はてなキーワード: 日米関係とは
ともかく海外に派遣された自衛隊員が街中で出会った少女を乱暴したとする(仮定の話)。
少女と自衛隊員が出会った時間帯や少女が自ら自衛隊員の車に乗ったかどうか、ということに関わりなく、これは自衛隊の大きな不祥事であることははっきり理解できると思う。
いわんや、日本の政府関係者や主要マスコミが「遅い時間に出歩いて、見ず知らずの外国人についていく無防備さは無念だ」なんて発言をすれば当事国のみならず国際社会から袋叩きに遭うことは確実だろう。
日本としてはどこまでも誠実に被害者への謝罪と関係者の処罰を行うことが求められるだろうし、それは日本国民にも当然のことと受け止められるだろう。
では日本自身ではなく、現地の親日的メディアが「少女にも落ち度があった」などと報道すれば、自衛隊や日本政府は内心「ナイスフォロー!」などと思うだろうか?
おそらく違うのではないか。
現地住民に「日本の自衛隊には気をつけろ」という意識を植え付けるのは明らかに日本にとって不利益になる。それは、平たく言えば「日本を敵視せよ」ということだから。
日本としては効率的に活動するためには現地住民の同意や協力姿勢も調達するする必要があるはずだ。サマワでも「自衛隊と現地住民の心からの交流」のようなイベントが何度も演出されたはずだ。
現地の子どもたちに「日本人にはついて行っちゃダメだよ」としつけるのは、日本側のそうした努力を無にするものである。
このように思考実験してみると、花岡信昭の一連の言論はいったい何なのだ?という疑問が出て来る。もはや親米や従米ですらない。
おそらくは、米国などよりもむしろ自分が可愛いのだ。自分はまったく基地問題の外部にいながら、今回の事件によって基地問題の直面している人々が声をあげることを疎ましく思っている。それは、人々の行動によって、基地外の自分まで何らかの決断を下さなければならなくなることを恐れているからだ。花岡はそれを嫌うから、こういうのだ。「沖縄の奴らはただ屈従していろ」と。
この少女のことをまず考えると、軽率にも米兵のバイクに乗ってついていってしまったことが、日米関係を揺るがせ、「反米・反基地」勢力を勢いづかせてしまったことを、どこまで理解できるか不明だとしても、ともあれ、このことを人生の大きな教訓として生きてほしい。
そのことを願っておく。そうでないと、いつまでも「米兵の蛮行の被害少女」として扱われることになってしまう。少女を政治的に利用しようとする勢力がこんなにもいたことに、本人は当惑し、沖縄の現実を痛いほど身にしみてわかったはずだ。
「米兵に乱暴されるな、日米関係に傷がついたらどうするんだ」、「被害に遭ったら泣き寝入りするのが一番だ」。花岡の言っていることは、このように読める。
まさに基地外勢力。
http://www.asahi.com/international/update/0309/018.html
現在日本に滞在中のグリーン氏も「強制されたかどうかは関係ない。日本以外では誰もその点に関心はない。問題は慰安婦たちが悲惨な目に遭ったということであり、永田町の政治家たちは、この基本的な事実を忘れている」と指摘した。
その結果、「日本から被害者に対する思いやりを込めた言葉が全く聞かれない」という問題が生じているという。日米関係にとってこの問題は、「牛肉輸入問題や沖縄の基地問題より危ない」と見ている。
ネトウヨを気取りながら、実は単に他人の意見に踊らされているだけであり、現実世界でうだつの上がらない自分の自尊心を慰める為に近隣諸国の人民を卑下し、見下しているだけの奴ら。
確かに日本国内で不法行為を行い自国へ送金する朝鮮人や、過剰な権利を要求する在日朝鮮・中国人がいるのは確かだか、それを理由に日本の全てを正当化するのは頭が悪い。
過剰な権利を要求するのなんて、今の低所得層の日本人は皆そうだぞ。不正に生活保護を受けたり、半年毎に就職・退職を繰り返して失業保険を貰い続けたり、ちょっとしたきっかけがあれば裁判を起こしてたかったり。
近隣諸国との友好関係を崩すことは、それ自体が日本を危険に晒す非国民的行為だ。
断言しよう。実際、ネトウヨを気取って、核を持てだの戦争起こせだの在日外国人を追い出せだの、ファシズム地味た思想を吐いてる奴らも、実際に戦争になれば兵役に就くのを拒否するだろう。
そんな身勝手で無能なカスは、さっさとシんでくれないか?