この世界は広いよね。アメリカとかインドとかのことなんてちっとも知らないよね。
実際に見に行ってなんかいないよね。なのにわかっているような気がしてしまってるんだ。
大体のことは説明できるような気がしてしまうんだ。実際はできないよ。なんにもできない。
でも、この世界は大まかな基本さえ知っていれさえすれば、ほぼ説明し切れてしまうように思えちゃうんだ。
だからなのかな。この世はすごくつまらなく見えてしまう。すごく狭い世界に生きているはずなんだよ。
でも、この世は自分の手の内にあって、もうつまらないくだらないことばかりだけがごちゃごちゃと配置されてるだけだって思えちゃうんだ。
どうしてだろうね。なんでだろうね。こんな生き方つまらないと思うんだけど、そういう思い込みを捨てきれないんだ。
どうしてだろうね。手元にパソコンがあるから?インターネットがあるから?
「世間そのものがインターネットに丸々おさまっている」という観念があるから?
そこにはあらゆる人間のすべての考えが収まっていると考えちゃうから?
よくよく考えればインターネットなんてとこにあふれている情報はごく限られた人間がごく限られた時間で発信したものばかりのはずなんだ。
でもそれがすべてだと思えちゃう。
思い込みと自意識ばかりが膨れ上がって、バラバラの知識ばかりが頭に残って、余計な全能感とか万能感ばかりが意味なく残ってしまって、実際に自分でやってみることとか目の前のこととかをないがしろにしてしまって、あとから言語化された体験をネットで探して読んだりしてあてはめて、全部が全部言葉で片付くものだと思って生きている。
なんだかなあ。目の前にあるのはただのパソコンで、向こう側に誰かがいるわけじゃなくて、あるのはただただ過去の足跡ばかりなのに、ちっともさびしさを感じなくなってしまった自分がいるんだ。
変な言い方だけど寂しくなりたい。
よく誰かと一緒にいないで一人きりになると人恋しくなるとかいう人がいるけれど、悲しいかな、自分は全然そんなことはなくて、一人きりのほうが楽しいやら気楽やらで暇さえあれば孤独に時間を過ごすほうが生きやすいのだ。
どこかが麻痺しているのかな。一人ぼっちに慣れてしまってるのかな。
それとも心のどこかで支えにしている、なってくれている人がいたりするのかな。
実のところ幸せなのに、ちっとも気が付けていないだけなのかな。
だとしたらいつかもっとつらい現状に陥ったりするのかな。そうなりたいと思うのはなぜなのかな。
頭でっかちという単語は今の自分にぴったりなのかもしれない。
ちょっとかじった知識を無意識であれ意識的にであれ自己弁護やら逃げやらに使っているように思えて、ああだめだなあと。
こんな自分はどんな精神状態に分類されるのだろうとか考えて当事者意識がすっかり失われているのも腹が立つ。みずからに。
ふと「誰に向かって書いてるんだろう、やっぱ自分か、それとも頭の中の赤の他人のイメージに向かって書いてるのかしら」とか思う。
とりあえず今の自分が気持ち良ければそれでいいという思考が働いている気がしてならない。
自分で変わるしかないのか?他人が変えてくれるのか?急に変わるのか?時間をかけて変わるのか?もうこのままなのか?
いかように生きればいいのやら、ネットにも本にも情報はない。心は定まらない。
こうあるべきだと理想ばかりが俺をせきたててくる。
どうすればいいやら、誰か教えてくれとも言いたくなるが、言われたところで自分が納得できる内容でなければ結局無視するのだろう。
俺を肯定してくれる心地よい言葉だけが欲しいものなのかもしれない。どうせいというのだ。ふーむ・・・