はてなキーワード: しつけとは
割と考えてる人もいるっぽいけど、叩かれてんのこれ?
はてなという枠の中からしか考えてないコメントもそれなりにあるのは確かだけどね。
自分自身がブコメで満足してるだけで、何か書きたいことがあれば増田で書いてるだけだから別にどうということはないなぁ。
目に留まればブクマする人はいるんだろうけど、ここ最近この手の話題って食傷気味だったろうから、この話題にブクマする人がまだこれだけいたのに少し驚いたくらい?
個人的にはホッテントリ入りとかブクマ数とかそこのコメントは重視してないかな。
元の話は要するにはてブがメインでブクマコメつけるだけで満足してる典型が自分だったんだよ。
だからこそ言われて「あー」って思ったわけで、あんなのを書いた。
ホッテントリ入りやらブクマ数やらに何かを見いだそうとするものが感じられるこういったレスもたぶん気持ち悪いって言われるものの一つなのかもね。
色々ひっくるめて、はてなっていうコミュニティと外部コミュニティの違い、そのコミュニティ内でもユーザー間にある温度差、みたいなの?
コミュニティ特有の文化みたいなのがあるけど、そういうのってコミュニティ内だけでの慣習であって、外部の人間に押しつけるもんじゃないよなっていう当たり前の話で終わるものでしかないんだけどさ。
はてブっていうシステムがそういうことができるものとして用意されてるわけだから利用する側は自分たちが思うように使えばいいわけだけど、元々の意図とは違う使い方をする根拠に「ネットというのはそもそも~」とか言い出すのはさすがに自分を正当化する免罪符にネットの理念とか持ち出しすぎじゃない?っていう。
「ところでおれみたいのが直接コメント欄に殴り込んだらそのブログ主は満足するのか」とか「コメ欄に大量に集まると炎上とか言われちゃうんだけどね」とかブクマコメにあるけど、それでいいんじゃない?
Blogってそういうもんでしょ。(炎上するのがっていう意味じゃなく、記事を書く人がいて、それに直接反応を返す人がいるという形。炎上どうこうは結果論)
トレーナーA(以下A)「やべえよ。センパイに頼んで話つけてもらうしかねえ。」
トレーナーB(以下B)「マジついてねえな。(は)なしつけてもらうべ。」
A「こっちとしては修理代だけ出してもらえばいいんだけど。」
B「でもおめえ殴ってるべ。慰謝料だせよとかなったらどうすんだ?」
A「そりゃ殴るっしょ。俺のバイクだぜ。」
B「でも金とられたって聞いたぜ。殴ったんだしな。」
A「センパイに頼むしかないっしょ。」ズズズと大きな音を立ててドリングをすする。
B「改造にいくらかかった?」
A「忘れたけどスゲエよ。バイトの金つぎ込んだし。」
A「高島平?OK。朝イチで行ってみる?」
北関東の土着の文化はいまだNever Die!
常駐してる人が押しつけがましくなければねwwwww
「それ、かわいいですよねー」とか
「サイズお出ししますよ」とか
モノを売っている店で店員に話しかけられるとすごく面倒くさい。
というか、話しかけられることが怖い。
反射的に逃げなきゃって思うのに体は違うことしてるので、なんか一瞬パニックみたいになって、頭真っ白で、
「あ、……う…」(大汗)みたいな感じになる。
で、ほとんどの場合は聞こえなかったことにして手にしていたモノを戻し、別の場所に移動する。または店を出る。
ネットを見ていて、同じように感じる人がけっこういるんだってことを知って、ちょっと安心した。他にもいるんじゃん、こういう人。
それで調子に乗って、話しかけられても無視してりゃいいや、むしろ空気読め店員とか思った。
「デパートとかで話しかけられたら『はい』とか笑って適当に言っとくといいと思うよ」
って言われた。
そうかー、他人をガン無視してる人間を端から見てたら気分よくないよね、そりゃ。
「はい」くらいはできるかなー……。
なんて、言われてできりゃ苦労しないんだけどさ。
なんでこんなに話しかけられるの怖いんだろうな……
って考えてたら、思い出した。
突然他人に話しかけられる恐怖感の原体験。
私は昔から友達がほとんどいなくて、小学校のときなんかは教室にいても話す相手もなく、休み時間は自分の席で本読んだりしてた。
他の子達の集団トイレとかには誘われもしなかったし、行きたいとも思わなかった(今考えても理解できない)。
で、たまに声を掛けられることがあるかと思うと、それはたいてい面倒なことを押しつけられるか、新しいネタでからかわれるかのどちらかだった。
「他人の挑発に乗ったら、ヤツらはこっちの反応を見て笑うつもりだ。相手にしたら負けだ。」
そう思って、できるだけ反応が希薄になるよう心がけた。
声を掛けられたら、どんなちょっかいが出されるかを全身で感知し、相手が期待している反応を予測して、ぜったいにそれに沿わないように対応する。
…これって、今同じ事してないか?
20年以上の前のことに怯えてんのか、私は。
てなこと考えながら、うーんそうだねーって生返事してたら、彼氏が追撃してきた。
アメリカでは、お店に入ってきたお客さんにとりあえず声をかけるらしい。それは、入ってきた相手がこちらの言うことを理解できるか、あやしい人じゃないか確認する意味もあるんだそうだ。
一度はアイコンタクトしておかないと不安らしい。これは店に限らないそうだが。
(まあ全部がそうではないのかもしれないけど、駐米経験のある人だから全く聞きかじりの欧米論てわけじゃないんだろうな)
そしたら私なんか超怪しい要マークな客なわけだが。
もとい、じゃあ日本ではどうだろうかと考えてみると、怪しい度チェックはともかく、入ってきた客には声を掛けるのが店員の使命、くらいに言ってる店はあるんじゃないだろうか。日本的なお作法として。
むしろ、そういう店の方が多いんじゃないだろうか、ということに思い至った。
経営者側からしてみたら、ご来店いただいたお客様にお声もおかけしないなんて失礼だ! というわけだ。
彼女らは好きこのんで私なんかに声をかけてるわけじゃない。仕事なんだ。決して、私のアイデンティティに話しかけられているわけではないんだ。と思ったら、ちょっと気が楽になったよ。
まとめると、
■20年以上前のことに怯えるな
店で声を掛けられても、その相手は自分をネタにしたり吊し上げようと考えてるわけじゃない。
即「敵だ」と身構えなくてもとりあえず大丈夫。
■店員も仕事だ
店の人間は仕事だから客に声を掛けなくてはならないのであって、
自分は無数の「客」という記号の中のひとつに過ぎない。
そうやって考えてみたら、すぐに笑って「はい」は無理かもしれないけど、ちょっと落ち着いて、次回からはガン無視はしないようにできるんじゃないかな、っていう気がしてきた。
そうは言っても、「買ってくれオーラ」とかをギトギトに出されたら、脳みそがしびれて怖くて逃げたくなってしまうと思うけどね。
あなたは、ひとに謝る「謝り方」を知っていますか?案外、素直に自分の非を認めて人に謝ることを実行する機会もなく、子どものしつけとしても他人への謝り方を教えないまま、「謝り方」を知らずに生きている人がたくさんいる今日この頃ですね。「え?謝るって、ごめんなさいって言えばいいんじゃないの?」と、思われますか?何か悪いことをして、「悪いことをしたと反省しています」という態度を示すことは、「ごめんと言った。はい、終わり」というものではないのですね。人は、謝罪の言葉があったかどうかではなく、謝罪をしたかどうかを見ているものなのです。
「どうもすみませんでした!」と言って、不機嫌そうにツンツンそっぽを向くような人の態度を見て「あの人は謝った」とは言わないのですね。口先で謝罪の言葉をイヤイヤ吐いて、何の反省もしていない態度、と言うのですね。
また、自分が悪いことをしたことを詫びているのか、それとも自分が悪いことをしたのがバレたことを悲しんで立場を取り繕っているのかも、人はちゃんと見ているのです。「あなたはこんな悪いことをしましたね」と指摘されて、派手なパフォーマンスをして泣きじゃくったり、意気消沈して見せたりして同情を買う行動に出る人は、「何を誤魔化してるのかな?反省してるの?」「後ろを向いてシメシメって舌出して笑ってるんじゃないの?」という疑問の目を向けられます。
謝っている態度をとりながら「でも、自分は悪いことはしてません」「実は自分は謝る必要はないけど、仕方がないから謝ります」という主張をする人、謝っているのか自分を被害者に仕立て上げたいのだかわからない態度をとる人を見ると、ズルイ人だなぁと思います。
そのような態度を見て「謝っている」とか「反省している」とか、人は思わないものです。謝りの言葉を発しながら、言い訳ならまだしも謝る根拠まで否定する人は、本当はまったく謝る気がないのですね。謝罪の姿を示さないと他人の評価が落ちるので、『謝罪の言葉』を言っただけ。自分の立場を守る目的のパフォーマンス。一体、誰が「この人は反省している」と思うでしょう?
悪いことをして謝罪の言葉を示して、それがキチンとできたとしても、それで終わりじゃないですね。口先で謝っただけで実は何の反省もせず、また同じことを繰り返していないか。厳しい目で人は見ているものなのです。
謝罪の態度を示して、本当に反省して、二度と同じことを繰り返さない自分を示して初めて、「確かにあの人は悪いことをしたと反省して謝った」と認識されるのです。ひとつ悪いことをすると、そこまでしないと失われた信用は回復しないのです。
http://anond.hatelabo.jp/20090125174947
当方21歳女子大学生。
就活シーズン真っ只中。
そんななか、先週 姉が子供を置いて 蒸 発。
旦那は朝早く深夜まで働きづめの激務。
祖父母(私の両親)体が弱く、1歳半の元気いっぱいの子供を面倒見きれず。
保育園なんて待機児童がいっぱいでおいそれと入れないし、
時間払いで預かってくれるところもあるけど高い・・・
子供がいるって、自分のまとまった時間が取れないって本当だね。
一緒にお風呂入ったり、ご飯食べさせたり、遊んだり、着替えさせたり、グズるのを寝かしつけたり。
せめて保育園とかないと働きにいけないよ。
世の中のワーキングマザー、マジリスペクト。行政もっと頑張れ。
そりゃ姪っ子は楽しいし、可愛いけれど、せめて就活がなければなぁ・・・
一人の子供を育てるのって責任あるから、叱ったり、危なくないように目を配ったり気が張るね。
世の中の母ちゃん、頑張ってるね。
寝かしつけてからES書いたり、面接の対策しようとしても頭がビジネスモードになかなか切り替わらない。
やるぞー!ってガツガツする気になれない。不思議。
今までは「子供産んでもバリバリのキャリアウーマンになるぞ☆」とか思ってたけどね。
普通に難関だよね。会社説明会っても、育児制度の事つっこんで聞いちゃう。
激務のところに行きたいんだけど、正直迷うなぁ…
やっぱり子供が小さいときにはそばにいたいし。
さっきもなんだけど、寝言で「ママ」って繰り返すのが不憫でたまらない。
姉は死ねば良いって思うけど、姪っ子のためになる方法がなんだか、よくわからない。
彼らはガザの戦争は終わったと言います。その被災者の魂と心に、戦争がのこすであろう痛み、悲しみ、恐れ、不安をすべて無視して、戦争がひとつの会議で始まり、また別の会議で終わることができるとは、驚くばかりです。
ガザのパレスチナ人は、彼らに対するイスラエルの戦争をたくさん目にしてきました。そこにあるのは、最初の抵抗運動と二度目のそれ、お決まりの侵攻、私たちにおしつけられた封鎖、日々を生きるパレスチナ人におしつけられた、いっさいの憐れみのない封鎖、ひとかけらの後悔も、わずかばかりの配慮も、なにもない封鎖でした。最後に、無実の人びと、子ども、年寄り、家庭と祖国、パレスチナ人すべてに対する、この巨大な戦争がありました。
私たちが目のあたりにしたどの戦争についても、語られるべき数々の話があります。征服者の蛮行と憎悪についての話です。そしてどの戦争についても、それらの話を伝えるための、生きる、生きのこるための意志があります。私は難民の第三世代になります。私は両親と祖父母の話に耳を傾けてきました。彼らが故郷を追われた事情、子どもを失った人びとの事情、世話することができずに、子どもを道端においてきた人びとの事情についてです。それらの話はあなたの心を芯から揺さぶるものでしょう。それでも、それらの話の語り手は、生きる意志を、新しい生活をはじめる意志を、彼らの子どもを育てる意志を持っているのです。
今回の戦争について私たちが伝える話は、どんな人間の想像力も超えたものとなるでしょう。どこへ避難すべきかもわからず逃げたこと、子どもや年寄りに対する慈悲もなしに一家みなごろしにされたこと。私たちに向けて放たれた武器は、私たちの記憶に永遠に鮮やかにのこるでしょう。
今日は停戦の一日目です。ほかの人びとと同じように、私がいつもの生活に戻れる最初の日です。私たちは地下室から出て海岸を臨む客間に座ります。私の子どもたちは、彼らの部屋やベッドで眠ろうとしません。彼らはこう尋ねるのです。
「もう撃ってこないと保証してくれるの」
彼らの過ごした恐怖の時間を忘れるのには、とても長い時間がかかることを私は知っています。彼らが耳にした大きな爆発音を忘れるには時間が必要です。私たちが慌てて部屋を飛びだし、より安全な場所を求めて避難したことを忘れるには時間が必要です。(この状況で、)どうして戦争は終わったと言えるでしょう。
(娘の)サルマは、F-16戦闘機の音を聞くと、とても怖がります。もちろん、それは今なお、横柄にも空に爆音をとどろかせています。それが私たちの心と財産に撒きちらした破壊を、誇らしげに見下ろしているのです。(この状況で、)どうしてサルマに戦争は終わったと言えるでしょう。
幸運なことに、私の子どもたちは、その愛する者たち、友達や隣人が殺されたり死んだりすることを見ずにすみました。それでもなお、彼らは、その心と魂に、この戦争が残した悪質な影に苦しんでいます。
魂にこの戦争の報いを受けた私たち(パレスチナ人)の子どもは、彼らが目のあたりにした映像を決して忘れることはないでしょう。彼らの親が、姉妹が、家族皆が殺されたことを決して忘れないでしょう。その心と魂に、その生涯にわたって、平安を見いだすことは難しいかもしれません。なぜなら、彼らが見たものは忘れることができないものだからです。彼らの頭上で家が崩れ落ちるのを見た子、家族とともに瓦礫の下に取りのこされ、弱っていった子、誰か生きのこるかは神だけが知っています。愛する者たちの、命の火の消えた体を見わたす子、この子は、その姿を心と魂に焼きつけるでしょう。この子は永遠に苛まれるでしょう。この子たちは、どのように停戦後の暮らしを楽しむことができるでしょう。
その暮らしと親族を失った子たち、その目を、手足を、家を失った子たち、征服者の貪欲さを目撃した子たち、彼らはその痛みを決して忘れないでしょう。イスラエルによるガザに対する戦争、22日間を通して、彼らが過ごした恐怖の時を、決して忘れないでしょう。彼らの受けた傷と喪失が、常に記憶を新たにさせるでしょう。彼らの心には、一つの質問があります。
「わたしたちは何もしていないよ。なのに、なぜあなたたちは、こんなにひどいやり方で、わたしたちを殺すの。わたしたち、こどもに、なんの思いやりもみせないで」
国連パレスチナ難民救済事業機関のウェブサイトに掲載された、ある母親からの手紙です。
nofrillsさんのところ(下記URL、勝手に紹介してすみません)ほかで伝えられる惨状を目にして、私は何度も泣きました。
http://nofrills.seesaa.net/article/112997883.html
すでにあちらこちらで言われていますが、「停戦」したからといって、問題は山積みのままです。経済大国の国民として、安保理理事国の国民として、「対テロ戦争」に「参戦」中の国民として、中東で公正な政策が行われるよう注目していくことは大切だ、というのが私の意見です。簡単に解決できる問題ではないことは承知の上ですが、まずできる一歩を踏み出すことが大事だと考えました。あまり時間をとることができなくて、ほんのわずかで質もよくない翻訳ですが、ガザ事情を知る一助になったらうれしいです(また、不公正はガザだけでなく、チベットでも、チェチェンでも、ダルフールでも、そのほかの各地でも、もちろん大殺戮とはいかなくても日本のなかでもみられます。はじめは、それぞれが情報を得られる範囲で、手近なところから、読んだり、聞いたり、考えたり、話しあったり、広めたりしていくことが、第一歩として大切だと思っています)。
ひとときも早くガザの封鎖が解かれますように、パレスチナ・イスラエルに平和が訪れますように。
P.S.:読み直して違和感を感じた文体を整理して、二三の訳語を変更しました。あと、はてなの方、上のAdsはかえられないのでしょうか。
追記したらかわりましたね。よかったです。
http://anond.hatelabo.jp/20090121152543
(M)イスラム世界との関係では、互いの利益と互いの敬意を基本として共に歩む方法を探す。
(A)イスラム世界に対して、私たちは、共通の利益と相互の尊敬に基づき、新たな道を模索する。
(Y)イスラム世界よ、我々は、相互理解と尊敬に基づき、新しく進む道を模索する。
(M)対立をあおったり、国内の社会問題が生じた責任を西側世界に押しつけようとする指導者たちよ、何を壊すかでなく、何を築けるかで、国民に評価されることを知るべきだ。
(A)紛争の種をまき、自分の社会の問題を西洋のせいにする国々の指導者に対しては、国民は、破壊するものではなく、築き上げるものであなたたちを判断することを知るべきだと言いたい。
(Y)紛争の種をまいたり、自分たちの社会の問題を西洋のせいにしたりする世界各地の指導者よ、国民は、あなた方が何を築けるかで判断するのであって、何を破壊するかで判断するのではないことを知るべきだ。
(M)腐敗、策略、口封じで権力にしがみつく指導者たちは、大きな歴史の過ちを犯していることを知るべきだ。
(A)腐敗と謀略、反対者の抑圧によって権力にしがみついている者たちは、歴史の誤った側にいることに気づくべきだ。
(Y)腐敗や欺き、さらには異議を唱える人を黙らせることで、権力にしがみつく者よ、あなたたちは、歴史の誤った側にいる。
(M)しかし、その握りこぶしをほどくならば、我々も手を差し伸べる。
(A)そして、握りしめたそのこぶしを開くのなら、私たちが手をさしのべることを知るべきだ。
(Y)握ったこぶしを開くなら、我々は手をさしのべよう。
(M)貧しい国々の人々には、我々が一緒に汗を流すことを約束する。農地が豊かになり、きれいな水が流れるようにし、空腹を満たすとともに、飢えた心も満たす。
(A)貧しい国の人々に対しては、農場を豊かにし、清潔な水が流れるようにし、飢えた体と心をいやすためにあなた方とともに働くことを約束する。
(Y)貧しい国の人々よ、我々は誓う。農場に作物が実り、きれいな水が流れ、飢えた体に栄養を与え、乾いた心を満たすため、ともに取り組むことを。
(M)そして我々のように比較的豊かな国々は、国外での苦しみに無関心でいたり、影響を気にとめずに、地球の資源を浪費はできない。
(A)そして、米国同様に比較的豊かな国には、私たちはもはや国外の苦難に無関心でいることは許されないし、また影響を考えずに世界の資源を消費することも許されない、と言わなければならない。
(Y)我々と同じように比較的満たされた国々よ、我々が国境の向こう側の苦悩にもはや無関心でなく、影響を考慮せず世界の資源を消費することもないと言おう。
(M)世界は既に変革しており、我々もそれに合わせて変わらなければならない。
(A)世界が変わったのだから、それに伴って私たちも変わらなければならない。
(Y)世界は変わった。だから、我々も世界と共に変わらなければならない。
(M)我々は進む道を熟慮しながらも、今まさに、遠く離れた砂漠や山々で警戒に当たる勇敢なアメリカ人たちへ謙虚に、そして感謝の念を持ち、思いをはせる。
(A)私たちの目の前に伸びる道を考えるとき、つつましい感謝の気持ちとともに、いまこの瞬間にもはるかな砂漠や山々をパトロールしている勇敢な米軍人たちのことを思い起こす。
(Y)我々の前に広がる道について考える時、今この瞬間にもはるかかなたの砂漠や遠くの山々をパトロールしている勇敢な米国人たちに、心からの感謝をもって思いをはせる。
(M)彼らは今日、我々に教訓を与えてくれる。アーリントン国立墓地に眠る英雄たちと同じように。
(A)アーリントン国立墓地に眠る戦死した英雄たちの、時代を超えたささやきと同じように、彼らには、私たちに語りたいことがあるはずだ
(Y)彼らは、アーリントン(国立墓地)に横たわる亡くなった英雄たちが、時代を超えてささやくように、我々に語りかけてくる。
(M)彼らが自由の守護者だからだけでなく、彼らは奉仕の精神を体現し、自分たち自身よりも偉大なものが存在し、それに意味を見いだす人たちだからこそ、たたえる。
(A)私たちが彼らに敬意を表するのは、彼らが私たちの自由の守護者だからというだけでなく、彼らが奉仕の精神の体現者、つまり自分自身より大切なものに意味を見いだそうとしているからだ。
(Y)我々は彼らを誇りに思う。それは、彼らが我々の自由を守ってくれているからだけではなく、奉仕の精神、つまり、自分自身よりも大きい何かの中に進んで意味を見いだす意思を体現しているからだ。
(M)そして、この歴史的な瞬間に、まさにこの精神を我々がみな共有しなければいけない。
(A)そして今、一つの時代が形作られようとしている今、私たちすべてが抱かなければならないのがこの精神だ。
(Y)これこそが時代を決するこの時に、我々すべてが持たねばならない精神だ。
(M)政府の能力や義務は、究極的には米国民の信念と決意が決定する。
(A)なぜなら、政府はできること、しなければならないことをするにせよ、この国が依存するのは、究極的には米国人の信頼と決意であるからだ。
(Y)政府はやれること、やらなければならないことをやるが、詰まるところ、わが国がよって立つのは国民の信念と決意である。
(M)それは、堤防が決壊した時に見知らぬ人をも招き入れる親切や、友人が仕事を失うことになるよりも、自分の労働時間を削ってでも仕事を分け合おうという労働者たちの無私無欲のおかげで、最も暗い時を切り抜けることができる。
(A)最も難しい局面を乗り切るのは、堤防が決壊した時に見知らぬ人を招き入れる親切心であり、友人が仕事を失うのを傍観するよりは自分の就業時間を削減する労働者の無私の心だ。
(Y)堤防が決壊した時、見知らぬ人をも助ける親切心であり、暗黒の時に友人が職を失うのを傍観するより、自らの労働時間を削る無私の心である。
(M)煙に満ちた階段を駆け上がる消防士の勇気や、子どもを育てる親たちの意志が、最終的に我々の運命を決定付ける。
彼女は推定40歳弱のアボリジニー女性。明日、生まれて以来一度もあったことのない姉に会うのに、とても緊張している、と言う。
私は、家庭の事情か、とちょっと思ったけれど(馬鹿な私)、よく聞いてみると、まだ一度もあっていない弟もいて、母親とは、3年ほど前、生まれて初めて会えた。という。
ヨーロッパ政府の先住民政策のことを少しでも知っている人ならすぐにわかると思うが、そう、これは、イギリス政府 (後にはオーストラリア政府)の先住民同化政策のひとつで、アボリジニー女性から生まれた赤ちゃんを出産後 母乳をやるのも許さず、すぐ取り上げ、ハクジン夫婦のもとで育てさせる。というもの。こうすることにより、アボリジニーのこども達は、親から文化を継承せず、イギリス人化する と考えたのだ。
私は知識としては知っていたけれど、まさか、こんな若い人がまだ、その政策の当事者として存在していることが、驚きだった。
私の勉強不足のせい、なのですが、ただ、この事実を豪州政府は公にはしない。
事実をしるためには、アボリジニーから聞いた話をドキュメンタリーにした本やビデオしかないのだ。
彼女曰く、この政策は、1980年まで続いた。だから今26歳以上のアボリジニ〓は、みんな親を知らないで育った。「そんな最近まで!!」私には衝撃だった。
自分のこどもが、政府によって取り上げられ、2度と会えないのだ。親は子供の写真を見ることも、消息を知らされることも この制度が廃止されるまではなかったという。
たとえ、海外に行っても、死亡しても、知らされなかったのだ、と言う。
これだけでも、悲しいのに、彼女の話は終らない。
この制度は、ただアボリジニーを先祖から引き離し、イギリス人文化に馴染ませるためだけのものではなく、アボリジニーを抹殺するかわりに、彼らの肌を白くする政策でもあったのだ。
アボリジニーをひきとる親のほとんどは、女児を好む。
女児なら大きくなれば強姦し放題だからだ。そして妊娠させる。そしてその赤ちゃんの肌は母親より少し白くなる。だから、政府はそれをよしとしたのだ。
強姦したいハクジンの父親は、早ければ8歳くらいには、強姦すると言う。
彼女の周りでも、たくさんのアボリジニー女性がまだ幼い頃に強姦され、12、13歳で妊娠した人がいっぱいいたはずだ、と言う。もちろん 強姦された挙句生んだ赤ちゃんは、すぐ政府によって取り上げられるのだ。そしてその子も女児なら、運が良くなければ、強姦される運命だ。
男児はどうなるのか。地方や役人によっては、男児は、何の役にも立たないので、(アボリジニー女性は、ハクジン男性の性の遊びの役に立つが、アボリジニー男性がハクジン女性とセックスするのは、許されないし、アボリジニー女性と性交渉をすると、二人の赤ちゃんの肌の色は白くならない) 不必要として、生まれた直後 近くの壁にたたきつけて殺したのだ と言う。
私には、言葉も出なかった。
彼女は自分を育ててくれたハクジン両親はいい人で、とても幸運だったという。
統計などなくてわからないけれど、幸運なアボリジニーは少ない と言った。
彼女は自分の父親が誰だか知らないという。あるとき、病気で医者に行った時、医者から、両親にその病気をしたことがあるか、聞いていらっしゃい、それが予防に役立つと言われ、母親に父親の所在を聞いた。母親が インド人の男性だ、と教えてもらい、会いに行く直前、母親から止められて、何事かと思ったら、よく考えたら違うと言う。笑いながら、インド人だったら、あなたの肌はこんなに白くないわよね、と娘の肌をさすりながら言った と言う。で、父親は、アイルランド人、ハクジンだと言って、でも死んだのだ、と。
彼女は 父親に会うのはあきらめた、と言った。母親が話したがらないから。と。
考えてみればこのお母さんも 親から引き離されて、ハクジンの親の元、苦労して育ったわけだから、何があったかは、想像にかたくない。
彼女は、自分の肌をさすりながら、豪州政府はこの肌でもまだ白さが足りない、と言うわ。といった。肌の白さ、をこれほどまでに気にしながら生きていかなければならのは、信じられないほど理不尽だと思った。
彼女は言う。過去も悲しいけれど、今も悲しい。なぜかと言うと、時折話す、オーストラリア人(ハクジンだと思うけれど)は、総じてこの話を信じないと言う。政府がそんなことするはずない、と。彼女は、じゃあ、なぜ多くのアボリジニーがこんな都市に住んでいるの?各地にあった、トライブにいないの?なぜアボリジニーの言葉が話せないの?と聞くのだそう。
私には、ハクジンオーストラリア人が政府の行ったこの蛮行をしらないのはありえるとして、その本人からこういうことをされた、と言われて、政府がするわけない、と否定するその気持ちがよくわからない。
それほどまでに、政府を信じきっている気持ちが。いや、政府というか、ハクジンがそんな残酷なことをするわけない、とおもっているのかもしれない。
イギリス政府が行った数々の蛮行、植民地支配も何もかも習わず、海賊も彼らの誇り、アメリカ大陸の”発見”と勉強するし、あの土地の近代化をひたすら美化し、第一次大戦も、その後のすべての戦争も (ベトナム戦争、湾岸、今の戦争も)ひたすら、正義の戦いとして教わってきているからね。彼らは。ベトナムは、やるべきでなかった、とはいうけれど、政府には、ちょっと批判的でも、自国の兵士への同情だけ(ベトナムへはなし、)。
反省の”は”の字もない。
ここまで、国際社会の中で(おそらく、対非ハクジン国、民族にかぎって)イギリス系の自分達が間違っているわけない、という、強い信仰があるのだろうな。
一般の日本人が、沖縄の人から、占領された後、こういうひどいことを日本政府から、組織的にされた、と言われたら、頭から否定するかな。特に、強姦とか、殺人とか、そういうものは、抑圧につきものだし、あるかも、と思うのが、普通だと考えてしまう。
まあ、それはともかく、私はこの話をきいて、この国にいまでもひたすら起こりつづけている、先住民女児への、先住民男性からの強姦、性暴力事件の深層が、こういうところにあるのではないかと感じました。(下の方に投稿してあります。)
また、アボリジニー女性が強姦された事件で、容疑者がハクジン男性、アボリジニー男性にかかわらず、裁判員に女性が複数いても(ハクジンのみ裁判員)、裁判で有罪にならず、釈放されてくる事実を見て、アボリジニー女性らが、「私達が強姦されても、とにかく、ハクジン達は、彼らが女性であるか、男性であるかにかかわらず、同情はけっしてされない。どういうわけか、私達は、強姦されてもいい生き物と思われている」、と言った言葉の裏の意味が、今少し理解できる。
さらに、大学時代、クラスで見た(女性学の授業、フェミニスト系の女性教授の中には、アボリジニーのことを理解しようとする人はいる)まだ、上陸したばかりのイギリス軍がアボリジニ〓を虐殺する物語のビデオですが、クライマックスは、偶然に森に入っていた9歳くらいの少女は殺されるのをまぬがれ、じっと木の陰から、自分の親、兄弟、姉妹を含む、部族全員がイギリス軍の手によって銃殺されるのを目撃する というような話だったのですが、悲しすぎて、涙がとまらなかった。明かりがついて、60人くらいの生徒の誰ひとり(私以外全員ハクジン女性(一応見た目ですが)、涙ひとつ、うるうるした様子ひとつないのには、映画の内容以上に驚いたことを覚えています。が今、その理由がわかります。
ついでに書きますが、こちらでは、もちろん、ハクジンが全員ひどいのではありません。何とかしようとするハクジンだっているのです。
今では、アボリジニーの赤ちゃんが母親から強制的に奪われることはなくなりましたが、アボリジニー家庭はすさみ、アルコール中毒やら暴力やらで、親としてきちんと子育てできない家庭が多く、中には、ハクジン夫婦が 好意で親が落ち着くまで預かる制度があります。(これは、ある程度管理されていて、強姦などはできないようですが)
そのハクジンの親で、それは 自分の子供のように一生懸命面倒見る人もいるわけです。
その中で、学校にきちんと行かせ、宿題をさせ、ドラッグをすわないように ある意味愛情こめてしつけている親がいました。政府はその親に対し、こういう”質のいい”子育てをするのは、契約違反だから、すぐ止めないと、告訴する、というのです。
腹を立てた親が、テレビ局に話して公になったわけです。
政府いわく、先住民のこどもはいずれ、ドラッグを吸い、しつけもろくにできない親元に返るのだから、かけ離れたことをするのは だめ。ということです。
ハクジン親は、親がたとえ吸っても、あなたは自分の身体のため、やめなさい。と教えて何が悪い、また、勉強に興味を持ち、学校に行く習慣ができれば、その子の将来の利益になる、と主張しました。
また、別の アボリジニーの子供をあずかった親からも こんな政府への不満がテレビ局にとどきました。
このこどもが自分のこどものように可愛く、将来は頑張って欲しいから、その子と別れる時、将来大学に行きたくなったら私に連絡しなさい。援助してあげる、と言ったそうです。それを知った政府にそんなことはするなと言われた、と。不公平だと。
あづかった親は、言う。政府は他の子に対し不公平だというが、本当の理由は違う。
彼らは、アボリジニーに、その地位を向上してほしくないのだ。
話をもとのもどすと、そのアボリジニー女性に、私は ここはあなたの土地よ。と言ってしまった。
むなしいだけなのに。
マオリの人に、私たちは、同じ先住民でもアボリジニーよりずっとましなんだ。といっていたことが胸にしみた。
どうなったら、彼らの幸せはやってくるのでしょうか。
弱いから卑怯なのではなく,弱いことを利用して責任を相手に押しつけて自分は逃げるのが卑怯なんだよ
女が強いかどうかは知らんがまぁかーちゃんは強いよな。
犬猫両方好きな俺はバイなのか。
それはそれとして、派閥としては犬飼ってるから犬派視点で言うけど、
一部の猫飼ってる人ってちゃんと管理してる感じがしないのがイヤだ。
避妊しないで放し飼いにしたりとか、ネコエイズとか病気貰っちゃう可能性あるんだろ?どうかしてるとしか思えない。
猫おばさんなんて最たる例で、糞尿病気なんでも放置、食い散らかしを片付けもしない。
犬飼っててクソ放置してますとか何日も洗ってないで臭いままですとか、
ちゃんとしつけて無いので吠えまくりますとかいったら袋叩きにあうのに
猫を放し飼いにして糞尿垂れ流しますとか、
可哀相なので野良にメシはあげますがそれ以上の責任は持つ気は無いし持ちたくもありませんとか・・・
こんな振る舞いが許されるの?なんでなの?意味がわからない。
可愛がりたいならちゃんと可愛がれ。そういうのが出来てる猫飼いの人の方がたくさん居るんだぜ。
近所に「あのうちの猫はクソたらすドグサレ猫だ」なんて思われていいのか。
同調圧力とかそういうんじゃなくて、実際に迷惑かけてんだよ。だから文句言ってるの。なんで責任転嫁したがるかな。
野生に近い方が良いとか言うなら、野山で暮らせよ。町は猫だけの世界じゃねーんだよ。
うちの父親がそう。
うちは両親仲悪くてずっと別居してた。
母親とはずっと一緒に暮らしてたから肉親だけど、父親はどっかのおじさんとしか思えない。
なのに愛情を一方的に押しつけて、会って一緒に過ごすことを強要して、
会話や食事や旅行や風呂に入ることを強要して、こっちは一人で自由に過ごしたいのに。
休日、父と別れるとほっとした。
会話自体が目的だから意味のないことを問いかけてきて人の時間を奪う。
何度も同じことを言う。
マジむかつく。
連絡しろよって強要する。
こっちが向こうの要望に応えないと「こんなにお前のことを思っているのに」ってマジギレして泣き出す始末。
父は4回結婚している。
1回目、私の母と。
3回目、母と。
4回目、また別の女性と。
信用しろって方が無理だ。生活費払ってくれてなかったら見向きもしてない。今頃。
恩に着せて、望むとおりの愛情が手に入らないと逆上して相手を逆恨みする。
はっきり言って死んでもなんとも思わないだろうな。
「もー私、嫌いなの、お父さんのこと」ってはっきり言った方がいいかな。
前からわかってはいた。母親の仕掛けてくるあれこれに翻弄されて心を病みながらもそれを認められずに生きてきて、去年の夏やっと病名がついた。ほっとしたというよりも恐怖だった。
医者がずいぶん前からかかっていたようだと言った時正直やっぱりなと思うのと同時に安堵した。よく頑張って普通の生活を送ってきましたね、ともいわれた。考えてみれば心を病みながらも大学入試を乗り越え、大学を卒業しようとしているのだから心の病にかかってるとは言い難いのかもしれない。自分ではよくわからない。ただ、母親の存在が自分の毒になっているということがはっきりしたことだけが嬉しかった。
考えてみれば、母親とはまともな会話をしたことがない。いつも物の置き方や歩き方、扉の締め方で機嫌を伺っていた。突然スイッチが入るのだ。それは例えば、あのころはまだ小さかった妹が粗相をしたとか、皿を割ったとか、あるいは父親がへまをしたとかそういう負の原因の矛先が自分に向いていることもあった。たとえば運動会で一番になれなかったとか、マラソン大会で後ろの方を走ってたとか、勉強しているとかそういう自分に原因のある場合もあった。あるいは表情が変わらないとか、びくびくして隠れてばかりいるとかそういう環境による原因から来た自分の状態を責められることもあった。時には鍋が焦げ付いたからとか買ってきたものを間違えたからとか庭の植木の剪定がうまくいかなかったからとかそういう母親のミスが原因でスイッチが入ることもあった。いつどこでどういう風にスイッチが入るかはわからなかった。とにかく機嫌が悪ければ、自分に矛先が向いた。うまくことが収まらなければ、ちまちまとためているお小遣いを没収されたり、教科書などの学用品を捨てられたり、あるいは着の身着のままで追い出されたりもした。折檻も受けた。いまだに残っている傷跡もある。でも一番きつかったのは給食費や修学旅行費などの学費を出さないと言われることだった。それが一番弱った。
スイッチが入っていなければ普通の、ごく普通の家庭だったと思う。大学にまで行ってるのだから、と人は言うからおそらくは幸せだと考えなければならないんだろう。感謝しなければならないんだろう。そうずっと思ってきた。
学費のことはよく言われた。困らせようとしているのはある程度大きくなったらわかっていたが、しかし実際困った。中学を卒業してしまえば、金を出さない働けと言われてしまうとそうするほかなかった。そうしなければならないんだろうと何度か学校をやめようとしたこともあるが、そのたびに誰かに止められた。先生だったり友達だったり、恋人だったり。お金を出してあげるからと言ってもらったこともある。金を出さないという脅し文句は一番卑怯で最も子供に言ってはいけないことなんだから自分が悪いと思う必要はないと諭してくれた人もいた。その中で毒親という言葉を知り自分の母親がそうであるということも理解した。
よく考えてみれば、何を言っても言い訳になるようになっている。うまいこところころと人の発言を自分の思う通りに解釈してそれを掲げて人を糾弾するのが得意な人だ。自分が悪いような気がしてしまう。誰かを責めるためなら直前にいったことと180度逆のことも恥ずかしげなく言える人だ。しかしそれはうまくコーティングされて、それが正しいような気がしてしまう。そういう能力に関しては長けている人だ。生きてきた年数分うまいのだろう。
去年の夏ごろ、父親が病気になった。体に多少不自由が残っているが、自分で身の回りのことはできる。思うように動けないせいかややひがみっぽいことを言うことが増えたが、命に別条はない。父親も被害者のようなものだった。昔はそうでもなかったような気がするのだが、最近は呆けたような顔をすることが増えた。長年人格を否定され罵声を浴びせられ続けるとあんな空虚な顔になるのだろうと思う。その父親を母親は親の敵のように嫌っている。いや、母親が親に恩など感じているわけがないし自分でもそう言っているのだから、犬猿の仲とでも言えばよいのか。物心ついた時には母親が父親をいつものやり方で責め立てているのが日常の風景だった。
正月、正直実家に戻る気にはなれなかった。卒論もあるし、家に帰ったらそれどころではなくなるのはわかっていたのだ。でも帰らなければまたうるさいということもわかっていた。最大限の妥協をして年末の数日実家に帰り年が明けてすぐ下宿先に戻ろうと思っていた。でもやっぱりそうは問屋がおろさなかった。
愚痴を聞くだけなら、かまわなかったのだ。病人を抱えていればそれなりにたまってくるものはあるだろうということは簡単に予想できるから、それを聞くのはやぶさかではないと思っていた。忙しくてあまり帰らず申し訳ないとも思っていた。夏はちょうど私自身も心を病んでいてどん底にいたのであまり父親の病気には関わらなかった。関われなかった。それでもできる限りのことはしようといろいろしたのだ。しかし、それが足りなかったらしい。まずその不満からだった。母親は自分のしゃべっていることでどんどん興奮していくたちなのでなだめながら聞いていたが、でもやっぱり駄目だった。父親に向けられなくなった分こちらに向かってくるエネルギーがすさまじかった。私は疲弊した。そんな私を好きなように攻め立て、あらゆる事実を捻じ曲げ、母親は私を糾弾した。薬をいつもより多めに飲んでもそれでも駄目だった。気分が落ち込んでいくのは止められなかった。そんな私に母親はあんたの性格が悪いから病気になるんだといった。薬を飲むのをやめろと言った。医者なんか信用するなと言った。そして、その医者はあんたの好みなのかと聞いて嗤った。それでもおさまらなかったらしく、離婚してやると喚いた。離婚して父親の面倒を押しつけてやるといった。離婚したら結婚も難しくなるあんたはみかけもたいしてよくないし、と言った。父親の面倒をみたら仕事にも支障がでるだろうねと笑った。親が離婚していてさらにその親の介護をしているあんたは嫁にいけないよと言った。仕事にも集中できないから貧しい暮らしになるに違いないと言った。そういいながら笑った。ずっと私は正座し黙っていた。10時間。ひどい正月だった。卒論は進まなかった。たぶん留年すればいいとでも思っているのだろう。そういう人だ。留年したら就職は難しくなるから、これからも矛先を向け続けることができるし、そして逃げ出せなくなるとわかってやっているのだ。わかっていた。だから黙っていた。もう何度死んでくれたらいいのにと思ったかわからない。頭の中でぐるぐるとどうやって殺してやろうかと考えていた。そう考えるだけでずいぶん楽だった。どうやって苦しめてやろうかと考えていた。静かな気持ちになれた。
母親は私を捨ててやるとよく言った。母親は私を不幸にできることを信じて疑わなかった。子供のころはそうだった。しかし、いつまでもそうではないのだ。私は卒業し、就職したら母親を捨てるだろう。徐々に不自然でないくらいゆっくりと捨てるだろう。性急になってはいけない、勘付いて何もかも元の木阿弥になってしまう。母親は困らせればすがりついてくると思っている。またいつもの手を使って絡め取ろうとしてくるに違いない。だが、私は捨てるのだ。なにもかも。親もきょうだいも何もかも捨てて過去は断ち切るのだ。まともな生活を普通の人間関係を、得てもいいといろんな人が言った。幸せになっていいんだとたくさんの人が言った。母親が私を評したのとまるで逆のことをいつも他人から言われる。居場所を奪わない人がいる。失敗したら許してくれる人がいる。泣き言を言っても聞いて慰めてくれる人がいる。怒りを向けてもそれを受け止めてくれる人がいる。私のことを思い、傷つかないように言葉を選んで忠告をしてくれる人がいる。世の中にはそういう人がいてそういう人たちにたくさん助けられてきた。普通の、ごく当たり前のこと、そういう幸せを私に与え、私が差し出すものを受け入れてくれる人がいることを私は知っている。ふつうになりたい。いつも切望している。
追記:
わわわ、ありがとうございます。がんばって逃げます。
icloud 幸せになってほしい。あまり大きな声でいえないけど、計画がうまくいくといいな・・ ・・・・・ところでうちの母もこのような感じ(ここまでではない)のだけど・・・病院につれていってみるかな・・
残念ですが毒親本人はおそらく病院に連れて行ってもせいぜい境界線人格障害と診断?される程度じゃないかと思います。それだったら距離を置いてしまうのがよいのでは。程度によりますが少し距離を置いた方がうまくいったり環境を変えることで寛解することもあるらしいです。
お母様が毒親に苦しめられているということだとしても病院は病気になってる人しか助けられないので病名はつけてくれるかもしれませんが原因が取り除かれないことには…。穏やかな日々が来るといいですね。がんばりましょう。
私が飲んでるのはデパスじゃなくてリーマスなんですよね…正真正銘メンヘラです。はぁ。でもたぶんきっと本当に必要なのは、薬じゃなくて簡単になくならない信頼関係なんじゃないかと思うのです。たとえば私は無自覚に誰かを傷つけたり怒らせたりすることはあるわけだけれども、そういう状況になった時にあぁ生活すべてがめちゃくちゃになるこれで何もかも終わりだっていう絶望感にとらわれなくてもよい、という思えることが本当は必要なんです。そういう信頼関係が築ける相手がいることが必要なんです。対立しても怒らせても、ちゃんといいたいことは言って嫌だと思うことは伝えて、そういうことができる関係というのが。
母親は自分の存在を確かめるために、自分が必要な人間だと思われているということを確認したいがために私を使ってきたわけで、私はあくまでも母親の自尊心を確保するための道具だった。必要な道具だったからそこにおいていただけなんですよ。私じゃなくてもよかった。ただちょうどよかっただけで、そのために手入れもしたんだろうし金もかけたから手放すのは嫌なんでしょう。でももし代わりになる道具がでてきて私が必要なくなれば簡単に捨てるだろうってことを私は知ってる。
道具が持ち主を愛さなきゃいけないんでしょうか。しなくてもいいですよね。理解すらしなくていいと思う。泣かせてもエグいとすら最近は思わないです。やりこめることはできる(そのあと包丁が出てきたりとか面倒なことになるので避けることが多いですが)。だって私は道具だし。都合のよいように使えなかったから泣いてるだけでただの子供なんです。あの人は私にとって脅威ではない。ただの面倒な子供で、縁を切ってしまいたい。でもあの面倒な子供は生きてきた年数分だけ聡く狡賢いやり方を知って、攻撃力は半端ないし、私も痛いのは嫌だし職や住まいや恋人を奪われるのは嫌なので空気のように消えていくしかないんだと思います。中途半端はよくない。やるなら徹底的に消息を絶たないと、たぶんいろんな意味で殺されるから。