はてなキーワード: 石原とは
うわー
日頃左系のデモについて感じてた疑問点不満点が
参加者によって全部裏付けられたと言う感じがする。
左系の、っていうかカルチャーとして惰性でデモやってるある程度以上年齢のデモマニア連中だね。
その世代は左ばっかだったから結果的に「左系の」ってことになっちゃうけど。
「これこれの主旨です」って説明して人集めたら
それと違う内容を混ぜたりすり替えたりしてはいけない。
こんなの基本中の基本だろうに、厳密にされてない印象がある。
デモに慣れてるくせに一度もちゃんと考えてこなかったのか、
デモやりすぎて緊張感無くなった結果だらしなさや参加者の私物化が横行してるのか、まではわからん。
あの手のデモ行進は道路使用許可をもらって警察の先導で動くんだけど、列の先頭や端々で警察を挑発するやつが出てきた。お前ら、人に世話になっておいて、それはないだろ。
醜悪だよね。
仮に日頃から警察制度に何か不満があるとしても(ちゃんと自分の頭で考えた不満なのか、甚だ怪しいが…)
その場でお世話になっている、そうじゃなくてもただの現場の警察官に対して無礼や挑発に及ぶ。
1km歩いて宮下公園に戻ったところで、スピーカー持った、恐らくは主催者関係のやつが「今日は楽しかったと思いますー」。楽しんでどうする。
それそれ!まさに!
あの人達って、デモで唱えてる主張を、本気でどうにかするつもりが、ないよね!
人にわかってもらい、味方を増やし、自分達を律し、目的を達成するまでクレバーに努力する、なんてつもりはさらさらない。
警察への馬鹿馬鹿しい挑発と同じく、自分や自分達の興奮や高揚のためにやってる。
別に日常がつまらないのや何らかの慰めを求める心理を見下したりはしない。
普通に生活してる人のほとんどはそんなもんだ。
が、それに大仰な大義名分をつけて人に迷惑かけながらキャアキャアやるのが醜悪すぎる。
普通に地元の祭りに参加するのでは満たされない、歪み膨張したプライドや選民自意識があるのだろう。
というより上で述べたようなダメなデモするダメサヨクは在特会が大好きで
完全に同レベルの同類だから。匂いでわかるんだろう、同じカルチャーの担い手だってことが。
近頃デモ整理する警察官ぐらいしか相手してくれなくてつい挑発しちゃうさびしんぼうにとって
久々に現れた実感ある闘争(笑)を楽しめる、いいお友達。
あいつらはいい年した珍走団、珍走の癖して自分達の醜悪運動会を高尚なものだと言い張るカスなのだから
中核メンバーは中高年だから勝手に消えゆくカルチャーではあると思うが。
上記はあくまで中高年醜悪運動会の類を問題にする物で、
Togetter - 「常岡浩介氏のアンチイスラエル不買運動に関する見解」 http://togetter.com/li/55872
を読んで思い出した事を。
数年前、反戦デモとやらに参加した事がある。いま話題の宮下公園で行われたサウンドデモってやつ。確か、ネタはイラク派遣反対とかだったか(もしかすると違うかもしれないけど、それくらい中身に興味を持ってなかった)。ECDとかが演奏をしてて、その傍ら反戦の集会をするという感じのスタイル。ライブが無料で見れるので、興味半分で行ってみた。
最初はライブを聴いて帰ろうと思ったけど、その後練り歩くという事で、カジュアルに参加してみた。なんとなく当初はそれなりに声を上げていたけど、途中でやめた。つまらなかったから。いくつかあげると
とまあ、突っ込みどころ満載で、あきれてしまった。特に最後のやつ。アホかと。宮下公園にたどり着いたときには、夜に近く、誰かが用意した大きな照明が輝いていて、人ごみと警察で溢れかえっていたのだけど、それはまるでテレビのシーンみたいで、おそらく彼らはそこに酔っているんだろう。
大体、日本の繁華街を1kmくらい歩き回ったって、戦争なんかとまりゃせんよ。こんなことやるくらいなら、官僚を目指したり、外国とのコネクションを作った方が遥かに平和に貢献出来る。学生紛争時期ならいざ知らず、ここ20年くらい、デモ行進で何か変化が起きた事あるのかね。
上のリンク先でも言われているけど、やっていることに意味があるかどうかを検証するということを彼らは忘れているのだよ。彼らは、単に反対している事自体に満足しているだけ。平和ボケとは正にこのこと。
というわけで、政治思想の如何に関わらず、デモ行進には参加しない事をお勧めする。何の意味もない。国会を取り囲んで行政機能を麻痺させるくらいじゃないと、デモ行進なんて影響を与えられない。「出来る事から」なんていうけど、成果を検証出来ないものは、やっても意味がないどころか、ロスになるだけ。やらない方がまし。
そのあたりを理解していない経営陣には「なんだかよく分らんが、ギャルゲーが思いかけずヒットしてDLCでウハウハ」ぐらいの認識の可能性もある。
その可能性はあるけど、経営陣が「ライバルに男性キャラをいれて、女性層の開拓を狙ってはどうかね?」なんて口を挟んだりはしないよ。
「アイマスGSを出す」とかいうなら経営判断も大きいだろうけど、ゲームの中身は現場でつめるもので、方向性についてなら開発と営業で煮詰めて「いける」との合意が出てから後に、GO/NoGOを決める程度しか経営判断の出番はないよ。つまりジュピターが主因でアイマス2がこけた場合は、開発と営業が不明だったというのが真っ当な解釈かと。ライバルを男性アイドルにしたのは石原氏のファミ通インタビューの「気兼ねなく戦えるライバルにしたかった」が本音だと思うよ。
俺はファンじゃないから(正直ジュピターのPV見て、モーションかっこいいなあ、としか思わなかったし)当たってないかもしらんけど、実際「竜宮小町のプロデュース不可」がなければ、ジュピターもそんなに反発食わなかったんじゃないかと・・・ジュピター嫌悪には「竜宮小町のプロデュース不可=シナリオ減量なのに、どうでもいい男キャラに手間かけんじゃねえ!」という反発もあるんじゃないかな。
どうだろうねえ
徹底してリベラルだった東京都政がここ十年で警察官僚を受け入れて変容したよ
大したことはしていないが精神性が百八十度ひっくり返ってる
それよりもそもそも、日本の歴史修正主義者をネオナチと同列視することに根本的に無理があるんじゃないの?
ドイツだってナチスはともかく国防軍の戦争犯罪については否定派は沢山いるし政治家の暴言だってたくさんあるわけだけど。実際は国防軍とナチスは切っても切れない関係だし、ユダヤ人虐殺に協力していた例なんてきりがないんだけどね。
イギリスやアメリカあたりに行けば植民地支配や無差別爆撃の肯定論者なんてむしろ多数派。
人種差別だってそうで、フランスではほとんど全会一致でブルカ禁止法案が可決したし、アメリカでは二大政党の副大統領候補だった奴が「WTC跡地の近くにモスクを建てるのは敵の勝利を意味する!」なんてヘイトスピーチまき散らしてるぐらいだ。
要するに、所詮は政治家のクォリティなんてそんなものということ。そんなことはだいたいなんとなくわかった上で「経済だよ、馬鹿(by クリントン)」と思ってるのが有権者のサイレントマジョリティなわけで(でもなければ小泉人気の説明なんてつくわけがない)、実際石原とかが十年以上都知事の座にいてもせこい嫌がらせ以上の悪事はできていないわけで、そこを「歴史問題が一番大事だ!」みたいにごり押しするから反発買うんじゃないのか。
あ、ちなみにこう言うと「ナチスも『そこまで悪いことはしないだろう』と思われていた」とか反論が返ってくると思うが、その反論は現在の日本がワイマール共和国と同レベルのカオスかどうか考えてからにしてもらいたい。少なくとも西欧に比べれば日本では極右の影響力ははるかに小さいわけで。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20100821/p1
実際、歴史問題に関心持ってるのは一部の左翼とネトウヨだけだし、
一般人はウヨサヨの罵り合いをドン引きしながら見てるだけだろ。
選挙の時に候補者の歴史認識を考慮する有権者なんてごく一部で、
大抵はみんな景気対策とか福祉とか減税とか、生活に直結する問題で投票してるわけで。
世間のほとんどの人の態度がそうである以上、リフレのみを共通項に集まった集団が、
歴史問題に対してそういう態度になるのは当然といえば当然で、
別にリフレ派だけじゃなくて、ウヨサヨと関わりが低い政治テーマで集結したら、
どんな集団でも同じような事になるんじゃないか?
この理屈で言えば、社民党・共産党以外は「歴史修正主義政党」呼ばわりされるだろうし、
楽天が英語を公用語化する、という話を聞いて、都内の超高層化を思い出した。
三木谷氏は「日本人を覚醒させるキッカケとして、英語を公用語化する」と
発言しているようだが、
「覚醒なんかしたくない、背伸びしてグローバル化したくない」が
で、なぜここで超高層化が出てくるのかというと、
「東京を国際金融都市にするために、土地利用をもっと超高層化すべし」という意見が、
グローバル化論者からしばし飛び出しているからである。
ソフトバンクの孫氏も
東京が高層化されていない田舎町に見える」旨の発言をしている。
「実際に住んでいる住民」側は、そのような意識は極めて希薄である。
要は、麻布十番の散髪屋のオヤジとか、神保町の喫茶店のオヤジは、
「東京に、多少無理してでも国際都市になって欲しい」と思っているか、と言えば、
答えは「ノー」である。
その証拠に、こういう住民の声がもっともリーチしやすい
「高層化なんかさせたくない。絶対高さ制限で高層化を阻止してやる」として、
東京都の方針に反して「絶対高さ制限の導入」に動いているからである。
最近日経の地方版とかに「都市計画権限を巡って、東京都と特別区が綱引きしている」という
記事が載っていたりするが、その背後には
「背伸びしてグローバル化・高層化させたい都」と「背伸びしたくない特別区」の
対立がある。
実際、3,500万人首都圏住民の中で、
「せいぜい35万人、1%程度」じゃないのか?
残りの「3,465万人は、非グローバルな仕事なので、グローバル化のために背伸びしたくない」のが
本音じゃないか?
まさに「英語をビジネスで使っているのが、せいぜい日本勤労者の中で1%程度」
というのと相似である。
「グローバル都市競争的な仕事にタッチしているのが10%程度いて、
その波及効果を考えると、彼らの望む政策を進めるのが最合理的」であるが、
東京は「グローバル都市競争のためのスペシャル都市に特化するには、
あまりにも巨大化し過ぎていて、「ジェネラル都市」である」。
その層が重なるか、確認しましたか?
具体的に確認しましょう。
それをしていないのであれば、ただの印象ということですね。
そうです、ただの「印象」です。というより、確認する方法がないから増田に書いたというのが一つの経緯です。違うなら違うで結構です。
しかし、たとえば
http://anond.hatelabo.jp/20100618014724
これを書いた人を「迷信に囚われている」のように一方的に否定しているような人(多分この記事を読んだ人の多数派)はおそらく「中高生はセックスするな」という意見があれば反発するでしょう。違いますか?私にはそれは調べるまでもなく明らかなことに思えますが、錯覚でしょうか。そうだとしたらそういう人たちはどう考えていると思いますか?私は想像もできませんが。
それは「保護」という同じ言葉が全く違う意味に使われている例を混同しています。
女性一般や身体障害者、あるいは認知症などの症状がない高齢者は「主体」としての判断能力を十全に持っているわけですが、その権利の行使が妨げられかねない現状があるから、その障壁を取り払うための「保護」が行われています。一方で児童や知的障害者、あるいは認知症を発症した高齢者などは「主体」としての判断をする能力が不十分であるとされるため、それによって不利益を被らないように判断を社会が肩代わりするという意味の「保護」がなされています。
言葉は同じ「保護」でも、当事者の自由意志の発揮を促進するのと抑制するのとで方向は全く異なっています。
あなたはかつてこう書きました。
欧米の過剰規制(アグネス・チャン並の)が日本にも導入される日は決して遠くないでしょうし、未成年者の飲酒に対して世の中がこれほどまでに手の平を返した以上は(プロ野球の優勝記念の「ビールかけ」に19歳の選手が参加できない時代ですよ)、案外抵抗もなにもなくビクトリア朝並の世界がやってくるような気がしてなりません。
どうしてそういう反応になるのかわかりません。それは「理屈」ではなく現状に対して愚痴を言っただけなのですが。
言うまでもなく私は未成年者の飲酒を過剰に抑制する現状に批判的であり、従ってむやみやたらな年齢確認(おそらく販売側の責任回避でしょうが)は必要としないように制度を変えるべきだと主張しているわけです。同様に、医師法は聖書ではなく法律なのだから改正すれば済む話です。そもそも現状でも、未成年者がピルを入手するために色々障壁がある(健康保険を使えば用途がばれてしまう問題、また産婦人科に明らかな未成年者が出入りすれば視線が気になる問題)わけで、そこを改善することにはあなたも同意すると思うのですが、違いますか。捨て子が非合法でも「子殺しよりはマシ」という判断の下、「赤ちゃんポスト」のような逃げ道が成立しうるように、そのあたりはいくらでもやりようはあると思うのですが。
13歳がセックスをして、なんらかのデメリットを引き受ける事態になったとして、私は引き受けたところですでに責任を果たしていると考えます。
そこには異論がありません。ただ、私は教育が全てを解決するわけではないため、心理的障壁を設けるべきだと言っているわけです。
「責任を果たしていないから」ではなく「責任が過大だから」もっと保護せよと言っているわけです。
それこそ、未成年者が妊娠した場合、必要な処置(育児の援助にせよ中絶にせよ出産→匿名養子縁組にせよ)を受けられるシェルターのようなものを整備するなど、心理的障壁を設けるのとは逆方向からの制度の整備もあり得るでしょう。
要は、権利が行使できる状況がないのに権利が主張されるのは当事者に無用の誘惑を与えているのではないかというわけです。
最低限の背景も知らず、最低限のソースもあたらない人間が、誰かに何か説くことは出来ません。
あなたが語る相手に対して、それが失礼に当たるということはわかりますか?
それは正直言って納得できません。私はフェミではないにせよ、障害者の身内という別の当事者に近い立場から石原の話を知ったわけです。それで語る資格が不十分であるとは思いません。
そして、フェミニストは「自分たちの立場は多様である」と言いながら、その「立場」を明示することが少ないため、そもそも「最低限のソース」がどこにあるのか、一般人には判断することが難しいこともご理解いただきたいです。
「サッカーファン」と自称する相手と話をするときに非常に気を遣うことを想像していただければわかるかと思います。国内サッカーのファンなのか欧州サッカーのファンなのかで、「触れてはならない逆鱗」の場所が違うので、素人はどう対応すれば虎の尾を踏まないか困ります。おまけに、下手なことを言えば「にわかは黙れ」などと怒り出すので手に負えません。サッカーというものを嫌いになってほしいのかと思うぐらいです。フェミニズムには同様の閉鎖性を感じるのが正直なところです。
とはいえ、あなたはフェミニストを自称する人の中ではじめて話が通じたと感じられる相手であることは確かで(他の人は全て私の発言を邪推した上でミソジニーだのバックラッシュだの決めつけるばかりで話になりませんでした)、そこにはお礼をきちんと申し上げておきたいということは言っておきます。
ごめんなさい、元々自分が何に苛立っていたのかが、話題が発散してよくわからなくなってしまったのでもう一度整理しておきます。
私は元々、赤木智弘氏が「アグネス・チャンの『二次元』児童ポルノ規制論は、当の児童の『性的主体』としての権利を侵害している」と発言したことが、「フェミ」系の人を中心に批判されていることを中心に違和感を覚えたわけです。しかしながら、そういう批判をしている人たちは従来、「中高生はセックスするな」という意見があれば反発する層と重なると思え、どうしてそんな矛盾したことを主張できるのだろうという従来のイライラが噴出したということでした。「主体」に対して保護はあり得ないのだから、児童ポルノ規制と性行為禁止はセットであるべきだし、酒やタバコと同様の理由でこの両者はセットで規制すべきだろうというのが私の意見です。
あなたは七生事件をご存じであった、それどころか増田で書かれていたという記事を読みましたが、「知らなかった経緯」と書かれるのはなぜでしょう?
知っていたけれども、それが宗教原理主義(具体的には統一教会?)的な意味での「純潔教育」と結びついていたとは初耳だったということです。私は単に、身内に障害者がいたので、養護学校ではあのような試みがあることも知っていたから「糾弾動画」を見てああいう記事を書いただけです。そういう予備知識なしにああいう動画を見せられて「狂信的フェミニストによるやり過ぎの事例」とか言われればその通りなのだと思いこんでも不思議はないだろうと思いましたし、石原はそういう勘違いをしただけだろうと思っていました。身内のタカ派議員あたりからそんなことを吹き込まれたではないかと想像したわけです。それ以上の政治的背景には関心も知識もありませんでした。
しかし、例えばコンドームはなくてもセックスできます。わざわざ身分証明書を借りてきたり偽造したりしてまで(現状で高校生が酒を買う方法です)、コンドームを買うかというと疑問です。がんばらないと入手できない状況を作ることは危険です。できれば、未成年には無料で配布したいくらいですが、禁止されていれば無理ですね。
特にピルは処方薬ですので現状でも医師の診察が必要であり、入手は困難です。法的に禁止されれば入手は今以上に困難になります。
何度も言うように、「禁止されていれば入手できない」というのは飛躍が過ぎると思いますし、同じことをもう一度言いますが、現状ではポルノだって禁止されているはずですよ。必要なのはその程度のザルな「禁止」であって、それ以上でも以下でもないと思います。
ちなみに、酒なんて誰でも平気で買えるものだと思っていましたが、それは初耳です(そういえば最近、私も一度スーパーで年齢訊かれたことがあります。既に二十代後半なので唖然としましたが)。それは明らかに度の過ぎた過剰反応ですね。
あと、ピルは外国では処方なしで買えるものだと思っていましたが、調べてみてそうではないことがわかりました。そうだとすると少しそこは裏口を考えなければいけませんね。医者には守秘義務があることを強調するとか。
で、建前として18歳未満はセックスを禁ずるべきと言う論ですか。
18歳未満とは言っていません。年齢制限については低いに越したことはなく、たぶんあなたの言うように15歳ぐらいが適当でしょう(元々、議論の発端は「13歳」だったわけで)。要するに、体が未成熟で妊娠が生命の危険を生じさせ、また社会的に子供を育てる能力もない状態では保護が必要であり、その保護の一手段として禁止が必要であるという理屈です。義務教育が原則15歳で終わることや女性が16歳で結婚できることなどを考えても、それ以上の規制は現実的に有害無益だと思いますし。
また、私も「出来る限り人間の自由は制限されるべきではない」という原則を信奉しており、たとえば実際の行動に及ばない限りは小児性愛者も性的少数者の一種にすぎないという立場から「非実在」児童ポルノは絶対に規制してはならないという立場ですが、「自由」には必ず「自己責任」が伴うわけで、判断力が十分でない年少者にはこの原則を当てはめることは不適切だと考えます。
ソースは検索したけれど発見できなかったので提示ありがとうございます。しかし、この話にはキリスト教原理主義ないし何らかのイデオロギー性を読み取ることは不適切でないと考えます。成人が同じことをすれば、「猥褻物陳列罪」にしかならないはずで(しかもその成立要件は確実にもっと狭い)、それがもっと重罪で裁かれるのは明らかに法の濫用ではありませんか。
私はこの種の、「世の中が全体としてトチ狂ったことをする」ことが何よりも嫌いです。児童ポルノ過剰規制は反捕鯨運動や北京五輪の時の犬肉禁止運動、そしてスカーフ反対運動と並んで、現代西洋社会の最大の思想的恥部だと私は思っています。そしてここでも鹿鳴館根性が働いている日本という国が情けなくて仕方がありません。
元増田です。
過去に、男女交際を全て禁じ、それどころかオナニーまで禁じ、でも性風俗は許容するような純潔教育が存在していたことを踏まえると、「純潔」という言葉に敏感なのも当然かと思います。
なるほど、しかし「純潔」という言葉は私が言い出したものであって石原が使った言葉ではありませんよ。にもかかわらず石原は叩かれた。
それに、私自身「自分自身に純潔道徳を課していた」みたいなことを書きましたが、増田以外のところでこんなことを言えば「童貞の負け惜しみ乙」とかへんな風に受け止められてまともに相手にされないのがオチですよ。少なくとも私が自分自身を律するためというためだけのあのような考え方でさえ、「そういう考え方があり得る」という程度にさえ受け取られないのが現状だということを考えると、単に宗教原理主義的な動きへの警戒というだけでは説明が付かないものがあると思います。
そしてたぶん、あなたは「自分で責任が取れるようになるまでセックスは控えておいた方が自分のためだよ。どうしても無理なら避妊しなさい。」にも否定すると思うのだけど、それに対する反論は以前書いたとおりです。
いや、その言い方は否定しないし(ニュアンスは違うかもしれないが)、「以前書いた」という「反論」が具体的にどの部分にあたるのか読み返してみても今ひとつわかりませんでしたが、自転車と危険レベルが同等とは思いません。
少なくとも都市部においては日常の移動手段として小学生ぐらいでも自転車を使うことに反対する理由は見あたりませんが、どれだけ「きちんと教育」したといってもたとえば中学生ぐらいがセックスすることがよいとは思えません。第一、あなたの書いたとおり「やるやつはやるよ。だって性欲あるもん」なのです。避妊をしなければいけない、とかそのあたりの自制心を働かせたり言い出したりできず、その場の流れで過ちをおかすことだって十分あり得るでしょう?中学生ぐらいって精神的にもそれぐらい未熟ですよ。教育や避妊手段の整備という議論自体には同意しますが、あなたやフェミはその効果を過大評価しすぎていると思わざるを得ないです。
そもそも、危険性では圧倒的に低い酒やタバコにしたところで、「酒はやめておいた方が自分のためだよ。どうしても無理でも一気飲みだけはやめておきなさい」なんて生ぬるい教育が通ると思いますか?そんなことないでしょう。要するに、どうしても、「性」だけは特別視したいというイデオロギー的なもの(という表現が適切かどうかはともかく)を感じるのですよ。あなただけでなくて社会全体からね。
いや、そういうことを言いたかったわけではないわけですが。売買春かどうかは本質ではありません。
そもそも、児童を直接的に性的対象とすることがなぜ虐待とされるかというと、未成熟であって性的主体たり得ない児童を直接的に性的対象とすることは児童の人格を蹂躙しているからということで、強姦や強制猥褻が本人の意志を無視していることで相手の人格を蹂躙しているというのと同一線上にあるはずです。逆に言えば、成人を合意の上で性的対象とすることが許されるのは、成人は性的主体たりうるとされているからです。
さて、そこで、世の中ではたとえば、高校卒業時の性体験率が半数近くという現状を問題視すれば保守反動扱いされかねないわけです。だとすれば中高生あたりを性的主体と認めるべきだという意見が主流であると考えてよいでしょう。しかしそうだとすれば、中高生を性的対象にすることは虐待ではないということになりますよね。これは論理的にあまりにも自明だと思いますが、違いますか。これはほとんど明らかなことなのに、どうしてそんな過激なことが主張できるのかというのがまず第一点。
そしてもう一つは、この問題をなんとか乗り切るとしても、その上で「児童性愛者は人間のクズ、まして実際の行動に出る奴は極悪非道の人非人で何の同情の余地もなし」というようなことを大勢の人は平気で言ってしまうのですが、それが怖くないのだろうかという疑問です。たとえば、現行法の運用みたいに「成人が未成年者を性的対象にすることは許されないが、未成年者同士は問題ない」とかして(これは「ごまかし」でしかないわけですが)なんとか第一点の問題を回避するとしても、たとえば19歳が17歳に欲情することは許すべからざる児童性愛であるということになってしまいます。少なくとも形式上はそうです。それが先のアメリカンジョークのおかしさです。もちろんそんな馬鹿なことを真に受ける人はいないでしょう。しかし、ここからもわかるように何が「児童性愛」であって何がそうでないかという境界は極めて曖昧なわけです。スローガン的に言えば「誰でも昔はロリコンだった」ということです。そして、いつまでが「昔」として許されるかはかなり微妙な問題なのに、児童ポルノ規制の議論ではそこがいつも完全に素通りされてしまっている。その結果、件の「サンタフェが児童ポルノか否か」という問題(同種の疑問は誰しも持つと思うのですが)にすら誰しも納得できる答えが出せないのに、一部の強硬な人を除いては「規制あるのみ、問答無用」で一致してしまっている。その意見が正しいか正しくないかというより、自分の首を絞めることになる可能性が誰も怖くないのか不思議でならない、それが第二点です。
説明が長くなりましたが、要は「グレーゾーンを無理に白と黒に切り分けてしまうことのおかしさやその弊害にどうして誰も気づかないのか、気づかないふりをしているのか」ということですよ。なんでみんな、この手の話が単純でもなんでもないことを見て見ぬふりをしているのか、あるいは本当に気づいていないのか、それがどうしても理解できないのです。
元増田です。
そう思わないといった覚えはありませんが。
誤解して欲しくないのですが、性行為をすれば妊娠する可能性があるということから、避妊に関する基礎知識まで、そのあたりのことは当然教えられるべきです。
その上で、「20歳になるまで酒は飲むな」というのと同一線上の理屈で、「体が成熟して、子供を産み育てる覚悟ができるまで性行為はするな」ということを教えるべきだという話です。その意味で、石原が言った「中学生はセックスするなと教えろ」というのは全然おかしな話ではないはずです。むしろ、酒やタバコの害は基本的にほぼ本人のみだし、一杯や一本で健康を決定的に害することがないのに対し、性行為は一度でも妊娠することがあり得るのだから、リスクはよほど高いはず。そして、「酒を禁止する以上は『一気飲みをするな』と教えることはおかしい」なんていう理屈にはならないでしょう?
にもかかわらずこれはタブー視されている。それはなぜか、おかしくないかと言っているわけです。そして、これをタブー視するなら児童ポルノをそんな重大な児童虐待として扱うこと自体矛盾してないかということです。
知ってます。私は自分でこんな記事 ( http://anond.hatelabo.jp/20080523001935 ) だって書いたことあるぐらいですから。
私の知っている限り、13歳にセックスさせるべきというフェミはいません。
13歳もセックスする可能性を考えて教育すべきというフェミならいると思いますが。
そのあたり、フェミへの偏見から違うものを見てはいませんか?
いや、私だってフェミが「させるべき」と言ったなんて思ってもいませんし書いてもいませんが。
それに、別に13歳じゃなくて15歳でも17歳でもいいんです。要は、「児童ポルノはフィクションといえども女性へのヘイトスピーチ」というのと「児童の性行為を禁止するのは統一教会のキチガイ」という思想がどうやったら共存できるのかという話です。
それに、話をわかりやすくするために題名では「フェミ」と書きましたが、別にフェミでなくても構いません。世間の最大多数は、たとえば「中高生の性行動は割と普通のこと」と思っている一方で「自分から体を売った中高生を撮影してばらまくのは児童虐待、そんなものに興味持つ方が異常」とも思っていると想定されるので、自分で矛盾感じないのか、感じないふりしてるのかどっちなんだろうと思っただけです。
いやそういう話じゃありません。13歳は、自転車にはどういう危険があるかということを教えれば理解することができます。だからその意味で「自己責任」の範囲内で自転車に乗ることができます。一方でこれが13歳ではなく3歳であれば(外で)自転車に乗せるべきでないのは言うまでもないことで、なぜなら3歳の子供は自転車の危険性が十分に理解できないと考えられるからです。
13歳の子供と性行為の関係は、3歳児と自転車の関係と比べられるべきものです。避妊の知識すらまともに浸透できず、まして子供を育てる能力などなく、そればかりかその年齢で妊娠するだけでも体に無理な負担がかかるということに想像が及んでいないことを考慮すれば、「生物学的・社会的に成熟するまでは性行為をしてはならない」と、「大人」としては言うべきなはずです。もちろん、それは性教育をしなくていいとかセーフティネットを張らなくていいという意味ではありませんが。
それがたとえば、石原慎太郎が「中学生はセックスするなと教えるべき」と言い出すと、フェミはヒステリックに反応するわけです。確かに石原なんかに賛成したくない気持ちはわかりますが、中学生が妊娠したらどれだけ危険かということを考えたら、これは「10代は酒を飲むな」と同レベル以上の話のはずです。決して過剰なパターナリズムではないはずなのに、どうしてこういう反応になるのかわけがわからないわけです。
ならば、沖縄島民が「受け入れたくなる」ように仕向けるしかない。
現状では、沖縄島民は「米軍はアメリカの侵略のために使われている」程度の認識である。
これを「侵略からの防衛軍」という立ち居地に変更すればいい。
しかし、沖縄島民に対して「中国の侵略」「北朝鮮の侵略」を唱えても、
「荒唐無稽」と突っぱねられるだけである。
沖縄島民が、唯一「侵略感情」を有するのは、唯一、大和民族に対してだけである。
となると、倒錯した話であるが、
大和民族から守るための防衛軍なんだ」と説明した方が、
沖縄島民の理解を得やすい。
まさに、以前米軍司令官が口を滑らせた
「日米安保は瓶の蓋論」である。
「日米安保廃棄、自主防衛、核武装、靖国遊就館史観復活」を主張させる。
立ち上がれ日本のフィクサーである石原閣下も反米主義者なので、
反米主張はお手のものだろう。
こうすると、沖縄県民は、「天皇主義者・靖国主義者による侵略の恐怖」に怯え、
米軍に「助けを求める」だろう。
なので、極めて逆説的だが、「立ち上がれ日本」を支持することが、
「沖縄島民に県内移設を納得してもらう近道」になるのである。
なんでそんな回りくどい言い方なん?
石原が基本レイシストなのは数多の先例があるから問題にしないけれど、
「○○は帰化人」という言葉が差別なのではなく、差別扱いとして石原が「○○は帰化人」という言葉を使ったということだよ。
私があなたに「馬鹿だね」といわずに「なんて賢いのね」と言ったって、この文面ではそれを蔑視と受け取るでしょ? 言葉だけ取り出しても意味ないよ。
別の言い方をすれば、この国に存在する一定程度のレイシストに向けて、「私はあなたの身方です、敵はあいつだ」とメッセージを送っているということです。在日嫌いは勘違いして対象が在日であれ純粋日本人であれ、その者に対する攻撃的な態度にでることをあてにしているのです。実際、誰かのように踊る奴は現に出ているわけで、政敵潰しに効果あるのよ。