http://anond.hatelabo.jp/20061221135114
閾値なんか自分で変えればいいじゃないか。
http://b.hatena.ne.jp/entrylist?url=http%3A%2F%2F&threshold=3
threshouldの値を好きにすればいい。
10なら↓
http://b.hatena.ne.jp/entrylist?url=http%3A%2F%2F&threshold=10
http://www.youtube.com/watch?v=LT9Ejcd9zCE
ガオーラーイマイランクヮントライホーパイーパハィペルロォーン
パオーチャカンブロッブルロッホックワンプアライッハライランセイーン
カーカイフーワィライモッデンチャンヘンカンルランー
ルライーマグォンヘンルランルランローマイダイッモファイフラーフマンー
ブルァイッアイモッター
スーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
http://anond.hatelabo.jp/20061221131921
主婦同士でしゃべっていると、「同じ内容のレス」が会話でも起こる。
しかも、3人いたら3人が個別かつ同時に発声してることがある。聞かずに話す。
労働時間規制を一部撤廃するホワイトカラー・エグゼンプション(適用除外)を議論する厚生労働省の審議会は21日、労働者側の合意が得られないまま導入に向けて結論を出す見通しが強まった。これに対し、働き過ぎで死にかかった体験を持つ元管理職らから「長時間労働を拡大する過労死促進法だ」との批判の声が広がっている。
夫や息子の過労死、自殺の悲劇を体験した遺族らは、厚労省に導入撤回を申し入れたのを皮切りに、東京都内のオフィス街で反対を訴えたり、審議会のメンバー全員に手紙を送るなど要請行動を展開している。
大手ゼネコンの元技術者秋山光夫さん(56)は「自律的な働き方なんてない。ノルマや成果主義に強制される働き方だ。厚労省は法改悪ではなく、労働時間を守らせ、長時間労働や過労死を減らす対策を強めるべきではないか」と訴える。
http://www.sannichi.co.jp/kyodo/news.php?genre=National&id=2006122101000602.xml
労働者側の合意が得られないまま導入に向け結論って、じゃあなんのために労働者側を入れて議論していたんだ、と。
ホワイトカラー・エグゼンプションなんてとんでもないルールを国民に押し付ける前に、厚労省の課長以上の官僚や自衛官の佐官以上の全員の給与を、全部ホワイトカラー・エグゼンプションにすべきではないかな。
教師に「愛国心教育」を強制しているのだから、政府の官僚もホワイトカラー・エグゼンプションに参加して愛国心を示してもらおうじゃないか。そうすればかなりの節税になって国民の理解も得られるだろう。
などと提案しても、連中は絶対に「わかった」とは言わないだろう。
自分でできもしないルールを国民にだけおしつけようという厚労省の魂胆が気にいらない。
どうしても、ホワイトカラー・エグゼンプションを導入したいのならば、日本株式会社の総本山である、公務員への導入から初めて頂きたい。多くのサラリーマンの根本を揺るがすホワイトカラー・エグゼンプションは、「隗より始めよ」である。
http://d.hatena.ne.jp/tomo-moon/20061128/1164696532
大手小町って何度も何度も何度も何度も同じ内容のレスがついてて何でだろうと思ったんだけど、それは彼女(彼も含む?)たちにとって自分語りなのね。だとすれば何度も何度も何度も何度も同じ内容のレスがつくのも理解できる(共感はできないけど)。傍からみてどうみても同じにしか見えないとしても自分のことである限り個別事象だもんなぁ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%B2%E7%A9%BA%E9%96%93#CMYK
そこで、黒(Key plate)の発色をよくするために別途黒インクを用いるようになったのがCMYKである。キー・プレート (key plate) とは画像の輪郭など細部を示すために用いられた印刷板のことであり、通常黒インクだけが用いられた。なお、Kは"blacK"の略とされることが多いが、これは本来誤りである。
適当にいくつか質問を開いてみて、その中でよく見かける回答者がいれば、たいていポイント目当て。
好きなのを選んで拒否リストに入れろ。
http://anond.hatelabo.jp/20061220173027
ちなみに「ケンタのフラチン」はGoogleでフレーズ検索すると「"ケンタのフラチン" の検索結果 約 492 件中 1 - 10 件目 (0.04 秒) 」となる。
私が「ケンタのフラチン」という言葉に出会ったのは、知人から「ラジオで宮地佑紀生(つボイノリオだったかもしれない)が「ケンタのフラチン」って言ってて爆笑しちゃったよ」という話を聞いたときのことである。
まっすぐな線。
少しも曲がっていない細長いすじ。
弓形やS字の程度がはなはだしくなく、細くて長い、細長く連なったもの。
弧をなしている度合いが普通の状態をはるかにこえていなく、幅が小さく、空間的隔たりが大きい、連なったもの。
円や放物線などの一部が形づくっているもののほどあいが一般と特に異なっていなく、短いほうの端から端までが占める大きさが少なく、長いほうの端から端までが占める大きさが多い、切れること無く連なっているもの。
ヌルオタのたわごとなので、ツッコミたい方はどうぞ。
少し前に、再びファンタジーが流行るっていう言説をちらちら見たんだけど、「ゲド戦記」があれな感じだったし、「ブレイブストーリー」はそれな感じだった。いや、見てないけど。評判の話ね、評判。
俺には最近の若い衆の感性は分からんけれども、団塊Jr世代としては、正統ファンタジーの世界観…というか、いかにもRPG的な(といえば良いのか?)ファンタジーの世界観みたいなものにはなんか、いい加減、限界を感じるというか、正直、陳腐さしか感じない。
もちろん、欧米の肉を食っている連中が作ったファンタジーにはある程度の説得力がある…「ロードオブザリング」やら、「ハリポタ」やらには。連中の身の丈にあったファンタジーだから、それなりのリアリティの裏づけがある。(でもぶっちゃけあんまりたいしたことないよな、みたいな部分もある)
日本のファンタジーの場合、一般認識として良く知られるようになったのは、ドラクエとかロードスとかゲームからである訳だから、リアリティの部分では、どうにもこうにもならないというか(結局、ベルセルクで一番評価された部分はリアリティだと思う)。さらに言えば、日本の場合、アニメとかマンガがメインストリームだし、リアリティ問題というのはかなり大きいと思ったりとかしていた。(かといって、実写の時代劇を求めているわけではないんだけれども…)
まあ、例外的に、アニメの「蟲師」とか、良い作品もあったけれど、ああいう(後期(笑)の宮崎駿のにおいを感じるような)土着的なアプローチもあるけど、あれは、90年代後半の残滓というべきもので、流行るんだったら、また違うアプローチのファンタジーではないかとは思っていた。
まあ、そんなことを思っていた訳だが。
そんなときに、漫画版「皇国の守護者」とライトノベル「ジョン平と僕と」を読んで衝撃を受けた。
(以下、ちょっとだけネタばれするので、注意!)
まず、「皇国の守護者」だが、従来のファンタジーの枠を超えている作品であることは誰しも認めざるを得ないと思う。まず、舞台は、土星のような輪のある地球とは別の惑星らしい(輪は夜、地上からは光って見えるので、「光帯」と呼ばれている)。で、竜がいる。(弱いながらも)魔法もある。じゃあ、ベタベタのファンタジーか?まったく違う。それらはあくまでも脇役だ。これは戦争の漫画である。具体的に言うと、テクノロジー的には明治維新より少し前(+竜や魔法)のレベルで戦争するのだ(蒸気船が実用化した程度のレベル)。そして、主人公の名前は「新城直衛」中尉(日本人名!)。強大な侵略者はドイツやロシアみたいな名前の人物たち!彼はそいつらを相手に絶望的な戦いをしたたかに切り抜けていく。すごい!燃えるぜ!
もう一方の「ジョン平と僕と」も、ちょっと変わったファンタジーだ。ほとんど、現代日本に近い世界だが、魔法が日常的に使われる世界。まあ、使い魔とか魔法の仕組みの説明とか、お約束があるものの、何よりすごいのは、その「呪文(のシステム)」だ(と思う)。ネタばれになるので書かないけれど、こういう身近な材料を使ったオリジナルの世界観って大事だよな、と再確認させてくれるものだ。で、主人公の重(しげる)少年も一生懸命戦う。もっとも、読後は、失恋に似た味わいがあったが…。
とつらつら書いてきて思ったのは、俺自身のファンタジーのツボというのは、「身近な材料を使ったオリジナルの世界観」の中で、「一生懸命戦う」ことだと思った。「感情移入を阻害しない程度の異化作用の持つ独自ルールの中の世界の中」で、知恵と勇気を振り絞り、ぎりぎりで戦う。彼らの「一生懸命さ」、「ひたむきさ」に心打たれる。マジで泣いてしまった(…年だ)。
今でも、「独自の世界観のファンタジー」が次に来るのではないかという言説が一部であるが、さて、どうなんだろう。来年、どういう作品が出てくるのか楽しみだ。
当時のアテナイでは、扇動政治家(デマゴーグ)に踊らされた一般市民が、陶片追放(オストラシズム)によって
有能な人物をも追放してしまうなどしていた。
衆愚衆愚とのたまってる奴は、斜に構えた論壇系ブロガー(笑)に扇動されてるだけと違うんかと。「注目エントリー」「人気エントリー」てタイトルに表されてる通り、ユーザーの関心が集まっているページが表示されてるだけなんだから、情報の質が保証されてるわけではないのは言うまでもないだろう。情報の語られ方(発信者のスタンス)を把握した上で、本質を見極め、別の情報源にもあたっていくのが賢い情報の集め方だと思うが、そう考えれば、情報源に「特性」はあっても「欠点」なんかないと思うのだが。
はてブの衆愚化がどうしたこうしたと論じるのは、2ちゃん見て「マスゴミ」がどーのこーの言ってる連中と大してレベル変わってないんじゃねーの。
http://anond.hatelabo.jp/20061220185706
ちょう同意。セロの手品は観客と共犯関係の上に成り立っている。
手品の種類には二種類あって(かってに俺分類)、ねたが分からんスゲーというのと、ねたはなんとなく分かるけどスゲーというのがあるんだけど、セロのはどっちでもない。ねたが分かる上に、なんとなくできそうな気すらする。
この前の特番で、セロが八嶋のめがねを割ってたけど、割れてなかった。えーと、最終的には割れてないのは当然なんだけど、割れた状態のめがねを引きで撮ってた画がどうみても割れているようにみえなかった。アナログだとたぶんそこまで判別できないんだと思う。で、テレビの前のみんなはともかく驚いてみせる八嶋は割れているかどうかは確実に見えているわけで、そこを疑えば謎は謎ですらない。なんだか叙述トリックのミステリーを読んでる気分だ。
というか番組の作り自体がバラエティーなんだよね。セロが出る番組って。つまり、以前は芸人が体を使って「この人たちバカだねー」と笑いをとっていたのに対して、今はセロの手品で「この人たちバカだねー」と製作側が視聴者を笑っていると。