はてなキーワード: 自然現象とは
これって犯罪じゃないか?
昨年11月、東京都港区のワンルームマンションで、48歳の独居男性が吐血して病死しているのが見つかった。死後約3週間。連絡を受けてその日のうちに郷里の新潟から上京した実妹は、マンションを管理する不動産会社の担当者からこう告げられた。「家賃を値引きしなければ、次の借り手がつかない。家賃の半額を10年分請求することになる」
賃料は月約14万円。請求額は合計800万円以上になった。別途、床のフローリングや壁のクロスを交換するリフォーム費用約50万円も請求するという。「とても払えない。新潟の老いた両親は首をくくるしかない」。打ちのめされた様子の実妹を見かねて、遺品整理と部屋の清掃を請け負った「あんしんネット」(東京都大田区)の担当者は「法外な額なので弁護士を入れて交渉すべきだ」と助言した。
足立区で昨年暮れ、3DKの賃貸マンションで70代の独居男性が孤独死した際には、離婚した元妻が家主から最低2年間の賃料を支払うよう求められた。
そのマンションは2人が離婚前に住んでいた場所。月額8万円、2年間で200万円近くを元妻は支払うことにした。顔見知りの家主からは「部屋は空けておくので住んでもいい」と言われたが、住む気にはなれず、空き室のままだという。
元妻の長女は「『払う必要はない』と言っても、母は『孤独死で大家さんに迷惑をかけたので』と聞かない。口約束で書面も交わしていない。2年以上払わされるのではないでしょうか」と不安な表情を見せた。
宅地建物取引業法では、家主や不動産会社は部屋を貸す際、借り手の判断に影響を与える重要事項を事前に説明することが義務づけられている。ただし、孤独死は同法上の重要事項に当たらないという。
東京都の不動産業課は「自殺は借り主に説明するよう指導しているが、孤独死については家主や不動産会社の判断。賃料減額分の請求は民事的な問題で、行政は何も言えない」。
都内の不動産会社社長は「病死は自然現象で、うちは孤独死を次の借り手に説明しないし、遺族にも請求しない。請求するところがあるのは知っているが、800万円というのは非常識だ」と話す。ただし、リフォーム費用については契約で借り手による原状回復を求めており、遺族や保証人に請求するという。
いやその赤ん坊は全く悪くないし泣くのは自然現象(生理現象)でしょ。
ただ、誰も悪くなくてもムカつくことなんて、日常よくあることじゃん。タイミングが悪かったとかで。たとえばある風景を撮ろうと構えてて懇親のタイミングでシャッター切った瞬間にノラ猫が横切ったりカラスが飛び立ったりして構図が台無しになったとかさ。ノラ猫やカラスに文句言うわけにもいかないし、そもそも自然現象だから文句言うようなもんじゃない。でも自分のムカついたという感情は消えない。だからムカついたって吐き出すところまではアリだと思う。そりゃ鉄オタ姿で赤ん坊を抱いた母親に聞こえるように言ったら相手も怖いだろうからその場では黙ってるけど、事後に姿の見えないところで愚痴るくらい見逃してくれよ。
そもそもムカついたと言う=相手が悪いと言ってるように受け取るのは、増田の勝手な解釈だと思う。自分が全く悪くない状況でも他人にムカつかれることがあり得るということは、自分は理解してるよ。タイミングが悪かったというのはその典型的な例。
と思ってる自分も
「こないだ録音しててたら????で、マジ赤ん坊殺してやろうかと思った」
これはドン引くな。
ぜんぶ自然現象で能動的なところを一切持ってないってことだよなたぶん。
それは誤読ではないかな。ということで書いてみます。
照見五蘊皆空
「(観自在菩薩が)『五つの蘊(要素)が存在する、さらに、それらの本性は空である』ということを見極めた」
五蘊とは、それぞれ「色・受・想・行・識」と名付けられた5つの要素ことです。それぞれの内訳を簡単に述べます。
さいしょの色というのは。ここでは physical なもの、カラダのことです。(例えば、「"色"欲」っていうのは「"肉"欲」ともいうように。)。そして、受・想・行・識がそれぞれ mental な、ココロのはたらきのことです。それぞれ別々のはたらきを示しているのだけれど、ここでは省きます。そして、あなたにはこのような「五蘊」が存在する、ということを認識して、そして、「それらはすべて」(=「皆」)、「常に変化し、実態とか本質といえるものはない」(=「空」)と、述べられています。
で、それを承けて。カラダ自体はあなたの所有物ではあるけどあなたそのものではないし、感情とか感覚といったココロもあなたの所有物ではあるけどあなたそのものではない。でも、おかしくないか、カラダとココロがあってそれがあなたのはずなのに、でもあなたそのものってどこにもないよね? でもカラダもココロもあってそれはあなただと。なんだか矛盾するようだけど、そういうことが書いてあるということです。
お釈迦さまのいたインドでは、それまではバラモンが「永遠に変わることのない普遍的な自我や世界の本質っていうのがあるはずだ」と考えていたのだけれど、そうではないのではないか、なぜならば……ということをこのような理屈で示した、といえばいいのかな。
たとえば鴨長明が「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず」と『方丈記』で述べているように、カラダとかココロとかから超越した永遠に変わることのない普遍的な自分の本質、ほんとうの自分なんてものはない。といえば若干理解しやすいのかもしれません。
……というのが一応の説明。さんざん書いておいてナンですがあまり信用しないでくださいね。できればしっかりした解説書にあたってほしい。
そして、ここまでで述べてきたこれを踏まえて。この部分を読んで「自我って能動的なものなの?」という問いが出てくるのは少し疑問です。ちょっと違うレイヤーの問題なのではないかな、と思います。書かれていないことを疑問に思ってもテキストからは読むことができない。
……と、こんなところでどうでしょうか。
via : http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数の物理オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない物理の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、物理のことを紹介するために
見せるべき10人を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に物理を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴うマニアックな人物は避けたい。
できれば伝記が出てる人物、少なくともブルーバックスレベルにとどめたい。
あと、いくら物理的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
物理好きが『ケプラー』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
物理知識はいわゆる「ブルーバックス」的なものを除けば、中学校程度の物理は知ってる
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりかよとも思うけれど、「アインシュタイン以前」を濃縮しきっていて、「アインシュタイン以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。知名度もあるし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
情報過多なアインシュタインの業績の数々について、特にリーマン空間上の時空の幾何学という数学的側面が強い一般相対論について、
どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな物理学者(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「物理オタとしてはニュートン力学と万有引力の法則は“常識”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のSF物理オタが持ってる時空制御やタイムトラベルへの憧憬と、一方で時間順序保護仮説を唱えるオタ的な理論物理へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもSFオタ的な
の二つをはじめとして、オタ好きのする理論を世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「モーツァルトだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
これほどの変態的天才がその後続いていないこと、これがアメリカでは軍事への貢献で大人気になったこと、
数学から経済学までのあらゆる分野に影響を残した天才ぶりはアメリカなら実写テレビドラマになって、
それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういう天才が生まれないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり物理は目に見える自然現象を説明するためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「アンリ・ナビエ」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、電磁気学にかけるマクスウェルの思いが好きだから。
(以下思いつかねえ)
今の若年層でオイラーを目指す人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
量子力学よりも前の段階で、力学現象を解析的に取り扱う哲学や位相空間の技法は彼で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの物理学者が数学者の片手間でこの時代に生まれていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく物理好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるニュートン力学でしか物理を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
(還元論的)物理の「本質」あるいは「原理」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「あらゆる基本的な物理量は保存する」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ理論物理学の最も基本的な量はハミルトニアン以外ではあり得なかったとも思う。
「複雑系を取り扱う新しい物理」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はハミルトニアン(時間並進対称性に起因する保存量)にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に対称性と保存量の美しい関係を楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう純粋数学チックな物理を元文系の天才物理学者が推進していて、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9人まではあっさり決まったんだけど10人目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にファインマンを選んだ。
アインシュタインから始まってファインマンで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、場の量子論以降の
素粒子物理時代の先駆けとなった人物でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい人物がいそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10人目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
10人は疲れるなこれ…。穴だらけだわ。そういう意味では元増田すげえな…。
僕は異性を本気で好きになったことはない。
むろん、彼女の「か」の字もない生活。
まぁよく言うが、人生とはわからないもので、
そんな僕にも唐突にやってきた。
今でも忘れないあの地震を彷彿させるように、
それは一気に僕を突き上げた。
まさにそれは自然現象。
顔は知っていたがつい最近までまったく仕事で関わりがなかったが、ひょんな事から一緒に仕事をすることになった一人の異性。
元々かわいい子であることは知っていた。より密に仕事をするようになって、細かいところから表面的なところまで魅力を感じるようになり、僕の感情はまるで乾いた土に水を施したように、彼女の行為すべてを受け入れ一瞬のうちに好きになっていた。
そうなると、乾いた土はより水を欲し、普通に仕事の会話をするだけではどうしょうもなくなるのは目に見えるほど。
気づいたら頭で考えるよりも即行動。ダメもとでなりふり構わず夕飯に誘った。
意外に、彼女は誘った事に思いのほか喜んでくれて、逆に拍子抜けしてしまったのは言うまでもない。
軽くお酒を飲みながら食事をしていると、改めて感情豊でさらに惚れ込んでいく。
時間がたつにつれて、異性の話になった。その話題は意外や意外、彼女の方から切り込んでくるとは思わなかった。
彼女かいるかどうか、好きなタイプはなどなど結構な詳細まで聞かれ、もしかするともしかと、期待に旨膨らみ何も考えずに同じようなことを聞いてみた。
「今までどんな告白のされかたした?」
そして彼女は、微笑みながら照れくさそうにこう答えた。
「最近の事?」
この一言で察した。目の前がゆがむとはこの事だったか。むしろいい経験をした。遅かれ早かれわかることだ。
その後は、何事もなかったかのように装い会話を続けた。
運転手と二人になった僕の目には一粒の涙がこぼれ落ちた。
悲しいという感情なのか、それとも人を初めて好きになったことへの喜びなのか家に着いた今ではわからない。
ただ、そんな僕に残ったのは、むなしさやせつなさではなく、こんなにもドキドキしてワクワクすることになるなら、もっと色んな人を好きになってみようという気持ち。
追記:
もう一つ残った物があった。
それは。。。
ハイテンションで、食事に誘う瞬間から決まった時の喜びのメールを何通も実況さながら友達に送っていたということ。
まぁ、明日は楽しくビールでも飲もうじゃないか友よ。
http://anond.hatelabo.jp/20080529222721
期待を全くしない状態を考えてみるといいのではないですか。それは他人をそこらの石ころや自然現象のように見るってことですよたぶん。言い換えれば、相手を人間扱いしないってことです。極論なので考えがまとまりませんが、最大級の侮辱にもなりかねません。
だから、期待することは相手を人間扱いしていることじゃないですかね。
しかし、
期待というのは、時には(いや、「常に」であろうか)常識の色眼鏡として機能し、知らず知らずにこちらの当たり前を押しつけることにもなりますよね。「こう振る舞うのを期待していたのに、普通はこう振る舞うものなのに何でそう振る舞わないんだ」と言いたくなるときがありますが、それが文化的な常識の相違の現れの場合があります。この場合の期待は、それまでに顕在的自覚的に抱いていたものというより、日常で違和感や不快感を抱いた時にはじめて自分の中にそのような期待(予期)が合ったのだと気付く類のものですね。
思うに期待は以上のような矛盾をはらんでいるのではないでしょうか。
期待という単語の意味合いを曖昧にしたままですが、基本的に相手には期待して良いと思います。この流れで言えば、むしろ期待すべきです。柔軟な姿勢を持ちながら。
修士課程まで理論物理をやってたんですよ。つってもまぁ素粒子とかじゃなくて物性理論。
中学校くらいから物理が好きで、研究者になることを疑ったことなどなく大学まで来た。
大学でも成績良かったんだけど、例によって現実は恐ろしくシビアで、悩んだ挙句俺は流行りの金融に就職した。
金融っつってもセールスとかじゃなくて投資銀行関連のある専門職だ。
正直、M2の頃は調子こいてた。
しかし働いてみるとこれがつまんねーのな。どうしても楽しくない。
皆いい加減なことばかり言って手数料掠め取ることしか考えてないように見えた。
しかもそれを疑問にも思っていないように見えたんだ。
財務諸表が読めるようになっても、証券市場が多少わかるようになっても、新人の中でも出来がイイとか褒められても、
エリートとか高給とか言って周りから羨まれても、女の子からチヤホヤされるようになっても、ちっとも楽しくないんだ。
自然現象を単純かつ美しい数学的モデルで表現すること、それが真理を確信できるほどの深遠さを持っていること。
それを突き詰めること。
それに比べれば、丸の内で風を切ってる金融マンはハッタリの知性で飾り立てているだけに見えた。
だから転職活動をして、ある大手メーカーから内定を貰った。研究開発職だ。
でも研究所ではなかった。そりゃ優秀な博士卒がうじゃうじゃしてる世界で俺みたいな意味不明な男がいきなり研究所に入れるわけはないよな。
ここから始めるしか無いかと思った。
でも本当のことを言うと、俺はわかってるんだ。
真理を追い求めるのが好きで、モノ作りにはそれほど興味が無いこと。
大企業に適応できるタイプじゃないこと。もっと言えば、ビジネス社会に適応できないこと。
博士課程に行くか、研究重視型の中小企業に行った方が精神的には幸せになれそうだと思う。
でも俺、新卒時ならまだしも今はスキル無いし、今から博士に行ったら出る頃には30目前になっちゃうよ。
金持ちにはならなくていいけど、人並みの家庭も欲しいよ。
それってそんなに贅沢な望みなのか?
長男だし、下に3人も兄弟がいる。そのうち一人は知的障害持ちだ。親もぼちぼち歳だ。
好きなことをして生きていけるわけがない、なんてカビの生えた言葉が最も現実的だ。
ああでも研究したいなぁ。誰も知らない何かを見つけ出したい。別に理論物理じゃなくてもいい。
能力が足りないのはわかってるけど、努力しても無理ってことは理解できないんだ。
どうしたらいいのかわからず、中小企業に応募してる。
文系就職を考えている理系のみんな。自分が何を好きかよく考えて欲しい。
ガチな理系にとって文系職はつまらないよ。「どうせ理系出身者なんていらねぇんだよ」は
何もSIだけじゃない。金融にも、コンサルにも、文系職種一般に当てはまる話だよ。
自分を見誤って会社選び間違えると悲惨だよ。俺みたいに。
自然科学に関する仮説は対象が自然現象なので実験や観測による証明が必要になる。
数学は公理から出発して演繹的に体系を構築するが、説明しているのは数学的なことだけ。
だから数学的な証明だけでよい。
まじめに話し合おうとしているのか、中2病の大学生が二日酔を慰めようとしているのかによって対応は違うから。なんにせよ、元増田がゲーデルを知らないことはよく分かった。以下読み物。
数学の歴史は長いが、ユークリッドやピタゴラス以降、恐ろしく長い空白があった。その後、ニュートン、ライプニッツあたりから突如急角度の上昇が始まる。この後、オイラー、ガウスといった大天才がヨーロッパに続けざまに現れて17世紀から19世紀くらいまでは数学の黄金期と言って良い。こんな急激な進歩があったのは、数学、物理学、工学がかみ合って足並みをそろえて進歩を始めたことに原因がある。当初、数学は本当に純粋学問だったが、微分積分が物体の運動を予言できることからにわかに風向きが変わり始めた。
「反証可能性」「未知の事象の予測」「知られている事象との一致」といった厳しい原則に基づく科学的アプローチは天動説に反する観測的事実が蓄積し始めたことに端を発するといってよい。太陽を中心とする円形軌道に地球を諸惑星を置いたコペルニクスのモデルは、当時の精密化した天動説と大差ない誤差を持っていたが、太陽を焦点とする楕円軌道を提唱したケプラーは、きわめて精密に観測結果に一致した。
その後、ニュートンが現れ、ケプラーの法則を万有引力の法則と微積分で説明することに成功した。
このように近代数学と近代科学は足並みをそろえて歩き始めたのだが、この二つには大きな差がある。自然科学(いわゆる科学)は自然の事物を理解するための仮説の集合であるのに対して、数学とは最初に提示された公理とその操作方法に基づく演繹された知識の体系であるということ。つまり、数学は自然に根ざしていない。これは強調してもしすぎることはない点で、しばしば数学者はこの数学の自立性を以って自然科学を見下すことがある。
数学は公理とその操作からなる演繹的な体系と書いたが、もちろんはじめはそうではなかった。最初はものの数を数えるところから始まり、距離を測り、面積を測り、重さを量り、時間を計るためのツールだった。つまり自然に根ざしていた。が、19世紀後半に精密化が進んだ後、いったん数学は崩壊の危機に面した。それを救うために公理系を整理し、再出発して網羅的に数学の完全性、無矛盾性を証明しようとする動きがあらわれた。だが、最後にはゲーデルが現れ、完全且つ無矛盾な公理系はないと証明して、公理主義者たちをがっかりさせた。
数学は出発点こそ自然科学に密着していたが、今では(失敗したものの)公理に基づく独立した体系と考えて良い。そうしたところで、数学の出す答えが変わるわけではない。が、じっくりと考えたときに、自然現象がこうもうまく数学に従うという点については少し気味の悪さを感じざるを得ない。たとえば、速度を積分すると距離を算出できるというのは、科学的な仮説である。この仮説は徹底的に検証されているので安心して利用できる。だが、速度ときょりという自然現象がなぜ数学的概念である微分積分にこうも厳密に従うのか。突き詰めて考えると、それは時空間の線形性、時普遍性に支えられているが、それ自身がなぜそうなのか、誰にも分からない。
微分積分というのは公理から出発して導き出された数学の体系のひとつである。それ自身は自然科学的アプローチで反証する必要ない。なぜなら、数学の証明は自然科学の実験による「証明」とはまったく異質の厳密な証明だからだ。一方、自然科学の実験による「証明」は確からしさを積み上げることでしかない。
確かに、考える力を鍛えることは必要。
でも大前提として、その考える力を下支えするだけの知識が必要であることを忘れている気がする。
記憶力って大事だと思うんだ。
システマチックに言うと、
(2)次にプロセス(処理)があって
(3)そしてアウトプット(出力)があって
ということになるわけで、そのインプットをすっ飛ばしてプロセスを追い求めても意味ないじゃん、と考えるわけ。
あまつさえ、短絡的にアウトカムだけを求めるのはおかしな話だよね。
しかし、基礎的な情報の蓄積がない子供にプロセスを求めても、それは無理という話。
本を読ませて、計算させて、漢字を書き取らせて、音読させて。
最初は学ぶことを強いて、強制して、詰め込んで。(=勉強)
いろんな情報を収集して、そしてそこから何を導き出すか。
それこそが「学問」じゃないのかな、と思うのです。
学問のためには必ず勉強(情報収集)という仮定を経ないと成立しないんじゃないか、と。
詰め込みといわれようがなんだろうが、その基礎的な内容、インプットの質と量が逆に様々なプロセスを呼び起こす場合もあるわけ。
そこを、プロセスありきのインプットで語ってしまうからおかしなことになる。
確かに、考える力は大事。
でも、そういう机上の空論を繰り返すエライ人たちは忘れてると思うの。
沢山の知識、前提、バックグラウンド、歴史、、、そういった背景が彼らにあって、それが今に息づいているということを。
九九や歴史や漢字や自然現象や、そういった雑多な知識から学んだ様々なことがあっての今の思考体系だということを。
『y=(??b±√b^2-4ac)/2a』
という因数分解の公式が直接役に立つことはほとんどないけど、そこに至る過程で思考方法を学び、それが肥やしとなって生きてくる。
「生かせるようになったときに生きてくるような情報を与えておく」
それが幼少教育なんじゃないかな。
だから、強制し過ぎない範囲で詰め込んであげるのは、必要なんじゃないか、って思う。
まだ上手く考えがまとまってないけど。
今の僕はそう思っている。
・・・そう思いません?
またこの人かよwwwwwwwww
地球温暖化で何か問題でも?
海面が上昇したり、想像を超えた気候変動が発生すること。
海面が上昇すると、東京の面積が半分以上減る可能性があります。
従って、温暖化は人間にとっては未知の天災を引き起こす要因であり、
制御することが相当難しい自然現象を引き起こしうるポテンシャルを与えることになります。
さて、この人は上記の地球温暖化の問題点くらいは把握してると思うのですが、
「地球温暖化の原因は二酸化炭素の排出」と学生さんたちはすらすら言うけれど、温暖化と二酸化炭素のあいだの因果関係はまだ科学的には証明されていない。
文系の文章力はこの程度なんでしょうか?
理系にしてみれば、科学的な証明ってなんですか?と、笑止千万な指摘です。
じゃあ、反証してみろよってことですね。
だから、私は温暖化には類的な立場からはそれほど怯えることもないのではないかと思っている。
「だから」???????????????????????
なんか理由が説明されてたんですか?????????????
文系の文章力はすごいですね。
だから、あまり政府の人々のしかめっ面を真に受けない方がいいと思う。
最後にとても痛い事実がわかります。
この人は、「温暖化対策が成功しすぎて寒冷化する」ということがリアルに起きると考えているみたいです。
これは釣りだと信じたいです。
おまけ
気象というのはきわめて複雑な現象である。
はいそうです。
「バタフライ効果」という言葉で知られているように、北京で蝶がはばたきをしたことによる大気圧の変化が、カリフォルニアに暴風をもたらすことがある。
この人、本気にしちゃったの???
ちょwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
どこをどうすれば似てるなんて言えるんだよwww
もう、この人、ネタ師だよ、絶対。
やばいねwwww
そもそも僕は、人間に理解しがたい現象やそれに関係してるであろうものを総括して「神」と定義してる、みたいな感じで納得してたんです。
でもこの間ミワアキヒロが「全て神のプログラムだ」的な事を言ってたのを見て、あれぇ?と思ってしまいまして。
僕が納得してた「神」は「自然現象」に近いもので、プログラムが行えるようなもんじゃない。
不毛な議論ってのはわかってるんですが、なんか自信満々に言われると考えてしまったんですな。
まあミワアキヒロに限らず、そう考えてる人は沢山居るんでしょう。たぶん。
で、そういう人たちは神をどう定義してるんだろう、と。
回りまわって、その人たちの中では「神が神と認識できた理由」はどうなってるんだろうか、と。
祈りとは、特別な事で無くてもう状況が八方塞がりで最悪どうしようもなくなった時に、本能的に自然な衝動として人間がとる行動なんだと思う。
そこから宗教も生まれた。
科学が発達する前の大昔なら自然災害に対して人間がなす術も無くただ翻弄されるだけだったから、自然現象への畏敬の念から原始的な自然崇拝が生まれた。
また、生きる苦しさ、老いる苦しさ、病の苦しさ、死ぬ苦しさ、ありとあらゆる人間が感じる苦しみをいかにして取り除くか。
それから、ちょっと気になるのは、増田さんたちの言う神はキリスト教的な神の事のように感じる。
私は神は信じないが、人間の内面に内在する仏は信じている。
発言主旨とは関係ない枝葉の話だけど。
http://anond.hatelabo.jp/20070321163010
人はなにかを信じなければ生きていけません。
多くの場合、自分自身を信じて生きています。
ただ、時に自分自身すら信じられなくなる時があるのです。
びっくりした。自分自身を信じるのが一番難しいと思ってた。みんなそうなんだと思ってた。違ったのか。
自分にとって、信じられるものは何だろう。
どうやら、一定の入力をしたときの応答が決まっている(予測出来る)ものほど「信じられる」と考えているみたい。自然現象は割とそう。人間も、一人一人は当て嵌まらなくても集団になるとそういう性質になる(たまに集団になったゆえの暴走みたいな例もあるけど)。個人は、いまだに分からない。こちらが良かれとやったことが裏目に出ちゃったりして、分かった気になるなと自分に言い聞かせる日々。自分自身は、これはもうさっぱり分からないや。色んなことを同時に考える。矛盾する考えが平気で同居していたりして支離滅裂だ。身も蓋もなくあけすけで単純なのに、複雑で屈折していて手の付けようがなかったりする。
でも、分かることと信じることって関係あるのかな。信じるの大前提として「分かる」が必要だと思ってるんだよね、上の文章読み返してみたら。でも、宗教が大きな影響力を持った時代はそうじゃなかったろう。むしろ、分からないからこそ信じることが必要だったんじゃないか。
でもあれだね、上の順番て、期待度の逆なのかも。自然や社会にはあんま期待してなくて、親しい人なんかには期待してる分ギャップが大きくなるのかな。親しい人より知らない人の集団の方が信じられるなんて直感的にはヘンなんだけど。ま、その他にもいろいろ。身近なものほどよく見えて細かなところまで分かるから信じられない要素を見つけやすくなっているとか。その辺の必然というか。
地球温暖化の対費用効果なんて予測できないでしょ。
だから優先順位なんて真面目に出せるわけないんだよ。なに騙されてんの?
>>経済予測が外れやすいから温暖化を論じられないとはいえないのでは?
だから平気で予測も出来ない対費用効果なんて出して考える。
自分の感性で感じていくしか生き残る道はないんだよ。そうやって人間は生き延びてきたんだ。
わかったようなことを言うがなんにもわかっちゃいない経済人に気をつけろ。ミスリードするぞ。
>>効果なんかなくてもいいからやれというのは暴論でしょ。
わからないからやらないじゃ駄目なのはわかってんだから、いま現実に出来る範囲で抑える手だてを打っておくにこしたことはないでしょうね。