はてなキーワード: レコーダーとは
そのセット買いはそこまで一般的かはわからないし、セット買いした人の中にもBDは見れない人もたくさんいるだろ。
手放しづらい事情もあるのは、http://anond.hatelabo.jp/20090514201813で説明されてる通りやね。いくら初期化するといっても、クレカ情報が保存されてる機械を手放すのは抵抗がある。ついでに言えば、60GBモデルは実質再入手不可能なので積極的に手放す理由が見あたらない。
まあ、かといって押し入れに放り込むつもりもないけどね。リビングの液晶テレビにつなぎ直してFolding@home走らせたりDLNAクライアントにしたりと、ゲーム機以外の用途はいくらでもある。ようつべやニコ動見たり、身内とトロステ見たり、HDDにため込んだ映画見たり(320GBに換装済なので)。我が家のHDDレコーダーはDVDにしか対応していないのでBDプレーヤーとしても使えるし。Ubuntu入れてるからそれなりに遊べるし。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51205914.html
確かに、ケータイってプル型だのプッシュ型だの、情報等のゲートウェイとしてはすごくいいんだけど、じゃあ情報の発信側になってるかっていうとそうじゃないよね。
メールの送信とか、掲示板に書き込むとか、その程度のこと言ってるんじゃなくて。
確かにTwitterとかケータイ版Twitterと言われる「リアル」とかプロフとかってのも、ケータイレベルでは十分「発信」してるものかもだけど、PCを自在に利用している人の「発信」に比べたら全然レベルが違うのかなって。
で、ここまで書いといてあれなんだけど、「じゃあPCで多くの人がやってる発信ってなに?」って言われると、ケータイから出来るような発信しかしてないなって思った。
メールにしても掲示板にしても、はてなにしてもブログ更新もだいたいケータイで出来る。
dankogaiさんのようなギークな人にとってはパソコンって凄い重要なものかもだけど、別に一般人にとっては必要不可欠でもないんだなーって。
よく使わなくなったパソコンをサーバにしたり、リビングのテレビの横に置いてDLNAサーバとかメディアサーバ化することもできるとか、チューナー付ければテレビなんて要らなくなる!って言うけど、逆に、パソコンじゃないと出来ないって事がほとんどなくなってきたんじゃないかなーって。
テレビにしても音楽とかメディア系にしても、ゲームにしても、専用の機器があるんだけど、パソコンに一本化できるってことにパソコンの用途が進んでいって、パソコンじゃないと出来ないことをする人はほんとにIT系の人くらいになってきたのかも。
iPodとか音楽プレーヤーのためにパソコン買う人もいるけど、テレビに繋げるセットトップ(au BOXみたいなの)がもっと使いやすくなったりしたら必要なくなるし。
もちろん、今のケータイには限界があって、画面のサイズが小さいこと、キーボードが小さいこと、拡張性がないこと。
いわゆるI/Oってやつ。今のケータイだとせーぜー3.5インチ程度で情報量が少なく、文字の打ち込み等は遅い。
また、まだまだ「PC向けサービスをケータイでも使えるようにした」程度だから、まだまだUIがこなれていない。ま、それはiPhoneの登場によって、タッチパネルとアプリケーションで解消できるとわかったわけだが。
もし、ケータイのフルブラウザがネットブック程度のブラウザ性能を得て、かつ、繋げるだけで大画面出力、QWERTYキーボードが使えるようになるような機器が当たり前になって(シンクライアントノーパソみたいなものにケータイを繋げる的な感覚)、いろんな機器をつなげて拡張できるようになると(できればBluetoothとか近距離無線で)、いわゆる「パソコン」ってものが一般人からすると要らなくなるんじゃないかなーと思う。
個人的には、有線じゃなく無線、さらに言うなら、電脳コイルみたいにメガネとか視覚に直接投影するとかで、バーチャルI/Oが出来ればワクワクする。
脱線したけど、結局dankogaiさんの記事は結局ギークな人や開発者による視点でしかなくて、一般人の視点からすると、パソコンなんてもうただの「なんでも出来る魔法の箱、だけど、個別に買ったほうが楽。」であったり、「リテラシーや知識のある人にはすごく使いやすい、だけど、ケータイでもほとんどのことが出来る。(使いやすさや快適さを我慢すればだが)」という箱になってしまったんじゃないかなーって。
それさえクリアしてしまえばいろんな「当たり前」が変わってしまうんだろうなー
ちょっと前までバンドの練習に高田馬場の音楽館というスタジオを使っていたのだが、以下の理由で場所を変える事にした。
・坂を登って階段を降りなければいけない
・20畳クラスの部屋がありビッグバンドがよくやってるので、入替時間はロビーがごった返す
・ロビーのラジカセからL’Arc~en~Cielが流れている
・それどころか聴いたこともないヴィジュアル系の曲が流れている
こちらは
・道中坂も階段も無い
・入替が混雑しない
・駐車場がある
・ロビーにL’Arc~en~Cielがかかっていない
といったメリットがあった。
しかし何回か行く内このメリットも無効化するようなデメリットが顕在化してきた。
それは店員が激烈にむかつくという事である。
どうむかつくかというと
・5分前のピカピカが光ったが早いか部屋に入ってくる
・片付け中なのもお構いなしにセッティングを始める事がよくある
・店員がマイクを片付けてくれて、マイクスタンドにセッティングしていたのでそのまま部屋を出て会計しようとしたらマイクを持って来て下さいと言う。さっきお前セッティングしてたじゃねぇかよ。
とまあこんななんだが、ちょっとこの説明だけでは、「それは当たり前では?」と思われる方もいるだろうし、全くこちらに非が無いかというとそんなことはないだろう。
文字にするとそれほどでもないがどれもこれも付加的なむかつき要素がこもっているのである。
あいつらがいかにむかつくかがいまいちうまく伝えられないのが残念だ。
別にスタジオの店員に俺は愛想良くしろとか言いたいわけではない。
アマチュアではあるが12、3年バンドをやってるわけでスタジオの店員はそんなもんというのも分かっている。
でも今までの12、3年でいろんなスタジオに行ったけど、こんなにも腹が立つのはここが初めてだ。
しかもむかつく店員がいるとかじゃなくて、店をあげてむかつかせるのである。
思い出すだけでみぞおちの下辺りがヌラヌラしてくる。
もっとも解決策は簡単で、高田馬場の残るスタジオ、NOAHに場所を変更すればいいのである。
願わくはNOAHの店員がむかつかないこと、そしてL’Arc~en~Cielがかかっていない事を祈るばかりである。
あと別にこんなの匿名で書くほどのことじゃないんだけど、なんか他の人にも見て欲しかったので、ここに書きました。
同じ内容のエントリーをhttp://d.hatena.ne.jp/ono-win/でも書いています。
キーワードで自動録画してくれるレコーダーあるからそれ使えばいいだろ
無料オンデマンドが普及してしまったらテレビ見る人逆に減るだろうしテレビ局にとって普通にメリット無いと思う、少なくとも現時点では
少なくとも俺の場合、見たいテレビはあるが、ほとんどの場合は見逃していて後の祭り。
事前にラテ欄なり、ガイド誌などで予習する気力もないし、一日中テレビを見ているヒマもない。
レコーダーに保存するったって、事前に調べるのは面倒くさい。
そんなことが続いているから、テレビを見ようと思わなくなってきた。
俺にとってテレビとは「見たいけど、見られないのも」ってイメージになってる。
テレビ離れと言うけれど、俺みたいに「見たいんだけどテレビ局が見せてくれない」なんて人も多いんじゃないかな?
オンデマンドの仕組みがあれば、ブログで評判になった番組やロングテール番組なんかいけると思うんだけどな。
テレビ屋さん的には番組よりもCMを見てもらわないと商売にならんのは分かるけど、番組中の画面のどこかにCM帯を作って、そこに流すってのはだめなの?台風情報みたいに。
オンデマンドなんてPCとの親和性が高いだろうから、クリッカブルにしてもいいし。今みたいな形式では無理だけど、バナー広告みたいな内容にすれば成り立ちそうだし。
とはいえ、老年期に入った会社では「できない理由」を探す人が出世するということだから、そんな提案はとっくに潰されたのかな。
元増田です。
使い方をいまいち把握してないんだけど、TBのURLはここ↑にいれればいいのかな…?
レコーダー用意しておきます。これからも来るようだったら、
同じことがくりかえされるのだったらこの録音をもって警察いきます、て宣言する。
冷静になって客観的な証拠を集めるってことをしてみます。
あと、もう一人の方、対人恐怖症ってwwwww
と、笑ってスルーしようかと思ったけど、
あの元増田文章だけじゃこちらがどんな人間かわかりませんものね。
気をかけてくださったことに感謝します。
一応本人の自覚としては、これまでの人生ちゃんと学校に行き、会社でも働き、
友達もいて、それなりの社会生活を営んできました。
まあ、確かに、まったく話の通じない学会員と相対するのは恐怖ですが。
HDMIはYUVという信号で色情報を送っているのだが、地デジやブルーレイなどの動画はデータ削減のために色情報が落とされている。落ちていない状態をyuv=4:4:4と表記し、落ちている状態をyuv=4:2:2と、さらに落ちている状態をyuv=4:2:0というそうだ。地デジやブルーレイはyuv=4:2:0であるらしい。
地デジやブルーレイがそのていたらくならばと液晶テレビメーカー各社は映像処理回路をyuv=4:2:0で処理するよう設計、たとえ4:4:4の信号が来ようが映像処理回路を通った時点で4:2:0に落とされてしまうようになっているのだという。
おれも最初は「それでいいんじゃないの」と思っていたのだが、それでは困る場合が多少あったりする。PCやゲーム機を接続した場合だ。
基本的にPCやゲーム機から流れる映像信号はリアルタイム生成された無圧縮なものなのでyuv=4:4:4だ。しかしテレビの映像処理回路は勝手にyuv=4:2:0に落としてしまい、結果として液晶テレビでネットやろうとすると文字が滲むのである。
ではどうすればいいのかというと、映像処理回路をバイパスする機能を使えばよい。「ゲームモード」とか呼称されている映像モードで色情報を削減せせずに表示できる場合があるのだという。
液晶テレビの映像処理回路というのは映像圧縮により失われた詳細をマシにみせるのがその主たる役割であり、ゲーム機の映像にかける必要はまったくないのだ。
ところで、DIGAというブルーレイレコーダーにはクロマアップンプリングという機能がついており、これはyuv=4:2:0に削減された色情報をyuv=4:4:4に復元する。これにより美しいブルーレイがより美しくなるのだという。
しかし、さっきからいっているように液晶テレビはyuv=4:4:4信号を勝手にyuv=4:2:0に削減してしまう。せっかく復元しても、ぼやぼやしていたらyuv=4:2:0に削減されてしまうのでこの機能を有効に使うにはブルーレイレコーダーを「ゲームモード」で見る必要があるということになってしまうのだろうか?
しかし、レコーダーというのは地デジの視聴にも使う。地デジの映像はブルーレイに比べ強く圧縮されており映像が破綻している。それをごまかすためにメーカー各社は映像処理回路をテレビにつけているのであり、これをバイパスしてしまってはダメではないのか。
それともレコーダー自体にも映像処理回路は備わっているのだろうか。だとしたらレコーダーとテレビで重ねがけしては具合が悪いだろうから、バイパスして正解という気もする。
考えるほどわからなくなる。色域なんて知らなければよかった。
自慢でも、犯罪自慢でも無いんですがふりーおとか言うEMSで送られてくる機材でウチのデジタル録画環境は終結してたんです。
DVDにして欲しいなら、録画してDVD_VIDEOに焼いてあげていましたし。
ここで、一家一番の電子機器が苦手な母が地デジ対応レコーダー買ってきたんですよ。5万ぐらい。
初売り出しで安いって事で。
勿論、いきなり使えるわけがないです。
というか私自身が使えなかったです。
それでファイナライズして、PCに入れてもくろーい画面が出るだけ。
説明書とちゃうやん・・・と思いつつ、CPRM対応じゃないからその結果。
メインマシンはOSXなので、まー色々調べた結果WMPのDRMと同じようにOSXではムリ・・・・
OSXではムリです。大事な事なので2回書きました。
ブーキャンで体験版のpowerとか、Winなんとか入れても全然ネットから復号鍵持ってこれない。
何が悪いのか分からないまま、クレジットカードのコード入れて”購入”したらPCで再生出来た。
家人がよく使うプレイヤーだと駄目。勿論買い直し。2万。
今まで、個人的使用に限り好きなフォーマットで録画していたけど、家電、CPRMの融通のなさは半端じゃない。
もし家に入ったら、それなりの出費を覚悟した方が良い。
CPRMは怖いです。
巷には解読する物もあるようですが、パソコン使えない母にそれを要求するのは酷でしょう。
なんでこんなに不便になるんだ、と言う事を何回も言っていました。
嫁に言われて、レコーダーに録画した番組を「年末年始の大掃除」と称してDVDに書き出し、HDDの空き容量を確保する作業に勤しんでいた時の事。
当然ながらレーベル面が真っ白なDVD-Rに書き出すわけで、サインペンで記録した番組名やら概要やらを適当に手書きで書いていくわけだが、自分が普段書いている文字にすさまじい偏りがある事に気づかされる。
たとえば「花」。まあ「花より男子」の再放送分を書き出した時の事なんだけど、「花」なんて字を最後に手で書いた記憶を辿ろうとしたら学生時代にまでさかのぼりそうな勢いで愕然としてしまった。全話録画していたので複数枚に及んだわけだが、一枚目の「花」は、なんだか漢字を覚えたての外国人みたいな字面になってしまった。
先日、妻のお父さん(義父)の七回忌が終わった。
体調が悪くなり入院したのだが、急速に癌が進行していて、翌日に突然状態が急変しそのまま亡くなった。もう6年前になる。
義父が入院した時は、まだ治療が効を奏せば何とかなるという話を聞かされていたのだが、容態が急変し、医師より厳しい話を聞かされた。ちょうど妻は席を外しており、その厳しい話は、私と義母が聞く事になった。話を聞いたあと、義母は私に振り返り「助からないかもしれないね」と目に涙を溜めていたのを憶えている。私は、何も言えなかった。
義父は急変して血圧が低下し、尿が出なくなって苦しそうな呼吸をしながら、ある日の未明、亡くなった。
一年前に仕事を退職して、これから第二の人生が始まるという時期の急逝に、義母は見ていて痛いくらいに気落ちしていた。
弔問に来る人に応対し、挨拶はしているのだが、心がどこか空っぽになっていて、そのまま存在が薄くなって消えて行くような儚さがあった。それが恐くて、通夜、告別式、火葬、納骨と何かにつけて声をかけていたような気がする。
義母の姿を見て、通夜や告別式など、こうした形式的に忙しいイベントが次々と続かなければ、恐らく義母は本当に空っぽになっていたんだと思う。初七日など七日毎の供養、四十九日、一周忌。日々を忙しさで紛らわせることで、義母は現実に引き止められていたのだ。
その後、私の家には子供が増え、義母にも時々面倒を見てもらうことが多くなった。義母に感じていた空洞は少しずつ、何かで埋まって行った。
七回忌の前日、私は子供の映像を録画していたDVテープを引っ張り出し、義父が映っている僅かな場面をHDDレコーダーに録画していった。時間にして僅か15分ではあったが、在りし日の義父が長男と笑顔で遊んでくれているシーンが幾つもあった。私はそれをDVDにして、七回忌の当日、義母へ渡した。
「あら、こんなお父さん撮ってたの!?」
懐かしそうに画面に映る義父を見つめる義母のまなざしは、空っぽではない、生きているまなざしだった。