はてなキーワード: しつけとは
自分で買ってきたわけでもないのに、いきなりある日おしつけられて、永久にプレイさせられるという反レイプ的システム。
どう考えたって倒せっこない数々の敵が当たり前のように続々現れる崩壊したゲームバランス。
自分で好きなだけ色をつくることもできる。自分だけのBGMもつくれる。ただし、これらの機能はbeta版には対応していない。もしこれらの機能を使いたいのなら、必須アイテム「金銭」と「時間」をできるだけ多く用意しなければならない。もしくは、「金銭」と「時間」に恵まれている家庭の子どもとしてプレイを始められるまで、繰り返し繰り返し電源ボタンを入れたり切ったりしなければならないだろう。
それでも電源ボタンに手をかけることだけは絶対禁止され、もしそれを自らの手で押してしまったものは、ゲームの敗者として、冷笑される。いや、まだ冷笑されるだけならましだ。もう大概のプレイヤーはそういった敗者を見下して優越感を得たりすらしない。簡単にいえば「無視」だ。また、電源オフの裏技を防ぐために導入されたのであろう、「プライド」のステータスは高ければ高いほど、他プレイヤーとの軋轢にしかならない。
好きな人と分かり合えることもある。だが、もちろん分かり合えることすらない人間もいるし、もし分かり合えたとしても、やはりここでも「金銭」と「時間(またはゆとり)」が必須になる。これらを著しく欠いた場合、この関係は維持困難になり、旧き良き日として、エンディング直前の回想CG集に加えられるだけである。
やはり、人生はカスゲーだ。
相手のことを考えれば考えるほど、自分の価値観のおしつけになってしまう。
それがなまじっか正論だからたちが悪い。いやならやめればいいとか、そうならないようにがんばればいいとか、
お金かけてもらったんだからそれに応えたほうがいいとか。
好きにやればいいし、だめなやつはそれでいいし、その子がそれで満足しているならいいし、そうなんだけど、その辺がどうも大人になれない。[人それぞれなんだからいいじゃん」って仲がいいほど割りきれない。結局「どうでもいいじゃん」と同義なんではないかそれは?
なりたい仕事につくために頑張ってた友達が結局お金が続かず帰っていった。直前まで私はがんばれってよく居酒屋で話したけど、友達が実家に帰ったことは人づてに聞いた。色々話してくれてたのに。気まずかったんだろうな。まだ連絡はない。いつしか自分
のいうことってプレッシャーになってたんだろうな…こんなんなるならやっぱり直さないとだめだな…
体は大きいが小学校低学年並みの判断能力しかないんだから叱り飛ばせばいいんだ。
スカートめくりをしているような男の子がそのまま大きくなってしまったようなものだ。きちんと叱る必要がある。
誤解を恐れずに言えば犬のしつけと一緒。
ただ保護責任者一人に罪をすべてかぶせていいのか?という問題もある。
こどもを投げ落とした知的障害者に変わって彼を雇っていた会社が賠償をおこなっているとか。
かの会社もかなり慈善事業的な運営である。
社会に受け入れ先のない人、ましてや前歴がある人を雇いたい人など居ない。
だが誰かが受け入れて管理しなくてはならない。
だれかが叱ったり褒めたりしてあげなくてはならない。
体が健常なのに精神が未発達であるのなら家に閉じ込めておくよりもプールなどで適度に発散させた方がコストも最終的な被害度も軽微にすることができる。健常者との交流は健常者次第でいい方向に働かせることができる。
責められるべきはプールのコーチである。現場を押さえて叱らねばならなかった。
彼らは犯罪はその多くが巧妙ではない。
なにより悪さをしない人の数のほうが多い。
罪を憎んで人を憎まずというが、そこまでは要求しない。
せめて人を憎んで類を憎まずであってほしい。
http://anond.hatelabo.jp/20070127004939
>>そうすれば、同性愛者だとかの例外はあるものの、男女ともに危険から逃げられるわけだし。<<
そうでもないと思う。
結果的には「例外」の意外に多いことに気付くことになるだろう。
サンプル数があまり多くないので、断言するのははばかられるが、痴漢に遭いやすい男性、というのは確かに実在する。もちろん加害者は男性だ。しかも必ずしも同性愛者というわけではないらしい。
わたしは初めてひとりで電車に乗り始めた小学校1年生あたりから、実に大学を卒業するあたりまで、ほぼコンスタントに月に1回ぐらいの割合で痴漢に遭遇していた。
パターンは実にバラエティーに富んでいて、触られるはもとより、おしつけられる、抱きつかれる、追いかけられる、見せられる、触らされる、囁かれる、誘われる、衣服とかに白いものを着けられる、トイレの個室に引き込まれるなどが代表的なところか。
ちなみに2chの痴漢スレを眺めると、芸能人で言うと少し前の神木隆之介あたりが彼らの好みらしいことがわかる。
なにかされても自ら体を張っての密かな攻防以外に手立てがないのは、女性と違い、勇気を持って「やめてください!」とか「痴漢です!」とか叫んだとしても、明らかにこっちがおかしいやつと思われるのがオチだろうという、ある種の確信的な諦観からだ。緊急避難のために次の駅で降り、駅員に助けを求めるときも、「怖いヤツに追われてる」とウソをつくことになる。
女性が待ち合わせに遅れるといつも「痴漢に遭って途中駅で降りたのでは」とかつい思うのだが、そんなことはめったにないらしい。
男の性欲ってのは、それを抑圧すれば抑圧するほどそのベクトルは歪み、腐敗し、さらには増大していくものなんではないかと思う。
性犯罪者は圧倒的に男性が多いというのはよく知られている事実だが、その一般的にノーマルと思われる性癖の性犯罪者をひとところに集め、監禁してみると、絶対に「共食い」が始まるに違いない、とわたしは思うのだ。というか、刑務所内ではやはりあるらしいじゃないか。「共食い」。それが「男性専用車両」で起こったらと思うと、おぞましさに戦慄を禁じえない。
余談だが、ブラザートムがまだ小柳トムという芸人だった頃、私鉄の電車内で痴漢に遭ったという話を聞いたことがある。当時も今も彼は誰がどう見たって男らしい男にしか見えないと思う。痴漢というのはそんなにも便利に自分の性癖を環境に適応させうるものなのだろうか。
あ、件の映画「それでもボクはやってない」は制作者サイドが痴漢という部分をことさらに強調しないように広報活動を行っていたらしい。あくまでも司法上の問題を提起というのが主眼とかで。あきらかに集客目的で痴漢犯罪をフィーチャーしたくせに、盗人猛々しいぞ。
前回、
追試により証左を求めることが出来ない科学は全て『ニセ科学』だ!
と、定義してしまった場合の科学の脆弱性について書いたのですが、コメント欄や、トラックバックの反応を見れば解る様に到底容認出来ない!って思う人がどうしても出ちゃうんですね。
私個人的には、この定義が一番すっきりして好きなんですけど、この定義では、進化論や心理学や歴史の分野なんかもニセ科学になっちゃって困る人がいっぱい出るわけですよ。(相対性理論は違う…)
そこで、トラックバック先にもある『反証可能性』と言うものをニセ科学との判別に使えばよいというのを哲学の偉い人が言ったわけですが
実はこれもそうとう厄介な代物でして
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E8%A8%BC%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7
反証可能性の判定の困難さ
ある仮説が反証可能性を持つかどうかを判定することは難しい。次のような実験を考えてみよう。降霊会を開いて霊を呼び出す実験が失敗した。心霊現象に否定的な学者は、少なくとも今回用いた方法(条件)によって霊を呼び出せるという仮説が反証されたと考える。これに対して、心霊現象に肯定的な学者が「霊の実在を疑う者がいたための失敗」と反論する。ここで、もし心霊現象に肯定的な学者が「霊の存在を疑う者が降霊会場に立ち入らず、遠隔のビデオカメラによって撮影するならば、降霊は成功する」と付け加えるならば、この降霊理論は全体として反証可能性を持つものになる。つまり、メインの実験が失敗した後で主張者がそれに補助仮説を付け加えたとしても、その補助仮説が反証可能である限り科学的検証の場に立つことができる。反証可能性が否定されるのは、例えば、「心霊現象は科学的に分析できない」と主張するような場合である。したがって、安易に「この仮説には反証可能性がない」「これはアドホックな補助仮説である」と断定するのは危険である。
上記の『反証可能性の判定の困難さ』を読んでもらえれば解るように、ニセ科学のような学会とは違うフィールドで議論したい方に納得してもらうのは相当難しい考え方なんですよね。
時間を置いてしまいましたが、これが私の考える科学がニセ科学を糾弾することの難しさを簡潔に纏めて説明したものです。
さて、前回の文章を読めばわかると思いますが、私はインテリジェント・デザイン否定派でございます。
そんなものを科学と認めてしまえば
僕、ゼロが分母の割り算の答えがわかったよ!
…答えは『神のみぞ知る』だ!
みたいなことを言い出す生徒が出てきても不思議ではありません。
私に進化論に代わる理論を求められる方も居られるようなのですが、科学とは別に対案を出さなければ語る資格の無い場ではないのです。解らないものは解らない、納得できないものは納得できないと言ってしまえば良いのです。
別に生きていく上で解らなきゃ困ることもそんなありませんしね。
あー、他にナチスの優生論絡みで、突然変異の奇形は大事にすべきだ。というネタとか
相対性理論でも否定されずに生き残ったボーアの理論について書こうと思っていたのですが、ちょっとやる気がなくなったので気になる人は調べてみたりあれこれ推論してみたりしてください。(伏線未消化宣言)
その代わり、最後に私から皆さんにぜひ読んで欲しいお勧めの文章があります(コメント欄含)。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1164299987
ホワイトカラー・エグゼンプションなんてとんでもないルールを国民に押し付ける前に、厚労省の課長以上の官僚や自衛官の佐官以上の全員の給与を、全部ホワイトカラー・エグゼンプションにすべきではないかな。
教師に「愛国心教育」を強制しているのだから、政府の官僚もホワイトカラー・エグゼンプションに参加して愛国心を示してもらおうじゃないか。そうすればかなりの節税になって国民の理解も得られるだろう。
などと提案しても、連中は絶対に「わかった」とは言わないだろう。
厚生労働省の課長以上には、管理職手当という手当が支給される代わりに残業代が一切支給されない(公務員は労働基準法適用除外、ということで一応合法らしい)。ということで、「絶対に『わかった』とは言わない」どころか、すでにやっているわけですな。
もちろん、それとホワイトカラー・エグゼンプションの是非は別だけどさ。
労働時間規制を一部撤廃するホワイトカラー・エグゼンプション(適用除外)を議論する厚生労働省の審議会は21日、労働者側の合意が得られないまま導入に向けて結論を出す見通しが強まった。これに対し、働き過ぎで死にかかった体験を持つ元管理職らから「長時間労働を拡大する過労死促進法だ」との批判の声が広がっている。
夫や息子の過労死、自殺の悲劇を体験した遺族らは、厚労省に導入撤回を申し入れたのを皮切りに、東京都内のオフィス街で反対を訴えたり、審議会のメンバー全員に手紙を送るなど要請行動を展開している。
大手ゼネコンの元技術者秋山光夫さん(56)は「自律的な働き方なんてない。ノルマや成果主義に強制される働き方だ。厚労省は法改悪ではなく、労働時間を守らせ、長時間労働や過労死を減らす対策を強めるべきではないか」と訴える。
http://www.sannichi.co.jp/kyodo/news.php?genre=National&id=2006122101000602.xml
労働者側の合意が得られないまま導入に向け結論って、じゃあなんのために労働者側を入れて議論していたんだ、と。
ホワイトカラー・エグゼンプションなんてとんでもないルールを国民に押し付ける前に、厚労省の課長以上の官僚や自衛官の佐官以上の全員の給与を、全部ホワイトカラー・エグゼンプションにすべきではないかな。
教師に「愛国心教育」を強制しているのだから、政府の官僚もホワイトカラー・エグゼンプションに参加して愛国心を示してもらおうじゃないか。そうすればかなりの節税になって国民の理解も得られるだろう。
などと提案しても、連中は絶対に「わかった」とは言わないだろう。
自分でできもしないルールを国民にだけおしつけようという厚労省の魂胆が気にいらない。
どうしても、ホワイトカラー・エグゼンプションを導入したいのならば、日本株式会社の総本山である、公務員への導入から初めて頂きたい。多くのサラリーマンの根本を揺るがすホワイトカラー・エグゼンプションは、「隗より始めよ」である。
匿名日記だけに著作権云々いう人はいないと思うので、出典元明記の上全文転載するよ。
GONZOで面白かったアニメといえば、カレイドスター、巌窟王、クロノクルセイド……バジリスクは見てないが評判はいい。
アニメDVDが売れないのはGONZOは――とひと括りにできる問題ではないのだろうが、あえて述べるならば、全体的にアングラ的なセンスとオサレ感が濃いせいではないかと邪推する。華がある作品が乏しいのだ。DVDまで買いたくなるアニメとはインパクトある感動を実現したアニメであり、感銘と衝撃がある一線を超えたときにはじめてアニメファンの購買意欲は刺激されるものだ。それでなくてもアニメ企画の過剰化が叫ばれて久しいアニメ業界であり、これほど苛酷な環境の中で視聴者の思い出となって記憶として生き残れるようなアニメ作品を作り上げるのは困難を極める作業であろう。一過性の話題はあっても、長く記憶に残るような域にまでに感動が達した作品があるかと問われると答えに窮する。複数の制作ラインがアニメ会社としての強みではなく、戦力分散の愚を冒しているように感じられ、その点、常に話題に上るアニメ作品を確実に仕上げてくる京アニとは対照的だ。
また、一部こころないアニメファンから原作クラッシャーと称される制作能力も売上を減らしている一因ではないだろうか。先ずは批判を真摯に受け止め、彼らアニメファンが求めているものの本質を理解して、批判してきたファンたちを唸らせるような作品で見返す日がいつかくることを期待しながら、カレイドスターの新作が一刻も早く作られるよう心より願う。
早い話が全ての元凶はガイナのトップ
それにしたって最近の取りあえず萌えみたいなアニメは買う気はおろか見る気もオキネ
多分懐古厨乙なんだろうがな
萌えってもんの定義は人によって違う筈なのに意図的にメイド=萌えだとか、ツンデレ=萌えみたいにして萌えを商品化した連中が、同様に売れない原因も作ってるわけだから同根の問題だろ
自分達のマッチポンプがうまく動かない理由を外部に求めても始まらないのにな
まあ、宣伝効果のプラスと売り上げ減のマイナスの兼ね合いなんだろうけどね。アニメの作風にもよるだろうし。
で、奇麗事はさて置き、nyは売り上げ的にマイナス面が大きい気がするけどな。
DVD自体が流れてるし、アニメスレ住人も少しでも高画質な職人のを落とそうとする。
で、良かったからDVD買うなんて話は終ぞ見たことが無い。
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2005/03/08/6754.html
GONZOってLAST EXILE作ったとこだよね。あれよかったな〜。アルヴィスの動きの付け方には感動して興奮した。
SoltyReiは面白かったと思うよ!
http://anond.hatelabo.jp/20061115093743
概ね同意。ただ、
まわりの大人達の対応の仕方は、悪くないと思うよ。だって、言葉による意思表示をしてくれないんだから、ステレオタイプ的な判断しかできないじゃん(心に問題を抱えているんじゃないか、とか、虐待されてるんじゃないか、とか)。
物語内の周りの大人の反応についてはその通りなんだけど、そういうことではなくて、そのようなイメージでもって観るもの(つまり我々)へ働きかけようと試みる製作者の粗雑な意図を知っていてなお「感動」するのはどうなの?ってことなんだよね。
だから、↓このひとが
http://anond.hatelabo.jp/20061115110850
(引用略)
などと、異なる立場の意見の表出に対して「価値観の相違」だとか「押しつけるな」だとかいうナイーヴな反応を、まるで小動物のような身振りで反射的にとってしまうことの滑稽さについてはいまはとりあえず問題とはしないとして。
現実の凄惨さを背景に流布している一連の児童に関する暗いイメージを、あのCMがまさにそうしているような形で、単なる物語の辻褄合わせとして(簡単にいえば「ネタ」として)消費するどころか、そのような粗雑な策略にあまつさえ感動してしまう自分の姿を、鏡でよく見たらいい。その上で、「何に感動するとか、しないとか、そんなの人によって異なる」などといえるのなら、まぁ別にどうだっていいんだけど。
僕は三十歳になっていた。目の前にはこれからの十年間が、不穏な道としてまがまがしく延びていた。
(中略)
三十歳――それが約束するのはこれからの孤独な十年間だ。交際する独身の友人のリストは短いものになっていくだろう。熱情を詰めた書類カバンは次第に薄くなり、髪だって乏しくなっていくだろう。でも僕の隣にはジョーダンがいる。この女はデイジーとは違い、ずっと昔に忘れられた夢を、時代が変わってもひきずりまわすような愚かしい真似はするまい。車が暗い端を渡るとき、彼女はいかにもくたびれた様子で僕の上着の肩に顔をこっそり寄せた。そして誘いかけるように手を押しつけてきたとき、三十歳になったことの暗い衝撃は、僕の心から遠のき霞んでいった。