はてなキーワード: 落ち着けとは
こんにちは、元辛党です。今日の昼ね、後輩といっしょに会社から少し離れたカレー屋に行ったんですよ。かなり辛いけどウマイってことで、けっこう有名らしくて。
もうね、激辛好きとしてはね、カレー好きとしてはね、一度行っておかないといけない。こちとら中学生の頃にレトルトの200倍激辛赤カリーを常食していた男ですよ。ビビる後輩にそんな辛党武勇伝を聞かせながら店に入ったわけです。さっそく注文すると店員が「辛いけどよろしいですか」なんて聞いてくる。バカかお前。俺が苦手とする辛い食べ物は黄色いうんこ、別名からしだけだ。ハバネロだろうが青唐辛子だろうがもってこいやァアアアアア!!
なんてこと口に出さなくて良かったです、本当に。違うの、次元が。まるで火薬を口に運んでいるよう。一口食べるごとにね、辛みの向こう側が見えてくるんです。汗はぼたぼた、目はグルグル。後輩は1/3食べてギブアップしてましたよ。でもね、俺はダメなの。さっき語っちゃったもん、武勇伝。「けっこ、辛イね」ってカタコトで話しながらなんとか食べきりました。
食べてしばらく経つと胃が焼けるように熱くなってくるの。もう仕事どころじゃない。腹の中で誰か祭り開いてんじゃね?ってくらい激しいの。そろそろお開きにしませんか?って聞いても「まだまだこれからよ!」ってガチムチのオッサン達がふんどし姿で神輿かついでんの。そーっすよねー、今入ってきたとこっすもんねー。胃から腸、肛門へと向かって神輿ご一行様はねり歩かないといけない。まだまだ祭りは続きます。だが待ってろよ、貴様らが肛門を経て最終的に行き着くのは便所という名の地獄だ!肛門を叩く音が鳴るまで、じっと耐え抜きました。
数時間後に「それ」は来た。俺はスマートに席を立ち、審判のステージへと向かった。ようやくこいつらともお別れ。便座に腰を落ち着ける。祭り男たちよ、和式でなくてすまない。
ソイヤ!ソイヤ!ソイヤ!ソイヤ!
「門が開くぞー!」
ソイヤ!ソイヤ!ソイヤ!ソイヤ!
「神輿をかつげー!」
ソイヤ!ソイヤ!ソイヤ!ソイヤ!
おかしい。手応えが薄い。でてきたのは、こんなに少しだけ?
そう思うと同時にアナルに激痛が走る。あの野郎ども、俺のかわいいアナルちゃんに一体何をしたんだ!まさか、これは、燃えて……?いかん!消防隊を呼べ!!すぐに火を消し止めろーーッ!!消防隊のホースが俺のアナルを適確に捉える。がッ!この馬鹿ウォシュレット!なぜ温水なんだ!!?あまりにも刺激的すぎるのですぐに放水を止めさせた。
じくじく痛むアナルをやさしくパンツで包みながら、便器で沈んでいく「ヤツら」を確認する。やはり少ない。ーーーまさか。「祭りはまだ終わっちゃいないぜ?」便器の中の真っ赤なソイツは、そんな風に言いたげな顔をした。祭り男達はまだ俺の腹の中にいる。こんなことを、あと何度繰り返せばいい?一体、どうすればいいんだ。誰か教えてくれ。俺のアナルを守ってくれ……。
大丈夫だ。あのときも証言は全くなかった。まさか今頃になって。待て。あいつの上着の中には何か残っていなかったか。いや。少し落ち着け。確かめたじゃないか。一緒に埋めたときに何度も。
着工の予定からは一ヶ月遅れたが、しかし既に地均しが始まっている。あの一帯は駐車場か。雨除けのビニールシートが目に入る。ふと、その先に思い浮かべた。「白骨遺体が発見されました!」
一週間もすれば昼のワイドショーが大喜びだろう。しかし何か見落して、そういえば、あいつの手袋は?あれは確かーーーまずい。心臓が高鳴る。同じだ。三年前と。回収は無理だ。クソ。こんなところで。あのとき俺は、アリバイは、あの通話記録はーーー。
という夢を見た。すごく怖かった。やけにリアルだった。
くだらんこと、というのは、よく考え直してみれば結局双方とも、その主張に誤りも正しい点もある、ということで、わざわざ口論によって時間やら体力を消耗するにはくだらない、という意味だが、わざわざ相手がキレたということは、相手自身はそうは思っていないということでもある。それがいかに非経済的かがわかれば口論もなくなるだろうが、二十代も過ぎた人間の考えを変えさせようというのは不可能に近い。
軽い気持ちで念押しに言った一言で、あんたは妻の私を信用していないのか、信じられない、別れる、などと水をひっかけられたナトリウムのごとく炎上するのだが、以前でこそこんなことで別れられてはたまらないと、慌てて取り繕ったりなだめたりしてみたものの、概ねそれは逆効果であることがわかりつつある。だいたい自分でも納得しきれないことを謝る、というのはどうしても不自然な謝り方になるので、最終的には無意味だったりする。
脳の働きについて云々する能力は私にはないが、経験に基づくとりあえずの共通認識としては、これらの傾向はあるのではないかと思う。ゆえに異性というものは(他人というものも)腹の底から理解はし得ない。違うものと思ってあきらめるしかなく、罵倒にも意味がない。
ボーダーだ何だと騒ぐのはもっと後でいい。多くの人が反発を覚えるかもしれないが、他者に対する強い感情とは、喜怒哀楽いずれでも、他者への強制力を持っている。より嫌味な表現では、自身の主張の押し付けであるのだが、押し付けと自覚している者はそもそも自制するものなので、自覚していないがゆえに炎上する相手に対して、否定をぶつけても悪化しかしない。落ち着けだの何で怒るの?などというのは全く無意味であって、わかったわかったとその怒りを肯定するか、肯定も否定もせず黙って見てる(保留する)かのいずれかとなる(というわけで強い怒りとは即ち暴力なのだが、もちろん相手はそれを理解していない)。
かつ女性は自分が無視されることを最も嫌うので(これも理解しがたいが、そういうものらしいので仕方がない)、怒りを保留しつつ、話を聞いているというサインを出すために「わかったわかった」などというようなことを、投げやりな感じでなく、相手の目を見て言う必要がある。稀に図に乗って、本当にわかってんのか一から説明し直してみろこの野郎などと追及されるが、この場合は真剣に悩む、フリなどして沈黙すべきであり、双方とも一時の間違いはあるのだから、どのみち真剣に悩む必要はなく、忘れても構わない。怒りに対しては全てのものが燃料になるので、無理に言葉を発する必要もない。
後日論点整理して文書による反論を試みる必要もないし、よくわからない嫌がらせをして裁判沙汰になる必要もない。ずるい話だが、さっさと忘れてもらった方が都合がいいのはお互い様である。口論の終盤に確実に曲げられない主張だけを述べる、という場合もあるが、理解するもしないも相手の自由だし、主張する自由もあると付け加えれば不自然ではない。思ったことは言えるうちに言っておけばいい。
いずれにせよ他人は一生他人であると考える方が理に適っているし、これは他者を尊重する心得とも矛盾しない。別段人は完璧でなくてもいい、とすれば、キレる必要も逆ギレする必要もないということになるが、偶に相手が自分を理解していないのは間違ったことである、などという誤った思い込みをするので口論は絶えない(こんな思い込みがなぜなくならないか、については、人は常に愛されていなければならないということはない、的なことを女性の前で発言すればたちどころにわかる。と思われる)。
カートに入れると、それまでの価格よりさらにディスカウントされてすげぇーな。ってのは釣りだから。
おれも危うくそれに引っかかって
「なに!?キャンペーンは今日まで?じゃぁ、いま買っちゃおうかなぁ。」
って気分になったが、気持ちを落ち着けて、このキャンペーンとやらは何故おこなわれているんだと、考えた。
翌日に、同じ製品を同じ構成でカートに入れたら別なキャンペーンのディスカウントされた価格になった、値引き幅は前日よりも多い。しかし、元の製品価格(正確には「パッケージ割引額」)も連動して変更されていて、合計金額にはほとんど差がなくなっていた。
以上、18禁のドラマCDを聴いていたらmixiミュージックにその詳細を全国にさらされた、変態オブジイヤーなエロゲー歴半年の20歳がお送りしました。
最近ふと生物学の教科書ぱらぱらめくってて思ったことあんのよ。
鯨自身が好む好まないに関わらず、あんなデカイ口でさ、
ついでにうっかり魚もガバーって食べちゃう。
ってことはさ、バイオアキュミュレーションとか、ひどいんじゃない?
ただでさえ魚とか汚染されまくってんのにさ。ヤバイんじゃない?
その上、不法投棄された化学薬品や廃棄物なんかも口にしちゃってるだろうし。
特にそういう国の周辺では。
現にエスキモーは、女子が生まれなくなってゆっくり滅びつつあるっていうじゃない。
あいつら他にも生であざらしとか食ってるけど。
DDTの例をとるまでもなく、多くのケミカルはからだの中で分解されずに
子々孫々に至るまで受け継がれていく。
もちろん、一切れの魚肉やくだものや野菜にふくまれる薬品の量はたかがしれてる。
でも、それでもゆっくりと、確実に僕らの中でそれらは積み重なる。
今のところ、人々の間に摂取と蓄積による影響は見受けられない。
もしかすると、僕らは時限爆弾を食べているのかもしれない。
積もりに積もって、ある限界点を越えると、一気に爆発して僕らに襲い掛かる、兵器。
その中でも鯨肉はヤバイ。
もし、牛に鯨と同じ割合で薬品が含まれいたら、どこの国でも売ることを認められないレベルだ。
あの中国でさえ。
ねぇ、僕は多分彼女将来できないからこのまま食い続けてもいいし、
僕と同年代の人たちは鯨じたいあんま好きじゃないから食べないけれど、
そろそろ生活に余裕もできて、腰落ち着けて結婚して子供生んでもいいかなって年頃の、
優秀な遺伝子を遺さなきゃいけないハズの、あんたらおっさんどもは
どうするの?
何か色々コメントもらったけどね
人から聞いた話は特に指摘もなく無条件に支持されて、やってる人の突っ込みは疑われるってなんで?
そもそも元記事が印象論でしかないのに
元記事
http://www.meitai.net/archives/20080304/2008030407.html
電通とか企業とか、どうでもいいからさ、それ叩きたい人は叩けばいいけど、そもそもそれとその仮想世界のスペックって関係ないだろ?
例えば自分の企画が失敗しましたって言うのが現実世界のスペック問題だったりするの?
その世界で成功してる人はどうなるんだよ
元記事はそれをやってるんだよ
それからSecond Lifeやってもないのにこんな時だけ「セカンドライフ(笑)」とか「オワタ」って沸いてくる連中いるけど、いつ終わるの?
流行ってる記事が鳴かず飛ばずだったけど、それと変わらない稚拙さだろ
何か疑われるらしいのでLinden.Labが発表してるSecond Lifeの統計をグラフ化してるサイト
http://sheila6225.blogspot.com/
このグラフからしたらいつ終わるんですか?
最初に見たオワタ記事も、もうすぐで一年くらいなんだけど
セカンドライフってもう終わった?
http://ohnishi.livedoor.biz/archives/50313770.html
そしてSecond Lifeでよく言われる電通がどれだけ小さい存在か
Second Lifeの中の経済って世界の企業って世界の日本って世界の一部マスコミと繋がってる辺りのうちの一つ
そしてもっと的確に言えば一ユーザーでしかない
更にアイデア勝負の世界だから、つまらなかったらそれで終わりなんだよ
Second Lifeで企業がどんなもんかってエントリー
http://www.chikawatanabe.com/blog/2007/07/post-4.html
あとは少しはかじった内容だったので次のエントリーに対して書いてみる。
このへんは事実じゃないの?
正確にはSecond Life内で勝手な銀行業は禁止。
現実で許可があればOK。
ギャンブルは禁止。
コンテンツを本格的に楽しむには有料で複雑な手順の登録が必要
苦労して登録してもCG(コンピューターグラフィックス)の処理は利用者のパソコンの性能に左右され
アバターの操作性も低い
さらに一つのコンテンツが同時に閲覧できるのは数十人だけの小規模
このへんも特に大きく外してはないと思うけど。
特に鼻につくのはコンテンツって記述かな。
元々地面と海と空以外何もない=ほぼ全てがユーザーが作り上げたコンテンツなんだから。
それを一まとめにして有料コンテンツがどうのとかコンテンツの閲覧どうとか言うのはおかしくなるだろ。
無制限に配布できるコンテンツもある。
あと複雑な手順の登録って何と比べて?
苦労するほどの登録ってなんだよw
更に今じゃ日本人向けに簡易にされた登録も数箇所ある
アカウント登録サイトと最初のオリエンテーションランドも作れるものだから
日本企業メルティングドッツのSecond Life登録ページ
それを伝えるのに要らない枕詞ついてるだろ。
それが印象操作じゃなくて何?しかも聞いた話で。
セカンドライフはそもそもそんなに大々的に普及するような代物じゃない。
それを大々的に流行ってるとかしかもそこに金の匂いとか勘違いくっつけて壮大にコケたのがマスコミだよな。
Second Lifeにはそんなこと関係ないし、Linden.Labのインタビュー見ても物づくりとかシミュレータとか、どう見てもそこがSecond Lifeの趣旨だろ。
中の人はそんなこととっくにわかってるんだよ。
その趣旨を差し置いてどうもズレた感覚であーだこーだ好き勝手言ってるのが「セカンドライフ流行る」とか「セカンドライフオワタ」とかそう言う連中だろ。
だからオワタとか言ってる連中にとりあえず落ち着けって言いたいんだ俺は
セカンドライフ衰退に電通を持ってくるのは筋違いというのは同意。
先にあげた記事みたいに、Second Lifeからしても日本の一企業が失敗とか撤退とかどうでもいい話。例えそれが電通でも。
日本じゃ一企業とか言ってもSecond Lifeじゃ一ユーザーと同じだから。
互いそうならいい関係なんかもね?
数年前のことだが書くとすっきりすると思うので書く。
近所の中古ゲームショップにいくつかソフトを売りに行くことにした。
雲行きが怪しいので傘を持っていった。
お店でソフトを見てもらったところ買い取り金額が安かった。
なので売るのを止めた。外に出る。
しかし傘立てに傘がない
店に入ってソフト見てもらって外に出るまで1分もかかっていない。
10メートル前を見ると透明傘をさしている小学生の子供がチャリを漕いでいた。
自分の持っていったのは透明傘だ。透明傘にも色々な形はあるが傘立てに自分のはない。
あれは自分の傘に間違いあるまい。
傘がないのを確認して2秒後ぐらいでそのチャリを全力で追った。
しばらくするとその子供が後ろを振り返ってこちらを見た。
すると子供が全力で漕ぎ始めた。
犯人はあのガキで確定。
「ドロボー!」と走りながら叫んだ。
自分はゆっくり近づいていく。
そのガキは「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝ってきた。
頭を軽くポンと叩いたらニターと笑ってきた。
激しく怒らないと足下を見透かされたようである。
そのガキの話によると友達が2人いて2人とも傘盗んでいるという。
どうするかと思ったが、俺はさっさと家に帰りたい。
放っておくことにした。
落ち着け。だまされてるぞ。
まず、「自己責任論」というが、「レイプ被害者が一人で夜歩いてるのが悪い。非は被害者にある」と主張しているメディアがどのくらいあるか、自分で探してみるといい。ほとんどいない(いることはいる)。たいていは「あいつは…といっている」という批判者によるねじ曲げだから。
第二に、この「女性も気をつけるべきだろう」という発言が大きく「問題」にされたのは広島のときが最初で、「若い女性が一人で盛り場を夜中に歩くなんて、気をつけなくては」と言う発言だった。これは夜の盛り場という場所が限定されている。
第三に、今回の沖縄の件は、夜に中学生が一人歩きして米兵に付いて行ったから、「女性も気をつけるべきだろう」と言われている。
もう一度言うが、自己責任論というのは、「自己責任論がまかり通っている」と誰かを批判したい人たちが作り出した幻影だ。
そういうわけで、まっとう働いている増田が(あってほしくないが)暴行された場合、増田を批判する奴は本の一握りの狂人だろう。
女の身で夜遅くまで働いて帰らない境遇には幾分同情する。気をつけてくれ。
おいおい、顔が真っ赤になってるぞ。代弁してやるから落ち着け。
詐欺というレベルではないかもしれないけど俺も被害にあってしまった。
数十分後、携帯電話を受け取りに来た時に、そこのカウンターの人からメタルプラスに加入しないかと勧誘が来た。
特にマイラインなんかも決めてないし、問題もなさそうだったので加入してもいいかなと思った。
黙って聞いていると、加入すると工事をする事になる、その工事費は無料である、最初に口座より工事費が引き落とされますけど、それは一時的なもので後ほど返還しますのでってことだった。
工事費がかからないならまあいいかもなと考えた。もちろん有料であれば即お断りである。
ただ一つ気になる事があって、プロバイダーなどのネットの接続代金をNTTが代行して引き落としてたので
それははどうなるんだと聞くと、問題ない、NTTが引き落としてる分はそのまま引き落とされますとのことだった。
それならばとOKし、
それっきりすっかり忘れたころにビックカメラから書留がきた。
なんだろうと開けると5000円のビックカメラの商品券だった。
俺はすっかり忘れてしまってたので何の意味かわからずとまどった。
記憶をずっとたぐって行くと
商品券なんて聞いてないぞ。
しかもビックカメラでしか使えねえじゃん・・
これじゃ返還じゃなく変換だ。商品券の金額=貨幣の金額じゃないだろ。
俺は憤慨した。しかし今となっては後の祭りである。
さらに2ヶ月。
つ、つながらねえ・・・
気を取り直してまた電話。
17分後、ようやく繋がる。
お姉ちゃんにネットに繋がらない事を告げ、一通りのやり取りが済んだ後衝撃の事実が発覚。
なんとここ数ヶ月接続料が支払われていないとの事。
そのため回線を停止してるというのだ。
晴天の霹靂ってこういう時に使うんだよな。
落ち着け、俺。
つまり、
要するに
あの店員が大丈夫と言ったのは
まったく大丈夫じゃなかったのだ。
さてどうしてくれよう。
それから
ようやくいろんな処理が終わって
こういう被害もあったということでここに書いてるわけだ。
どうしてくれようじゃないなw
いや、その職質云々書いたの俺じゃないし。落ち着け。
一回セックスしたら気がすむような気がしないでもなかったんだけど、なんかそうじゃないのかも。
多分、本気になりだしてる。自分だってまめにメール打つ方じゃない癖に、返信ないのが怖い。やばい。
すっごく会いたいんだけど、会ったらまたケダモノ化しそうで怖い。どうやったらキスできるかなあって、そればっか考えてしまいそう。落ち着け。
相手、年下だよ? もうちょっとしっかりしろよ。ぐずぐずにされてないで、もうちょっと大人の女ぶろうぜ、私よ。
でも、決して恋愛経験豊富ではないから、色々戸惑ってるのも事実なんだよね。
とりあえず、うざい女にだけはならないように気をつけないとなあ。
1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば。 - Attribute=51
「ちょっと」を毎日。
- 現状を変える一発逆転があると思うかもしれないけど、どうやら近道はないみたいです。
- 毎日少しずつ、少しずつ努力を積み重ねるしかない。まったく人生ってやつは。まったく。
- 毎日努力している人にはどんな天才も絶対に及ばない。断言していいです。
- 大事なのは毎日(毎日じゃなくてもいいんだけど、常日頃)続けること。
- とにかく結果を焦らない。落ち着けって。
- 今日の努力が実を結ぶのは、だいたい1年後。のんびり行くしかないですよ。
- ちょっとだけやる。「ちょっと」が超大事。
- ダイエットしようと思って、いきなり5キロ走るから辛くなる。初日は着替えて玄関出るところで終了。
- だけど、やろうと思ったらその日のうちにやる。絶対やる。1歩踏み出すだけでいい。
- 今日行動を起こさないと、ゴールにつくのが1日遅れるよ。
- あんまり遅れると、そのうち門が閉まるよ。
バイオリズムに逆らわない。
最初にここまで読んだとき、よくあるポジティブ・シンキングのメソッドの一つだと思った。それで長すぎるので読むのやめたのが、何時の間にやら4桁に達するブクマがつくお化けエントリになっていたのであった。
実録・自己責任教の信者たち - HINAGIKU 『らめぇ』は元エントリも、それに異を唱えるd:id:fromdusktildawnもひとしく自己責任教であることには違いがないと喝破している。
なるほど、どちらも「成功するためには何をすればいいか」ということを問題としている。そして、guri_2の「地道な努力」とfromdusktildawnの「効率的な、正しい努力」のどちらが正しいのかはかなり哲学的な問題であって、一意の答えがありそうではない(というか、fromdusktildawnの言う努力も本人が考える以上に地道なものである。「最小の努力」などと言っておきながら、「意識を研ぎ澄まして」、「目を皿にして」チャンスを捕らえろ、などという。結局たゆまず努力するしかないのだ)。
さて、guri_2のエントリに戻って、先の引用の部分以降を読んでいくと、いきなり
気持ちよく過ごせないのは周りじゃなくて自分が原因です。
とあって、驚く。「イメージと現実をごっちゃにしない」はずではなかったのか。日照りが続くのは自分たちが神様に生贄を捧げていないことが原因、って原始人かよ!
その後の「何かのせいにしない」も、全ては自分のせい=自己責任ということになるだろう。
それにしても「とりあえず100万円は貯めておく。余裕が出る」と言っておきながら、y_arimのコメントに応答して、
ただ、月並みですが電気ガス水道をたびたび止められ、狭い部屋で共同生活しながらも夢を追いかけている友人を見ていると、デッドラインはいくらもで下げられるのでは、と思ったりします。
というのは何なのか(実は見当がついているのであるが、ここでは言わない)。そのほか、アドヴァイス間の矛盾が多々ある。
さて、それでもコメント欄やブクマには「勇気がでました」という反応が見られる。それ自体は良いことである。こうした自己責任教がどうして人をポジティブな気持ちにさせるのか。
アル・ゴアの『不都合な真実』を見た人は「不都合な真実」を見せ付けられたにも関わらず、絶望は感じなかったのではないか。それはゴアのエンカレッジメントの上手さがある。深刻な環境破壊の現実にも関わらず、ゴアはフランス人権宣言、リンカーンの奴隷解放、ロシアの農奴解放、ガンジーの非暴力主義による植民地解放運動などを引き合いに出し、「人間はこれまで不可能と思われてきたこともやってきたじゃないか」という。こうした楽観主義が観客を勇気付けるのだ。つまり、人間には環境問題に取り組む「責任」もあるが問題を克服する「能力」もちゃんと備わっている、「能力」があるからこそ、それに応じた「責任」を負うのだ、ということを指摘する。
同じような現象がguri_2のエントリにも見られる。つまり、エントリに勇気付けられた人は(エントリを見るまでは勇気がなかった人であり)、そこに自分の底力、潜在能力があることを発見したのである。「自分はまだまだ頑張れる」のだと。自分に自分の人生をコントロールする能力あるからこそ「人のせい」にはしないのだ。
逆に考えてみよう。自分のおかれている立場が自分以外の「何かのせい」だとすると、それをコントロールする能力はないし、そのことに本人が責任を負う必要は無い。誘拐犯に拉致され監禁された人間が、脱出できない自分が悪い、とか「もっと注意して歩いていれば」などと考える必要がないのと同じことである。
ところが、最近では(イラク邦人拉致事件で明らかになったように)上記のようなケースにすら、自己責任を適用しようとするのである(性犯罪被害者への「夜道を歩いていたのが悪い」というような、セカンドレイプはそのはるか以前からあったが)。
ここにguri_2の問題点がある。「何かのせいにしない」、「自分が原因です」は無前提に使用できる言葉ではないのだ。
何か重大な不幸がその人を襲ったとき、「自分が原因だ」、「自分が悪い」と考えること、それは普通ネガティブ・シンキングというのではないか。「自分の家族が不幸せなのは自分が原因だ」、「自分のチームが成果を出せないのは自分が足を引っ張っているから」、「子供が難病にかかったのは自分が墓参りを怠ったから」……。こういった思考法が容易にうつ病や自傷行為・自殺、カルト宗教への入信といったさらなる不幸をもたらすことは想像に難くない。もっとも、guri_2は「そんなときもあるさ」(これは明らかに失敗を何か運やツキのようなもののせいにしているのだが)とか「できないことが多くてもくじけない。続けていれば必ずできるようになる」、「だってオレも↑これの9割方できてないもん」という安全弁を用意してはいる。
しかし、無制限な自己責任論が過剰に自己処罰的な傾向を生み出すということにはもう少し敏感であるべきではなかったか。テレビドキュメンタリーに登場する若年ホームレスやネットカフェ難民が一様に抑うつ状態にあって「自分が悪かったからこうなった」と発言するのをguri_2はどう見ているのだろうか?