はてなキーワード: 歌謡曲とは
http://anond.hatelabo.jp/20090312233645
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それなのに最近は何か変なブームが多い。羞恥心とか、おしりかじりとか、ポニョとか、そんなのばかりが注目される。まさか音楽性や歌唱力で売れたとは考えられない。正直腹が立っていた。
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というけれど、この場合、売る方も買う方も、高い音楽性や歌唱力を求めていないことだろう。ちゃんと需要と供給は釣り合っているように思える。そもそも、元増田の言う「高い音楽性」とは何か。僕は、(おしりかじり虫は別として)羞恥心やポニョに関しては、求められる音楽性に対して、高い音楽性を発揮しているように思う。曲が微妙な出来ならば、あんなに席巻することもなかっただろう。歌謡曲に求められるキャッチーさとしては、90点、100点ではないか。
元増田は少々頭が固いように思われる。元増田の言う「高い音楽性の音楽」と「羞恥心やポニョ、初音ミク」では、価値の評価基準は別ものだと考えるべきだ。アイドル歌謡にも、インスト音楽にも、それぞれ違った魅力があるんだから。
CDを買う理由は、なにも音楽性が高いから、という理由だけじゃないだろう。別に色んな動機があっていい。ビジネスなんだし。「質の高い音楽に金が回らなくなる」というのは、わかるけど、そんな心配をしても割に合わないような。もっと我が儘に楽しんではどうか。羞恥心のCDがたくさん売れる一方で、日々良い音楽はたくさん生み出されているし、経済的な理由で好きなアーティストが音楽を続けられなくなったとしても、元増田にはどうしようもないこと。そういう世の中で、うまいこと金儲けしつつ好きなことをやる方法を考えた方が早いような。
というか、元増田は「変なブームになっている」という事実によって、その音楽性を無視していないか?そんなものに左右されず、曲の(自分にとっての)良し悪しを判断できるのが、本当に音楽の質だけで、音楽を聴くということではないか。「ボーカルは今ひとつだけど、曲構成やアレンジ、メロディは素晴らしい」という評価もあることだろう。
あまり躍起にならず、初音ミクを「よくわからんムーヴメント・カルチャ」として楽しむのもいいのでは。
そもそも、歌がうまければうまいほど音楽性が高くなるわけではないだろう。ていうか音楽性が高いとか低いとかなにそれ。え、音楽性ってなに?歌がうまいって何?音楽そのもの意外でCD売っちゃいけないの?ただの円盤だよ?初音ミクのイラスト付き円盤マニア、とかいるんじゃない?
父は随分酔っているようだった。
目の前にあるテレビ画面には、年末恒例となった紅白歌合戦の模様が映っている。
ぼんやり見ていると、アレンジされて合唱コンクールの課題曲になった曲が演奏され始めた。
その時、父が憤慨した様子でこう言った。
「こんなつまらない音楽が売れるなんて、正直とてつもなく悔しい」
曰く、ひどくつまらない曲で、この歌の作者は才能がない、とのことだった。
「これくらいなら俺でも作れる。この程度の実力で」
父は昔ピアノをやっていたらしいし、今も趣味で合唱団に入っているくらい音楽好きだ。
多少クラシック方面に偏ってはいるが、音楽CDも多く買っている。ビートルズやカーペンターズに親しんだだけあって歌謡曲嫌いというわけではなく、YMOやマッキーやスピッツなんかも好きなようだし、最近のものではパフュームの曲について作りが上手いと褒めていた。
その父が、テレビ画面の前でそんなことを言った。
父も作曲のような事をやってみた過去があるんだろう。それで、この発言なんだろう。聞いた事はないが、もしかしたら音楽で飯を食っていこうと思っていた時期があるのかもしれない。
「そうは言うけど、この人は実力があるよ。売れる人は、誰かに認められるなにかがあって、多くの人が認めてくれるタイミングを掴む。それは、実力とか才能と呼ばれるものだ。確かにその実力は、歌の能力ではないかもしれない。演奏の能力ではないかもしれない。歌詞を作る能力でも、音楽のアレンジ能力でもないかもしれない。だけど、誰かをひきつける何かがこの人にはあったんだ。あと、タイミングは運だって言うかもしれないけど、運だって実力のうちだよ」
少しだけ考えた挙句、私が喋ったことは、小学生が考えそうな単純なものだった。
「確かに、確かに言う通りだ。その通りだ。売れるということは実力があると言うことだ」
大仰に机を叩く仕草をしながら、父は私の主張を肯定してくれた。
そしてビールの缶に口をつける。
酒をあおりながらテレビを見る様子が、私にはなんだかさびしそうに見えた。
父は私が言ったようなことはわかっていたのだろう。けれど、言わずにはいられなかったのだと思う。
もっとうまい事を言って慰めるべきだったのかな。もっとうまく慰めることができたのかな。
いや、私には考えつく脳みそがないから無理だ。あの時最大限言える事を言った。
そうなんだと思いたい。
似たようなことを、僕も思いました。
「正直どうでもいい」「(現代語的な意味で)『耳触り』良ければそれでいい」「歌詞で泣きそう(;_;)」
というのが、初音ミクのヒットの根っこにある気がします。
ふと、初音ミクの歌の中の人(≠初音ミクの中の人)って、基本的にはシロートさんだよな?と思ったのが、
私の疑問のキッカケです。これまでの音楽業界でいえば、そこいらの街中やライブハウスで自作の曲を
歌ってたり、インディーズ扱いでデモテを配ってた、プロの音楽家カテゴリーには入らないような人たちが、
「初音ミクの歌の中の人)」・・・初音ミクのプロデューサーと言い換えてもいいかも知れませんが・・・、
だと、思うのです。
で、そういう人たちが、これまでと変わらないDTMの延長に、初音ミクに歌を歌わせただけで、
なぜか「初音ミク」扱いでプロデビューできてしまった(楽曲提供できた)。それはなぜだろうか?
1つは、
誰が聴いても初音ミクの声だと解るから。
どこの輩か分からないインディーズ歌手とは違って、少なくとも「初音ミク」ブランドという
裏書きがついている。
そしてまた、「『初音ミク』という歌手を知っている」という共感を喚起させる。
だから、フツーのシロート・インディーズとは違った受け入れ方ができた。
もう1つは、
店内とかで流れてる曲とかPVの曲とか聴いても、誰の歌かすら解らない。
正直どれもこれも同じように聴こえる。
どれもこれも同じように聞こえるような雑多な音楽の中では、正直、他の歌手と差異がない。
そうなると、どこに共感できるか?というのが受け手の判断基準になるし、ならざるを得ない。
すると、「共感できる(苦笑)歌詞」「バーチャルな歌手(という不思議な存在)」
「シロートでもこんないい曲・歌詞を作れてメジャーデビューできてる(私もできるかも☆)」
僕が思ったのは、こんなところです。
あと、脱線しちゃうけど。。。
「機械音がイヤだ」「練られていない音楽がイヤだ」という論調もあるけれど、
正直、大衆向けJ-POP音楽というカテゴリの中では、殆ど五十歩百歩だと思う。
(もちろん、真っ当な歌謡曲・演歌歌手や、いわゆるクラシックの領域は別。)
誰とは言わないし好みの問題だけれど、某アイドルグループや、某エイベックスの歌姫みたく、
音程も当たってないしアンサンブルもできていない楽曲を聞かされるよりも、
まだ音程が当たっててリズムも正しく、平均律の中でアンサンブルできてるボカロイド楽曲の方が、
少なくとも僕は、「安心して」聞ける。
その程度の音楽知識は最低持ってるべきだろう。
あと、古賀政男の曲もピンキリだろうけど、安易に「平凡」とかいうと
猛烈なツッコミくらいかねないぜ。
音楽性
クラシック音楽を基礎とし、極めて器楽的である。使用楽器も室内楽のものに準じることが多い。ギターが使用されることもあるが、クラシックギターである。譜割りも現在のポピュラー音楽と違い一定の規則を守っており、その中で個性を出すことに作曲家の才能が試されていた。
後世からは「演歌」と混同されることが多いが、音楽性の面から見ても大きな誤りである。流行歌の音楽性は現在の演歌・歌謡曲に加え、クラシックの声楽曲などさまざまな分野の要素が渾然一体となった様相を呈しており、演歌以前の独立的な音楽性が認められるからである。
音楽業界人じゃなくても、Girl Next DoorがAVEXによって
作られたブームでしかないのは、わかってるでしょ。
Perfumeは真似して似たようなの作っても、恥ずかしいだけだと思う。
全編ボコーダーとか、さすがに入れられないでしょ。
むしろ中田ヤスタカなら、COLTEMONIKHAの方が参考になると思う。
味付けに中田ヤスタカ風のを取り入れるのはアリなのでは?
後は、そろそろピチカートファイヴの中期くらいの曲とか、再評価してもいい時期かと。
ロックテイストが強いものなら、アルバム「Overdose」辺りが売れ線のヒントになりそう。
あの2つを例に出すってことは、女性アーティスト向け楽曲なのかな?
思うんだけど、今こそ正統派の歌謡曲を書けばいいんじゃないかと。
ただし、今風の音作りで、新しい要素も取り入れつつ。
神前暁の作る曲は、参考になると思う。
もじぴったんのテーマ(ナムコのゲーム)、アイドルマスターの楽曲もろもろ、
晴れ晴れユカイ(涼宮ハルヒ)、もってけセーラー服(らきすた)、
とにかくケレン味が強くて、メロディラインがハッキリした曲を書く人。
ということで、コルテモニカ、ピチカートファイヴ、神前暁の3つを参考に、
おしゃれアイドル歌謡を作ってもらいたい。
どうしても思い出せない歌手がいます。教えてください。
http://q.hatena.ne.jp/1219914142
・ピン、男性
・たぶん90年代中盤くらい
・オリコンで突如1位(か2位)になった
・歌謡曲というか演歌というか、そんな感じの歌だったような気がする。ともかく時代錯誤な感じ。
・とにかく全体がダサい感じ(曲も服も顔も)
・槇原敬之と巨人の門倉を足して2で割ったような顔だっとような・・・
・PVでは横に揺れながら指をパッチンしながら鳴らしてリズムを取っていたような・・・
・同じフレーズを2回言う歌詞があったはず
・目は比較的細かったような・・・
ピチカートファイブを解散することになって、ファイナルライブをbs-fujiで放送したんですけど(多分、7,8年前)、そのときに小西さんと野宮さんそれぞれに「ピチカートをやって何か変わったなってことはありましたか?」という質問をしたのね。そのとき野宮さんは「オシャレになったよね。ファッションとか。女の子の洋服とか。」って言ったのね。したら、小西さんがそれに合わせて「ピチカートが出るまで、見てらんなかったすよ、恥ずかしくって。CDのジャケットとか」って言ってたなー。
うわー、いろいろありがとうございます。こんなにブックマークつくの初めてだ。なんてこったい。
元増田にとっては一部のまとめ系サイトがアイマスファンを煽る?ような取り上げ方をしているのが、
なんだか印象に残ってて、なんでこんなことになってるんだろうと思ったのがきっかけでした。
きっといろんな見方があるんだろうなと思う。トラバとはてブのコメントも方向性が若干違うし、
なんだか本人以上に言及する人間層も不思議な感じなのかな。これを機会にいろんな見方が集まったら、
少しは客観的に見られるようになるのかな? どうかな?
ちなみに元増田にとって落合さんはヤンデレ妹とブルマくんの声の人だったんだねー、って感じだったりします。
嫌いじゃない声なんでちょっと覚えておこうかな、程度の印象。アイマスはゲームもやってないし動画も多すぎるので
避けて通ってたもんで……これから気にしておこうかと思います。
日曜日に昼寝をしたら、夜に眠れなくって、月曜未明にラジオ聴きながら机の周りを片付けてた。
増田民のほとんどは分からないだろうけど、「ブルーライトヨコハマ」とかね。
あと、曲自体は知ってるけど曲名を知らなかったのが「白い蝶のサンバ」だと分かった。
http://jp.youtube.com/watch?v=pMf-NwJE5fQ
歌ってる人は、 森山加代子さんという人らしい。
名前でググってみたら、すごい曲名の歌を歌っているのね。
http://music-boy.com/newpage96.htm
「じんじろげ」って何それ。
曲名で吹いた。
東京の大学へ進学するために地方から上京する日、両親が車で空港まで送ってくれた。
父が運転席、母が助手席、俺は後部座席。
道中、父が「子供が上京する事になったら送り出す時にこの歌を聴こうとずっと思ってたんだ」と
曲名は忘れたけど子供が上京する時に親が激励するみたいな昔の歌謡曲を掛け始めた。
そういうシチュエーションに憧れていたらしい。
しばらくしてその歌の聴いて感極まったのか、母がボロ泣きし始めたんだけど
父は「このくらいで泣くなんて情けない、一生会えなくなるわけでもないのになー」と
笑い半分に母をからかってた。
父はずっと前をみて顔を直視できなかったんだけどバックミラーから見えた父の顔は
涙をためて目が真っ赤になってた。
普段そっけない父の意外な一面をみてその時はただびっくりしたけど
飛行機の中で父の泣き顔を思い出して俺も泣いてしまった…。
http://anond.hatelabo.jp/20080208214501の増田です。
日本映画は60年代が面白かった。ロックは60年代が面白かった。歌謡曲は70年代が面白かった。プロ野球は王長嶋時代が面白かった。漫画はジャンプ黄金期が面白かった。ゲームはファミコンやスーパーファミコンが面白かった。
これは自分はちょっと違うと思ってて(そういう見方もあるのは判るけど、そればかりとも思っていないというか)、
それらのその時期ってのはいわゆる開拓期だと思うのね。まだまだ誰も踏み入れてない世界がだだっ広く用意されていて、そこをキャッホーイって感じでガンガン拡げていける時代。
業界としても熱い時期だし、目新しい分世間にも注目されるし、それによって質の高いものも供給されるし、確かに黄金期でもあると思う。
でも、その後に待っている円熟期だったり、そこで生まれるある種のアナーキズムというか、偉大な先人達が一通りやり尽くした後に、それをどうひっくり返して遊んでやるかって世界も自分は好きなのよね。
もう普通に開拓するのは無理だから、世界全体をメタに捉えてやる感じというか。
だから、あんまり何かの話題になったときに、所謂その辺の黄金期を絶対として今の○○はつまんない、あの頃の△△が最高だったんだ、的な事を言う人が自分は好きじゃない。
今でもその世界で必死に頑張ってる人たちも居るのに、それを知ろうともしないで昔の綺麗な思い出だけであんまり簡単に否定してくれるなよ、というか。
まあ多分、自分がそういう風に思うのは、自分が物心ついたときには既に色んなものが一周していた世代だからなんだろうなとは思うんですけど。
いやいや、そんなことはないでしょ。どんなジャンルでもピークがあるんだよ。
日本映画は60年代が面白かった。ロックは60年代が面白かった。歌謡曲は70年代が面白かった。プロ野球は王長嶋時代が面白かった。漫画はジャンプ黄金期が面白かった。ゲームはファミコンやスーパーファミコンが面白かった。
それを過ぎると新しい試みもなくなって焼き直しの繰り返しになって、雰囲気がだれて衰退する。これはあとから新しい人が見ても「ああ、この頃がピークだったんだな」って全盛期の熱気と面白さがわかるもの。
「今の○○はつまらない」とよく言われるのにはそういう背景があるんだよ。個人の情熱の衰退だけに帰するには無理がある。
それは短絡。
確かに「俺はお前たちのわからないマニアックなことも理解できる俺様なんだぜ、ふふふ」
みたいな裏返しの優越感のようなものがあるのはマニアやオタクのいやらしさで、それを見せびらかしたり一人で酔ってたりするのはあまりうつくしくないとは思う。
でも何かほんとに人にわからないものが大好きで、それで結婚もできそうにないけどいいや、て人もいるし実際会ったことある。まあ芸人の話と外れるけど。
どっちもいいのではないの。個人的にはクワタが好きだったのがモータウンとかビートルズとかではなくて昭和三十年代とか四十年代の和田アキ子とか青江美奈とかの日本の歌謡曲だったというような感覚はとてもいいなと思うのだが。
時にはミッキーマウスさえモチーフになる、街角でいきなり売りつけられる美術品。
「えええーー?よくわかんねーなぁーーー?本当に資産価値なんてあるのぉ?」
ってずっと思ってたんだけど。
ふと出かけた南の島の海外旅行。
どうみてもラッセンの劣化コピーにしか見えない、版画やバティックなどの布・・・。
「現地の職人が1枚1枚刷ってます!」
って事で、しょぼくてもなぜかそれなりの値段。
いわゆる「絵画」「アート」としてみると、なんとなぁく微妙な雰囲気は漂うものの、
ひょっとしたらラッセンは、そういう「アート」的な文脈で見ちゃいけないのかも。
「ケータイ小説」や「ライトノベル」や「ロマンス文庫」を全部「小説」ってジャンルで見て良いのか
「漫画」も「アニメ」も「芸術」ってジャンルでくくって良いのか
「J-POP」と「歌謡曲」を同じジャンルで見て良いのか・・・のような、ちょっとした差を含んでいるのかも。
そのおみやげ屋さんにおいてあったどのイラストよりもラッセンはうまかったので、