はてなキーワード: 西洋医学とは
調べてみると西洋医学の知識だけでなく、東洋医学も含めて心身全体のバランスを見るというものらしい。
別に現在の治療にホリスティック医療を持ち出されているわけではないのだが、
どうもホメオパシーとかそういう類の胡散臭さと関連づくのかなと疑問を持ってしまいそうになる。
今ホットな漢方の話じゃないけれど、どうも東洋医学や西洋医学以外の治療方法に対する知識って
誤解や認識不足が多いのかもなぁ。
正直何を信じていいのかわからん。
最初のエントリのポイントが「どっちが優位か聞いても意味ねえ」って点にある、と書いたことは華麗にスルーしちゃうんだ?
はあ。
いやいや、あなたの最初の文章を読む限り「どっちが優位か聞いても意味ねえ」と書いてあるとは到底読み取れませんよ?ってのが趣旨なんですが。
自分があなたの文章を批判したのはあなたの最初のエントリに対してであり、「最初のエントリのポイントが「どっちが優位か聞いても意味ねえ」って点にある」かどうかは最初のエントリを読んだだけで判断するしかないでしょう。あと出しで「実はあれは東洋医学と西洋医学の優位性を比較しようとしたのではない」とか言われてもそんなのわかりません。
最初のエントリには「あんたどっちの意見を採用するね?」って書いてあるんですよ?それは、どう考えたってどちらが優位かきいてるのと同じことでしょう。違うのでしょうか?まずこの質問に答えてください。もしこの質問に答えられないようでしたら、もう議論する余地はないと思うのでいいです。あとはこの文章を読んだ人が自分で判断するでしょう。
と書いてあることと、「どっちが優位か聞」くことは矛盾しません。「同じフィールドでは比較できない」としても、どちらのフィールドがより重要かを考えれば2つのものの優位劣位を比較することはできるでしょう。でなければなぜ「あんたどっちの意見を採用するね?」って聞くんですか?
人体の仕組みは川のメカニズムよりもっと複雑だから、『なぜ』そうなるかを現時点で説明しきれないとしても、『確かに良い』と多くの人が言ってきて、今も言っているものについて、まだその理由が分からないうちから捨ててしまうような真似だけはしない方がいいと思うんだ。
これは別にいわゆる東洋医学とやらに限った話でもなく西洋医学とされてる今の医学だって同様の事はある。作用機序のわかってる薬ばかりでもないし、根拠を説明しきれるような治療ばかりやってるならEBMとか言われる事もないわけで。オリエンタリズムで実態以上に西洋医学と東洋医学の違いが強調されてるように見える。
ていねいにお返事頂き感謝します。
これだけ丁寧に読んで頂くと、もうこちらからコメントすることって余りないんですが。
東洋医学の方法も、ちゃんと研究デザインを考えれば(例えば、薬だけでなく日々の生活や食事まで、評価の要素に含めるとか)効果を確認する事はできると思う。
仰るとおり、東洋医学の(経験的な)知恵は、その大部分がいずれ西洋医学的に解明される時が来るはずだと思う。だいたい百年もすれば。秘伝や秘術と言った類との違いが定かではない東洋医学が、自己研鑽の機会を失っているという批判は結構あたっていると思うし、論理的明証性という武器が、たかだか1000年程度のアドバンテージを覆すには100年もあれば十分だろうと思う。
だから、問題はその「途中」である「今」なんだ。
オレがいいたかったのは、まあそんだけです。
人類の歴史を振り返れば、同じように失われてしまった知恵は膨大なわけで、漢方もまたその一つになり果てるというだけのことなのかもしれない。でも、そのロスを無くすことができればいいな、と思って書きました。ただ、単純に西洋医学が東洋医学を「解明」するだけでは多分ダメで、その根底にある思想……たとえば「技術によって自然のバランスを越えて人を延命させることの是否」なんて話で、多分相容れない領域に突き当たるわけで、そこんところでどうするのか、っつーところで、哲学とか倫理とかそういうジャンルとのコラボレーションに興味の湧く所であります。
東洋医学の観点から西洋医学の「盲点(かもしれない)」ことを指摘したけど、別に俺は西洋医学の優位性を否定しようとは思わないよ。
いや
たとえば、近所の川が淀んでなんか嫌な感じの臭いとか虫が発生して困ってるとしよう。で、近所の西洋さんが言うわけだ。「脱臭剤と殺虫剤をぶちこめば収まりますよ」と。そりゃ、まあそうだろう。でもそういう問題なのかそれは。そこで東洋じいさんが「まあまて。そもそもの原因は最近流れ込み始めた生活排水と、それによりヘドロがたまったことに原因があるのじゃ。下水の流れを変え、こまめに掃除をして、でもって川の生き物を殺さない程度の弱さでヘドロを溶かし流す薬と、あとヘドロが減ってきたら護岸に草の種をまきましょう」とか言うわけ。あんたどっちの意見を採用するね?
この文章を読んで「別に俺は西洋医学の優位性を否定しようとは思わないよ。」とか到底信じられないんですが。この文章読んでどっちが優位でしょうて聞けば100人が100人とも「そりゃ東洋医学のほうがいいよな」っていうんじゃない?でこのたとえの根拠が知りたいの。
あなたが根拠のひとつとしてあげたのは過去の実績だったけど、過去の実績考えれば西洋医学のほうが優位なわけで、それは根拠にならないよね。その根拠がないことをたとえとして使うことが印象操作なんじゃないかと指摘してるわけ。
前の書き込みの最後三行を読んでみて。あなたの言う程度のことは知っているけれども、それは『東洋医学の根底にある思想がどういうものか』という論議とは無関係な話。
漢方が、手段の一つとして対症療法的治療を施すことはあって、その際に、対症療法的に見て「効く」薬を使うこともあるだろう。けど、それが東洋医学や漢方薬の唯一の存在意義だなんて考えるのは大きな間違い
私は「どっちが対症療法か」なんて話はしていない。東洋医学には対症療法的ではない考え方があるんだよ、という話をしてるだけ。西洋医学が東洋医学のそういう考え方も含んだ総合的なものだといいたいならば、まだ分かる。でもそう主張するなら、それはそれでその根拠を示すべきだよね。
東洋医学の観点から西洋医学の「盲点(かもしれない)」ことを指摘したけど、別に俺は西洋医学の優位性を否定しようとは思わないよ。でも、仮に西洋医学の「絶対性」を誰かが主張するとしたら、「それはちょっと違うんじゃないかなあ」と言わずにはおれないんだ。科学とか、そんなに信用してもらってもねえ、と。
http://anond.hatelabo.jp/20091129120858
たとえば、近所の川が淀んでなんか嫌な感じの臭いとか虫が発生して困ってるとしよう。で、近所の西洋さんが言うわけだ。「脱臭剤と殺虫剤をぶちこめば収まりますよ」と。そりゃ、まあそうだろう。でもそういう問題なのかそれは。そこで東洋じいさんが「まあまて。そもそもの原因は最近流れ込み始めた生活排水と、それによりヘドロがたまったことに原因があるのじゃ。下水の流れを変え、こまめに掃除をして、でもって川の生き物を殺さない程度の弱さでヘドロを溶かし流す薬と、あとヘドロが減ってきたら護岸に草の種をまきましょう」とか言うわけ。あんたどっちの意見を採用するね?
これって印象操作だよね?だって、西洋医学が対症療法(脱臭剤と殺虫剤をぶちこめば収まりますよ)で、東洋医学がそうでないとなぜきめつけるの?なぜ、東洋医学が対症療法で、西洋医学がそうでない可能性を考えないの?それはあなたの思い込みであって証拠はないよね。
たとえば
http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/zak281_285.html#zakkan282
この本には、漢方薬の薬効評価の非科学性が書かれている。その他に、使い方を誤ると大変なことになる例がいくつか書かれている。その一つがチョウセンニンジンである。ニンジンには、血圧を上げてしまう効果があると書かれている。
「気分を高揚させる効果」があるので、病気が快癒していると感じがちだが、それは必ずしも病気が治っているのではないこと、特に血圧の上昇には注意が必要と書いている。確かに、二重目隠し法で検査した場合に、ニンジンに認められた効果は、この「高揚感」だった。
これなんか、東洋医学が実は対症療法だった可能性の一例になるんじゃないかな?
でも、あんたは言うかもしれない『東洋医学も、そりゃ確かに最終的には「効く」のかもしれない、でも、それならそれを証明する必要があるだろう』って?だから、長い歳月によるデータの集積、ってのがあるんだろう。東洋じーさんは、様々な場所で様々な川をたくさん蘇らせてきたという実績を少なくとも持っている。
そう、どちらが対症療法かは結局治療実績で判断するしかない。東洋じーさんは、様々な場所で様々な川をたくさん蘇らせてきた実績を少なくとも持っているかもしれないけど、西洋じーさんが現れて蘇らせ始めてから、川の蘇らせ率が飛躍的に改善した。また、川の各種指標も改善し、東洋じーさんでは蘇らせられなかった川をいくつもよみがえらせてきました。その結果川の蘇らせを担当するのはほとんど西洋じーさんになり東洋じーさんの出番はほんの少しです。さて、対症療法だったのは東洋じーさんだったのでしょうか?西洋じーさんだったのでしょうか?
しかし、俺は個人的には漢方薬を保険適用外にするのは反対だな。西洋医学で治せない症状がある限りプラセボ薬も必要だろう。漢方薬推進派は漢方薬禁止と漢方薬許可のランダム割り当て試験で保険費用比べてみればいいんじゃない。きっと漢方薬許可のほうが勝つよ。仕分け人なんてお金のことしか考えてないので、それで十分だろ。
なるほど、少し分かった気がする。
あなたは漢方について、効果だけでなく根底にある思想を含めて評価してるんだね。
川の例えだと、仮に東洋じーさんのやり方でうまく行かなくても、方向性としてそちらの方が正しいという風に、確かに思える。
でもそれは、イデオロギーの問題もあるし、さらに言えば我々の心のどこかに「東洋じーさんのやり方のほうが、最終的にうまく行く」という(必ずしも根拠は明確でない)確信みたいなものがあるからではないかな。
食物繊維の例なんかは、むしろいわゆる「科学的」なやり方を支持する話に私には見える。ことわざとして何となく受け継がれていたけれど、本当かどうか分からなかった事について、3,40年かけてコツコツ研究した結果、やっぱりことわざが正しかったと分かった訳でしょう。
長い伝統こそが効果のある証明であるという主張も、一定の根拠にはなり得ると思うけど、それのみで判断するのはやや無理があるように思う。基本的に人間は、効果のあった事はよく覚えていても、効果が無かったことはあまりよく覚えていないものだ。よく言われるプラセボ問題(本当に薬が効いたのか、薬を装っていれば薬でなくても効くのか)についても、経験則では評価できない。
それに、ここは東洋医学に対する批判になるのだけれど、千年を越える歴史の中で、中心となる理論が基本的にずっと変わっていない、という所に私は不信感を覚える。千年前の人々が今よりも愚かだったなんてことは無いに違いないが、今よりも賢かったということもあるまい。すっかり完成してそれ以上改良の余地が無いほど完璧な理論なんて、はっきり言ってこの世に一つも無いだろうと私は思っている。常に疑問を持って理論を眺め、おかしな部分は直してゆくのが、より良い理論へ辿り着く道だと思っている。長い伝統の間に大きな改革が無かったという事は、東洋医学の中には、そういった自己研鑽の精神が足りないという事を意味しているんじゃないだろうか?
人の記憶や感覚に頼っている限り、どうしても人間特有の間違いの傾向に落ち込んでしまう事を免れない。科学の手法というのは、その傾向を可能な限り取り除いて客観的な事実へ近づくための、これまた長い時間をかけて積み重ねた集合知だよ。
東洋医学の方法も、ちゃんと研究デザインを考えれば(例えば、薬だけでなく日々の生活や食事まで、評価の要素に含めるとか)効果を確認する事はできると思う。
とはいえ、そもそも間違いを正して客観的事実に近づいていくのが、本当に価値あることなのか?という点まで立ち返ってしまうと、科学的手法も大して意味がなくなってしまうんだけれども。
さて、冒頭に確認したように、あなたは漢方の効果だけでなく思想も支持しているようだ。単に健康になること以上に、その方法論が大切であるとお考えなのかもしれない。
思想が絡んでくるとなると、客観的な評価単独では、仰るとおり意味が無い(それでも評価自体が全く無価値だとは思わないけれど)。薬の効果という狭い評価範囲を超えて、人の心の機微や社会全体にまで話が及ぶ事だ。そして、事は保険適応の有無という極めて社会的・人為的な話なのだから、そこまで考えるあなたの方が、姿勢として正しいように思う。
私は社会情勢や経済や法律には全く暗いので、今回の漢方と保険についての問題には、ここでは直接触れないで置く。自分自身考えがまとまらないし、何か言っても見当違いになりそうだ。
あくまで「二重盲検」「対症療法」という単語の意味について、気になっただけ。でも、あなたの整理された文章を見ると、どうやらそれも余計なお世話だったらしい。申し訳ない。(「対症療法」についてだけは、未だにちょっと気になる。もしかすると、東洋医学の「対症療法」と西洋医学の「対症療法」は、別の言葉なんだろうか)
長文になってしまったけれど、誰かに噛み付いたりするつもりは全然無い。自分の考えを整理する役に立ったので、書くきっかけを与えてくれた元増田に感謝しようと思う。
乱文乱筆、失礼。
めっちゃ正論。
漢方薬批判を始めた途端に、市民運動家から攻撃されるようになったそうな。
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しかし、西洋医学の薬の問題点を摘出し、検証するために使われた
いや、もっと大きな問題があった。だから訴えた。漢方薬は危険と。
それを市民運動は認めない。
市民運動から「敵」のように攻撃されるようになった。
あなたは、『二重盲検で集めるデータ』か「対症療法」のどちらか、あるいは両方の意味を勘違いしているように思う。
『二重盲検で集めるデータ』というのは、処方された薬にどのくらいハッキリした効果があるのかを見るためのもの。薬がどういうメカニズムで効くかは解明されていなくても関係ない。東洋医が主張する如く、「証」にあわせて漢方または偽薬を処方すれば、データを集める事はできるはず。
「対症療法」というのは、病気の根本的な原因を取り除く(感染症の元となる細菌を抗生剤で叩くとか、癌を切除するような)のではなく、症状を緩和して患者の苦痛を軽くする(解熱剤や鎮痛剤で一時的に痛み等を抑えるなど)治療のこと。西洋医学が全て対症療法ということはもちろんなく、二重盲検試験で効果ありとデータの出ている現行薬の中にも、当然、対症療法に使うものもあればそうでないものもある。
僕は医者だけど、漢方の保険適用を外すってのは凄く全うなことだと思うんだけどなぁ。
そりゃ「漢方の」専門家の先生はそれで食べてるし「ツムラ」は猛烈に反対するのはわかるんだけどね。
ネットの人が署名署名ってなるのはてんで理解できない。あんたら単に「民主憎し」なだけちゃうんかと。
はっきりいって漢方について医学部で習うことは無い(多分富山大学以外の大半)し
臨床医として働きだしても、積極的に使うことは無い。患者さんの希望とか既に出されてるから出し続けるぐらい・・・
ツムラさんいは100以上の漢方の載った手帳もらうんだけど、つかわねーっての。(だいたい100以上在るとかが既にわけわからない)
しゃっくりに「柿のへた」はマジで使うけどね(笑
基本的に西洋医学は病気の原因とその治療というのがかなり明確に理論立ててあるわけで
なにが入ってるのかなんできくのか説明つかない漢方を使おうなんて人はほとんどいないわけ。
(有効成分が入ってるならそれを抽出して使えよ!という話。)
さらに、製造段階からちょっと怪しい部分もあって実際、漢方に含まれてる有害成分によって腎炎をおこした例の報告もあるし
国家試験レベルでも有名な「アルドステロン症」だって引き起こしたりするもの(甘草)もある。
むろん西洋医学は逆に言うと原因のはっきりしたものを個別にしか対応できないし
多くの慢性的ではっきりとしない症状を訴える人や予防的には漢方含め東洋医学が適してる部分も多いと思う。
でも、そういうのってサプリメントと一緒で飲みたい人は自己負担で飲めばいいんじゃないのかなぁ。
僕は無いと思うんだけどね。
あなたのいう『二重盲検で集めるデータ』というのは「対症療法」を主眼に置く発想に基づくものだよね。
そのことによって薬効が確かめられる薬というものの効能を否定するわけではないけれども、それだけが
「効能」の在り方だとは思わない…人も多いから、多くの現場で漢方が処方される現状があるのでは。
それとも、西洋医学を専門に学んだ多くの人が、呪い的信仰に乗っ取って、あるいはそういう患者に
押し切られて、保険の無駄遣いと思いつつ漢方を処方しているのだと思うわけ?
漢方が「効く」仕組みを説明することは、将来的には不可能ではないと思うが、現時点ではその効能を
経緯
わたしの見方
漢方薬で難しいのは、同じ薬でも効果が人によって全く違うこと、同じ症状でも処方すべき薬が体質によって全く異なることなんだよな。だから「薬局で売ってるんだから医者で処方してもらわずに自分で買えばいいじゃん」というだけで片付けられない。その対症療法的発想がそもそも西洋医学的だと思うよ。葛根湯だって場合によっては風邪以外の症状(例:中耳炎)を劇的に改善させたりするし、医者の腕というか経験知がすごく大事。患者の金銭的負担を減らすことを目指すなら漢方薬の使用は推進こそすれ使いにくくすべきではないと思う。エキス剤なら普通そんなに高くないし、それを保険から外して浮く金額はあんまり大きくないんじゃないのかな。
病院に行くことを許してくれない妻が許してくれるようになるというのは、今回の反応を見ていると考えにくい。
一方、元増田は現状を打開するために西洋医学が有効かもしれないと考えている。
今がつらくないとは言わないが、本当に悪化したら黙って医者に行くのは無理だと思うから。
ご自愛ください。
はてなで普通にブログも書いてるんですが、妻もそれを知っているのでこちらに書きます。
夫婦関係も円満そのものだし、学級もまずまず良い雰囲気だったし。
……今年4月までは。
4月に異動があり、現在の勤務校に配属されました。
昨年、結婚後に、お互いの実家の近く(妻の勤務先も近い)に引っ越して、以来かなり通勤時間が長くなっていました。
で、今回の異動は私自身の「引っ越し先の近くへ異動したい」という希望が通った結果、ではあります。
なので、喜ぶべき事ではあるのですが……。
……つらいです。
何がつらいか、というのはまあ本題からそれるので詳述しませんが、学校の規模がずっと大きくなり、学級の人数も増え、その対応にてんてこ舞い……というか対応しきれてないですし(今までが人数少なすぎた、という話ではある)、地域にも対応が大変な保護者が多いし、本校の仕事の流れもよくわからないのに、今までよりだいぶたくさん仕事を任されるようになったし(家は近くなったはずなのに帰宅時間はずっと遅くなりました)……。
まあ、これまでも、時には
「ああ、教室に行きたくないな……」
と思うこともあったのですが、学校に行こうとすると動悸がしたり吐き気がしたり、熱もないのに一日中頭痛がしたり、というのは初体験。
通勤途中でふとバックミラーで自分の顔を見て、自分がすごい苦しげに歪んだ顔をしているのに気づき、このままではこの学校で今年度いっぱい(実際にはたぶん今後何年間も)仕事を続けるのは無理だ、と思い、心療内科に行ってみようと考えました。
万一休職とかしたら、ふとんをかぶって一日泣き暮らすとかしないで、嬉々としてゲーム・ネット三昧の生活を送る自信がありますし。
「授業が苦痛→授業の準備をするのが苦痛→授業がうまくいかない→授業が苦痛」
という悪循環にはまりつつあるので。
(授業がうまくいかない、って、本当につらいんですよ……)
ともあれ、自分は西洋医学万歳の人だし、精神科・心療内科にも偏見はないので、つらいときは医者に相談しよう、とは前々から思っていたのです。
で、近くの(でも校区からは離れた)心療内科の予約をとりました。
受診してみて、仮に
「あなたは病気じゃないです(≒その程度つらい人はいっぱいいます)」
と専門家に言われたら、まあそれだけでも気が楽になるかも知れないし、もしも抗うつ薬でも処方されればもっと楽になるかも知れないし、と思って。
……ただ、うちの奥さんが快く思わないだろうなー、というのはまあ予想していました。
うちの妻、かつて体調がかなりあちこち悪かったとき、いろいろ医者にかかって薬もたくさんもらったもののいっこうに良くならなかった(で、なんかうさんくさい健康食品で治った)、という経緯もあり、医者を信用していません。
(むしろマイナスイオンとか岩盤浴とかを信用してる感じ。「毒素を排出」して「体質を改善」する、と称するジュースを、私も毎日飲まされてます……)
とりわけ、向精神薬には強い拒否感がありますので……。
だから、心療内科のことも、おそるおそる、言葉を選んで話してみたのですが……。
……が、話したとたんにオイオイ泣き出したのは予想外でした。
「あたしが奥さん失格だからなんだ! あたしがダーリンのことちゃんと支えてあげられてないからいけないんだー!」
そんなことないので必死でなだめたのですが泣きやまず。
「ダーリンが病院とか行ったら、あたしショックで引きこもりになっちゃうようわあーん」
そこまで心療内科への偏見が強いのか、と思ったのですが、よく話を聞いてみると違うのでした。
「だって、あたしが昔つらかった時には、ダーリンがいっぱい支えてくれたでしょ?それであたしは元気になれたんだよ?」
もう10年近く前、彼女とつきあい始めた頃(お互い大学生)、彼女は本当に体調が悪く。
全身に発疹ができて、身動きするだけでもあちこちピリピリ痛む、というのが毎日毎日一日中続いたのです。
顔にも発疹が、というのは、女性である彼女には辛かったようで、精神的にもかなり苦しそうでした。
その他にも、いろいろ入院したり手術が必要だったりと、
「行ってない診療科はない」
と本人が言うくらいでした。(精神科は除く、ですが)
その頃は、午前2時ごろ電話がかかってきて、
「なんでこんな体に生まれてきたんだろう……」
「もう死にたい」
「あたしが死んでも誰も悲しまないよ」
みたいな話を延々2時間くらいされて、私が一生懸命なぐさめて、
……みたいなことがしょっちゅうでした。
まあ自分でもがんばったと思う(彼女はもっとがんばった)のですが、別に
「精神科に行くな」
と言ったことはないし(「行け」と勧めてもいないですけど)、行くというなら反対はしなかったと思います。
しかし、
「あたしは病院行かなかったよ!? 今のダーリンより、あの頃のあたしの方がもっとつらかったと思うよ!?」
いやそういう問題では……。
「だから、今度はあたしが支えてあげないといけないんだもん!なのにダーリンが病院に行ったりしたら、あたしパニックになっちゃうと思うよ!?」
もうなってるのかも知れない、と思いました。
呼吸が「はひっ・はひっ」って感じでおかしいのでどうしようかと。
……妻の言うことは筋が通らない、とは思います。
確かに、苦しいときには助け合うのが夫婦だと思いますし、支えてくれようとする気持ちはうれしいです。
パートナーの支えだけで困難を乗り切れれば確かに素晴らしいでしょう。
でも、病院その他専門機関に相談した方が楽になれる見込みがあるなら、躊躇なくそうすべきだ、とも思うのです。
っていうか、必要なら適切な専門機関を探して相手に受診を勧めてあげるのも、望ましい夫婦関係なんじゃないでしょうか。
……でも、どうも彼女はそう感じていないみたいです。
「私が辛いとき、彼の精神的な支えで(それだけで)乗り切れた。
だから彼が辛いときには、私が、私の支えで(それだけで!)乗り切れるようにしてあげなければいけない。
それが対等な2人の関係というものだ……もしそれができなければ、私は彼に支えられるだけの人間になってしまう。
だから、彼を病院に行かせてはならない」
……みたいな。
まあ、
みたいな気持ちが分からないとは言いませんが……。
でも、だからって病院に行かせまいとするのはおかしいですよね……?
気づきました。
「……うちの奥さん、元気になってなかったんだ……」
謎の健康食品のお陰(?)で身体的にはほぼ健康になり、精神面でも朗らかになった妻。
……でも、やっぱり内面的にはかなり危ういバランスだったのかも知れません。
っていうかヤンデレ?
フィクションとしては嫌いじゃないけど、身近にいるとは思わなかった……。
断っておきますが、妻とはもう本当にラブラブだしその意味では超幸せです。
っていうか、もし妻がいなかったら、とっくの昔に引きこもりになってると思いますよ、私。
……ただ……なあ……。
翌朝、
「じゃあねダーリン!いってらっしゃい!気をつけてね!」
とか、いつにも増して朗らかに送り出してくれる彼女を見て、すごく複雑な気持ちになったのでした。
私を支えなきゃ、と思う余り、彼女にストレスがかかってしまっては何にもなりませんし……。
言わなきゃ良かった、のかも知れません。
……ああ、もうすぐ明日が来ますね。
そう思うだけでもなんか胃の辺りがもやもやとするんですが……。
心療内科の予約の日も近づいてきますが、どうしたものか……。
こっそり受診してみるか、やめておくか……。
悩んでいます。
なんか砂糖玉で思い出したので思っていることをまとめてみた。
かといって西洋医学がすべてケミカルかって言うとそうなの?と言う気にもなるだけど。
いまいち違いがわからないのがホメオパシーの砂糖玉、波動水、あとフラワーエッセンス。
品質表示うんぬんを言いますと、
よくこんな何が入ってるかわからないもんを口に入れることができるなと言うところです。
OISIXとかの生産者の見える野菜をというのと、何が入っているかわからないものを口に入れる勇気が
同一の場所に介在するというコトの矛盾についての指摘がないのはなぜなんでしょうか?
環境ホルモンがどうのだのそんなこという前に その砂糖玉の中身は何なんだよ。
西洋では一般的みたいなことを言うのなら、西洋医学を否定するのはどうなのかとか。。。
常に矛盾が内在していることについて信奉者たちはなにも意見を言わないの?
それこそ、そんなバッチイもん 良く子供に食べさせられるね?と思っちゃいます。
カカオが薬だったように(もしくは 何らかの呪術の妙薬だったかのように)、
具合の悪いときゃ 砂糖でもなめてろ っていうことなんじゃないでしょうか?
そしてその種類ごとの処方に基づいて 具合が良くなったような気になれるという
想像を絶するイマジネーションと感受性はもう全く持って尊敬に値するものです。
もういっそのことこれは宗教なんです。だから自由なんです。って言ってくれればいいのに。
喜んでる人たちこそ、新興宗教とか目の敵にしそうなところが全くの皮肉。
2009年1月22日の放送の『 見放された患者と共に闘う "がん難民コーディネーター"』という特集でホメオパシーが取り上げられていた。"がん難民コーディネーター"の藤野邦夫氏が、医者にさじを投げられてしまったがん患者に、治療法の提案を行っているという内容。藤野氏の提案で免疫療法を受けることになったがん患者のHさんは、あろうことかホメオパシー"治療"をうけることになってしまう。
その特集は以下で見られるが、ホメオパシーに関連する部分を引用してみた。
動画: http://www.tv-asahi.co.jp/hst/contents/movie/090122/index.html
(ナレーション)帯津医師はまず星さんの免疫力を高めるためにホメオパシー治療の開始を決めた。ホメオパシーとは病気と直接因果関係が説明できない植物や鉱物をごく微量一種類ずつ変えながら一定期間患者に投与することで免疫の働きを活性化させる。科学的な理論は実証されていないが、効果が認められており、世界的に普及している。
(帯津医師)「理論的なエビデンスがないものはいっぱいあります。世の中に。だからといって排斥することはない。良いところは認めて、それでそれだけでやろうってんじゃないわけだから。それをやるのと一緒に西洋医学も中国医学もホメオパシーと一緒に考えていけばいいわけですよ。」
(ナレーション)ホメオパシー治療では微熱や眠気の副作用があるものの、数週間で免疫力が上がる効果が期待できる。
[中略]
(ナレーション)ホメオパシー治療を続けて一ヶ月後、Hさんを訪ねた。
(Hさん)「こんにちは。どうも。」
(ナレーション)寝たきりだった星さんが多少は動けるほどになっていた。体重は2キロ増えた。星さんは藤野さんから教えられたガンと闘う8ヶ条を実践していた。
(以下省略)
1.「ホメオパシーとは病気と直接因果関係が説明できない植物や鉱物を」
基本的に事実でない。
ホメオパシーで用いる標準的な治療薬(通常は薬とはされず、レメディと呼ぶ)は、植物や鉱物を水やアルコールで10の30乗倍に薄めたものを用いる。多くの場合では、これを砂糖や乳糖の粒に染み込ませ乾燥させたものを患者に与えるらしい。
10の30乗倍に薄めるというのは、原液1滴を地球の海の水全部で薄めたのよりもずっと薄くするということ。
そんなに薄めることは地球上では不可能だと思われるかもしれないが、1 mlの原液を9 mlの水と混合し、その混合液からまた1 mlとって水と混合し、、、と10倍に薄める操作を30回繰り返すことで達成可能。
とにかく、これはもう、ものすごく薄い。どれくらい薄いかというと、患者の口に入るレメディには原物質が一分子も含まれないくらい薄い。つまり、患者の口に入る治療薬には、植物も鉱物も含まれていない、水を染み込ませた、ただの飴玉ということになる。
ただの飴玉に効果があると言い張る、それがホメオパシー。
事実。
理論としては"物質が一分子も含まれなくても、水が情報・波動を記憶している"という説が有名だが、科学的な裏付けは一切ない。そのヘンテコな理論を提出したベンベニストの実験は再現できず、イグノーベル賞を受賞してネタにされるに至った。しかも2回受賞したのは彼の他にいないだろう。
http://improbable.com/ig/ig-pastwinners.html
3.「効果が認められており、」
事実でない。
ホメオパシーを受けた患者の治療成績は、偽物の薬(いわゆるプラセボ)を処方された患者を受けた患者と変わらなかったという結果がすでに出ている。
Shang, A., Huwiler-Müntener, K., Nartey, L., Jüni, P., Dörig, S., Sterne, J. A., Pewsner, D., and Egger, M. (2005). Are the clinical effects of homoeopathy placebo effects? comparative study of placebo-controlled trials of homoeopathy and allopathy. Lancet, 366(9487):726-732.
つまり、ホメオパシーは理論上効くはずもないし、実際に効くことも確かめられていない、おまじない同然の行為ということになる。
というわけで、報道ステーションのナレーションは極めて不正確。報道ステーションは、医療の皮を被った呪術であるホメオパシーを、有効な正真正銘の医療として宣伝してしまったことになる。これを見てホメオパシーに興味を持ち試そうとする人もいるだろうし、これをお墨付きにしてホメオパシーの宣伝が行われるということも十分にありうる。
ホメオパはスピリチュアルの世界だからねー。そこを自覚した上でやってるならいいけど、どうも「西洋医学より優れた医学」とかいう勘違いが見られるから困ったもんだ。
所詮は「鰯の頭も信心から」その程度の効果=プラセボしかないのにね。
日本ホメオパシー医学会だったか見ると、「レメディは源物質が含まれないほど希釈してるので安全です」みたいなことが書いてある。そりゃ安全だろうよと。
ていうか漢方って、せいぜいが経験の蓄積に過ぎないんだよね。
「これを処方したらこの症状に効いた」それ以上のものではない。そもそも最初に処方してみた理由すら謎。
数千年の蓄積があるからこそ薬として機能しているけど、なにしろ機序を理解せずに処方するわけだから普通にやってたんじゃ新たな薬効の発見なんてのはほとんど不可能だ。多分*(結果として)人体実験による数多の犠牲の上に成り立っているに違いない。
念のために言っておくけど、西洋医学だって出発点は似たようなものだ。多分18世紀頃までは、医学ってちっとも理論的じゃない。悪い血を抜いて毒を出すとか。まるっきり今の「デトックス」とかいう妄言と同じレベルだ。
だけど西洋医学は、仕組みの理解を重んじた。「何を処方すれば効くのか」よりも「何が原因で病になったのか」。原因が判れば、それを排除する方法を考えることができる。
今の医学にはかなりの「知識の蓄積」がある。この成分は何故このような働きをするのか。この病原体はどのような仕組みで感染し、増殖しているのか。分子レベルでそれを突き止めているから、逆に分子レベルで欲しい効能をデザインしてみることができるまでになった((それが必ずしも期待した通りに働くとは限らないのが、現代医学の限界ではあるのだけれど))。
これは先人の知識として活用すべきだ。
だけど元エントリーの
それよりも、何百年もの間多くの人が実際に使用してきた経験の積み重ねである漢方薬のほうが、総テスト回数はずっと多いはずだ。
これには賛成しかねる。
悪貨は良貨を駆逐する。
ある療法が効果をなしたものとする。
それをまねするものが出る。
劣化コピーが続き、数年も立てば本来の容量用法とはまるで違うものになってしまう。
500年前の冬虫夏草と現代の冬虫夏草の使われ方、成分が同じものだとはとても思えない。
漢方や民間療法の場合、それが偽物かどうかを判別する方法は我々は持ち合わせていないのだ。
確かに効果があったかもしれない。
だが再現性は怪しい。
そもそも100年以上前に出回っていた漢方薬が規格化されたものだとは思えない。
鹿の角だと騙されてなんかよくわからない動物の骨の粉を飲まされている人が何人いたことだろう。
個人的には西洋医学のルールに基づいて成分調査をした漢方は支持したい。
調合するひとによって騙しがなくなるからだ。
気孔による治療だとかはなんかもうぶっとびすぎててわからない。
現代の科学では証明できないなどというものを既に証明が済んでいるもの以上に信用するのはどういうわけだろう。
効果があるのかもしれないが「風邪薬」よりも信頼できると言うならばその人を信頼するのは難しい。
風邪薬なんていうものがそもそも信用に値するものではないからだ。