はてなキーワード: 社会生活とは
私は人を好きになったことがありません
私の感情においては負の感情が支配的で
肯定的な感情の発露はありません
心のまわりに厚い厚い城壁を築いて
いつしか心の領域は狭く狭くなってしまいました
灰色の堅固な壁がにこやかに社会生活を過ごし
黒い水のような負の感情が壁の隙間からぽたりぽたりとしみ出しています
私は心を広げるすべがわからず
内壁ばかりを塗り固めています
もしあのとき
私が10歳だったあのとき
あなたがさしのべた手を
好意だと理解して手を取っていたら
私はこうなっていなかったのでしょうか
いつものように私を害する手だと
いつものように私をからかう手だと
誤解してはねつけてさえいなければ
もうすぐ私は
もうすぐ私は
増やした壁に潰されて
心をなくしてしまうでしょう
あのとき私が拒絶したあなたが
今私のようになっていたら
あなたにつけた傷が
取り返しの付かないことになっていたら
それだけが心残りです
とげのように残ったその思いが
私の最後の感情でしょう
大変申し訳ありませんでした
好意だと気づけなかったのです
好きになったことのない私は
好かれたことがわからなかったのです
今どこにいるか行方の知れない、隣の席で学んでいたあなたへ。
1 個人情報を一切記載していない、何か問題がおきても自分の社会生活に火の粉が降りかかってこないアカウントを作る
2 適当に議論が盛り上がっている話題を探す(例「トリアージ」「非モテ」「ニコニコ動画」)
3 議論をちょっと見守ったあとで、その話題に対する体を張った過激なエントリを書く(例「ホームレスなんか死んでいいよ」「新宿駅で待ってるからホームレス同然の俺を殴りに来い」)
4 炎上ムードが高まってきたら、ブクマコメとコメント欄をめいっぱい使って大暴れ
このサイクルをしばらく繰り返すとあら不思議。あなたも平均30ブクマ以上集められる、中堅はてなーの仲間入り。
しかしブログ更新の息切れにはご注意くださいまし。話題はループしても問題ありませんから続けることが肝心。ネタがループしても、49日もすれば村民の皆さんは以前の積み重ねを忘れてくださいます。はてな村はあなたが思うよりも広大ですから、以前は話題が届いていなかった住民の方がブクマしてくださる場合もございますし。
ちなみに、実名を出しつつこれをやると、ブクマ数90以上が狙えます。一躍アルファブロガーの仲間入りです。ただし、社会的信用や、下手を打つと身の安全まで大きく損なう恐れのある諸刃の剣なのでご注意を。深刻なトラウマをはじめとする実害が発生してからでは手遅れです。
できるものならば、こうしたはてなの村社会っぽさに寄りかかることなく、自分の専門・関心領域についての実直なエントリで、自然とホッテントリ入りを果たして欲しいものです。さらにいえば、これを読んだあなた様が悔い改められ、はてなー活動においてホッテントリ入りを目的としないようになっていただければなお良しです。ブログサービスが安易な承認ツールと化すことはもはや不可避の流れであるとはいえ、消してインターネットの未来のために良い流れではないのですから。
刑務所 さらりいまん
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始業時間 7時50分 8時30分??9時
終業時間 16時30分 21時??24時
食事時間 40分 10分未満
昼食 食う 食えない日がある
夕食 食う 食えない日がある
残業 全くない ない日がない
休憩 午前午後それぞれ15分 上司次第
土日祝 確実に休み 出勤する日もある
私生活 僅かな制限がある ない
ストレス 罪と向き合うだけ 死ぬ場合がある
競争 無し 負ければ底辺
年数 刑罰に応じる 自動的に40年
引退後 悠々自適な社会生活 死期が間近
症候群という表現は、アスペルガーの人は障害者(異常)で、その他の者は定型発達者(正常)というように感じる。しかし、特徴の見かたを変えると、客観的で、事実を正確に理解して表現することに長けているともいえる。以下に挙げられている「言葉を額面どおりに受け取る」や「些細なことにこだわる」という特徴も「厳正に規則を守る」と言い換えることもできる。例えば、パソコンのように順序だったものや規則的なものに興味を持てば、才能を開花させることも可能である。また「行間を読むことが苦手」というのは、行間を読まないコミュニケーション方法ということである。それは「行間を読むコミュニケーション(アスペルガー以外の多数派)」に対しての「少数派の方法」という関係である。
つまり、少数派であるために、多数派の人と自由にコミュニケーションが取れない、或いはコミュニケーション方法の違いを理解されないという問題が、社会生活での障壁となりやすい。
普段気にしていない人間にとって、そういう差別とかコンプレックスとかってあるんだなあと。
リアルの職場でこんな話ばかりされたら引くっていうか、やな感じなんですが。
大体こういう話題って極端な結論に導くよね。
学歴が無いor叩き上げで地位を確保したひとは「学歴関係ない」
学歴があって旧帝大(こういう言葉使うのも学歴コンプだね)とかでてるひとは「社会がおかしい」て片付けたり
なんだかかみ合ってないなあ。
頭がいいっていうのは、他者を理解する能力ってことじゃないのかな。
社会生活において、学歴は評価基準になるけど、万能でないし、最近の日本においてはそれほど重みのある価値観じゃないよ。
今はそういう状況だけど、将来再び重視されるかもしれないし、ろくすっぽ見向きもされなくなるかもしれない。
価値観なんてそのときそのとき、時代に合わせて変わっていくものなんだから、あわせていかなきゃ上手に生きられないでしょ。
痛いなあ・・・はてなのひとってこういう人たちが多いの?それとも世間一般でもそう?
そういえば昔からこれ、不思議だったんだけど、男と実際に付き合うようになる前はこういう風に思ってた。でも付き合い出したら違ったんだよね。自分と縁のある人は、性欲が薄いというか、ヤりたがらない人が多い。そういう素振りも全く見せない。「好き過ぎてエッチ出来ません」「そういう(エッチ出来ないと言う)男の気持ちは分からないだろ」と言う。1人ならそういう人もいるよねーで済ませるんだけど、あるいは思春期とかなら若いときってそういう感覚あるかもねで済ませるんだけど、なんというか、みんなそう言い出すタイプなんだよねえ。自分は普通にエッチもしたい下世話な女だから、これ言われると覚めてしまうんだけど。つーか相手の中で自分が勝手に神格化されているようで居心地が悪い。騙すつもりじゃないけど騙してる気分になる。すいませんがあなたが求めてるのはわたしじゃありませんよね、と言って別れたくなる。ホントはもっとドス黒い欲望もあって、こういうこと言う奴の目の前で体目当ての男とヤって見せ付けてやったらどんな顔するかなと思う。そんなことしたら自分の社会生活が危うくなるのでやらないだけだ。
引用先の増田も一種のステロタイプ芸で、みんながみんなそうじゃないんだろうけど、それにしても正反対の事例に当たることが多いのはなんでだろう。そういう男は意外と多い(多数派ではないが、0.01%以下でもなくて数割程度いる、という意味での「意外と多い」)のか、それとも特殊事例にばかり当たっているのだろうか。特殊事例だとすると、特殊事例ばかり引き寄せてしまうのは本人に原因があるらしいので、わたしが付き合う男をそうしてしまうのだろうか。それってヤバイじゃん、去勢する女?……It's new! 新しいけど、嬉しくない。お前には性欲が喚起されない、そっちは他所で解消するから?……いやそんな面倒くさいことしないだろう普通に切るだろ。そういうこと言うと喜ぶと思われてる(落とすための方便)?……そんな少女趣味な人間だと思われてるとしたら痛過ぎる、いい年して恥ずかしい。しかも逆効果だしそれ。
とにかく、わたしはこういう青臭くて不健康な発想って嫌いなんだよねー。次は絶対こういうタイプを引かないようにしようと思うんだけど、なぜか毎回当たっちゃう。会ったその日に寝た男以外とは付き合わないルールでも導入しようと思う今日この頃。
# 単にアプローチしてないだけ。常識的にはいい男でも、女性から積極的に言い寄られるほどではない。適齢期までの男女関係は、どうしても女子側へ需要が偏るから、普通にいい男ってだけじゃなくて、よっぽどいい男でないと「待ち」の戦略は成立しない。お見合いで「こんないい人がどうして今まで」と発掘されるタイプ。
# 男女関係の機敏に鈍い。又は、自信が無くてチャンスにのれない。意外と、社会生活で完璧に見える人がこれに当て嵌まったりする。
最近の非モテ議論で、こういうのは大きな非モテ要因であることが指摘されている。
モテ側は「恋愛のためには数をこなせ」とか「要は、勇気が(ry」とこの手の非モテを批判する。
一方、非モテがこうしたモテ的・積極的アプローチを、女性を性欲処理や「彼女のいる男」というステータスのための道具と
みなしていると反論するという構図。
凄い気もきくし、責任感もある。人の話も頭ごなしに否定しないで一通り聞いた上で、論理的に反応を返してくれる。別に他の女の友人とも普通に話せる。
ここだけ聞くと充分いい男だと思う。ただし、放っておいても言い寄られる色気のあるタイプではなく「欠点が無い」タイプなのかとも思う。縁が無い理由として、いくつか考えられる。
2や3のタイプは、枠組みを作ってあげるとうまく行くことが多いので、(本人が嫌がってなければ)友人を紹介したりするお節介増田です。
こないだ久しぶりにめちゃいけを見た。
ここの構成作家は天才なんじゃないかとおもった。
芸能人相手にドッキリを仕掛けるのだ。
しかもただのドッキリではない。ドッキリの前に事故に見せかけてカメラをばらすのだ。
カメラを確認したうえで芸能人は打ち合わせなしでばればれのドッキリに対して演じている。
求められずとも応じてしまう。
これが芸能人なのだ。
つまり
1.当人にマジで(社会生活に支障を来すレベルで)読解能力が無い。
2.番組側による演出。
ではなく「芸能人自身による演出」、演出は売り込みと訳してもらってもかまわない。
国民には3つの義務があるとされる。
子供に教育を受けさせる義務、労働する義務、税を納める義務の3つだ。
なぜこのように3つに分類されるのかはよくわからないけど、前者2つは義務であると同時に権利とも言い換えることができる。
しかし、税を納める権利、とはなかなか言わない。
では、ひとが税を納める義務に対応する権利とでもいうべきものはどのように表されるのだろう。
それはおそらく、公民権というものだと思う。これは辞書的な意味での選挙権や被選挙権といった参政権の他に、広い意味では警察や病院、道路や学校など社会生活上の公的サービスを享受する権利というものも含むとここでは考える。
これらの幅広い公的サービスというのは、市場原理に基づいた経済活動ではなかなか満たされないニーズだとされる。みんなにとって大事だけど、儲からないと。だから政府のような公的部門がみんなを代表して、税というかたちで財源を徴収して、一括的に公平なサービスを行う、とされる。
だから、ここで“納税義務と公民権”というかたちでフェアな対応関係が存在することになるし、その執行する主体である政府は、納税者に対してできるだけフェアになるように行政活動を行わなければならない、ということにもなる。(もうひとつ、税制にはお金持ちと貧乏なひとの資源の再配分という効果もあるのだけど、ここではさておき。)
これが一般的な民間のサービスだったら、コストとパフォーマンスの対価的関係がわかりやすい。払った分が、当然、商品やサービスという形で還元される。しかし、行政活動はなかなかそれが見えにくい。(そもそも行政法的思考からすると、税には公共サービスとの対価的関係は存在しない、という考え方もあるが、それはさておき。)
政府がお金を無駄遣いして、納税された分に対して十分な公民権をペイしてくれないかもしれない。とすると、この納税義務と公民権のフェアな関係の正当性はどうやって担保されるのだろう。
これは、三権分立のチェックアンドバランスの考え方からすれば、行政権に歯止めをかけていくのは、立法権や司法権である。一般の人は司法権にほとんどタッチできないから、やはり行政活動に対するメジャーな歯止めの手段としては立法権、つまり参政権の行使というのが一番身近なものだと思う。
というか、逆に言えば一般的には選挙での一票でしか行政に対する自らの意思表明を行えないのです。
ここが今回の考慮すべきところだと思うのです。
つまり、この国で普通に生活するだけで、所得税や固定資産税、消費税やガソリン税といった様々な納税行為が強制的に課されるにも関わらず、それに対する異議表明は、例えばデモやオンブズマンによるチェックなどもありますが、究極的に実効性があるのは選挙での一票という、非常に限られたものである点です。
あまりに当然と言ってしまえばそれまでなのですが、僕には納税義務という大きな負担と、その見返りたる参政権、異議表明のための権利の小ささがバランスとして釣り合わないような気がするんです。
ちょっとうがった見方をすれば、民主的選挙という装置が存在しているがゆえに、その納税義務がいつのまにか、いつも正統化されていまっているのです。「お前たちが決めた政治家の判断だ。文句あるまい。」と。
ただ、逆に今以上に一般のひとたちに税の使い道を決める裁量権を与えるから自分たちで決めてください、というようなシステムになったとき、はてどうしたものかと、もっと困ったりしそうだな、と思ったりもします。
つまり、国民は税さえ払っていればあまり細かいことを気にせずに・タッチせずに自動的に安全、安心を得られる、というのも行政のひとつのメリットでもあると思うんです。
このように、納税義務とそれに対する異議表明手段のアンバランスさというのは不条理に僕は思うわけですが、かといって税の使途を細かく裁定するような手間や専門複雑性の問題から、その裁量権の行政府への大まかな負託というのもまた、あまり軽視していいものでもなく、これがまた問題を難しくしているのだと思います。
いや、単純にさ、人に会うのが怖い俺みたいな人間はどうすればいいんだろうね、って言う話。
ものすごく、とんでもなく人と会って話するのが苦手なんだよね。磁力で反発しあう関係とかあるじゃないですか?あれに極めて近い感じの状態なんですよね。ほんとのところ。対人恐怖症というわけでもないし、警戒心丸出しで話しているわけじゃない。会話が詰まると脂汗が出る、までは行かないけど、頻繁につまるし、それで気まずい感じを味わうことは多い。気の利いた一言でも言えたらいいんだけどって思うけど、面白い話題を用意してるわけじゃない。というか、そんな話題持ってたら苦労しないよね。大体さ、話してて、絶対つまんなく思われる事が事前に分かってるのに、誰かに会いに行きたいとは思わないよね?だから人に会わない。その前提たる、会う人がいないけどね。まったくもって喜劇だよ。
毎日家に帰る、というより、家に逃げる感覚。そういえば、ここ10年近く10分以上の会話をしてない。保って10分。というか1分が限界。仕事上必要なコミュニケーションは取れる。でもそれ以上を求められると本当に困ってしまう。精々話の腰を折らないように聞く事につとめるくらい。でもそれも気の利かない相槌程度しか打てないから、すぐ途切れちゃうんだよね。そういう事ばかりだから、最初は話かけられても、次第には空気扱いがいいところ。本当につまらない人間だから。読み返すと余計惨めに見えるな。
別に他人が悪魔に見えるわけじゃないし、実際話してみるといい人ばかりなんだけど、第一致命的とも言えるのが、名前を覚えるのが本当に苦手で。今の職場のまわりの人の名前も2ヶ月かけて、メモとか駆使してようやく覚えた位。分からない事を尋ねる時とか本当に苦労するから、それこそ必死になって覚えたけど、プライベートだとそんなことは無く。隣人に名前覚えられてるけど、全員名前知らないとかザラで、学生時代の同級生で名前覚えているやつなんて片手で足りるほどしかいない。元々ひきこもりだったと言うのもある。それでいてこの性格。これでもなんとかなるとか言う奴がいたら、俺は真っ先に、詐欺師か、危ない宗教か、マルチを疑うね。
辛うじてなんとか今社会生活営んでるけど、何というか、周りの人間がレベル50位なのに、俺だけレベル3みたいな感じで、もはや絶望とか通して呆れ果てる。こっちだけ飛車角落としてプロ棋士相手に挑んでいるような状態で、学生時代なんてあってなかったようなものだし経験の差っていうのは天地ほどの差がある。ネットなら何とかなるかもしれないって思ってtwitterにも登録して、実質可動期間は半年位だけど、会話した相手も二桁いかない。どう考えてもここから大逆転なんて夢のまた夢の様に思える。はっきり言って宝くじで一等前後賞当てるようなものだ。継続は力なりっていうけどさ、こういう状態でああいうのを相手にすると、もうどうしようもない絶望を感じてしまうの。
例えばさ、何百メートルもある、グランドキャニオンみたいな断崖を命綱無しでロッククライミングしている人から、お前もやればできるとか上から言われたら、できるわけねーだろって思うでしょ?それに近い感覚。ああもう、俺はこういうくだらないオナニー文章を書いているのがお似合いって事なんだろうな・・・。もう何しても無理な気がする。こういう生活をおくってるとさ、中二病じゃないけど世界から必要とされてないってひしひしと感じられるもん。カフカの変身状態だよ。今更どうしろっていうんだよ?それでも人を巻き添えにするような事はしないって位のちっぽけな矜持は持ってるけど。
嘘、ああいう事はアキバ通り魔事件のような事は考えたことはある。ただ、それすらできぬチキンって事。チキンならチキンらしく、昔ばあさんから聞いた話みたいに、絞め殺されて晩飯にでもなればいいのに。文字通り飯の種。笑えるだろ?
あんた、とりあえず気にくわない奴は全員ミソジニーって決めつけすんのやめなよ。
金が絡む場になると云々の喩えを持ってきてることからして、男女が混じってると男同士は恋愛戦線におけるライバルになると見なしてる感覚に対する違和感を指摘してるんだけど。
違う。女を追いかけ回すことに熱中する奴が必ず一定数出てきて、そいつらは周りの状況を見ようともしないだろ。だから必然的に自己中な奴に周囲が振り回されるといってるんだ。この記事を引用したのはそういうこと。
そんなのいちいち意識してたら社会生活できなくないか?女と見れば恋愛対象と見なすっていうのは女のことは欲望される対象としてしか存在を認めないっていうような。
妄想決めつけ乙。だいたい社会生活っておかしいだろ。中学生や高校生のガキの話だろ。
でだな、俺が別に「女と見れば恋愛対象」だと思ってなくても、そう思ってる奴がいれば集団全体がそれに振り回されるという話なんだよ。そして困ったことに「女と見れば恋愛対象」みたいに動いてる奴の方が「コミュニケーション能力」とやらを身につけて「女に気遣いができる男」になっていくんだ。俺みたいに「同じ人間っていう感覚」で生きてきた人間の方がこうやって「キモい」非モテになってミソジニー認定されるんだからほんと娑婆は地獄だぜ!
あと、とりあえず「欲望される」って気持ち悪い日本語やめてくれ。それ「見える化」とか「地頭力」とか「恋愛偏差値」とかと同じで一部の業界だけでしか通用しないおかしな日本語だから。
わかって無さすぎ。気持ちを見るからこそ外見に気を使えと言ってるんだよ。
キチガイオタクに家族を殺された人からすれば、オタクそのものが憎いとなる可能性もある。
誰がどんな感情を抱いているかわからない以上、最も無難な言動をすべき、というのが一般常識。
そういう言い方をするなら、生前は献花をされたくないという人だったかもいたかもしれないし、ゆりが嫌い、菊が嫌いって人もいたかもしれない。
それは一般常識的に、お互い暗黙に受け入れることになってるわけ。手紙が嫌いだ!とか言って年賀状嫌ってたら社会生活送れないだろ。常識を身につけましょう。
僕は子供の頃から親の抑圧がひどく、彼と同じように宿題も作文も全て親の目を通さないと駄目だった。親が気に入らなければ最初からやり直しで、機嫌を損ねると体罰、酷い時には冬でも普段着のまま外に放り出された。放課後以降の時間は友人と遊ぶこともままならず本当に辛かった。
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20080610-OHT1T00092.htm
当時の僕の状況とそっくりだ。
その上いつも「学生として、若者として本来あるべき(異常に)高い理想」と比べられけなされ続けた。テストで80点代なんて許されず、いかに平均点が低かろうが「ちゃんと先生の言うことさえ聞いていればできるはず」と罵られ、普段の生活でもちょっと間違ったことを(例えば電話での受け答えをちょっと間違ったとか、ゴミの分別を間違ったとかいうレベルで)罵声と嘲笑を浴びせられた。こんな育てられ方をすれば人の顔色を伺いながらビクビクオドオドした性格になるのは当然だろう。
その上、風呂は1週間に1回、髪を床屋で切るのは数ヶ月に1回であとは適当にハサミで切られる。制服の替えはなし。今考えてもイジメられっことしての条件が整いすぎてるよ。クラスでは馬鹿にされバイキン扱いされ、時には暴力を振るわれ、行事や集団行動時はハブられる。詳しく思い出したくもない。彼も似たような状態だったのではないかと思う。彼の書き込みを見ると、親の支配から逃れようとして頑張っていた時の僕が考えていた事に瓜二つだ。
このまま中学校3年まで過ごしてきたのだが、ある日に遂に限界に達した。もう自分がどうなっても世の中がどうなってもいいと感じた。そして僕は彼と同じく、壊れると外に攻撃的な衝動を向ける人間だった。
当時の僕のひそかな楽しみは、朝早起きしてこっそり家を抜け出し、ゴミ捨て場をあさることだった。こずかいなんて無いし、自由な時間も学校が終わってからは皆無。早朝に人が捨てた雑誌やマンガを拾い読みするのが唯一と言ってよい娯楽だった。その時に拾ったナイフと包丁を1本づつ、これまた拾った砥石で磨き上げ、カバンの底に入れて学校に向かった。クラスメイトを(いや、偶然同じクラスにいるだけの人間と呼ぶべきか)誰彼構わず滅多刺しにし、気が済んだら家に戻って親を刺すつもりだった。
以降、その日の記憶はない。本当に、まるで、覚えていない。
翌朝、きれいな包丁を見ながら「オレは何もしなかったのか?」と自問自答したところまで記憶が飛んでいる。当時の数少ない友人は「何か・・・危なかったよ」とだけ言い、詳細については話してくれなかった。刺してはいないが、僕は教室で何かをやり、教師が来ないうちに収束したのだろう。以降馬鹿にされることは少なくなり、暴力についてはピタリと止まった。
僕は本気だった。いじめっ子をおどして終わったり、あるいは自傷して注目を集め問題を解決しようなんて考えてもいなかった。ちょっと間違えば(いや、間違えなければ、か)間違いなく数人を殺した少年Aになっていただろう。今思い返しても、当時「殺す」以外の選択肢は無かった。何がどうなって少年Aにならずに済んだのかは全く分からない。
長々と語ってしまったけど、子供の頃親に酷い扱いを受ければ、人格が歪んで当然。それに周囲からの圧力が加われば人なんて簡単に壊れるさ。こう書くと「俺の場合は云々」という反論が必ずあるだろうけど、そもそも人によって精神的な耐久力に差があるのは当然で、壊れる状況まで追い込む要因の方に問題があると考えるべきなんじゃないのか。
あと不思議なのが、世間は精神に短期間にダメージを受けた場合(例えば女性がレイプされたとか)は無条件で同情の対象となるのに、長期的にダメージが蓄積した場合は非常に冷たい。今回の彼の件に限らず、過労で自殺した人やうつになった人、学生時代のイジメを引きずって心が病んでいる人などには、必ず時間の経過の中でのダメージの解決をすべきだった、という批判がでる。できないから病んでいるんだろうに……まるでダメージを蓄積し、解消できない事そのものが罪悪であるかのようだ。だから彼についても25歳だから、もういい大人なんだからと言うのだろう。正直年齢なんて関係ない。僕は34になった今でも悪夢にうなされるし、年に何度かは物凄い鬱状態になるよ。かなり心の中で過去を整理して、通常の社会生活を送っているつもりの僕でも。
僕は彼に同情こそすれ、今のところ出ている情報では全く責める気にはなれない。
ネット上で表現活動を行っていると、社会的通念上、好ましく無い表現を使う場面が出てくることがある。
そうした時、どの表現が不適切であり、それに対しどのような対応を取ることが望ましいかを考えておくと、
いずれ自分が起業した時に役立つかもしんない。
本物の人間に直接できないようなことを、人間に見立てた物や、人間を現す物に対して代理的に行う行為がある。
例えば、わら人形に釘を刺したり、写真を切り刻んだりする行為がこれに当たる。
直接的には当人に害悪を与えないため、それらの行為を行ったことで社会的地位が崩壊する危険性は少ないと言えるが、
行為をしていることが周囲に知られた場合、ちょっと引かれることはあるかもしれない。
ヒソヒソ「あの人、毎晩白装束きて、山の中へ入って行くんだってー」
ヒソヒソ「えー、うっそーしんじらんなーい!サイアクー(笑)」
呪術的、暴力的、性的。様々な目的で、人間に見立てられたものに対して思いをぶちまける。
ストレスがたまった時に殴るサンドバックは、殴ってる本人からすれば人間に見えているかもしれない。
「誰にも迷惑をかけていないのだから、放っておけ」という主張はしごく真っ当なもので、実際には誰にも迷惑をかけていない。
それで正常な社会生活を維持できるのなら、社会的にも容認すべきであるとも私は考える。
でも、当人の目が届くところで写真が燃やされたり、切り刻まれたりしたのなら話は別である。
当人を傷つけるような表現を直接伝えていることになる。
要は、知られるべきでない人物に知られないようにする工夫が必要なのである。
通常は、時と場所をわきまえるだけで、それは十分に達成される。
それはともかく、一応社会生活を営んでいる人間として「好意を示されたから嫌い」は理解を得にくいので、周囲を敵にしないためにも改善した方がいいと思う。少なくとも表面上は。
自分が考えるに、本当は元々嫌い(好意を示される前から嫌い)だったんだと思う、その人のこと。その人が自分のことを好きでない間(異性として意識されていない間)なら、自分に対する具体的な危険(好きでない異性と性交してしまう危険)が無いからニュートラルでいられるけど、意識された途端そのニュートラルな状態が保てなくなって、急に拒絶反応が出るんだと思うよ。増田はたぶん増田自身が考えているよりもストライクゾーン狭い人なんじゃないかな。一般女子文法によるとそういうときは「生理的に嫌い」と言って拒絶することになってるらしいけど、増田はそういうのが嫌いで出来ないタイプじゃないかな?そして、その可能性から逃げようとして嫌いな理由を別なところに求めていないかな。
もし違ってたら気にしないで。ただ、似たようなことを言ってた人でこのパターンに当てはまる人を知ってるので、なんかのヒントになれば幸い。