容は明らかに大村寄りだった。各テレビ局は大村スローガンオール静岡」を強調し、分断解消への決意を伝えた。一方、鈴木候補については、スズキ自動車鈴木会長から支援を中心に報じられ、企業色を強調される形となった。

さらに、連日のように「今日伊豆市市長大村支持を表明」「今日伊東市市長大村支持を表明」「今日島田市長が大村支持を…」というニュースが報じられ、県全域が大村を支持しているかのような印象を与えた。ここで県民は「次の知事大村だろう」と確信するに至った。

浜松市のある県西部には大企業が集まっているが、県内論調が形作られるのはテレビ局が集まる県中部静岡である。このため、多くの静岡県民は早い段階で大村勝利予測していた。

西部VSオール静岡 最大争点は浜松野球場建設の是非

県内メディアは、選挙争点をリニア問題などよりも「県営浜松野球場建設の是非」に重きをおいて報道し続けた。大村建設計画をゼロベース判断するという白紙撤回もありという立場を主張し、県民VS浜松という対決構図が強調されるようになった。

今回の選挙は「県西部VS県中部」と報じられることが多かったが、正確には「浜松市VS浜松市以外のオール静岡」の対決だった。大村県内全域の支持を獲得し、浜松市のみが鈴木候補支持基盤となった。負けは確定的だったと言えるだろう。

情勢調査の誤解と知名度向上

日刊ゲンダイなどのタブロイド紙では4月下旬自民党情勢調査に基づき、大村惨敗すると報じた。しかし、この調査4月前半に行われたものであり、大村知名度がまだ低い時期のデータに過ぎなかった。元副知事であった大村は、県民には「誰それ?」状態であったが、4月半ばからメディア攻勢により知名度が急上昇し、4月後半には鈴木候補との差が一気に縮まった。この勢いを見た岸田自民党は、確実な勝利を見込み、大村への推薦を正式に決定した。衆院補選で三連敗して後が無い岸田自民党が、負ける候補者に推薦を出すはずがないのだ。

公示後の戦術選挙

大村選挙戦はさらに激化した。出陣式には現静岡市長難波喬司が登場し、官僚出身のエリートとしての信頼感を強調。県西部での出陣式には、「Suzuki政治を許さない」と書かれたプラカードを持つ集団応援に駆けつけ、強烈な鈴木康友批判を展開した。

リニア問題でも、大井川流域の島田市長に「川勝が作った県の専門部会解散させるべき」と発言させ、リニア工事の早期許可公約とするなど、川勝前知事方針とは一線を画す姿勢を示した。このように、公示前に穏健な印象を与えつつ、公示後には支持者・支援者向けにやや過激戦術を展開するという二面性の戦略が奏功した。

自民党の執念と戦略的勝利

前回の知事選で自民が敗北した際、自民県連は「次は必ず勝つ」と誓い、準備を進めてきた。川勝の失言を徹底的に攻撃し、彼の人間性問題視するキャンペーンを展開。浜松市を含む施策戦略的に抑え込み、対川勝の選挙戦を想定して準備を進めてきた。結果、川勝は思わぬところで自爆して対戦相手は別人になったが、その成果は相手が誰であれ、与野党対決の選挙において通用するものとなった。

総じて、大村慎一の勝利は偶然ではなく、長期的な戦略と綿密な準備、メディア戦術の成果であった。静岡県知事選2024は、まさに大村慎一のための選挙戦だったと言えるだろう。

https://gyo.tc/1c1pp

anond:20240526201503

静岡市浜松市、静髙対浜松北エスパルスジュビロ。それを選挙でやっただけ。

考察にあるようなそんな難しい話ではない。

特に川勝県政が・・・。っていうのはほとんどの県民にとっては、今回の選挙には大きな影響はなかったと思う。どちらも川勝県政にあまり触れる印象はなかった。

リニアを無条件で賛成という県民はあまりいないかもしれないが、失言バランス感覚を欠くイメージが続いて、もう、川勝以外ならだれでもいいっていうのが本音


静岡県人口約300万。ざっくり、西部120万、中部100万、東部伊豆が80万くらい。(東部伊豆もまた、ひとつではないが)

東西に広いので、東部から浜松に行くのと、東京に行くのでは同じくらいの時間がかかる。

一方、浜松から東部にいくよりも名古屋に行くほうが近い。

選挙速報で熱海市伊東市がでると、熱海伊東って静岡だったんだと思うのが西部あるあるである

他方、東部住民からすると、浜松は本当に遠く、伊豆住民浜松に行ったことないという人も多い。

伊豆の南半分からだと、静岡はなんとか日帰りできるが、浜松は泊まりたいという距離だ。

鈴木陣営パンフレット東部西部で分けて作ったように、浜松静岡は、お互いが、「あっちになるくらいなら地元」って思っている。

地元では「地元のために」、他方では「オール静岡で」というのが両陣営の戦い方、二枚舌×2だった。

いっそ、浜松市のために、静岡市のためにとやった方が、わかりやすくて良かったのに。

東部伊豆はこういうときにいつも置いてけぼりになるが、浜松は遠すぎるから静岡市候補でくらいの感じ。だから、1割くらいの差で大村裕利だった。

前回の全県区の参院補選でもそうだったが、だれか一人となったとき人口の多い西部がどうしても有利。

あと、出身校も典型的浜松北髙と静岡高はどちらも地元トップ県立高。東大進学の人数では浜北のほうがいつも少し多いが、距離があるため、それぞれ越境してまで通う生徒はほぼいない。

それぞれ、地元経済で有力な人が多いので、選挙となると、同窓会での後押しもある。地元企業社長が○○推しとなれば、社員への影響力もある(スズキの前会長岐阜出身だけどね)。

ここでも自民や立憲、リニア問題は小さい。

一方で、東部進学校沼津東は、選挙当日、文化祭だった。

2024-05-26

備忘再録 (たぶん)自民党静岡県怪文書

静岡県知事選2024 大村慎一が勝利した理由

静岡県知事選2024:劇的勝利の裏側とその真実

 

2024年5月26日静岡県知事選自民党推薦の元総務官僚大村慎一が勝利を収めた。この選挙結果は「劇的な逆転勝利」と報じられたが、県政ウォッチャーとしては予想通りの展開だった。ここでは、その背景とプロセスについて詳しく分析する。

 

大村慎一の戦略的準備

4月初めに川勝前知事が辞任を表明した直後、大村は速やかに出馬を表明。彼は3年前の知事選でも自民党の対抗馬として名前が挙がっていたが、準備不足を理由に辞退していた。その後、彼は静岡県内の中東政財界とのコネクションを築き、次の選挙に向けた準備を着実に進めていた。

 

地元紙は公示から大村が川勝前知事の4期目の間に自民県連を通じて影響力を強化し、次の知事選への布石を打っていたと報じていた。また、川勝辞任直後から総務省に影響力を持つ自民党幹部が各市長に「大村を頼む」と直接依頼するなど、密接な連携が見られたという。

 

メディア戦略県内の支持

鈴木康友浜松市長出馬表明後、県内テレビメディア候補予定者の人となり報道を開始。しかし、その報道内容は明らかに大村寄りだった。各テレビ局は大村スローガンオール静岡」を強調し、分断解消への決意を伝えた。一方、鈴木候補については、スズキ自動車鈴木会長から支援を中心に報じられ、企業色を強調される形となった。

 

さらに、連日のように「今日伊豆市市長大村支持を表明」「今日伊東市市長大村支持を表明」「今日島田市長が大村支持を…」というニュースが報じられ、県全域が大村を支持しているかのような印象を与えた。ここで県民は「次の知事大村だろう」と確信するに至った。

 

浜松市のある県西部には大企業が集まっているが、県内論調が形作られるのはテレビ局が集まる県中部静岡である。このため、多くの静岡県民は早い段階で大村勝利予測していた。

 

西部VSオール静岡 最大争点は浜松野球場建設の是非

県内メディアは、選挙争点をリニア問題などよりも「県営浜松野球場建設の是非」に重きをおいて報道し続けた。大村建設計画をゼロベース判断するという白紙撤回もありという立場を主張し、県民VS浜松という対決構図が強調されるようになった。

 

今回の選挙は「県西部VS県中部」と報じられることが多かったが、正確には「浜松市VS浜松市以外のオール静岡」の対決だった。大村県内全域の支持を獲得し、浜松市のみが鈴木候補支持基盤となった。負けは確定的だったと言えるだろう。

 

情勢調査の誤解と知名度向上

日刊ゲンダイなどのタブロイド紙では4月下旬自民党情勢調査に基づき、大村惨敗すると報じた。しかし、この調査4月前半に行われたものであり、大村知名度がまだ低い時期のデータに過ぎなかった。元副知事であった大村は、県民には「誰それ?」状態であったが、4月半ばからメディア攻勢により知名度が急上昇し、4月後半には鈴木候補との差が一気に縮まった。この勢いを見た岸田自民党は、確実な勝利を見込み、大村への推薦を正式に決定した。衆院補選で三連敗して後が無い岸田自民党が、負ける候補者に推薦を出すはずがないのだ。

 

公示後の戦術選挙

大村選挙戦はさらに激化した。出陣式には現静岡市長難波喬司が登場し、官僚出身のエリートとしての信頼感を強調。県西部での出陣式には、「Suzuki政治を許さない」と書かれたプラカードを持つ集団応援に駆けつけ、強烈な鈴木康友批判を展開した。

 

リニア問題でも、大井川流域の島田市長に「川勝が作った県の専門部会解散させるべき」と発言させ、リニア工事の早期許可公約とするなど、川勝前知事方針とは一線を画す姿勢を示した。このように、公示前に穏健な印象を与えつつ、公示後には支持者・支援者向けにやや過激戦術を展開するという二面性の戦略が奏功した。

 

自民党の執念と戦略的勝利

前回の知事選で自民が敗北した際、自民県連は「次は必ず勝つ」と誓い、準備を進めてきた。川勝の失言を徹底的に攻撃し、彼の人間性問題視するキャンペーンを展開。浜松市を含む施策戦略的に抑え込み、対川勝の選挙戦を想定して準備を進めてきた。結果、川勝は思わぬところで自爆して対戦相手は別人になったが、その成果は相手が誰であれ、与野党対決の選挙において通用するものとなった。

 

総じて、大村慎一の勝利は偶然ではなく、長期的な戦略と綿密な準備、メディア戦術の成果であった。静岡県知事選2024は、まさに大村慎一のための選挙戦だったと言えるだろう。

静岡県知事選2024 自民推薦候補が敗北した理由

2024年5月26日静岡県知事選挙において、自民党推薦の元総務官僚大村慎一は敗北した。その敗因を分析することで、選挙戦術課題静岡県政治情勢を明らかにしたい。

大村慎一の出馬と初期の戦略

川勝前知事の辞職表明後、真っ先に出馬を表明したのが大村慎一だった。彼は、川勝前知事によって生まれた分断を解消する「オール静岡」を掲げ、静岡県未来を担う候補として期待された。地元紙によれば、3年前の前回知事から自民推薦候補としてリストアップされており、その時は準備が整わず辞退したが、前回選挙直後から県内中東部の政財界コネクションを築き、出馬の地固めを進めていた。総務省に影響力を持つ自民党幹部も、県内各自治体の首長らに「大村を頼む」と支持をお願いする電話をかけ回っていたという。

結果、出馬表明後、県内各自治体の首長が続々と大村支持を表明し、地元メディアも連日「今日は〇〇市の市長大村支持を表明しました」と報じた。特にリニア問題で注目されている大井川流域市町の盟主である島田市長の支持表明は大きく取り上げられた。一方、対抗馬の鈴木康友に関しては、スズキ自動車会長とのつながりくらいしか報じられなかった。

また、大村鈴木も「環境を守りつつリニア推進」と表明したことで、争点がリニアから浜松球場建設問題に移った。何百億円も県予算をかける工事見積もりのため、浜松市以外の人から見れば反対が多い。メディアは最大争点として浜松球場問題を扱い、大村は「ゼロベース見直し」を掲げて支持を広げた。

ここまでは完璧だった。

自民党内部の情勢調査によれば、4月前半は当初は鈴木康友氏に大幅リードを許していたが、下旬になると一気に差を詰めていたという。

その結果、岸田率いる永田町自民党本部大村に推薦を出した。

敗北ルートの始まりだった。

過激選挙戦術リニア問題

選挙戦が本格化する中、大村陣営は「SUZUKI政治を許さない」といった過激プラカードを掲げ、対抗馬の鈴木康友への批判を強調した。この手法は、川勝前知事JR東海批判して支持を集めた「分断を煽る」戦術のものであり、県民の一部から逆効果となった。

リニア問題でも、「1年以内に解決する」と表明し、リニア工事環境アセス審査に期限を設けた。しかし、岐阜県の水枯れが報道され、大村演説先で急遽公約が書かれたプラカードの「1年以内に解決」の部分をステッカーで隠し、公約を取り下げるという失態を犯した。このような混乱は、有権者の信頼を失わせた。

浜松球場問題地域対立

争点として浜松球場問題を強調しすぎたことも問題だった。この戦術浜松市との対決色を強調しすぎる結果となり、地域対立を煽る形となった。西部VS中部の構図が目立ち、東部伊豆選挙への関心が低下し、更に浜松市鈴木陣営の結束を固めさせる結果となった。

自民党本部の推薦とその影響

自民党本部の推薦も裏目に出た。自民党裏金問題国民から拒絶されている現状では、推薦がむしろマイナスとなった。応援演説には地元上川陽子以外、政権幹部応援演説に入ることはなかった。その上川陽子演説も「失言」として報じられ失点にしかならなかった。

鈴木康友選挙戦術

鈴木康友選挙戦は、謙虚姿勢で始まった。東部地域市長から挨拶に来ないのは東部を軽視しているからだ」と批判された際には、出陣式を地元西部ではなく東部で行い、批判をかわした。特定政策を強調することなく、リニア問題岐阜の水枯れが報道された時も「拙速には進めない」と上手くかわした。さらに、河村たかし名古屋市長など民主党時代の同期を動員し、幅広い人脈をアピール立憲民主党議員応援演説を行い、与野党対決を前面に出すことで、大村側の自民党色を目立たせた。一方で、鈴木全面的支援したのは自民党浜松支部であり、また、菅義偉首相との蜜月関係も報じられるなど、自民支持層にも食い込んだ。

結論

大村慎一の敗北は、逆効果選挙戦術リニア問題での混乱、地域対立煽り自民党本部の推薦の裏目など、複数の要因が重なった結果である。これらの要因を総合的に考慮すると、大村が敗北したのは必然とも言えるだろう。この選挙結果は、静岡県政治情勢に新たな課題を投げかけている。

2024-05-25

anond:20240524132003

今回の失言の件でを、ジェンダー女性女性ジェンダーが、傷ついていそうだ。

なんならLGBT層も過去トラウマを思い出したりで傷ついている可能性が強い。

自民党茂木敏充幹事長が、インターネット番組で「国民が求めているのはパンじゃない、サーカスだ」と発言した。「パンサーカス」は、古代ローマ民衆の支持を得るために取られた政策を指すが、現代では愚民政策意味合いが強い。

 

これは失言ではあると思うけど、けっこう的を得ているとも思う。パン給付金や減税、サーカス公共事業や国を上げたイベントと読み替えると、政治家視点で見れば「パンを与えても次のパンをよこせと調子にのる」。

一方サーカスを与えれば、賛成派と反対派が分断して勝手に争い、建設・開催されればそこそこ盛り上がり、汚職環境問題が起こったとしてもそのうち忘れられる。もちろんステークホルダーに公金をばら撒くことができる。

サーカスはやり得、逃げ得なのだ

2024-05-23

たぬかながVTuberを毛嫌いする理由

失言プロゲーマーをクビになってから一転、配信者として大成功を収めたたぬかな。

たぬかなが嫌悪するのものにはフェミニストヴィーガン専業主婦非モテ男など多種多彩だが、

中でも一際嫌悪感を表明しているのがVTuberだ。

なぜそれほどVTuberを嫌うのか謎で、色々考えてみたのだが、eスポーツVTuberファン層の違いが理由ではないだろうか。

対戦ゲームコミュニティではプロゲーマーに対して手厳しい。

世界大会で負けるものなら批判誹謗中傷が飛び交うのが当たり前だし、海外では殺害予告まで出る始末だ。

逆にVTuberコミュニティ演者に対して心優しい。甘やかす風潮というか、批判ベースに無い。

それは民度の違いとかではなく、プロスポーツとアイドル文化の違いでもある。

殺伐としたコミュニティに馴染み深いたぬかなとしては、何をしてもチヤホヤされるVTuberコミュニティに苛立つんだろう。

擦れた人間からすると善性がベースコミュニティにはイラッとするものだ。

2024-05-22

岸田って、麻生に比べれば失言放言も少ないし、

安倍に比べれば敵味方を分けて有権者を煽ることもしないし、

菅のように強権を振るうこともないんだけど、

それが全部、

魅力的な言葉がない、

叩くべき敵も提示できない、

官僚(主に財務省)の犬、

って逆方向にとられて、自民党支持から一番叩かれてるの本当に不憫

結局、自民党支持者が欲しいのは、

気に入らない敵を政治家立場で叩いてくれる暴言代行マシンであって、

優れた政治家じゃないんだな。

じゃあもうれいわでええやん。

あいつらのタガの外れた暴言の方が浸る分には気持ちいいよ。

少し前に国民が「自民党議席を減らす為に立憲と調整」ってニュースが流れてきて、国民に求めてるのは、そう言う党利党略じゃなくて、是々非々で良いことには賛成し、悪いことは正す姿勢なんだよなぁって思ってイラッとした。

しかし冷静に考えてみれば、ここ10年くらいで是々非々を掲げた政党は、みんなの党国民、泉体制の立憲等になるんだろうけど、どこもかしこ鳴かず飛ばずで、みんなの党勝手崩壊国民前原とき離脱を止めることもできずグダグダ、立憲は共産並の支持率と言う体たらく

やはり野党と言うのは、与党のやることなすこと一挙手一投足一呼吸にまで全てに反対し、何かやれば拙速・数の暴力、何もやらなければ無対策・無戦略と叩き、言葉恣意的に切り取って失言に仕立て上げ、有権者与党に対する悪感情を煽ってなんぼの商売なんだなと思い直した。

そう言う意味で、国民方針変更は正しく野党的な振る舞いであり、立憲が最大野党として国民に歩調を合わせられるかが注目の点になる。泉は野党党首としての真価を問われているぞ。

2024-05-19

川上たそ

自民女性議員だとトップレベルにまともだと思うが

外遊でも何か気前良すぎじゃね?みたいなとこあり

独断で決めてるわけじゃないから、リップサービスが上手いだけだろうけど

良かれと思っていらんこと言っちゃうパターンは多そう

某水脈の失言よりは遥かにマシにしても

2024-05-12

詩とか俳句短歌について思うことメモ

もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事書類ばかりとなった昨今。

でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。

書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。

まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。

頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初感想だった。普通に文章だったからだ。

調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで

「韻」という言葉もその時初めて知った。

井上靖詩集を手に取ったのは、国語教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。

というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初詩集だった。

小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。

季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなもの短歌俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。

特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉ニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。


井上靖の詩のなかに

幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。

自分世界表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。

例えば、雪という詩がある。


 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。

 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌

 みつけた詩だ。雪が降って来ると、

 私はいつもこの詩のことを思い出す。

 ああ、いま、小学校教室という教室で、

 子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。

 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。

 勤勉、真摯調和

 そんなものともどこかで関係を持っている。

井上靖詩集運河」より

中学生の私は、なるほどと思った。

詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉なかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。

鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。

井上靖の次に手に取った詩集もよく覚えている。

武者小路実篤だった。やぱり散文詩だった。

当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。

いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。


ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。

山頭火面白い普通俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。

定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌エントリーポイントとなって、

新聞の俳壇や短歌欄に時々目をやるようになった。

いわばお勝手からこっそり入門したような形だ。

しか俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。

いつしか手にしていたのは、興津要解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。

剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。

エロい川柳結構好きだった。今でいうサブカルチャーだ。

その後は巴毎晩組み敷かれ

木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代川柳妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい

一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。

俵万智サラダ記念日ベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。

例えば、こんな一首。

わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり

あさま山荘事件を起こした連合赤軍幹部坂口弘収監中の東京拘置所から毎週のように短歌朝日歌壇投稿していた頃だ。

朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。

そして渡辺松男太田美和が常連投稿者として名を連ねていた。

風花って知っています

さよならも言わず別れた陸橋の上

渡辺松男太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇リアルにみていた人にしかからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱発酵すると詠んだりする太田美和。

生活で恋をしていた私は太田美和の言葉自分を重ね合わせた。


でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。

大学卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。

生活が一変した。

書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。

購読紙も朝日新聞から日経新聞に代わり、東洋経済となった。

世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。

山頭火武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接資格だ!という日々。

就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。

たまに思い出しては、現代短歌最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。

若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。


それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。

そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。

思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。

中年になっていいかげん自分限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。

ふと思い出すのが、最初に買った井上靖詩集

 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖感覚がとてもよくわかるようになった。


これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。

詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。

どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。

鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯子供の姿を思い浮かべる、という

文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワイン食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。

ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種ビンテージ気候土壌などさまざまな情報がある。

しかワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのとき話題、体調などに大きく左右される。

だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。

マリアージュという言葉があるように、ワイン一種調味料として機能するため、食べ合わせ重要だ。

またワインプロファイル情報あるかないかも味を左右する。

ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見ワインしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。

逆に偽の情報表現かに補完してしまえば、コンビニ販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。

ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的規律として表現することはできない。

詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。

井上靖が「小学校教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。

その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。

どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときメンタル、いわば偶然の力だと思う。

渡辺松男太田美和が並んで歌壇掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。

失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会

先ほど、卒業してから詩どころではなくなったと書いた。

そのとき自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。


ところで、先日、Yahoo芸能ニュースをみていたら、TBSプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人俳句先生から5点と酷評されたと報じていた。

お題は「文房具」で彼女が読んだのは

消しゴムが 白き水面に ボウフラを

というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。

ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人俳句酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組演出脚本としてはそれがオチなのだろう。

演出もさることながら、これは、他の出演者俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。

迎え梅雨 紙端に滲む 友の文字

虹の下 クレヨンの箱 踊り出す

天王山 黒ずむ袖に 薄暑光

薫風や 隣の君と 教科書

こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。

バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージ作品クオリティが補完されてしまうのだ。

しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。

消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月番組文房具からまだ気持ちフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。

ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。

それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。

いかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。

一方で白い水面(ノート隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。

ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。

と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ

ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。

また、どんくさいもの弱者がボウフラというノート上のより小さい存在視線フォーカスする、という手法小林一茶方法とも通じるところがある。

番組の評者は、この芸人俳句酷評したうえ、次のような添削をしたという。

しかすはボウフラみたい夏休み

夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。

しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組からね。

ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界一種ルッキズムだ。夏休みかいって勝手おめかしさせようとするんじゃねーよ。

そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつ動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語川柳で身につけたものだろうからゆりやん一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。

300円でおいしく飲めるワインもあれば、駄作でも楽しめる作品もある。そういうことだと思う。

芸能人叩きをする人

芸能人失言などで不祥事を起こして記事が出た時SNSネット掲示板でその芸能人咎める人が多いけど、

その記事信憑性や、失言に至るまでの前後の内容や、失言の背景など考えると記事だけを見て「失言した芸能人が悪い」と判断するのは安易じゃないか

しかネットの人は普段からマスコミを嫌って何かと「マスゴミ印象操作」と言ってマスコミに対して猜疑心を抱いている一方で、上記のような記事を何の疑いもなく信じて芸能人を叩く、というのがどうも矛盾している。

芸能人叩きをしている人とマスコミ叩きをしている人が別の人間かもしれないが、いずれにしろ我々一般人に伝えられる情報なんてほんの一部しかないのに全力で咎めて叩く方に舵を切れる真理がわからん

私は芸能人不祥事を見ても表に出ない事情として止むを得ない事実があるのかもしれないという可能性を拭いきれず、ネットの人たちのように記事の内容だけで全力で叩くという判断をしない。

2024-05-11

anond:20240511131319

「同レベル発言が山ほどある」とのことだが、マスコミに対して「この事件を報じたら終わり」などとの発言は探せなかった

「同レベル」としか言ってないのに「この事件を報じたら終わり」という趣旨のことを言っているというように捻じ曲げてるんだよね。これって詭弁だよね?

そのうえで松本龍発言別に法に触れてないんだけど安部自民公職選挙法違反やら政治資金規正法やらで逮捕者続出なんだよね

どう考えても安部自民のほうがタチ悪いよね…普通に反社やん

一億歩譲って失言だけにフォーカスして、麻生、森、安部限定したブコメ意味わからんが(森とか議員じゃないし)

自民松本龍と同じ復興大臣だった今村雅弘マスコミ記者会見中にブチ切れ恫喝して「圧力」かけてたし(高圧的に記者に出て行けって言ってたよね?)その後「東北でよかった」とか言ってたんだよなあ

うそれだけで自民民主はイーブンなんだけど、それに加えてその他の失言は山のようにあったよね

松本龍だけで民主悪夢としたい勢力いるんだけど全然自民のほうが糞なんだよなあ常識的に考えて

そういうのをフェアにジャッジできないバカ国民ばかりだからジャップランドって没落するんだよなあ

「頭悪いね

2024-05-09

anond:20240509164934

ファンでも無い人が芸能人失言(っぽいもの含む)を探して「みなさんこんな事言ってましたよ!どう思います?許せませんよね?」って焚きつけて再生稼いでんのか

2024-04-29

自身ASDっぽさについて

私には妹がいる。妹とは話が通じないなと思うことが幾度となくあり、毎回ではないが苛立ちが募ることもある。話の通じなさとはレスポンスの遅さや文脈から少しはずれた返答のことだ。

そして、自分自身友達と話しているときにふと我に返り今の返答は正しいそれではないような違和感を覚えることがある。

その違和感主観の域を出ないが、自分がそういった返答をしてしまうことによって私が妹に感じる不快感友達にも感じさせていないのか不安で仕方がないのである

なにかをきっかけにしてすごい勢いで話すよね、と、ある友達は良い面だと捉えている旨を伝えてくれたが、今になって思えば躁状態になっているとも云えるだろう。

別の友達から病気になってから脳の回転が悪くなったと思うか聞かれて、今のレスポンスの遅さは昔からそうなのかと言われているように感じた。

その人と話すときは常に緊張しているため懸念事項がより顕著に表れているのだろうか。

こうして少しずつ違和感や、以前からある"他人と関わった後に己の行動を見直す癖"が合わさり確信に近づき、

口数を増やすことによって失言が生まれるなら失言しないように何も話さなければいい、そして話すときは頭の中でつながりを意識して文章を組み立ててから話すように、

といったことばかり考えているとレスポンスは遅くなり、砕けた場面でも文語調でしか話せないようになった。

誰と話すときでも自分から話すことはほぼなく、人の話に相槌を打つ以上のことができないようになった。

恐らく慎重に言葉を引き出すようになったことでアウトプットまでの時差が広がっているんだろう。

発話までの時間が長くなり相手がいい気分にはなるわけはないが、すぐに返答を返すことで話の粗が増え批判や注意される点は増える。ここでデッドロックに陥っている。

注意されることを恐れすぎている。


この増田を書いている時ですら昔ならアウトラインざっと書いてあとから添削していただろうが、今は、というかここまで書くのに一発で納得できる一文を探し続けて足踏みしていた。

増田なんだから言葉遣いなんてそこまで気にしなくていいのに堅苦しい言い回しをわざと選んだり重文にずっと手間取ったりしていた。

そんなこと気にしなくていいのにな。

途中めちゃくちゃしんどくなって気まぐれに他の記事を読んでみて少し救われたと思う。

とにかく、こんなことを友人知人に話したとして何を言われるのかはわからないが気を使わせてしまうのではないかと思ってならない。

友達もかなり繊細なタイプが多くて、まあ少し不健全な悩みを持たせてしまうのではないか不安になる。

カウンセリングも考えたが、おそらく予約が取れて実際に話を聞いてもらえるまでに私は干からびてしまうだろう。

だって「私と話していて不快に感じてる?」って自分精神の弱さで返答に耐えられる自信がない。他責をさせてほしかった。

依然受けた心理検査の結果を見返してみたら「人懐っこく振る舞う一方で、人と関わることが不安だったり怖かったりすることがある」と書かれていて、後半の部分でこの先が更に不安になった。

2024-04-28

いいシュウトメになれるかな

息子夫婦が泊まりに来るんです。

しばらく滞在するけど、不安で。

今の時代は、子どもを催促するような言葉ハラスメントなるみたい。

実際親に言われて傷ついた若い方もいるかな? いるかも知れません。

私は、そんなシュウトメは嫌です。

考え過ぎとも思いますが、もし失言したら後で言い訳しても分かってもらえないかも。

どうすれば避けられるか、心構えがそもそもからなくて。

最近体調どう?

・・・これも、子どもを持てるくらいに健康? って誤解を招く恐れがある。

難しくて壊れそう。

ため息です。

2024-04-20

雁琳に足りなかったのはさえぼーのような緻密なレトリックの使い方

アカデミック領域非正規のままだった人間との格の違いがあるのだ。

 

例として、これは明らかな誤りを含むツイート

伊藤 剛

@GoITO

そして、本件に至る過程で、原告側が裁判前に雁琳氏の職場内容証明を送り、非正規雇用で立場の弱い氏の職を(結果として)奪っているという経緯がある。これを踏まえると、たしかに雁琳氏には非はあるし、彼の主張には頷けないところもあるが、しか原告側は「勝ちすぎ」なのではないかと思える。

そしてさえぼー氏の誤りの指摘

saebou@Cristoforou

原告側が裁判前に雁琳氏の職場内容証明を送り、非正規雇用で立場の弱い氏の職を(結果として)奪っている」→職場内容証明送ってません。本人のメールボックス宛に内容証明を送ったら本人が全く気付かずスルーしていただけです。なんでこんなデマみたいなことをまだ信じて拡散しているんですか?

そう、確かに職場宛に内容証明は送ってないのだ。

職場に気付で雁林へ内容証明を送ったのちに

内容証明でない文書職場に送っているのであるツイートには書かれていない)

 

例えばの話だが、自分パートナーSNS経由で不倫をしている人間がいるとして、職場宛に問題解決を求める文章を送る人間がいたらどう思うだろうか。

職場内の関係ダメージを与える意図があると捉えられて当然じゃないだろうか。

公私で分けて私の領域でのトラブルにもかかわらず、公に宛て文書を送るというのはそういうことだ。

 

そして彼女ツイートは雁琳とのトラブル文脈を追っていない人間が読めば、

職場に書面を送り、職場関係ダメージを与える意図があると思われてしまうような行動なんかやってない印象になる。

 

やはり、SNS言論人として場数を踏んださえぼー氏は一流だ。

草津の「民衆の敵」の話のように致命的にならないギリギリ言葉選び、これが非常に上手い。

オープンレターの「歴史修正主義」が退けられたように、

政治家が致命的な失言と捉えられないような貴族言葉遣い シェイクスピアをはじめとした欧州文化から取り入れたんだろう。

 

ちょっと頭の悪いやつが同じ語気で反論すると名誉毀損になってしまう、非常にSNS巧手な人間、それがさえぼー氏だ。

2024-04-17

男性向け作品女性作家結構見るけど女性向け作品男性作家って聞かないなー

腐男子少女漫画好きを公言してる男性最近たまにいるけどね

上手くやればアイドル的な人気が出るかもだけどちょっとした失言炎上しそう

2024-04-12

仮に「ドヤコンガ=水瀬いのり」だとしたら、むしろ評価上がる

まあ、まず無いだろうが仮に

ヤコンガ=水瀬いのり

だとして、冷静に考えると大した失言などはしていない。

しろ、裏垢なのに適切な自制ができている。

まず、世間では芸能人の性加害事件だとか通訳者の7億円詐欺事件だとかが話題の中、

出てくるスキャンダルが「同年代声優悪口言ってた」レベルのものしかない。

これが裏垢ならむしろ、平均的な人間よりもずっと心が清らかだとさえ言える。

また、同年代声優悪口は言うが、先輩声優は立てるなど、人としての筋をきちんと通している。

たいてい裏垢に書くのなんか、同僚よりも上司悪口だが。

また、作品スポンサーを悪く言うこともしていない。

ふつう30歳にもなれば、たいていの深夜アニメなんて内容的に幼稚に思えてくるだろうが。

先輩声優はきちんと立てていることからも、仕事でお世話になっている人や、

クリエイターとして技術のある人にはきちんと経緯を払っている。

仮に、ドヤコンガ=水瀬いのり本人で、あれが本音だったとしても、

口が悪いだけで、仕事には誇りを持っている、平均的な人よりはずっと常識を弁えた人物

ということになる。

2024-04-09

政治家失言最後に「…ってコト!?」を付けてちいかわにする




  • 小渕の恵三さんはコロッと死んじゃった。あれを「お陀仏さん」という…ってコト!?

  • 知恵を出したところは助けるけど、出さないやつらは助けない…ってコト!?


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