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はてなキーワード: 麻痺とは

2008-09-13

http://anond.hatelabo.jp/20080913175612

いやこっちもあなたが「させろ」といってると思ってるわけじゃない。

ただ働きさせようとしてる怪物保護者がうじゃうじゃいるのは困り者だし、それに従う奴隷根性も困りもんだなということ。

ブラック企業就職した奴が上司のむちゃくちゃな指示を当たり前と思い込むような感覚麻痺と似たようなもんだろけど、そういう民間企業と違ってある程度労組の強い教員はそういうの活用して戦うべきと思うよ。

そうやって泣き寝入りするから待遇悪くなるわけで被害者ぶってばかりいないで罪悪感もてといいたいくらいだ。

2008-09-11

http://anond.hatelabo.jp/20080911052631

mixiはホント怖いね。

トラバ先とは話題かなりそれるけど第一印象が自分はだめすぎた。

ネットって今はほぼ誰でも見れるからオープンイメージついたけど

mixiは会員制とか身内からの招待受けないとダメとか

そういうのがあって外に漏れる事はないですよ!っていう先入観を強く持ってる人が多くて

あのちょっとした閉鎖的な印象が更にオフレコ的な感覚を加速させて最後には麻痺る。

マイミクには身内や更に身内の知り合い、いわゆるトモトモとかもいて

近しい人のたくさんの目がそろう前で

同意や慰めやただのコメントが欲しくて誰でも見られるところに堂々と他の人を傷つけかねない事書きまくってる。

ここで喋ってることは外の人にはひみつで><的な日記も良く見かけた。

何が外だと。あけっぴろげにしてる以上秘密も何もないと思った。

そういうことを言う事によって自分自身に暗示みたいなものをかけてるんだろうか。

だから詳しい事はmixiで。とかblog回ってて見かけると

たいていの事はネガい事や表におおっぴらに出したくないと思ってる事書いてるんだろうなあとか先入観で考えてしまう。

自分はそういうの赤の他人ネガをうっかり踏んで見てしまうのが嫌で退会した。むしろ逃げた。

わくわくして楽しい空間っぽいと思ったら人間の愛憎劇や第二の人格をお手軽に見られる空間だった。

こういうのもmixi疲れの一つに入るのかなぁー

http://anond.hatelabo.jp/20080910191721

うーん。まさにこういうときに「私は人間なんだ」と言いたくなるんだなあ、増田勉強になるなあ。

元増田配偶者のことじゃなくて、ここ増田での反応のことね。

  • どうせ爆弾抱えてたんだろ。それが爆発したんだろ。女は溜めてていきなり切れるから駄目なんだよ、普段の人間関係をもっとしっかりしておけよw
  • どうせ普段相手が疲れてるのはフォローしてないんだろ。自分が普段してることが、そっくりそのまま返ってきただけだろ。自分だけ気を遣ってもらおうってのが虫が良すぎる、女だからそうしてもらって当然ですか、ダブスタダブスタ
  • 大体女は女にしか分からない言語コミュニケーションしてるから分からないのは当たり前なんだよ、分かって欲しかったらそれなりのことをしろよwこっちに合わせないと駄目なんだよw
  • 女の思考回路は複雑だから、何を要求してんのかわかんないしな。たとえ毎日深夜帰宅、始発で帰る生活をしてても、体の疲労が問題とは限らなくて、そのさらに奥にある疲労とかストレスの吹き溜まりとかの問題かもしれないし、女の気分にぴったりのことを察して発言しないといきなり切れるかもしれないし、うっかりしたことは言えないよなw
  • 嫁が毎日深夜帰宅、始発で帰る生活だったら、気の毒なのは夫の方だろjk(だから夫を責めるな、あいこだ)
  • 男はもっと大変だ、この程度で愚痴を言うなら仕事場に出てくんな。

もっとあったが忘れた。

元増田メッセージだが、男性は男女間トラブルの話を聞くと基本男性側に感情移入するので、こういう意見ばかり集まっても、しょうがないと思うよ。あとはてなの人は、女と聞けば女の中でも最悪のパターン自動的に想定するので、書いてないことは全部悪い想像で埋められるし、書いたことも少しずつ歪めて解釈される。基本的にこういう相談をするには向いてない場所だと思う。女でもオタクだったり非モテだったり元イジメられっ子だったりすると例外的に好意的に扱われるけど、結婚してたり恋人がいたりする普通の女はとにかく大嫌いらしい。

「毎日遅くまで仕事してるは知ってるけど疲れてるとは思わなかった」

は、自分が読んだ感じでは、アスペっぽい本当に分からない人か、言い訳に聞こえる。言い訳は、とにかく責められそうな雰囲気だから、交わそうとして不可抗力であった(知らなかったんだからしょうがないじゃん的な)ことを主張してみたってとこかな。これをやる人は多いよ。結構人当たりいい人でもやる。男性女性から責められること自体に不満を持つ人が多いから、もちろん誰でも人から責められるのは気分よくないもんだけど、そういうのプラス男性が」「女性から」責められるのは特別不快に感じるってところがあって、それを避けようとして過剰防衛する傾向があるみたい。毎日喧嘩するような夫婦だと麻痺してくけど、あんまりそういうのに慣れてない人は特にそういう反応する。まあそれが分かったからどうしろって話ですが・・・・・・

2008-08-26

http://anond.hatelabo.jp/20080826170702

とりあえず「怒るほど他人に期待するのが理解できない」って態度でいるのはやめた方が良いんじゃないかなあ。

多分あなたは自分の記憶力の無さのせいで物事がうまく行く期待をしないようになってしまったんだろうけど

(忘れる→失敗が日常茶飯事になってしまって、自分が忘れた事で起こった失敗について麻痺してないかい?失敗して当たり前って思ってないか?)

忘れっぽくない人はそういう事は全くないからね。そこんとこよく肝に銘じておこうね。

2008-08-04

知らなきゃよかったよ

10年位前両親が離婚した。

その時、私が「離婚したら学校にいけなくなる?」と母親に泣きながら聞いたら、

母親は笑いながら「ちゃんと毎月お父さんが慰謝料送ってくれるから大丈夫」と言ってくれた。

年に何度か父に会う面会日もあったけど、父は仕事が忙しく海外にいっており、滅多にあうことはできなかったが、

毎回私と妹にプレゼントを贈ってきてくれていた。

たまに会った時はなんだか緊張してあんまり話はできなかったけれど、凄く優しい父だった。

…と思っていたが、私が大学卒業した頃に父が倒れ、

体に麻痺が残ってしまったと、病院から突然連絡があり、

仕方なく父を引き受け介護し続けた母は二年後に父と同じ病気で倒れそのまま死亡。

その葬式の席で父は泣きながら私と妹に教えてくれた。

実は自分は女遊びで借金までしていて、慰謝料どころか養育費も一円も送ったことはなかったこと、

面会日も滅多にいかなかったのは借金取りに追われていて、それを返済し終えてやっと会う余裕ができたが、

その間プレゼントなんて一度も送っていなかったこと、

母親が「貴方が送ったことにしてあるから話をあわせてくれ」と父に頼み、その日だけ「良い父親」を演じていたこと。

悪かった、後悔している、そう泣きながら詫びる父親がたまにチラッとこっちを試すような目でみていて、

多分こうやって告白して後悔してる自分を見せることで、これからの介護を娘に頼もうとしてるんだろうな、と判った。

2008-07-28

http://anond.hatelabo.jp/20080728133015

中の人(当方女)ですが,

理工系だったので、女性の比率は5%も切ってしまうくらいだったのですが、

そこまで魅力的でない女性に、女慣れしていない男どもが群がって

お姫様扱いをしている様子は、申し訳ないけれど、私にとっておぞましい光景でした。

一般人アキバメイドとその取り巻きに感じる拒絶感と同じものだと思う。

これが学校で、しかも毎日なんだから…苦笑

というのは見たことないんですがこれは麻痺しているからですか?都市伝説ですか?どっちですか?

外から見たら取り巻きしてるように見えるけど実際のところは「アキバメイドとその取り巻き」なんて言うものではなく単なる同級生です。そこでとりたてて紅一点だと見るから取り巻きに見えるんでは?

2008-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20080725235757

言いたいことがあれば直接言えばいいのに、何故それが出来なかったのだろうか。

あ、それはね、「言っても無駄だ」と感じているんだと思うよ。

これまでの、君たちに対する接し方からそう学んじゃったんだろう。

「でも、分からないじゃん、通用するかもしれないから言ってみるだけ言ってみれば…」って思うかもしれないけど、例えばだけど「ねえ、それはここに置かないで」と注意しても、そのたびに「え?ああごめんごめん次は気をつける(ヘラヘラ)」、そしてそれを何十回とループした後、最後に「今度こそは通じる」と思うようになると思う?極端な話じゃないよ。要はそういうことだと思うよ。

「でも言っても損はないんだから言えばいいのに」と思うかもしれないけど、損はあるよ。何十回も言ってるのに全く聞いてくれない(言うことを絶対に聞け、という「聞け」じゃなく、人の話を文字通り聞いていない、右耳から左耳へ素通りしている、何度何度同じ事を言っても、といういみだよ)、そんな状態の中、それでもと思い聞いてみて、やはり無駄だった、といった時の気持ちはもうほんと「なんなんだろ…なんで付き合ってるんだろう、私は」と無力感&絶望感に苛まされるんだよ。

そしてその怒りを、「あなたはなんど言ってもまともに聞いてくれなかったよね」と今更このタイプ人間にいったところで、このタイプ人間は、そのことについて全く自覚がないので、「え?そんなことあった?」などと最大級の地雷を踏んでしまうのは目に見えているんだよね。もうね、期待してないんよ、言われないってことは。「こいつに何を言っても、無駄だ」って思われてる。そう思われるほどになるってのは結構ね……やっちゃったんだと思うよチミ。女の最大級の怒りは、怒鳴ったり騒いだりじゃなくて、「無視」っていうでしょ。それに近いよね。メーターふっきれて、最早何の期待もしていない、こいつには何を言っても無駄、と心底感じているんだよ。そうなると怖いよー。熟年夫婦だったら離婚までカウントダウンだね!

それでこういう場合の厄介なところはさ、その「何度言っても聞いてくれない」の、その言ってる内容というか、それ自体はたいしたことがないってことが多いのね。だからそのまんま書いても、人の同情を誘いづらいんよ。何にも知らない第三者って、自分達がその渦の中にいたらちっぽけなことでも怒るくせに、第三者となると妙に大人で冷静な自分になるから、「そのくらいで怒る?」とか言い出すからね。主題は、「何度も何度も言ってるのに全く話し自体を聞いていない」というところにあるのに、その内容の方で「そのくらいで」とか言われちゃうわけよ。でそれを分かってるからそのまんまは書きたくない。といっても本人に言っても、無駄どころかこちらがダメージをくらう。ってことであることないこと書いて憂さ晴らししてるんだと思うよ。まあ事実にない事を書くのは勿論ダメだけど、「自分に言ってこなかった」ってことは相当だよ。おそらく上記のようなことがおきていたんだろうね。「そんな覚えない」って思うだろうけど、だからこそ彼女は怒っているのです。そういうタイプだから。

話が通じない、聞いてくれないのって結構こたえるんよ。段々人形に話してるような気分になってくんの。人間としての自尊心もずたずただしね。「え、こいつって私を何だと思ってんの?何なの?」って感覚麻痺してくる。でもやってる本人はこれね、気付かないやつってほんと気付かない。相手が傷ついていることにも全く気がつかない。話を聞いてくれない、といった経験がなく、ひたすら「自分が聞かないターン!」ばっかりだから、全く「聞かれていない」側の気持ちがわからんのだよね。こういう人ほど、ちょっと聞いてないだけで烈火のごとく怒り出すけどね!

2008-07-17

http://anond.hatelabo.jp/20080717022225

伝わってるか不安になりつつ。

恒常的にやってる人には関わらない方がよい。

そうせざるを得ないほど追いつめられた人で普段はそんなことはないなら割り切った方が平和かも。(割り切る=not 許す。自分が負の感情に支配されないために割り切るというイメージ

という話。

こうゆうことが周囲にふつう存在した増田感覚麻痺してるのかも。

憤る感覚の方が正常なんだろうな。

2008-07-04

幸せになりたいなら、もっているものを増やすのではなく、 欲望を減らせばいい」byセネカ

で、現在特にしたい事も欲しいものもないのだがそれは単に感覚麻痺してるだけのような気がするな。

幸せって何だ。

2008-06-21

http://anond.hatelabo.jp/20080621102450

業種・業界ごとの違いというのが大きいのだろう。

うむ、いわゆる花形業界お茶くみやっている層がヤバイ

派遣や腰掛け職のくせに花形なつもりでいるし

職場ではそれなりにちやほやされるから

感覚がおかしくなっている

後は、女子大時代に花形業界の人と付き合って金銭感覚麻痺している層とか

そう言うステレオタイプなバブリーな経験があると

何歳になってもちやほやされると勘違いしていたりする。

それと女はグループを形成して価値観を煮詰めるから

ドン引きするようなスイーツが出来上がる

俺の元カノもそれに影響されて見事なスイーツ

まぁ、おかげで俺には立派なスイーツアンテナが備わったよ、、、

2008-06-20

みーんな疎外中。

 長いので、興味ない人は1行くらいでスルーしてください。

疎外論」批判というのが一部でちょっと盛り上がっていたみたいですが。

 なぜ「疎外論」という発想が生まれたのかと言えば、それはたぶん、他人を説得する時にそういう方法しか思いつかなかったからじゃないかと思います。「本来の人間の姿」と「本来的じゃない現在人間の姿」とを対比させて、その差異を見せ付けることで「ほら、現在はこのような問題があるんだから」と問題のありかを指し示すというのは、他人に自分の意見を示す上でも非常にわかりやすくなりますし。

 じゃあ逆に、疎外論抜きで「私は社会に対してこのような問題意識を持っている」ことを指し示すとしたら、どうなるでしょうか。

「見ろ、このような社会のあり方は問題だ」

「なんで? 人間の生活はあるようにある、ただそれだけじゃん」

「なんでだよ、こんな社会のあり方は人間にとって生き難いだろうに」

「生き難いって、何と比べて言ってるのよ」

「そりゃあもちろん……いけね、“あるべき仮想的な理念像”はここでは使えないんだっけ。えーっと、それじゃあ社会の上層のあの人や中層のあの人と比べてだね」

「おいおい、そうやって万人を万人といちいち一対一マッチングさせる気か。地球シミュレータをフル回転させても無理だと思うぞ」

「いやだから、技術的な問題じゃなくて社会構築の原理的な問題をだね」

「そうやってすぐ空想的な原理原則を持ち出す、君は本当にどうしようもないほど形而上的だな」

「うがー。目の前で死にかかっているこんなに人がいるのに放っておく気か」

「その人を手当てすりゃいいじゃん」

 ……話はどこまでも噛み合わないまま終わりそうですが。

「あるべき理想的な人間像」とか「あるべき理想的な社会像」の提示(による疎外論の提唱)をどこまでも徹底的に否定していくと、実は現行の国家行政機構の役割が限りなくゼロに近づいていったりするんですな。

 例えば教育。そもそも公教育制度って、政治社会活動(経済活動を含む)に参加する上で必要最低限の知識を万人に保証するために行うものですから、教育の意義そのものが「あるべき“教育された国民像”」と「教育されていない国民像」との差分に基づいて、まさに疎外論的に「あるべき理想像国民保証する」ことにあるわけです。

 だから、指を折って数えられる以上の数字を知らなかったり漢数字以外の漢字が読めない国民がいたって、それを「あるべき“教育された国民像”から疎外された、非本来的な国民のあり方」と捉えることは出来ないのです。そもそも「“教育された人間”の本来的な姿」が棄却されているわけですから。その人については、それはそういうものとして「まあそんな人もいるよね」と受け取っておくしかありません。学力比較がしたければ、無理に一般的な学力基準を作らなくたって、めいめいが勝手に「あいつ俺より頭よさそうだなー」「奴は俺よりバカだ」とかって思っておけばいいんです。

 警察組織も必要なくなりますよね。別に治安がいいことをもって「社会の本来的なあるべき姿」とする必要は無いんですから、もし199X年に地球が核の炎に包まれた後のような暴力の時代が到来しても、またそこで弱者を救う世紀末救世主みたいなのが出現しなくても、「これは人間が生きていく本来の社会のあり方じゃない」と嘆くことは出来ないのです。それはそういうものなのですから。

 他にも、現状を維持したり向上させたりする政策を立案・実施するためには、そもそもの発想の根源に、現状がそのまま維持された延長線上に想定される未来像や現状から何らかの意味改善された未来像が、「本来そうあるべき像」として時系列未来投影されていなければなりません。もしそうしなければ、「本来あるべき未来」と、「現在」ないしは「メンテナンスを何も行わないという条件下で現在からの延長線上に出現しうる未来」との差分を検出することが、まったく不可能になってしまうからです。比較対照としての「あるべき像」が無いのに何と比較しろってのさ。

 だから、さっきの199X年に、ミスミじいさんが種モミを必死に抱え込んで「明日がー明日がー」と叫んでいるところに割り込んで、明日の収穫のためではなく今日の俺の腹の足しのために種モミを食ってしまっても、何の問題もありません。そもそも比較すべき「明日=あるべき社会像」が存在しないんですから。「明日の収穫」なんてものは、勝手に「本来あるべき社会像」を未来投影してこしらえた幻影なのです。その幻影と現在とを比較して「人間は本来的にあるべき“明日の収穫”から疎外されている」などというのは形而上学もいいとこです。厳然として存在するのは、目の前の「種モミ」だけなんですから。これがやがて稲穂の波へと弁証法的に発展していくなんてまだ見ぬ未来を夢想するのはヘーゲルマルクスの読みすぎというものです。さあ、種モミなんて食ってしまいましょう。え、将来の人間が飢えてしまう? 何言ってるんですか、将来の人間なんてここにはいないじゃないですか。いたら今すぐここに連れてきて「飢えた人の発生」を実証してくださいよ。だいたい飢えたところでせいぜい死んで人口がちょっとばかり減るだけですから、むしろ上手い具合に人口の調節が図れていいんじゃないですか。それとも何ですか、まさかあなた、年がら年中腕に止まった蚊を叩き潰したり肉を食ったりして他の生物をどんどん殺しているくせに、ホモ・サピエンスは他の生物種とは異なって神に祝福された特別な存在だから常に生き残る価値があるだなんて、今のご時世に信じていたりするんですか?

 いやー、しっかしそう考えると、なんでよど号ハイジャック犯が『あしたのジョー』を引き合いに出したのかがよく判るなー。あれってきっと、連中にとっては「擬人化された疎外論」だったんですよ。ほら、「あしたのために」とか「泪橋を逆に渡る」とか、本来性の掛け声がビシバシ響いてるじゃないですか。ジョーの本来あるべき姿って、段平オヤジにとっては「ボクシングチャンピオン」、ジョー自身にとっては「憎いあんちくしょうリング上で叩きのめしている自分」なのであって、そうじゃない現状のジョーはあるべき理想的ジョー像から「疎外」されているわけですよ。だからこそ段平はあるべき姿の「あした」を目指して、「あしたのために その1・フォイエルバッハテーゼ」「あしたのために その2・資本論」「あしたのために その3・共産党宣言」とかってのをせっせと書き綴るし、ジョーはジョーで欠かさずトレーニングして「内臓をえぐるように(カラシニコフを)撃つべし!撃つべし!」なんてやってるし。こんなふうに「あるべき姿」を必死に目指したって碌なことにならないのは、「ジョーをバンタム級リングの上でぶちのめす自分」を「あるべき自己像」に据えて、「だめだ、この体重では俺はバンタム級リングから疎外されたままだ」とばかりにむちゃくちゃな減量を行った力石徹が、自らの死をもって示しているのにねえ。

 だから、庵野監督大月Pも角川の偉い人も、エヴァンゲリオンテレビ版の最終回でさっさと終わらせておけば、「僕はここにいてもいいんだ」→「おめでとう」パチパチパチで「そのままの姿でここにいる自分の全肯定」として話がきれいに収まったんですよ。それをよしゃあいいのに、劇場版(97年の)なんか作って「あるべきコミュニケーションのあり方」に話を膨らませちゃったりするから、「あれ、本当はこんなコミュニケーションのあり方はいけないんじゃないかな? 本来のコミュニケーションのあり方ってどんなのかな? 今の僕たちは本来のコミュニケーションのあり方から疎外されてるんじゃないかな?」みたいな方向に考えを向かせる契機を作っちゃうわけで。もう「そのままの自分まるごと全肯定」でいいじゃん。マルクス先生が「宗教はアヘンだ」って言ってるってことは、マルクスが失効した時代には文化的アヘンで疎外感を麻痺させて心の安寧を得ることもOKってわけですよ。アヘン超OK、全能感超OK!(ちょっと古いか。)

 なに、そんなのはまやかしだって? おいおい、「現実」に目を見開いて「本来のあり方から疎外されたこの社会を何とかしなくっちゃ」なんて操作主義的な観点に目覚めた人がこれ以上増えたら、一億総ポルポト化ですよ。日本全国隅から隅まで「ドキッ!ポルポトだらけの粛清大会 ──(頭蓋骨ゴロリもあるよ!」になっちゃいますよー。

 ポルポト文化大革命を呼び込みたくなければ、そんな疎外論チックな発想はさっさと捨てちゃって、身の回りの小さなことに幸せを見つけていきましょう。そうすればほら、きっと水さんだってきれいな結晶を作ってあなたの心の美しさを祝福してくれますよ。おっと、非科学的だなんてツッコミは無しですよ。「科学的に正しい世界観を持った国民」というのだってやっぱり“本来的なあるべき像”なんですから、そんなものを持ち出したら途端に「君の世界観はあるべき科学世界観から“疎外”されている、再教育しなければ!」なんてことになってポルポト化ですよー。

 ……結局のところ、何かしら広義の「啓蒙」的なこと、つまり人々の精神知的要素が無知蒙昧の「闇」に閉ざされているところへ「光」をもたらそうという時系列進歩の考え方は、どうしても「光」の比較対照物として「闇」を必要とするし、また「闇」の比較対照物として「光」を必要とします。社会のよりよき状態を想定するところでは、その対照物として「よりよくない現在=闇」が、「光から疎外された状態」として持ち出されますし、現状を批判する場合には、それの比較対照物として仮定された「よりよき未来=光」が、一種のイデアとして持ち出されるわけです。「啓蒙」と「疎外」は、そういう意味でコインの裏表のように、切っても切り離せない関係にあります。

疎外論」を完全に回避しようとすれば、結局のところはよりよき方向への変化という考えを完全に捨てて、「あるべき姿など無い、世はただあるがままにある」という考えに徹するしかないのでしょう。税制改正の提言は「よりよき税制度から人々が疎外されている」という現状認識の現われだし、著作権を巡る議論は「よりよき(ry」だし、そういうのを全部回避するとしたらもう、時系列的に制度などが変化した部分については「ああそう、変わったのね、まあそんなもんでしょ」、変化しない部分については「ああそう、変わらないのね、まあそんなもんでしょ」と等閑視するくらいしか手はなくなります。スピノザあたりがそんなことを言っていたような気がしますが。ニーチェ運命愛もちょっと似てるかも。

 ……でもこれって、

「“人はあるべき姿から疎外されている”なんてことを考えて現実を直視しようとしない連中世界観は、人が本来的に持つべき物の見方から疎外されている!」

という主張にはならないのかな? それとも、「“あるべき姿”の主張がマルクスの論点に基づいていればそれは疎外論でありポルポトだが、マルクスに基づいていなければ疎外論ポルポトではない」という前提でもあるのかな。もしそうだとしたら、悪の大魔王マルクスの「悪のカリスマ」性の長命ぶりには驚くべきものがありますな。それとも、冷戦終結によって魔王バラモス(=マルクス)が死んだと思ったら、その背後で真の黒幕である大魔王ゾーマ(=真・マルクス)はしっかり生きていたという、ドラクエ3型のオチなのかしら。早乙女ジジイ

 ……この「反疎外論シリーズ、いろいろ応用がききそうだな。

 例えば、

「やい臨獣殿! “強い者が世界を統べることこそ本来の姿、その本来の姿から疎外されたこの世界を変えてやる”なんて言って人々を苦しめるなんて、このゾワゾワのポロポロ野郎!」

「なーに言ってるのよ、あんたたちこそ“本来の獣拳は正義の拳、いまはそこから疎外されている状態だから臨獣殿を倒してあるべき姿に戻す”なんて言って、力ずく正義押し通すポルポトじゃないの。文句があるなら実力であたしたちをねじ伏せてみなさい、このカクシターズ!」

とか、

「おばあちゃんが言っていた、俺は天の道を往き総てを司るってな」

「天の道という“本来あるべき道”のイデアを前提して、万人をそこから疎外された者として見下すとは、君も愚かな男だな。社会においてもっとも重要なこと、それはパーフェクトハーモニー……完全調和だ」

「そう言いながら俺をつけ狙うのも、おまえの言う中和だか調和だかのうちか」

ライダーは二人も要らない」

「一人のライダーに率いられた組織の完全調和……そこからはみ出した俺は疎外された存在ということか。おばあちゃん、いやポルポトは言っていた、そういう存在は完全調和のイデア世界には不要だとな」

貴様、俺を疎外論者に仕立て上げるつもりか……だが俺は貴様を倒す。そうしなければ、俺が俺でなくなってしまう!」

「やはり“本来の俺”か……おまえは天の道を外れた」

(去っていくザビーゼクター

「!……待ってくれザビーゼクター、戻れ、戻れ……戻れぇーーーー!」

(半年後)

「もう疎外論も物象化論もないんだよ。影山、俺と一緒に転向しよう……。天道、おまえはいいよなあ、どうせ俺なんか」

とか。

2008-06-14

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080613/1213346924

秋葉原犯人が、事件を起こしたのは彼女がいなかったから→そうだ非モテ鬱屈さを取り払うためには皆彼女を作れる社会にすればいいんだ!

ってさ、まーこのエントリ冗談なんだろーが、

こういう事言っても意味ないよね

だってそんな事したって、じゃあ具体的にさ、一体誰が、たとえばあの犯人彼女になったわけ?

あの男の彼女になりますって人、いんの?

鬱屈した非モテ彼女になりたい人っているの?いたとしても絶対、需要と供給が成り立たないレベルでしかいないでしょ。

大体本人たちも「鬱屈した非モテ彼女になります」なんて人がいたとしても、大抵「こんな女じゃ嫌だ」っつーでしょ。そんな希少な女、ぶっちゃけ美人でもないし、金も持ってないし、多分何もないよ。嫌なんしょ、それじゃ。とりあえず可愛い子じゃないと嫌なんだろ?ていうか「可愛い子」じゃないとまずかれらの目には「女」として映ってない、つまり最初から彼氏持ちだろ、って子しか「女」として映ってないから、そもそも(彼らから見た)「女」の絶対数が少ないんであって、非モテがあぶれるのは当然すぎる話なんだけどさ。

まともかく、「誰が、なってあげるんだよ、実際に。」って話だよ。

オバサンの力によって少しくらい恋愛市場活性化させたところで結局できない奴はできないだろ。恋人

余計コンプ抱くだけだろ。

それとも最後の方に書いてあるように、「え?独身?相手いない?pgr」的プレッシャー尋常じゃないほどかけまくって、女側に「恋人がいないなんて死んだも同然」くらいプレッシャーをかけまくって、「この際結婚できれば誰でもいい」という思考が麻痺した状態にさせて、ろくでもない男の相手をさせるってか?ふざけんじゃねーや。ホント気楽に言うがな、「誰が、具体的に、その男の相手をするんだよ」って話だ。ふざけるなっつーの。

非モテがあぶれてる→なんとかして彼らに彼女を作らせないと

っていう方向性の話、よくでるけどさ、具体的にお前ら、そいつらの「彼女」になる人の気持ちは考えたことあるのかと。たまったもんじゃねえっつうの。モテないからってよーし女作らせようぜ、って、一体誰がその「女」になるんだっつうの。

「違うよ、好きになってくれる奇特な人を探すんだよ」っていうんなら、最初から、「非モテはそういう奇特な人を探せ」で終わりだろって話で。

もうぶっちゃけさ、モテないのなんてしょうがないとしか言い様がないだろ。

そこんとこ誤魔化すのもうやめようや。

だって全人類があぶれることなくくっつくなんて有り得ないんだからさ。そりゃ少しはもれる奴もいるわさ。でもしゃーないだろそんなことは。どうしようもないだろ。勉強とか、スポーツとかなら、単に自分が努力すりゃいい話だが、恋愛は相手がいないと成り立たないのだからしゃーないだろ。お節介オバハンよりなにより、そういう人に対してはやはり「二次恋」が一番の特効薬なんだ。相手がいなくても一人で成り立つからな。だからもうほっといてやれ。非モテを世話してやろうやろうとすんなや。二次恋が最適なんだよ。彼らにとって。

2008-06-09

http://anond.hatelabo.jp/20080609112631

昔は、不治の病で子供を亡くした人が同じことを思ったんだろうね。

今でも、環境が劣悪な国では病で無くなる子供はたくさんいるといわれてるよね。

被害者になるリスクはいつだってゼロじゃないんだ。

現代の日本人はその感覚麻痺してるんだよね。

宝箱

眠れない夜があって

それは今の私の安息で

麻痺してしまうといつか

暗い底にいつのまにか

落ちてゆくような気がして

眠れない夜があって

雲の上を歩くような

倖せの不条理に痛む私を

慰めるには瞳を閉じて

あの時はこう言ったね あの日には笑ったよね

ひとつひとつ大切に

思い出しては夢へと紡いで

確かめるように確かめるように

やさしい毛布を手探りで

辿った指の先に

ふと触れる肌

あなた

私の宝たちを入れる

宝箱になってください

全てを包み込んで守るように

いつか大切なものたち消えていっても

変わっていっても

空になってしまっても

私は宝箱を愛したい

宝よりも宝箱は永遠に近いでしょう

そして

慈しむために生まれた魂と

私は宝箱を愛したい

そして慈しむために生まれた魂を―

ああ。最初っから相手を怒らせるような言葉遣いしといて、言いたいことが通じるわけがないんだ。

なんか、あれだ。麻痺してた。自分でも何が言いたいのか見えなくなってた。

2008-06-08

裁判員制度で幸か不幸か選ばれちゃった人に読んで欲しいなぁ

と思える文章を(再)発見したんで引用してみる

原文は非常に読み辛いので適宜改行してるよ

ちなみに原文はチャタレー事件最高裁法廷判決の真野毅意見(結論には賛成だけど過程が異なる場合に書く文)の一部

ちなみに真野毅さんの簡単な紹介は

http://ja.wikipedia.org/wiki/真野毅

 一般的にいつて、猥褻法律上の意義内容を明らかにする正確な解釈を打ち立てることは、はなはだ困難な仕事であるが、それをいかように定義を定めてみたところで、さて問題となつた具体的の描写が、その定義として解釈された事柄に該当するかどうかの第二次の判断は、裁判官に負わされた一層困難な仕事である。

 というのは、裁判官が個人としての純主観によつて判断すべきものではなくして、正常の健全社会人の良識という立場にたつ社会通念によつて客観性をもつて裁判官が判断すべきものである。純主観性でもなく、純客観性事実認定におけるがごとく)でもなく、裁判官のいわば主観客観性によつて判断さるべき事柄である。

 多数意見は、「相当多数の国民層の倫理感覚麻痺しており、真に猥褻なものを猥褻と認めないとしても裁判所は良識をそなえた健全人間の観念である社会通念の規範に従つて、社会道徳頽廃から守らなければならない。けだし法と裁判とは社会現実を必ずしも常に肯定するものではなく、病弊堕落に対して批判的態度を以て臨み、臨床医的役割を演じなければならぬのである。」といつている。これは一つの本事件に関するばかりでなく、すべての事件に通ずる裁判の使命ないし裁判官の心構えに触れている点においてすこぶる重要な意義がある。

 法律上真に猥褻と認められるものに対し、裁判猥褻なものとして処理することは当然すぎるほど当然な事柄であるが、それ以外の「社会道徳頽廃から守らなければならない」とか、「病弊堕落に対して批判的態度を以て臨み、臨床医的役割を演じなければならぬ」とかいつた物の考え方は、裁判の道としては邪道である、とわたくしは常日頃思い巡らしている。

 裁判官は、ただ法を忠実に、冷静に、公正に解釈・適用することを使命とする。これが裁判官として採るべき最も重要な本格的の態度である。憲法で、裁判官法律に拘束されるといつているのはこのことである。

 しかるに、前記のごとく道徳ないし良風美俗の守護者をもつて任ずるような妙に気負つた心組で裁判をすることになれば、本来裁判のような客観性を尊重すべき多くの場合に法以外の目的観からする個人的の偏つた独断や安易の直観により、個人差の多い純主観性ないし強度の主観性をもつて、事件を処理する結果に陥り易い弊害を伴うに至るであろう。思想道徳風俗に関連をもつ事件においてことに然りであることを痛感することがある。

 またこの邪道は、被告人基本的人権の擁護に万全の配慮をしなければならぬ刑事事件において、却つて取締の必要を強調して法を運用しようとし、時に罪刑法定主義の原則を無視ないし軽視するに至る他の邪道にも通ずることを篤と留意しなければならぬ。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/29781F7F9B5D2FA449256A850030AFC6.pdf

2008-05-22

この世界は広いよね。アメリカとかインドとかのことなんてちっとも知らないよね。

実際に見に行ってなんかいないよね。なのにわかっているような気がしてしまってるんだ。

大体のことは説明できるような気がしてしまうんだ。実際はできないよ。なんにもできない。

でも、この世界は大まかな基本さえ知っていれさえすれば、ほぼ説明し切れてしまうように思えちゃうんだ。

だからなのかな。この世はすごくつまらなく見えてしまう。すごく狭い世界に生きているはずなんだよ。

でも、この世は自分の手の内にあって、もうつまらないくだらないことばかりだけがごちゃごちゃと配置されてるだけだって思えちゃうんだ。

どうしてだろうね。なんでだろうね。こんな生き方つまらないと思うんだけど、そういう思い込みを捨てきれないんだ。

どうしてだろうね。手元にパソコンがあるから?インターネットがあるから?

「世間そのものがインターネットに丸々おさまっている」という観念があるから?

そこにはあらゆる人間のすべての考えが収まっていると考えちゃうから?

よくよく考えればインターネットなんてとこにあふれている情報はごく限られた人間がごく限られた時間で発信したものばかりのはずなんだ。

でもそれがすべてだと思えちゃう。

思い込みと自意識ばかりが膨れ上がって、バラバラの知識ばかりが頭に残って、余計な全能感とか万能感ばかりが意味なく残ってしまって、実際に自分でやってみることとか目の前のこととかをないがしろにしてしまって、あとから言語化された体験をネットで探して読んだりしてあてはめて、全部が全部言葉で片付くものだと思って生きている。

なんだかなあ。目の前にあるのはただのパソコンで、向こう側に誰かがいるわけじゃなくて、あるのはただただ過去の足跡ばかりなのに、ちっともさびしさを感じなくなってしまった自分がいるんだ。

変な言い方だけど寂しくなりたい。

よく誰かと一緒にいないで一人きりになると人恋しくなるとかいう人がいるけれど、悲しいかな、自分は全然そんなことはなくて、一人きりのほうが楽しいやら気楽やらで暇さえあれば孤独時間を過ごすほうが生きやすいのだ。

どこかが麻痺しているのかな。一人ぼっちに慣れてしまってるのかな。

それとも心のどこかで支えにしている、なってくれている人がいたりするのかな。

実のところ幸せなのに、ちっとも気が付けていないだけなのかな。

だとしたらいつかもっとつらい現状に陥ったりするのかな。そうなりたいと思うのはなぜなのかな。

頭でっかちという単語は今の自分にぴったりなのかもしれない。

ちょっとかじった知識を無意識であれ意識的にであれ自己弁護やら逃げやらに使っているように思えて、ああだめだなあと。

こんな自分はどんな精神状態に分類されるのだろうとか考えて当事者意識がすっかり失われているのも腹が立つ。みずからに。

ふと「誰に向かって書いてるんだろう、やっぱ自分か、それとも頭の中の赤の他人イメージに向かって書いてるのかしら」とか思う。

とりあえず今の自分が気持ち良ければそれでいいという思考が働いている気がしてならない。

自分で変わるしかないのか?他人が変えてくれるのか?急に変わるのか?時間をかけて変わるのか?もうこのままなのか?

いかように生きればいいのやら、ネットにも本にも情報はない。心は定まらない。

こうあるべきだと理想ばかりが俺をせきたててくる。

どうすればいいやら、誰か教えてくれとも言いたくなるが、言われたところで自分が納得できる内容でなければ結局無視するのだろう。

俺を肯定してくれる心地よい言葉だけが欲しいものなのかもしれない。どうせいというのだ。ふーむ・・・

2008-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20080514134254

いやー、俺はそれが当たり前だと思ってたんだけど、そうでもないのか。マッチョってのはこの程度なのかー。

その基準で言うと、俺の周りは俺を遥かに上回るスーパーマッチョだらけだ。スーパーサイヤ人さながらだ。感覚麻痺してるんだろうか。

2008-05-06

信頼と疑念の境目を楽しそうに綱渡りするもんじゃない

http://d.hatena.ne.jp/asami81/20080505/P2

サレ夫だから言うわけじゃないが、うちの元奥さんも妙にオレに対して自身持ってたよ。

旦那としては嫉妬している姿を見せるなんて絶対イヤじゃない?

だから昔の男友達と会うって言っても「変なことするなよ」としか言わずに送り出してやってたわけよ。

本当は「相手は下心満載で来るんだからスキ見せたらやられると思え」って言えばよかったんだろうけどね。

いやぁ、結婚て紙切れだけの違いかと思ってたけど、違うんですね。おもしろいなぁ。一見「油断してるだけじゃない?」と捉えられかねないけど、そうじゃなくてなんというか・・・旦那に対して「余裕」を感じるようになりました。

たしかに元奥さんもオレに対して「余裕」を持ってたね。

それが段々と「どこまでいったら旦那が不快に思うのか?」に麻痺していったんだろね。

最後は地雷を踏んでしまったわけだが、一番イヤだったのが旦那を試すような行動を取ったこと。

何度「俺を試すな」っていっても理解できなかったみたいだ。

d:id:asami81に言っておきたいことは焼餅を焼いてる姿を相手に悟られたくない人もいるって事。

パートナーの信頼を試すような行動は自ら進んでするもんじゃない

あと、油断してると5年後相手は離れていくよ。

2008-05-01

小泉改革を批判している人たちは今の小沢民主こそ標的にすべき

何かを悪と決めつけそれに立ち向かう自分という設定を作ることで国民感覚麻痺させて正常な判断を出来なくさせている点で両方とも悪質極まりない。

2008-04-14

一時期はあんなに「 」や神や命を感じたというのに、ここのところの心の荒れようといったら無い。

しびれて麻痺して、なにも感じなくなっている。

ときおり嘔吐感がするのが俺に残された唯一の人間へ戻る道のように感じられる。

みんな。心は潤っているか。

どこかに俺のようになってしまった人間はいないか。

先達ならばどうか俺を楽にしてほしい。その手がかりを授けて欲しい。いやこれを体験し、克服した人が存在すると言うだけで、いくぶん気が楽になる。

同胞ならきっと助け合える。

こんな助けを誰かに求められる内が救済の手の届くところではなかろうか。

こういったマイナス思考はまずいな。寝ることにしよう。

2008-04-05

http://anond.hatelabo.jp/20080405125354

挨拶ができない人間社会動物としてダメ

挨拶もできない人は最低限のコミュニケーションインターフェイスが備わっていない。

挨拶行動は犬やサルでさえする。

自分がいることを相手にしらせるための行為が挨拶だ。

どんなに心の中で思っていても相手に伝わらなければ意味がーーーない!

仕事の処理能力挨拶とは直接的には関係ない場合が多い。

だが1人ですべてをこなせる仕事というのは殆どないのが現実

なんどもいうが挨拶社会動物としての最低限のコミュニケーションスキルだ。

挨拶ができない人間仕事上のコミュニケーションスキルを持ち合わせていないと断言してもはばかりない。

挨拶仕事に必要なコミュニケーションスキルだ。

コンピューター同士のネットワークプログラムを考えてみよう。

通信中の開始もわからなければ終了もわからない。

そのコンピュータースペックがどんなに高くても、

ネットワーク全体からみればそこだけ無応答になっているといわざるを得ない。

これが許されるためには、

僕にたいしてはつねにポートをあけてまってなさい!という事前約束が必要になり、

僕がいるかいないかはpingタイムアウトするのを常に監視していなさいということになる。

つまり「私は常にいる前提で君たちは行動しなさい。」これが周りに科せられた前提条件だ。

家に引きこもっていたり特定の職場に引きこもっていたりすると、

「私は常にいると相手も思っている」という感覚になってしまうため麻痺することがある。

近しいものしかいない場合、それで機能することもあるだろう。

だが挨拶されたということはそうじゃない。

君がそこにいて「動くか」どうかは挨拶して確認されているのだ。

挨拶して返事が帰ってこなければ「壊れてる」「通信できない」と判断するだけだ。

地位がとても離れているひとは意図的に「通信できない」を振舞うことがあるが、

そうじゃない普通の地位の人間がこれをやったら周囲の判断は「壊れている」だ。

それで仕事上のコミュニケーションがとれているとは片腹痛い。

ほんとうにただのout of work。

あと、挨拶できないに昭和とか年代は関係ない。

おっさんでも年配でもでも挨拶できない人は一定率いる。

顔見て、目をあわせてこんにちは挨拶しても反応がない人だ。

挨拶がめんどくさいときもある。

さほど重要じゃない場面でとかな。

だが、壊れてる扱いされたくなければ電源引っこ抜いて終了ばかりしてないで手順ふんで終了しとけ。

2008-04-04

残念ながらその点は大昔にあずまんが批判済みだ

http://anond.hatelabo.jp/20080404214143

僕のこの文章にカチンと来たそこのあなたは間違いなくラブゾンビだ。

もしくはそのゾンビどもの歓心を買いたい人だ。

宇野常寛 wrote

言い換えれば、近代的な「主体」なるものは、なにかのメタレベルに立とうとしても必ずオブジェクトレベルに戻ってしまうような、そういう歪んだ構造をしているのだ。(中略)近代社会イデオロギーは、まさにこの歪みを利用して人々の批判精神麻痺させる。「君は僕を批判するようだけど、そのような批判が出てくることそのものが僕が正しいことを証明しているのだ」というのが、イデオローグの典型的な詐術である。その詐術の論理は、二〇世紀の前半にカフカによって見事に文学化された。

波状言論 crypto-survival noteZ 第十二回(2004年)

東浩紀 wrote

まるで宇野の出現を予期していたかのような、東浩紀の華麗な牽制球。

2008-03-28

http://anond.hatelabo.jp/20080327222317

麻痺してるねぇ。

社会になったら理不尽なことばかりだよ。って教えてあげればいいんだよ。

2008-03-27

http://anond.hatelabo.jp/20080327222739

>そうしているうちに感覚麻痺して「キモイから殺せ」になるんだろう。

…いやぁ……それはないだろ……。

というかそんなキチガイじみた状況が本当に起きれば、そのときにこそ徹底抗戦すりゃあいいじゃないか。

今からそんな非現実的な自体想定して憤慨しててもしょうがないじゃん。

自分も彼氏居ない歴=年齢な非モテだが、そこまで忌避されたことはないんだけどなあ。なんなんだろ。

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