はてなキーワード: 高原とは
陰鬱な空から雨が降り注いでいた。街が灰色に蝕まれていく。くすんで、濡れそぼっていく。
宵口の窓辺から覗く世界は、ほんのりと濃紺に染まっていた。行き交う車のヘッドライトが煌々と筋を刻んでいる。等間隔に立ち並ぶ街灯は、どこか所在がなさそうだった。漏れ出す家々の明かりがやけに白々しく見える。
閉め切ったガラス窓に、水滴がぽたぽた、打ち付けてはゆっくりと流れ落ちている。やがてひとつになって、窪地に溜まり、淀み、溢れて排水溝に流れ、支流は河へ、本流となって海原へ……。白光のもと、再び上空へ駆け昇っては、いつもみたいにどこかに降り注ぐ。
滑り落ち始めた一滴をなぞりながら、この雫はかつていつこの街に降っていたのだろうと考えた。数日前かもしれないし、数週間前かもしれない。数ヶ月、数年などという期間も候補に考えられなくはないような気がした。そもそも、混ざり合い、どこの、いつの雨なのかが分からなくなってしまっているのだ。数十年、数百年、数千、数億年――あるいはもっと、それ以上にも及ぶ悠久の時を深海の底で眠り過ごしてきた初めての一滴である可能性も捨てきれなかった。
可能性が選択となって、頭の中で遮るものなど何もない広大無比な高原の如く展開していく。そのあまりにも壮大なスケールに、思わずくらくらしてきてしまった。軽い眩暈に瞳を閉じて、冷たい硝子に額を押し付ける。
透明な境界は、視覚的に透明であるために捉え難いだけで、確かにいまここに存在している。なるほど、姉にとってはこの敷居を跨ぐことがなによりも大変で、困難で、恐ろしいことだったのだろうなとぼんやりと考えた。
顔を上げる。後頭部を窓に、背中からもたれかかるようにして立ってみる。何年もの間、碌に光が差し込まなかった、内からさえも照らし出されなかった小部屋の中には、染み付くかのように重たい、へばりついてくる、濃厚で濃密な掬い取れるかのような闇が沈んでいた。
そんな部屋の中央に、天井から輪が釣り下がっている。簡素な机と、スチール製のベッド以外に、例えばポスターだとか、本棚だとか、CDラックだとかが病的なまでに何もない部屋の真ん中に、タオルで作られた即席の絞首台が設けられている。
込み上げるようにして息を吐き出した。そこに浮かんでいた表情が、安息そのものだったことを思い出す。彼女はやっと苦しみから解き放たれたのだ。姉は絶望的な辛苦から逃れることに、その手段を用いることに成功してしまっていた。
視界の右端、壁に面した机の上に、一冊のノートが置かれている。先ほどざらりと読み終えたばかりのノートだ。全ての紙面を埋め尽くそうとしていた心象は、あるときは言語であり、あるときは稚拙な絵であり、スケッチとなり、あるいは音階となって私の目に代わる代わる飛び込んできた。そしてその内容は、私が思っていた以上に、家族が知っていた以上に壮絶なもので、どうして姉が今日までの日々をこの小さな部屋の中で完結させなければならなかったのか、あるいはどうしてその部屋の中からさえも逃れなければならなかったのかを如実に示してきていた。
『やさしさノート』と題されたその一冊は、これまで姉が関わってきた人たちに対して、こんな自分をまだ見捨ててくれないでいる家族に対して、そしてこの世に存在しているありとあらゆる人たちに対しての謝罪を冒頭に据えて、つらりつらりと始まっていた。
ごめんなさい。
その一言を、姉は一体何度このノートの中で繰り返したのだろう。対象となった人の人数は? おそらく、私がこれからの人生で頭を下げることになる人数を優に一万倍以上超えているはずだった。姉は自らがここに存在していることを呪い、悲しみ、恨み、溜まりに溜まった申し訳ない想いを吐き出すために何度も、何度も何度も何度も何度も、ごめんなさいと謝り続けるしかなかったのだ。
完全に他者を排し、愚直に紙面とだけ対峙しながら、強大な感情に取り憑かれてペンを走らせ続けていた姉の姿を想像する。漆黒に染まった部屋の片隅で抱いていた苦しみを、廻りまわり続けていた激憎を、決して消えることのなかったその業を思い、私は再び絞首台に目を投じた。
「大変だったんだね」
彼女に向けることのできる言葉は限られている。姉の苦しみは、絶対的に姉にしか分からないものだし、他の誰かが、とりわけ私になんぞは共有できるものではなかったのだから。
姉は、小さい頃から聡明で、何でもできて、いろいろなことを知っていて、たった三つしか歳が離れていなかったはずなのに、幼い私にはまるで全知全能の神様のように映っていた。同時に、幼稚園でいじめられていないかと心配をしてくれて、守ってあげるからと毎日一緒に通学してくれていた。姉の掌はどんな時も私の小さな右手を包んでくれていて、そのぬくもりを、感触を抱いていられれば、私はどんなことにも立ち向かっていけるはずだったのだ。
歯車が狂いだしたのはいつのことだったのだろう。気がついたときにはもう修復など効かなくなってしまっていた。歯はぼろぼろに欠け落ち、空回りをするばかりでうまくいかなくなってしまっていた。
姉が賢すぎたのかもしれない。本を読みすぎたのかもしれないし、私に気を回しすぎたのかもしれなかった。あるいはそれは私の問題で、そして姉を取り巻いていた周囲の問題でもあって、徐々に変化し拘泥していった姉の人格を見抜けなかったからなのかもしれなかった。様々な事柄をたったひとりで考え処理するのにはまだ小学生にすぎなかった姉は幼すぎたし、置かれている状況も恵まれすぎていた。
多眠が始まったのがちょうど中学生になった年で、以降姉は塞ぎがちになり、与えられた問題を集中的に考えることができなくなった。部屋から出られなくなったのはその翌年だ。どうすることもできないまま姉は自らの精神によって自室に追いやられ、そこから抜け出すことができなくなってしまった。
姿を、心無い人は蔑み、揶揄し、大袈裟に嘯いた。面白おかしく吹聴する者もいた。何を隠そう、私自身がそうだった。
情けない姉、駄目な姉、わがままだから絶対的に社会に求められない。荒んでも、落ちぶれても、ああはなりたくないよ、などと知ったような口をはいていた。友達と家族の悪口を言い合う行為は、思春期を迎えた嗜虐的な子供心にはとても気持ちのいいことだったのだ。纏わり付いている繫がりというものを、私は心底疎ましく思っていた。
だから、姉が私に謝る必要などないのだ。どちらかといえば私のほうこそ彼女に謝らなければならなかった。苦しみに喘いでいた姉に細心を払うわけでもなく、あろうことか邪魔者扱いをしていたのは私だったのだから。
姉は、どんな時も私のことを穏やかな視線で想い続けてくれていた。この小部屋の中にいなければならなくなりながらも、想像を絶するような苦しみの中にありながらも、真摯に私のことを心配し続けてくれていた。
それを、それを私は――
……後悔など、するだけ無駄だ。淀みの中から掬い上げて振り返り続けることなどは無意味だった。高校に進学し、幼い恋を、出会いと別れを重ねて、大学に入学する前にはちゃんと理解していた。
いまここにいる私には、彼女に言わなければならない言葉がある。
「ごめんなさい」
姉に対して、何もできなかったことを、何もしなかったことを、それどころか邪険に思い扱っていたことを。実家を離れるようになってから、ずっとずっと謝りたいと思い続けていた。
床に降ろした腰に冷たい感触が伝わってくる。膝を抱えて小さく、誰もぶら下がっていない絞首台を見上げた。その小さな輪が作り出した痣を思い出してぐっと震える唇を噛み締めた。
階下では、両親が恐慌をきたしながら救急隊の到着を待っている。通報からもう二分ほどたっただろうか。意識を失った姉に付きっ切りで、私がいなくなっていることには気が付いていないようだった。
「お姉ちゃん……」
こんなの駄目だよ。ずるいよ。私が永遠に謝れなくなってしまうじゃないか。
身勝手な考え方だとは理解していた。もしくはそれこそが姉の願いであり、最初で最後の、多大なる復讐なのかもしれなかった。でも、それでも私には、姉にまだ言いたいことがたくさんあったのだ。
大学生活がどんな風か。好きな音楽や小説のこと、テレビ番組のこと、おいしい喫茶店のこと、教えたいことがたくさんあった。姉には私を知ってもらわなければ駄目だった。かつて守ってもらっていた、ずっと心配してもらっていた姉には、伝えなければならないことがたくさんあったのだ。
ギブ・アンド・テイクの関係性。貰っていた寛大な想いに、私はまだひとつも返事を返せていない。だから――
「駄目だよ。まだ死んだりしちゃ」
握り、額に押し当てた両の手に祈りを込めた。幸い、発見が早かった。不穏な物音に只ならぬ予感を抱いた私が、姉の部屋の扉を蹴破ったのだ。きっとまだ助かる。絶対に助かる。助からなければならないはずだった。彼女はまだ生きなければならない。他の誰でもなく、彼女自身のためだけに。
救急車のサイレンが近くなる。家の前で停車。救助隊が声を上げながら駆け込んでくる。
気を失っていた姉はすぐさま運び出されて、両親と共に病院へと運ばれていった。離れていく救急車を、留守を預かると決めた私は、姉の部屋からじっと見送る。
伝え足りない想いがあるのだ。
霖雨の中を点滅する赤色灯を、角を曲がって見えなくなっても、私は凝視し続けていた。
南北イエーメンの統一から十九年、この国は無法地帯となった
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イエーメンというのは日本人にはなじみが薄い。
紀元前、伝説の「シバの女王」が治めて栄えた。イエーメン航空の機内誌は「観光の魅力いっぱい」と特集記事。古き良きアラビアの港や村々や。。。。。。典型のアラブ文化遺産が残る(筆者も行ったことがありませんが)。
しかし南北統一後もイエーメンは国土の三分の二を政府がおさめることが出来ない。
そればかりか、外国人が立ち寄れるのは首都サヌア周辺のホンの一部地域だけ。六月に外国人観光客九名が拉致され(ドイツ人女性ふたり、韓国人女性ひとりを含む)、全員がバラバラ死体で発見された。
自爆テロ、外国人や外交施設を狙ったテロが頻発、アデン港に寄港中の米駆逐艦も襲撃を受け(2000年)、米大使館正門爆破事件(2007年)もおきた。
2004年からスンニ派の政府は武器を補充しつつゲリラ(「ハウシス」と呼ばれる)と闘っているが、反政府武装勢力は戦車を装備しており、シーア派の過激セクトにスンニ派の過激セクトが混在、しかも内戦の間隙を悠然とぬって山岳、高原地帯ではアル・カィーダの秘密軍事基地が国内のあちこちにできた。軍事訓練を重ね、テロリストの出撃拠点化している。
イエーメン南部には石油精製基地があり、対岸のソマリアは近海で海賊行為。国土の水涸れが凄まじく、戦争をさけ、水を求める難民が数百万。UNICEFの活動もしばしば妨害される。
イエーメン政府の正面の敵は首都サヌアを荒らすゲリラ部隊で、辺境山岳にいるアルカィーダの討伐にまで手を出す余力がない状態。
しかしあと十年でサヌアさえも水涸れ、砂漠になると予測されており、男子は海外へ出稼ぎにでるか、ゲリラになるしかなく、そういえばオサマ・ビン・ラディンの母親はイエーメンの女性と言われる。
米軍情報筋によればアル・カィーダはイエーメン支部とサウジアラビア支部が合併し、世界からジハードの戦士を募っているという。米軍がイラクとアフガニスタンにかまけている間に過激武装勢力はさっさと拠点を引っ越していたわけだ。
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通巻第2728号
西寧―ラサの「西蔵鉄道」の次は成都―ラサを八時間で結ぶ鉄道。
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四川省の成都とチベットのラサを結ぶ高速鉄道は九月着工をあきらめ、大幅に遅延する見通しと発表された。
すでに青海省の西寧からラサへは鉄道が繋がり、一昨年の開通時には世界中の鉄道ファンが試乗にやってきた。
日本でもマスコミが大きく扱った。リチャード・ギアは、これを「チベット侵略鉄道」と呼んだ。
もう一本の「侵略鉄道」も早くから計画されていて、四川省の成都からラサまで、時速二百キロ、走行距離1629キロを八時間で繋ごうという大プロジェクトだ。
現在は一日おきにT22という長距離列車が運行されており、45時間かかる。
或いは山道、岩盤、高原をゆくハイウエィがある。ぶっ飛ばしても三日、ふつうは五日ほどかかる。
筆者はこのルートを飛行機で行ったが、やはり飛行機も満員だった。理由は四川省からラサへの出稼ぎ。この場合、観光シーズンにホテル、レストラン、土産屋、ガイド、タクシーの殆どが四川資本、四川の人々がチベットへ行って荒稼ぎをするからである。
さて、中国鉄道省は総額540億元(79億ドル)という途方もない大国家プロジェクトの遅延を渋々認めた。
九月着工では区間の大半が気象条件が悪くなり、凍土が半分以上となるため、というのが表向きの理由。
成都からラサへは途中に雅安、カンディン(健定)、リタン(巴塘)、ゾガン(左貢)、ボニ(波密)、ニャンチ(林芝)などを通るが、この地域は世界的な銅鉱山地帯として知られる。
チベットの鉱物資源横取り鉄道とでも名付けられるかも知れないが。。。
通巻第2699号
西寧―ラサの「西蔵鉄道」の次は成都―ラサを八時間で結ぶ鉄道。
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四川省の成都とチベットのラサを結ぶ高速鉄道は九月着工をあきらめ、大幅に遅延する見通しと発表された。
すでに青海省の西寧からラサへは鉄道が繋がり、一昨年の開通時には世界中の鉄道ファンが試乗にやってきた。
日本でもマスコミが大きく扱った。リチャード・ギアは、これを「チベット侵略鉄道」と呼んだ。
もう一本の「侵略鉄道」も早くから計画されていて、四川省の成都からラサまで、時速二百キロ、走行距離1629キロを八時間で繋ごうという大プロジェクトだ。
現在は一日おきにT22という長距離列車が運行されており、45時間かかる。
或いは山道、岩盤、高原をゆくハイウエィがある。ぶっ飛ばしても三日、ふつうは五日ほどかかる。
筆者はこのルートを飛行機で行ったが、やはり飛行機も満員だった。理由は四川省からラサへの出稼ぎ。この場合、観光シーズンにホテル、レストラン、土産屋、ガイド、タクシーの殆どが四川資本、四川の人々がチベットへ行って荒稼ぎをするからである。
さて、中国鉄道省は総額540億元(79億ドル)という途方もない大国家プロジェクトの遅延を渋々認めた。
九月着工では区間の大半が気象条件が悪くなり、凍土が半分以上となるため、というのが表向きの理由。
成都からラサへは途中に雅安、カンディン(健定)、リタン(巴塘)、ゾガン(左貢)、ボニ(波密)、ニャンチ(林芝)などを通るが、この地域は世界的な銅鉱山地帯として知られる。
チベットの鉱物資源横取り鉄道とでも名付けられるかも知れないが。。。
いや、別にガンダムでなくても良いんだけど。
お台場のガンダムに続いて、兵庫県では鉄人28号が立つらしいですよ。
土地代とかは別に掛かるにしても、47都道府県に1体づつ立てても100億あれば充分おつりが来るよね。
アニメの殿堂なんかよりよっぽど観光客受けすると思うんだよね。
全国巡礼したくならね? 俺、したい。
アニメの殿堂とか言ってるけど、博物館って最低でも半日は楽しめる様なものでないと見ても面白くないんだよね。
でも、半日も博物館で過ごしたら、更に周辺廻るなんて実質無理じゃね?
食事だって博物館の中か、せいぜいその直近だけ。
その点、実物大ロボットは見るだけなら金かからないし、幾ら観たって1時間も居れば飽きるから、その分周辺観光が潤うよ。
大仏とかと一緒。
維持費だってたかが知れてるし、検討段階から赤字前提で国の援助(=税金)が必要とか議論になってる様なものよりよっぽど投資効率良くね?
何より、飛行機で日本見ると、日本中にロボット立ってるんだぜ!
「皆様、右手に富士山が見えてまいりました。その麓には早乙女研究所と鉄の城マジンガーZがそびえております」とか
「当機はまもなく那覇空港に到着致します。右手に仁王立ちするガンバスターから放たれるバスタービームは灯台として活躍しております」とか
SUGEEEEE! CRAZYYYYYY! JAP! BANZAI!
と、外人さんも大喜びですよ。
間違いなく、アニメの殿堂よりもメディア芸術の発展に貢献すると思うんだけどね。
どうすかね?
No.1 地図や市街図を見るとき
なかなか理解できなくて、結局は誰かに聞いてしまう。
そのようなものは見ないで、自分の行きたい道を行く。
●地図も市街図も、苦もなく読むことができる。
No.2 ラジオの鳴っている台所で、手のこんだ料理を作っている。そこに友人から電話がかかってきた。
友人と電話で話しながら、料理を続ける。もちろんラジオもそのまま。
※投稿者のコメント※プライオリティを考える。この場合は料理だと思ったが、友人がピンチに陥っているときは、料理を止めて友人と電話をする。
No.3 あなたの家を初めて訪れる友人に、行き方を聞かれたら
行き方を言葉で説明する。「高速に乗って、ニューキャッスルで降りたら左に曲がり、二番目の信号を、。。。」
●分かりやすい地図を描いて送るか、誰か他の人に説明してもらう。
そこから何が見えるかを尋ねて、それを手がかりにして道順を説明する。
No.4 考えや概念を説明するとき、あなたがよく行う説明方法は
●身振り手振りを交えながら、言葉で説明する。
明快で分かりやすい言葉を使って説明する。
ペンと紙を使って、身振りを交えて説明する。
●その映画の場面を思い浮かべる。
感動した場面やせりふについて語る。
※投稿者のコメント※誰かに映画の説明や感想を求められると、口頭でうまく伝えることができない。というか、よほど面白い(興味深い)映画でなければ、どんな内容だったか忘れている。
●スクリーンに向かって右側。
どこでも構わない
スクリーンに向かって左側。
※投稿者のコメント※真ん中がいい。
No.7 友人の持っている機械がうまく動かない。あなたは、
同情して友人がどんな気持ちかということを話題にする。
●仕組みを探り、自分で直そうとする。
直すことができそうな人を教える。
No.8 初めての場所で、北の方角はどちらですかと尋ねられた。あなたは、
●分かりませんと正直に言う。
ちょっと考えて、適当に答える。
確信を持って北の方角を指す。
No.9 駐車スペースが見つかったのはいいが、バックでないと入りそうにない。あなたは、
●苦もなく車を入れる。
他の場所を探す。
慎重に車を入れる。
※投稿者のコメント※例えば、店の出入り口しかスペースがない・障がい者用スペースしかない場合、他にスペースがどうしても見つからないときは、そこに入れる。用事が終われば、もちろんなるべく早く車を出す。バック駐車は苦手ではない。
テレビを消し、他の者に静かにするように言ってから電話に出る。
※投稿者のコメント※他に誰かいてもいなくても変わらない。
No.11 好きなアーティストの新曲を初めて聞いた。あなたは、
●難しい曲でなければ、一部分を思い出して歌うことができる。
メロディはなかなか覚えられないが、歌詞の一部なら思い出せる。
どんな曲でも、全部または一部分を思い出して歌うことができる。
※投稿者のコメント※何も覚えられないが、メロディーなら、かすかに記憶できているかもしれない。
No.12 予想が当たるのは、もっぱら
直感に頼ったとき
No.13 鍵をどこに置いたか分からなくなった。そのときあなたは、
自然に思い出すまで別のことをする。
●別のことをしているが、その間も懸命に思い出そうとする。
自分の足取りを思い起こして、どこに置いたかを突き止めようとする。
※投稿者のコメント※プライオリティにもよるが(鍵がないと他に何もできないのか、そうではないのか)、鍵だけ必死に探すのは、時間が勿体ない。
No.14 ホテルの部屋で、遠くからサイレンが聞こえてきた。
神経を集中させて聞けば、だいたいの方角が分かる。
音がどの方向から聞こえるか即座に分かる。
●音がどっちから聞こえるか全く分からない。
No.15 ある集まりで、初対面の人を7~8人紹介された。翌日あなたは、
何人かは思い出せる。
全員の顔をはっきり思い出せる。
●顔より名前の方をよく覚えている。
No.16 休日。あなたは高原に行きたいが、パートナーは海辺のリゾート地を希望している。高原の方が断然いいと相手に納得してもらうためにはどうするか?
猫なで声で自分の心情を訴える。高原にいけば自分も子供たちも楽しく過ごせて、家族みんなが満足する、と言う。
今回は高原にしてくれたら恩に着る、次は絶対海にするからと言う。
●有利な事実を持ち出す。高原の方が近いし、安いし、スポーツやレジャーを楽しむ設備も整っていると主張する。
No.17 今日何をするか考えるとき、あなたは、
片づけなければならない用事が一目で分かるように、一覧にする。
●やるべきことについて考える。
今日会う人、行く場所、やることを思い描く。
※投稿者のコメント※常にやるべき事が多い。
No.18 友人が悩みを相談しにやってきた。あなたは、
悩みというものは本人が思っているほど深刻ではない、なぜなら...と説明する。
同情と理解を示す。
●問題解決のための合理的な提案とアドバイスをする。
No.19 友人同士がひそかに不倫をしているようである。あなたは、
途中で気づく。
●たぶん知らないままだろう。
かなり早い段階で気づく。
No.20 あなたにとって人生とは結局どういうものか?
友達をたくさん作って、みんなと仲良くやっていくこと。
●周囲の人たちとうまくやりながら、個人としての自立は守ること。
有意義な目標を実現し、周囲の尊敬を勝ち取り、名声を手にして出世すること。
※投稿者のコメント※今までは3番目の回答だったが、2番目のほうが世の中に適応できるのかなと思った。
No.21 あなたにとって望ましい仕事の仕方は、
みんなと同じ場所で、ただし自分だけのスペースは確保して仕事すること。
●ひとりでやること。
メンバーが適宜入れ替わるチームで働くこと。
※投稿者のコメント※みんなとやるのが最善だと思うが、そうすると精神的に負担がかかる。
No.22 好きな本のジャンルは
※投稿者のコメント※情報は新しく、多くの意見が反映されたものを尊重する。
No.23 あなたの買い物の仕方は
●表示を念入りに読み、値段を比較する。
だいたいの計画は立てるが、後は成り行きに任せる。
衝動のおもむくままで、とりわけ「お買い得」という言葉に弱い。
No.24 寝起きや食事は
毎日ほぼ決まった時間である。
好きな時間にする。
●だいたいの時間は決まっているが、ずれることも多い。
※投稿者のコメント※寝起きや食事に興味があまりない。特に食事を採ることを忘れがち。
No.25 転職して間もないとき、新しい同僚の一人から自宅へと電話がかかってきた。あなたは、
しばらく話していると誰だか分かる。
相手がすぐに分かる。
●声だけでは誰だか分からない。
No.26 口論しているとき、一番むかつく態度は?
挑戦的な、あるいは鋭い質問やコメント。
あなたの考え方を理解してもらえないこと。
●相手の沈黙、あるいは無反応。
楽々とこなしていた。
どちらかだけ点がよかった。
●どちらも苦手だった。
※投稿者のコメント※ペーパーテストの成績は良いほうだったが、基本的に学校の勉強が嫌いだった。
●体を動かすことはできるが、周囲の人とは合わない。
リズムについて行けない。
※投稿者のコメント※創作ダンスは得意(リズムが一定で早いものを好みます)。周囲が自分についていけない。
No.29 動物の声や音を聞き分けたり、まねたりするのは、
●結構できる。
あまり得意でない。
得意である。
※投稿者のコメント※聞き分けるのは苦手だが、まねはできる。
No.30 散々な目にあった日には、どうしたくなるか?
他の人がどんな日を過ごしたか聞く。
友人や家族にその日のことをぶちまける。
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結論
あなたの脳は、
やや男脳的 1~150点 (70点)
です。
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解説
男のほとんどは、0~180点、女は150~300点の範囲に入る。
得点が0点に近づくほど、「男脳」に近くなり、論理的で分析力に優れ、言葉を厳密に捉え、几帳面で、ものごとを整然と処理する。感情にまどわされず、統計データをもとにコストや結果を正確に予測することができる。得点がマイナスになると、男脳度が極めて高くなる。女性で得点が低い人は、レズビアンになる傾向が強い。
得点が180点を超えると、「女脳」に近くなり、直感や感覚でものごとを判断し、わずかなデータから問題を鋭く認識することができる。洞察力を働かせ、思ってもみない方法で課題を解決できる。得点が300点になると、女脳度が極めて高くなる。男性で得点が高い人は、ホモになる傾向が強い。
得点が150~180点の人は、男と女の両方に片足ずつ踏み込んでいる。極端に男っぽい、あるいは女っぽい考え方をせず、融通が利くので、問題解決のときにとても役に立つ。異性・同性を問わずに友達ができる。
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所持がバレて捕まったら大麻取締法によって有罪になるから?
てめーらは何でそう思う?
バカになるから。気持ちよくなるから。知覚が敏感になるから。時間感覚が狂うから。
働く気がなくなったり、資本主義社会や市場経済を相対化しちゃったりするから……
幻覚をみるから?
ん?幻覚って??
良くいえば想像力の爆発。
目を閉じれば、朝青龍の憎たらしい姿かたちを想像することができる。
露鵬、白露山、若ノ鵬の3人がコーカサス地方の岩だらけの高原で、
青すぎる空の下、広い大地で、仲良く大麻を吸っている場面を想像できる。
魁皇、琴光喜、貴ノ花、千代の富士、大好きな力士たちの名取組みを思い出すことができる。
大麻を吸っていようが吸っていまいが、想像力はどこまでも自由だ。
未成年が興味本位で吸ったりしたらダメだけど、分別ある大人が嗜好品として楽しむぐらい別にいいじゃないか!
「世間的に悪いと思われてることを敢えてやるのだから世間的に叩かれて当然」だって?
何だよ、世間って!?
法律の条文?
不良になるなって?
一服して考えてみてよ。
あらゆるものごとがそうであるように、大麻を使用することにも功罪がある
中期以降のビートルズの音楽、そして音楽市場という莫大な市場を生んだという点で、
自分は、功罪ある大麻の、良い影響を評価したい。
ビートルズ5枚目のアルバム、『ヘルプ』は大麻が及ぼした良い影響の一例だ。
この世界に大麻がなければ『ヘルプ』は生まれなかったし、その後の『ラバーソウル』、『レボルバー』
そしてもちろん『サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド』も生まれなかった。
サイケデリックという言葉は、良くも悪くも、「ドラッグと音楽文化との結びつき」からできた言葉だ。
今こそ大麻取締法について考えてみよう
モラルについて、文化について考えてみよう。
でも、今日、スゴく気になることがあったので質問させてもらう。
今日、海に行った。
2年くらい前に知り合って今も仲良くしてる女友達と
そう、2人っきりで海に行くことになったのだ。
いちお、友達程度の付き合いなんだけど、なんか、こう、最近の出会う回数とか連絡する頻度とか考えると、友達の域を超えてるような気がしてね。
で、すごく気になるんだ。
こういうのって恋愛なんじゃないかと
実は、今回が2人で行動する訳ではないんだけど、なんか最近一緒に行動するときの目的地が変わってきたんだ。
なんていうか、こう、まるでデートみたいな。
知り合った頃も、今も、オレは恋愛を意識していない。だから、2人であっても何かを感じる訳でもなく、食事したり、お茶しながらおしゃべりしたり、と。まぁ、人として普通の付き合いをしているつもりだった。ところが、最近は今回のように海だったり、高原だったり、動物園だったり、歴史的景観の保存地区とか…。いわゆるデートスポット的な場所が多くなってきたんだ。
最初は楽しいから「よし!行くぞ!!」って今日の海に行くまでノリノリだった。
だけど、これって男女2人で、しかも友達程度の関係でやることなのか?って思い出したんだ。
でも、昔はいた2人とも。
オレに彼女がいた頃、こういった遊びを良くしたものだった。
ただ一緒にいるだけでいいと思いながらも、色々なデートスポットを訪れた。
今日、一緒に行ったのは、あくまでも「友達」
でも、行き先は海岸。2人っきり。
やっぱりこれはデートになる。
社会人の2人なんで、ここで恋愛とかすると「結婚」とか意識されるだろうからなぁ。
と、考えていた。
オレは、彼女に近づくべきなのか、あくまでも友達として貫くべきなのか
頼む。みんなの意見を聞かせてくれ!!
韓国でも就職氷河期世代があるというお話。しかもネット右翼と層がかぶっているらしい。氷河期は国際的に団結できず、互いに相争う。為政者の思うつぼだな・・・
「88万ウォン世代」たちの反論
「88万ウォン世代」とは、きちんとした正規の職に就くことができず、非正規職を転々とする20代を指す言葉です。今の20代は上位5%だけが大企業や政府、公企業などに正規職として就くことができ、残りは非正規職を転々として一生を終える…という悲観的な展望が描き出されています。非正規職の平均月給が119万ウォン(約14万2000円)、20代の手取りはそのうち74%という点を勘案し算出した金額が、88万ウォンというわけです。
日本の若手学者、高原基彰の『韓中日のネット世代が憎みあう本当の理由』(三仁)=原題『不安型ナショナリズムの時代‐日韓中のネット世代が憎みあう本当の理由』=における問題意識も、『88万ウォン世代』と重なっています。高原は、東アジアの若者たちの間で流行している反日・嫌韓・排中意識の根底には雇用不安と不透明な未来が横たわっている、と主張しています。高度成長の恩恵を受けることのできない彼らは、自分たちの不満をインターネットを通じて噴出させ、時には隣国に刃を向ける、というわけです。こうした「個人型ナショナリズム」は、経済成長のために国家統合を強調してきた「高度成長型ナショナリズム」とは区別されます。韓中日3国で渦巻く民族主義の裏面を考察する興味深い分析です。
小学生のころは、給食を残してよく昼休みまで居残りさせられたものだった。
どうしてもダメだったのが、血である。パック入りの血は毎日の献立に必ず組み込まれていて、何とも逃れようがなかった。
血を飲めずに俯く私を担任が呆れて見つめているうちに、昼休みは終わる。そんなことは頻繁にあって、おかげで私は昼休みに友達と遊んだ記憶が希薄である。
給食を残した児童を拘束するのは、まったく人権を無視した扱いだと思う。実際、現在の小学校ではそんなことはほとんど行われなくなったと聞く。
担任や両親はことあるごとに、血は体にいいだの、血を飲むと背が伸びるだのと言う。しかしどうも、あのドロッとした喉越しといい、鉄臭さといい、到底受け付けられるものではなかった。
飲んだあとに口の端でパリパリに乾いて固まるのも嫌だった。
クラスのほかの子供たちが抵抗なく、むしろ美味そうにストローに吸いついているのが不思議でならなかったものだ。
それが、血も案外悪くないなと思い始めたのは成人してからのことである。友人と旅行をしたおり、立ち寄った牧場で処女の搾りたてを振舞われた。
その時の衝撃は今でもはっきり記憶にある。
高原の清冽な空気の中で味わったそれは、ほのかな温もりと優しい喉越し、豊かな香りと甘み。濃厚な旨みと、決してくどく感じない鉄分。鮮やかな生命の味がした。
血とはこれほど美味いものだったのかと、胸が熱くなった。それまで飲んでいたのは血ではなかったのだとしか思えなかった。
もし給食の血がこんなに美味かったなら、その後の人生も今とは全く違ったものになっていたのではないか。そんな気さえした。
「俺もこの味に感動してこの仕事始めたクチでね。そう言ってくれると嬉しいよ」
彼の話では、給食や店頭で一般的な血は、凝固抑止剤や安定剤、乳化剤のせいで味や香りが随分犠牲になっているという。また、搾りたてと違って冷蔵されているため温度が低い。本来、血は搾りたて無調整でまだ温かいところを飲むのが一番であって、大量流通には向いていないのだ、と。
血は、ストレスを与えるだけ味が落ちる。だから彼の牧場では、なるべく処女を優しく扱う。そうしてのびのび育て、血を搾る時には眠らせて、その間に行う。リラックスした処女からは、私が飲んだような極上の血が採れるのだそうだ。私はその瞬間を思い浮かべてみて、その美しさ、荘厳さに思わず天を仰いだ。告白しよう、同時に股間の一物も天を仰いでいたことを。
飲む人に優しいのではなく、血を流してくれる処女に優しい、そんな信念のあるこの牧場に対し大いに尊敬の念を抱いたものであった。
私が処女の生き血を求めて夜をさまようようになったのはそれからである。以来、背も伸びて体調もすこぶるいい。大げさではなく、人生観そのものが変わった。
まるでおとぎ話の姫君のように静かな眠りにつく、清らかな乙女の首筋から鮮血を口にするとき、私はそこにこの世の神秘、そして神の姿を見ずにはいられない。
ただ、生活が夜型になったお蔭で、日光にはすっかり弱くなったのは少し困りものである。サングラスが手放せなくなった。
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のちのタモリである。
第二回ファック文芸部杯参加作品