「煽り」として機能するんじゃないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20061115145549
と書こうとして文字数制限に引っかかった。
「津波速報うぜえ」「でかいの来ればいいのに」ってレスは煽りだとわかってても悲しくなる。
純粋/正義ぶるつもりはないし、ほぼネット歴=2ch歴なんで大抵のレスでは動じないんだけど、罪のない人たちの人の生き死にを「面白イベント」としてとらえることができちゃう神経だけはどうしてもわかんない。
というかまあ、自分が津波被害受けそうだから腹が立ってるんだけど…
http://anond.hatelabo.jp/20061115093743
概ね同意。ただ、
まわりの大人達の対応の仕方は、悪くないと思うよ。だって、言葉による意思表示をしてくれないんだから、ステレオタイプ的な判断しかできないじゃん(心に問題を抱えているんじゃないか、とか、虐待されてるんじゃないか、とか)。
物語内の周りの大人の反応についてはその通りなんだけど、そういうことではなくて、そのようなイメージでもって観るもの(つまり我々)へ働きかけようと試みる製作者の粗雑な意図を知っていてなお「感動」するのはどうなの?ってことなんだよね。
だから、↓このひとが
http://anond.hatelabo.jp/20061115110850
(引用略)
などと、異なる立場の意見の表出に対して「価値観の相違」だとか「押しつけるな」だとかいうナイーヴな反応を、まるで小動物のような身振りで反射的にとってしまうことの滑稽さについてはいまはとりあえず問題とはしないとして。
現実の凄惨さを背景に流布している一連の児童に関する暗いイメージを、あのCMがまさにそうしているような形で、単なる物語の辻褄合わせとして(簡単にいえば「ネタ」として)消費するどころか、そのような粗雑な策略にあまつさえ感動してしまう自分の姿を、鏡でよく見たらいい。その上で、「何に感動するとか、しないとか、そんなの人によって異なる」などといえるのなら、まぁ別にどうだっていいんだけど。
集合知みたいなチープな表現は使いたくない。
増田民ひとりひとりが脳神経(シナプス)なのだ。シナプスそれぞれには名前が与えられていないが、試行錯誤や問題解決にあたり、連携したり反発したりしながら、問題点を洗い出していく解析装置なのである。
興味深い比喩だ。
「日本人は議論における批判を自分への人格攻撃と捉える」と言われることがある(google:日本人 議論 批判 人格攻撃)。
ならば、いっそ、その人格に貼られたラベルである名前(実名やペンネーム)を消してしまえば、記事の論証を吟味する作業に集中できるはずだ。増田から外部へ行う批判は、増田だけが匿名なのでフェアじゃないと言われるかもしれないが、増田内では議論への参加者が全て匿名なのでこの条件は満たされている。
『君主タイプ』の「議論の成立過程を重視」という姿勢は増田民にも必要だ。議論の成立過程を把握するとともに、個々の記事内容の吟味にぬかりがないのが軍師かと。
全体を見守ってバランスをとる。
議論の内容よりも、議論の成立過程を重視。
とにかく他人よりも上の位置で胡坐をかいていたい。
誰が言ったかより、何を言ったかを重視する。
好きなことを好きなだけ書き散らかしたい。
出世にも手柄にも興味はない。
何を言ったかより、誰が言ったかを重視。
とにかく自分の手柄を主張する。
「この問題を最初に指摘したのは俺だから!」(問題自体はどうでもいい)
自分の中だけでサイクルが完結している。
誰かに何かを教えたり、自分の考えを書き残したりしない。
山に篭って一人きりで思索にふける。
誤報の量を記事の量で割ってみると、他サイトと同じくらいなんじゃないかと思う。
あれだけ書いてりゃ間違いもあるよね。でも、間違ってない情報の量もそこそこにあるから個人的には許容できる範囲です。
さて、なんて読むのでしょうね