はてなキーワード: お嬢ちゃんとは
583 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/27(土) 10:10:30 ID:f3U2pQPF0
toledはどうしようもないな。
よりによって石蹴りを欺瞞呼ばわりするとは。
http://h.hatena.ne.jp/toled/9236533321110152457/
584 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/27(土) 10:22:36 ID:8/3SJoxjO
583
日本を消したいのか、外国人の権利を尊重したいのか、どっちなんだよ。
585 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/27(土) 10:34:45 ID:mXomHyN00
583
絵にかいたようなお花畑脳だな
こんな奴に人一人も救えるわけがない
せいぜい押しかけて迷惑かけるくらいが関の山だろう
586 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/27(土) 10:43:16 ID:IzKePAWL0
583
特権で上手い汁すすってる一部外国人を許す反日団体はウンコだって理屈も成り立っちゃうんだけど。
日本人は全員差別者と叫んだお嬢ちゃんといい、自分で自分の首絞めるのが好きな連中だね。
587 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/27(土) 10:45:22 ID:bM1xEUnu0
550
それって油豚と同じじゃん。
あいつの場合卒業は出来なかったけどさ。
なるほどなー
そら村以外だと浮く訳だわ。
588 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/27(土) 10:58:17 ID:79MknaMx0
いしけりもそうだし、thscやfurukatsuや犬もそうなんだが、
彼らは私憤を公憤に言い換えているんだよな。
俺が気にくわないこの問題は社会の問題だって言い方。
これは、一見、視野狭窄で私利私欲にまみれていたりする。
確かに、ご都合主義だ。
翻って、猿一派、hokusyuやシートン、常野なんかは公憤で他人を罵倒してオナニーしている。
確かに連中の批判は正しいことが多い。
差別はいけませんとか、歴史修正主義はいけません、とか確かに正しい。
でも、こいつらは何をしたいのか目標が出てこない。
具体的にどうしたいのかが見えてこない。
正しい言葉をがなりたてて、レッテルを他人に張り罵倒するだけだ。
589 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/27(土) 11:01:48 ID:gUavFkzG0
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-2066.html
この辺の記事に反応しているはてサいる?
どういう反応か知りたい。
590 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/27(土) 11:04:37 ID:n1efOw5d0
588
彼らは私憤を公憤に言い換えているんだよな。
私憤を興奮に言い換えているのは、規制派も同じ。
あるいは養子縁組を取りつける以外に有り得ない。
(遊び金欲しさに売春をする未成年者は別の話なので、ここではあえて限定)
自分で身銭は切りたくない。援助もしたくない。支援も言葉だけ。しかし、名誉と実績だけは欲しい。
じゃあ叩きやすいところから叩こうじゃないか、というのが規制派の本音だろ。
身銭も切る。援助もする。支援活動もする。その上で名誉と実績を築いている黒柳徹子が一番えらいって話だ。
591 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/27(土) 11:13:52 ID:f3U2pQPF0
石蹴りの人もなかなか皮肉の効いた返し方するなー
http://h.hatena.ne.jp/isikeriasobi/9234070417904426813/
On our first trip I tried so hard to rearrange your mind.
But after while I realized you were disarranging mine.
You better stop, look around, here it comes,
Here it comes, here it comes,
Here it comes. Here comes your nine-teenth nervous breakdown.
592 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/27(土) 12:01:49 ID:gsSuZHzt0
http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Sanfanfenzi.jpg
593 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/27(土) 12:55:40 ID:7RLItaC+0
石蹴りの事例でキチガイサヨクに左翼が紛れ込むと粛清されるのがよく解った。
この場合、「悪貨は良貨を駆逐する」じゃなくて
「悪貨が直接手を下して良貨を駆逐する」んだな。
595 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/27(土) 13:07:41 ID:5mFhPHZm0
593
極左からみると左も右、の理論で粛清されてどんどん先鋭化していくもんなー
粛清におびえる下っ端がスケープゴートとして真っ先にリンチかけるし
hokusyuなんか本人がエロゲオタなだけに特に今粛清におびえてるんじゃないのw
596 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/27(土) 13:10:59 ID:+0JsvEbl0
toledが致命的にダメなのは、はてサ的な「反日」「反日の丸」もまた
日本の症状に過ぎないことをわかっていないことだな。
ただでさえ立場の弱い人たちを矢面に立たせて安全地帯から石投げんなと。
597 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/27(土) 13:41:10 ID:TfhKjYzt0
ごめん俺も意味わかんない
598 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/27(土) 13:41:19 ID:QbdD0vmz0
まあ日本人だからね。
ちょっと反日してみたところで生きるか死ぬかの事態にならないもんな
599 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/27(土) 14:31:38 ID:+0JsvEbl0
598
600 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/27(土) 15:39:57 ID:4rPqM7tfO
あいつらが支援している外国人も反日なんだな、という目で見られる。
「見られないよ」という奴がいるとしたら本気で同情する。
601 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/06/27(土) 19:10:49 ID:kM9e3smo0
toledとか、それにスターつけてるtzetze、horai551、lever_building、Romance
お嬢ちゃんは、自分でテーマをみつけて反日やればいいと思うよ。
口先だけじゃなくてさ。
これ以上わけの分らんことを言って石蹴りに難癖つけるのは営業妨害そのもの
だろう。
http://ekken.blog1.fc2.com/blog-entry-326.html
これであなたもGIGAZINEになれる! ……かも
はてなブックマークで「ある特定のブログのエントリが、その内容の優劣にかかわらず多くのブックマークを集める」ことをGIGAZINE問題というらしいのです。人気ブログGIGAZINEのエントリは、そのほとんどがホッテントリ入りすることから言われていることなのでしょう。
僕ははてなブックマークは人によっていろいろな使い方をされているんだよでもチラッと書いているのだけど、はてブにはいろいろな使い方があるから、他人の使い方に対してガタガタ言うもんじゃない、ツールは好きに使っても良いだろ、バーロバーロ! などと思っているのですが、先ほどGIGAZINEのあるエントリがやはり多くのブックマークを集めているのを見て、ちょっと意見を転向します。
いや、やはりGIGAZINEは人気があるのでしょう。多くの人の支持を得ているのでしょう。いいネタをチョイスしているのでしょう。
しかしなー、アレはないよなぁ……
アレ→エースコックが「ホントに焼いた 本焼そば」を発売 - GIGAZINE
このエントリさぁ、文中でも「"詳細は以下の通り"」でリンクされているけれど、日経プレスリリース-エースコック、麺や具材を香ばしく焼いたカップ焼そば「ホントに焼いた 本焼そば」を発売の劣化コピーじゃん!
そのまんまコピペではないけれど、ただ文章を改変して日経プレスリリースでは別画面への画像になっているのをimgタグでそのまま表示しているだけじゃん!
引用ですらないじゃん!
自分の主張がなにもないじゃん!
読書感想文をネットから拾って提出している小学生と同じじゃん!
というわけで、君も貴方も坊ちゃんお嬢ちゃんもおじいちゃんもおばあちゃんもみんなGIGAZINEになる方法がわかりました。
3年くらい全く成長していないGIGAZINEに糞わらた。
10年後くらいに同じ事を言われてるGIGAZINEが余裕でいる気がしてなりません。
ワンルーム暮らし。
壁は薄くないはずだが、去年の夏ごろ引っ越してきた隣室の女子大生っぽいギャルが在宅中爆音を垂れ流すので地味に響いていた。
それまでは男が住んでいた部屋で、宅飲みでも開いてなければ音なんて気にならなかった。
丁度冬になる頃である。
それまで洋楽系を垂れ流していた隣室の姉ちゃんがいきなり平井堅なんかを垂れ流し始めた。
大音量なのは変わらなかったが、いつもドンドンドンと重いビートを刻んでいた壁がしっとりとしたメロディーを通し始めたのだ。
多少騒音公害はましになったので、安心して俺は正月、実家に帰っていたわけだ。
それが昨日、どうよ。
夜中の3時くらいにいきなりAVかっていうくらいの悲鳴みたいな喘ぎ声が響いたわけよ。
男の声は全然聞こえないんだけども、
女の方のアーとかキャッとかいう恥ずかしい声は聞こえるわけ。
「ほんっとヤバいってー」とか聞こえてくるの。
小刻みな嬌声の後に「今日はもう無理。無理だからー!」とか聞こえるわけ。
高い声が響いてくるから寝られねぇのなんの。
彼氏が鷹さんばりのテクニシャンでないなら、お嬢ちゃん。あんたちょっとはしゃぎすぎ。
そう思ったね。
http://d.hatena.ne.jp/font-da/20081207/1228655595#c1228774814
わあ、なんて素敵な。乙女ちっく。女性らしい感性豊かで、女教師にはもってこいってな感じだね。
これはもう驚き。寝ようと思ってたもんだから、破壊力高すぎ。5分ぐらい笑っちゃったよ。もしくは寝る前、見たから愉快なんであって、寝起きにみれば不愉快かもね。どっちにしろ大した違いはないか!
これはもう、どう返したらいいもんか、Apemanさんも困るだろう。『そ、そうですか』ぐらいなもんか。まともに怒ったら女の子は泣いちゃうぞ!
ワイマール共和国の人たちにだって不況という社会的状況があったわけで、何も考えずにホイホイ、ヒトラーに先導されたわけじゃないでしょう。もしくは、大日本帝国は天皇に扇動されていってしまった哀れな大衆だらけだったの?
私(たち)以外はみんな馬鹿、だなんて、それこそ下らないポストモダニズムの弊害みたいなもんでしょう。大学人に導かれる哀れな子羊とは人をあんまりにも馬鹿にした話だ。
あのね、これだけ南京事件に誠実に向き合った人がどうして貴方が南京事件を無化できる言論に理解できるのか、と聞いているわけだから、それに答えてください。どうして、貴方は自分の興味のあることしかしゃべれないの?それともこれが、「言葉は届いても、声は届かない」ってやつの実例なわけ?
確か、ぼくが貴方のなんだったかよくも思い出せないことに、サブカル言論が大学人よりマーケティングに成功しているといっても、それが一般的に成功したってことじゃないだろ、って今のコメントと同じくらいに粗暴な感じのエントリを書いたことが貴方と僕との唯一のコミュニケーションだったと記憶しているけれど、東の話だってやっぱり人口に膾炙したとは言えないよね。それで聞きたいのだけれども、貴方はどれくらい「コスト」を払えば認めてくれるわけ?図書館でとても帰るはずないし、万に一つ買ってもアパートの床は確実に抜ける南京戦史を読み漁ってる学生に一年間がっしりバイトして南京市に行くまで認めないとか?ああ、それともパパのお金でひとっとびでもいいのかな?バカンスはどこへでも世界中をひとっとび、ときたもんだ。あ、それともそれとも、歴史学者の(細い細い)道をスパッと諦めて公務員試験を受けてエリート官僚になってゆくゆくは国家ぐるみで思想教育をやるまでにならないと認めない、とか?
お嬢ちゃんがどんな実存的で高尚でぼくら愚民には見当もつかない深いふか??いご賢察があるのか知りませんけどね、どんなことにも(特に歴史の話なら)フワッとした素敵なことを言って片付くような問題はないってこと知りなさい。それなら4年以上も大学なんていって全部無駄だったのかよ。偏見丸出しの馬鹿に、これだから『女の子』はw、なんて言われて、『女の子』って言わないで!、って言えば片付くようなもんなのか、おねえちゃんのやった学問ってやつはよぉ。
「勝ち組」の代表格に勝間和代という人がいる。いや、別にこの人だけを槍玉に挙げるつもりはないのだが、あまりにもわかりやすかったので。
やたらとポジティブな自己啓発書を次々と出しておられる方だが、やっぱりこういう人だったか。以下の記事の末尾を参照。
座右の銘は、「起きたことはすべて正しい」。
来たよ来たよ。要するに "This is the best of all possibile worlds" というやつですな。何百年も前に使い古された「最善説」というやつです。本を月に何十冊も読む(上記記事参照)のなら当然ヴォルテール「カンディード」なんて小説なんかも読んでるんだろうね。フランスなんかだと古典の教科書として国語の授業で教えられるような本ですよ。もう一度読みなおすことをお勧めしますよ。この方が既に以前に指摘していることですが、もう一度書かねばなるまい。
この「カンディード」という小説のなかにこんなくだりが出てくる。d:id:hokusyu:20080112から孫引き。
ジャックという商人の、戦争や財産を巡る争いを見るに人間は自然を堕落させたのではないか、という質問に、パングロスはこう答えます。
「そうしたことはすべて必要不可欠だった」と片目の博士はすかさず言い返した。「個々の不孝は全体の幸福をつくり出す。それゆえに、個々の不幸が多ければ多いほど、すべては善なのだ」
ちなみにジャックはリスボン沖で溺死するのですが、パングロスは「リスボン沖の停泊地はあの再洗礼派の男(ジャック)が溺死するように特別につくられたのだと証明」するのです。
もはや説明は不要であろう。これほど「勝ち組」のネオリベ思想を的確に風刺した表現はそうないのではないのだろうか。
ちなみにこの「カンディード」という小説は、このパングロスを天才的哲学者と信じて馬鹿正直に信じたカンディードという純朴な青年が、世の不条理と師の教えの間の葛藤と戦いつつ、幾多の悲惨な体験を乗り越えて精神的自立を達成するに至るまでの物語、というわけなのだが、この小説が書かれたのは二百五十年前なのである。努力によって自分を向上させることが大好きな「勝ち組」の頭の中身というのは、どうやら二百五十年間進歩しないものらしい。
さて、上に引用したくだりをもう一度読みかえした上で、ロスジェネに関するこれにはじまる話題、たとえばこれとかこれを読みかえしてみてほしい。あまりにもこの小説と構図が似ていないだろうか。このような形で見せられれば誰でも、「自己啓発」の限界と馬鹿馬鹿しさに気付くのではないか。結局「自己啓発」というのは世の中の仕組みを全て肯定して不問に付した上で「全ては自分次第でどうにでもなる」という、あまりにもナイーブな思想なのだ。もうそろそろいい加減そのことにみんな気付いてもいいのではないか。
この小説の結論では次のようなことが語られる。あまりにも単純で、まともな大人なら誰でもわかっているはずのことだ。
正直者が報われるとは限らない、全てが必要不可欠で正しいなんてことはあり得ない。世の中は理不尽で満ち溢れている、しかしその中で自分なりに細々と努力して生きていくことこそが唯一の「人生を耐えられるものにする手立て」だということだ。そして、そのことについて他人がどう論評しようとも、すべてはどうでもよいことなのだと。
言いかえれば、「自己責任」だとか「自己権利」なんてものはどこにも存在しないのだ。健康と環境と才能と努力と時の運、それらを全て兼ね備えたときにだけ「成功」ができるし、「責任」があるとすればその「努力」の部分だけだ。それに、その「努力」さえも、「健康」と「環境」がなければどうすることもできなかったりするものでもある。その辺の複雑なことは自分にしかわからない。一般的に「負け組は努力が足りないから自己責任」なんてことが言えるはずもないのだ。
なんでその程度の平凡な理屈が誰の口からも出てこないのだろう?自己啓発自己啓発といって騒いでいるはてな民は、自分の努力だけでなんでも解決できると思ってるのだろうか。だとしたら随分、挫折を知らないお坊ちゃんお嬢ちゃんだとしか言いようがないのだが。
ちなみに「ルサンチマン乙」と言われないために言っておくが、俺自身はどちらかというと「勝ち組」に属する人間だし、才能のない俺にとっては努力だけが切り札だったことは理解しているつもりだ。しかしそれでもなお、いやそれだからこそ、努力だけで全てが解決できるなんて素朴すぎる発想にはとてもついていけないのだ。
小さいころ、通っていた歯医者は家から遠かった。電車を二回乗り換えて小一時間かかった。
近所にも歯医者があって、というか隣が歯医者だったんだけど、うちもその歯医者も当時でも珍しいくらい結構なボロ家だったので、日常的にドリルの音が聞こえてくるの。キィィィィィンギャーっていう音が。最後のギャーの部分は、言うまでもなく患者の叫び声。昔はどこもそうだったという話だけど、ついついギャーの部分に自分が阿鼻叫喚する姿を重ねずにはいられなかった。夕食の時間になると、キィィィィィンギャーが頂点に達し、決まって母は
「ね、ああいうのになりたくなかったら、ちゃんと歯を磨くんだよ」
と言い、あまり親の言いつけを聞かなかったわたしだったけど、歯磨きだけは毎朝毎晩続けた。しかし、残念ながら、虫歯になるかどうかというのは、歯磨きをするかしないかではなくて、体質が大きく関わるらしく、残念ながら、学校の歯科検診でC2(思いの軽いのかは不明だけど、少なくとも痛くはなかった)がどうのこうの言われて歯医者に行かざるを得なくなった。そこで隣の歯医者ではなくて、堀北(←仮名です。ごめんなさい)家が伝統的に通っている歯医者に行くことになった。祖母に連れられ、痛みもしない歯を治すために電車に揺られる。わざわざ痛い思いをしに行くという行為は、当時小学四年生だったわたしにとっては実に理不尽だったのだけど、「痛いのヤダ!」と正直に言えるほど素直な子じゃなかったので、さぞかし不服そうに電車に乗ってたんだろうと思う。
広い通りに入ったり横丁に入ったりして、目が回るほどグルグル歩いた先の歯医者はとても歯医者とは思えなかった。どう見ても民家。しかも建て付けが悪くてすきま風が吹いてそう。これじゃあ歯が治っても冬だと風邪になるんじゃないか?と心配になるくらいだったけれど、軒先に椅子が置いてあってそこに座って待っている人がいるほどの繁盛ぶり。子供だったので、よくわからないけど、歯医者というものは、それくらい混雑するものなのかも、と妙に納得し、小一時間ほど待ったら診察室に呼ばれた。看護婦もいなくて一人で切り盛りしているらしいのだけれど、すごく怖い声で呼ばれたので、歯がなくなるくらいまで削られるのではないかと不安になった。小四にして梅干しみたいな口になるのは嫌だと思った。
呼ばれて入るなり、祖母が
と、うれしそうに声をかけた。その大隅という歯医者は、白衣をだらしなく着ていて人相もよくなかったが、とたんに相好を崩した。どうやら常連だったらしい。娘さんがどうのこうのという話をしていた。つまり娘さんとはうちの母のこと。
「ああ、お嬢ちゃん久しぶりだねぇ。今日はお母さんいないの。覚えているかい」
と聞いてきたが、覚えているわけもなく、戸惑っていたら、抱きかかえられて診察台に乗せられた。小学四年といえばもう抱きかかえられる歳でもないので、赤ちゃん扱いされて気分が悪かったのと、タバコの匂いと口臭のひどいハーモニーは今でもよく覚えている。
うちの祖母は、さすがにわたしの物心のついた頃には衰えは隠せなかったけれど、なかなかの美人で、祖父が亡くなった翌年に、お見合いの話が何件も舞い込んでくるほどで、その娘である母も、祖母ほどではないが、どちらかというと美人、そしてわたしは残念ながら十人並みの顔立ちで、いまだに、かわいいと言われるのはわたしが誰かをかわいいと言ったときのお返しとしてだけ。人類というものは発展を繰り返すものだというのは幻想で、堀北家については退化の一途を辿っているようにしか思えない。それはともかく、大隅さんはわたしの方はあまり見ずに祖母の方ばかり見てデレデレと会話しながらわたしの口の中をいじくるので、虫歯の部分に当たったのか、あるいは虫歯ではないところを削ったのかわからないけれど、ひやりとする痛みがやってきて、たちまちわたしは泣いてしまった。
子供とか関係ないだろう。大隅さんが藪医者なんだと思うけど、と思ったが、口に器具を入れられて抵抗などできるわけがない。大隅さんはポケットから、細長い鉄の棒を取り出した。これって、「鍼」っていうのじゃない?
大隅さんはわたしの舌を軽く鍼で突いた。ひんやりとした鋭い痛みがゆっくりと熱さに変わって、その熱さが香ばしくて甘い味に変わった。
「おいしいだろ?これでがまんしなさい」
当時は、鍼ってそういうものだと思っていたのだけど、今振り返ってみると不思議な話だ。感覚というものが神経を伝わる信号というのであれば、舌の特定の部位に鍼を刺して、おいしい味を発生させることも可能なんだろうか。とにかく、今までにないおいしい味で、次の日に学校の友達に説明したのだけど、そのおいしさをうまく説明することはできなかった。この前、ベトナムに行ったのだけど、そのときに食べたデザートと同じベクトルで、それをもっとおいしくした味だった。一週間も、あまり仲のよくない女友達との旅で、最後はつまらないことで険悪になっていたのだけど、そのデザートを食べていたときだけは何も考えられず黙って味わっていた。同様に、小四のわたしも痛みそっちのけでその味に夢中になってしまった。なるほど、だからこんな汚い歯医者が繁盛するのか、と妙に納得した。大隅さんのところは、そのあと何回か通って、小六のときにも通った。
それから十年以上経った。去年の年末。祖母が脳内出血で倒れ、よくても半身不随だろうという話を聞いて急いで実家に帰った。久しぶりに親戚がみんな集まっていた。意識が戻ったものの、混濁しているらしく、何を言っているのかさっぱりわからなかった。ただ、大隅さん大隅さんと言っていて、あ、あの歯医者さんねと思ったのだけれど、なぜ生死の境をさまよっているときに、よりによってあの汚い歯医者を思い出すのかと思ったら、母が言った。
「そういえば、おばあさんは、歯をやられたことがないから、わたしやあなたを連れて行くばかりで、大隅さんに見てもらったことがないんだよね」
一番の心残りがあの大隅さんの鍼の味とは!と驚いたのだけれど、今もってあの鍼の味に敵うものはないと体験者のわたしが思っているくらいだから、たしかに死ぬまでに味わいたい味かもしれない。しかも祖母は年老いても女の子。甘い物に弱いんだろうなと思った。急いで大隅さんに電話した。ちょうど日曜日だったこともあり、すぐ来てくれた。
久しぶりに見る大隅さんは変わっておらず、というか、上下揃ったDJホンダと書いてある黒いジャージを着ていて、危篤なんだから空気読めよ、と思った。すでに祖母の意識はなくなっているようだったけれど、挨拶もそこそこに病床の祖母に近づき、ポケットから鍼を出した。久しぶりに見たけど、錆びているように見える。あの頃と同じ鍼じゃないかと思った。自由が聞かない祖母の口を乱暴にこじ開けて鍼を刺した。すると、祖母の口がモグモグと動いたのだった。「おいしい」と言ったに違いない。いや、実際おいしいから。その後数日して、祖母は亡くなった。すごく悲しかったけど、最後にあの味を体験してからでよかったと思う。
お葬式の時の大隅さんは一応黒いスーツを着ていて、やればできるじゃんと思ったのだけど、近づくといやな匂いがするのは相変わらずだった。近いうちにまた会えるよというような意味のことを棺に向かって話していたのだけど、一年くらい経ったときに予定通り(?)大隅さんも亡くなった。息子さん(といってもいいオッサンだけど)の話によると、亡くなる間際には、毎日のように自分で鍼を使って舌を刺していたらしい。
息子さんは、言っちゃ悪いけど大隅さんに輪をかけてマイペースな感じの人だったので、この巧みの技を引き継げたはずもなく、つまりわたしは、女の子だけど、最後の日に味わいたいあの味を体験せずにしななければならないということになる。残念でならない。大隅さんに生き返ってほしい。
「お兄ちゃんは悪くない」のお嬢ちゃん誘拐?事件は結局どうなったのかしらね
お嬢ちゃん年齢は経験に比例するんだぜ?
そりゃ大変だ。お母さんはどうか分からんが、子供に暴力振るうなら逃がさんといかんよ。
でもな、元増田のお父さんは酒乱じゃないんだよ。どこにDVのことがある?
アルコールに逃げるしかなくて依存症になった人を、よってたかってリンチして、金取り上げて、禁断症状で我慢できずに金を持ってでたら泥棒呼ばわりしてマッチポンプで弱った人間をこれでもかと棒で叩いていたわけだ。
勝手に描いていた「自分の将来」が分からなくなったから今までその将来を無償で支えてくれていた人を全力で踏みつけて侮辱を加えていたわけだ。
そして、いま成長したお嬢ちゃんは反省した。
叩いてたってこのロクデナシは言うことを聞かない。私は大学に行って先生になりたいんだ。この男が働いて少しでもまともに見えるようにならないと私の人生は惨めなままだ。賢くなった私はこの惨めな人間を導いてやろうと思うと。
悲惨というのはこのことだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20070828161450
まず、妻のように(ましてや女一人で)東京の大学に進学するというのは極めて少数派であることがわかった。そして、東京の大学なんかを出ているよりも地元の高校を出ている方が就職などで有利なときすらあるということもわかった。
何しろ、そこの土地の人たちときたら、東京六大学の校名すらロクに言えないのだ。
俺は、地場の事務機屋に職を見つけて勤めることとなった。そこでまっ先にきかれたのは、「キミは○×高校(地元の優秀高)の出身か?」ということだった。
彼らにとっての「最終学歴」は、あくまで高校だったのだ。しょうがないだろう。その地域に大学はなかったのだから。大学とは、お金持ちのお坊ちゃん・お嬢ちゃんといういわば特殊階級(特権階級)が都会に4年も掛けて遊びに行くためのものと思われていた。
だから、職に就く上では、高校を卒業後すぐに就職した方が圧倒的に有利だった。「公」(役所・役場)も「私」(一般企業:銀行なども含む)も同じ。その方が、地方特有の湿った人間関係をブランクなしに築きやすいというメリットもあった。
うちの地域かと思って冷や汗が出た……。そっくりそのまま当てはまる部分が多いです。ひょっとしたら、同じ地域なのでは?特に役場(役所)はそうでした。ある町の役場は、遥か昔の話ですが、高卒以上は採用しなかったと聞きますし。その年代に採用された人たちが、今は部長級として市を運営しています。
早慶クラスの大学を卒業した同級生が地元へ帰ってきたんですが、結局東京へ戻って、いまでは某省庁のお役人をやっています。
閉鎖的な地域の人は、表面上は親しげでも、実は相手のあら捜しを四六時中しているということが往々にしてあるからだ。
核心を突いていますね。そういう地域が市町村合併で同じテーブルに座ることになると、凄いことになりますよ……っていうかなりました、実際。
一連のエントリを見て考えてみた。
俺は現在の妻と都心にある某私大在学中に知り合って以来、くっついたり離れたりを繰り返しながら同棲・結婚に至った。
そして妻が子どもを身ごもったときに「身寄りのない都会での子育ては不安がある」と言うので、妻の実家である寂れた街に引っ越すこととなった。
その地域は、今思い出しても実に特徴的だったと思う。
まず、妻のように(ましてや女一人で)東京の大学に進学するというのは極めて少数派であることがわかった。そして、東京の大学なんかを出ているよりも地元の高校を出ている方が就職などで有利なときすらあるということもわかった。
何しろ、そこの土地の人たちときたら、東京六大学の校名すらロクに言えないのだ。
俺は、地場の事務機屋に職を見つけて勤めることとなった。そこでまっ先にきかれたのは、「キミは○×高校(地元の優秀高)の出身か?」ということだった。
彼らにとっての「最終学歴」は、あくまで高校だったのだ。しょうがないだろう。その地域に大学はなかったのだから。大学とは、お金持ちのお坊ちゃん・お嬢ちゃんといういわば特殊階級(特権階級)が都会に4年も掛けて遊びに行くためのものと思われていた。
だから、職に就く上では、高校を卒業後すぐに就職した方が圧倒的に有利だった。「公」(役所・役場)も「私」(一般企業:銀行なども含む)も同じ。その方が、地方特有の湿った人間関係をブランクなしに築きやすいというメリットもあった。
そういう中で、俺は常に蚊帳の外だった。地域社会でも、職場でも、あるいは妻の実家の中でも。
ポスドクの就職難が言われて久しくなる。地方によっては、それがそのまま大卒にスライドしているところもあるということを知っておく必要はあるかもしれない。
だからこそ、地方から大学に進学した人は、その学習の成果を地元で活かすことがついぞなくなってしまう。
でも、地方にとっては、それはそれで得なことなのかもしれないと、都会にまた戻ってきた俺は最近考えるようになった。そうだろう。湿った関係で持っている地域社会に合理的な損得勘定が入り込めば、とたんにギスギスしたものに取って代わるに違いないのだから。
ただ、この仮定には若干の誤りがある。というのも、閉鎖的な地域の人は、表面上は親しげでも、実は相手のあら捜しを四六時中しているということが往々にしてあるからだ。
そういう中で本音で生きていくのは、実に苦労することと察せられる。俺は地方で生きていけるほどまだ図太くはなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20070717220613
最近、地元のローカル線に蒸気機関車が走るというイベントがあったので行ってみたら、私の予想していた、子供連れの親子や若い鉄道マニアはもちろんのこと、
「中高年の鉄道マニア」が殊の外多かったのには驚いた。一眼レフカメラと三脚を用意して写真を撮りまくってたり。
そういえば、鉄道趣味って、昔からある趣味なんだ、と、改めて気付かされた。
パソコンも、これから少しずつではあるけど中高年のマニア層が増え始めているし、今後は中高年の漫画やアニメやゲームのマニア層も増えていくのかも。
白髪のおじいちゃんが「若いセーラー服のお嬢ちゃんなんて、懐かしいのう」とか言いながら深夜の萌えアニメを見るのも、考え方を変えれば、何だか微笑ましい光景じゃあありませんか。
ていうか、自分も、戒めてないとつい上から目線で物言ってしまいそうになるときがある
こんにゃくゼリーの件でもなんでも
そしてタチが悪いのは、なんというか、別に間違ってるってわけじゃないんだよね
正論の時もなくもないし
でもなんていうか……やっぱりそれは経験した事のない者のいう言葉で、実感が伴っていないんだろう
経験したものは軽くそんな事言えやしない事を分かっているけど
経験していないものはその無知さゆえに辛らつな事を言えてしまう。
ちょっと聞きかじったような高校生や大学生はまさにこのピーク。
働いた事もないのにいっちょまえに語っちゃったりする感じの痛さ。
勿論それなりに本とかで仕入れた知識だから、全く間違ってる訳じゃないんだけど、でも、「お前ら実際社会に出てからも、そんな事が言えるか?」みたいな。そういう感じの……なんていうか、「机上の空論」的な感じ。そして更にタチが悪いことには、「お前ら実際に経験してないからそんな事が言えるんだ」系の反論には、経験していない者はちっとも堪えなくて、寧ろ「あっちは経験したから感情的になってるけど、こっちはしてないからこそ論理的な判断ができてる。そりゃ実際にあった人にとっては辛らつかもしれないけど論理的にそうなるんだから仕方ないよね。自分は非常に理知的な判断をしてるよね」と酔ってしまったりする事。ていうかこれ書きながら全部自分にはねかえってくるから痛くてしょうがないんだけど……
経験してないと何も言えないのか?って訳じゃないが、やはり経験しているかしていないかというのは大きい。していないが故に机上の空論で暴走してしまいがちだから。ただ、していなくても経験した人の立場になって考えようとするだけでも大分違うとは思う。俺/私だったらどうだろうと……でもそのシミュレーションをする場合に、赤裸々な自分でなく理想の自分でシミュレーションしちゃったりすると同じだけど。(例えば列に割り込んだ奴に対して実際の自分はおそらく何も言えないけど、理想の自分は「おい、何割り込んでんだ」と言える、というような。それで言えなかった人に対して実は自分も言えないだろうけど「俺なら堂々と言うよ。だっていえば済むことだろ?」とか無意識レベルで見栄はっちゃう感じ)
経験していないからこそそういう余分な感情がつかずに論理的に考えられるんだぜとか俺もつい思っちゃいがちなんだけど、でもやはりそれは違うんじゃないか。ていうか、論理的に考えたからどうなのだと……人間の基本ルールの根っこは論理じゃなくて倫理なのだから、論理的がどうこうとか言うのはやはり机上の空論というか、苦労した事ないお坊ちゃんお嬢ちゃんの論になるんじゃないかなあと、まあなんか本当上手く言えてないんだけど、そう思うわけで。そもそも論理というのは、人間社会において実はたいして重要でない気がするんだよな。最近過剰に論理に期待がかかりすぎな気がする。論理的であれば、全て解決する、みたいな。でもそれは理想の人間像をモデルにして初めて成り立つ話で、生々しく土踏みながらメシ食って生きてる人間に対してはあまり意味がないような。論理を使おうっていう人間自体が矛盾で出来た生き物だから、論理で全てやっていこうとすると無理が出てくる。無論学問面など滅茶苦茶重要な時もあるけれども、人間社会を「論理的にこうだから」というので説明しようとするのは余り意味がないんじゃないか……と思ったところでそういえばそういう感じの題名の新書が出てた気がしたけど忘れちゃったよ