はてなキーワード: ブラックボックスとは
女教師ブログさんの「頭のいい人は、難しい概念も簡単に説明できるはずだ」問題という記事がはてブで話題になっていて、その大元はせつないエントリ群という増田の記事らしい。消されてて見れないが。
頭がいい | 頭が悪い | |
易しい説明が出来る | 1 | 3 |
易しい説明をしない | 2 | 4 |
割り算の「100÷30」を教える場合とする。
1は割り算を知らない人にも分かりやすいが、答えは出せないし、教えた相手を割り算が出来るところまで引き上げる物ではない。
2は割り算の計算方法や算数的意味も過不足無く説明しており、また掛け算と足し算が出来る人ならばこれにより割り算も出来るようになるであろうが、掛け算も足し算も理解していない人には何の事やら解らない。
3と4は説明不要。
上記の例で言う1をやってくれる人。さらに言えばそれを教えているときに相手をバカにした態度をしない人。また2の様な基礎部分は一切触れずに、割り算が社会のどのような場面で役立っているかという物語を語れる人。
「簡単に説明して欲しい人」は割り算を出来るようになりたいと思ってるわけではない。あくまで概要を知りたいだけなので、そもそも2の様な説明は必要ないし、やったところで足し算・引き算・掛け算を理解してない場合も多いので意味が分からない。
ただしこれが出来る人だけを「頭のいい人」と定義して良いかどうかは難しいところだろう。概要を説明する能力、割り算を出来る能力、人をバカにしない人格、物語を語れる能力は明らかに全て別の物だ。この様な言葉を発する状況はほとんどの場合は合理化だと思われる。また一部、物語を語ることが専門(企画や営業など)の人が物語を語れない相手を見下している場合も見受けられる。
割り算を習得する前程として足し算・引き算・掛け算が必要なのは自明だが、相手は必ずしも自分が割り算を出来るようになりたいと求めているわけではない。
割り算の概要を知りたいという人にはその概要の解説を、答えを知りたいという人には答えだけを、自分も習得したいという人には足し算からの学習方法を教えるべきだろう。
世の中には様々な知識や学問があるが、どの知識も学問も世の中全ての人に必要なわけではない。必要と便利は違うもので、皆自分の人生や職業に必要な物は専門知識として蓄えていく。便利な物は意欲がある人は覚えればよいし、それにより人生の深みが増したり職業選択の幅が広がったりすることは多々あるだろうが、意欲が無い人に押しつけるべき物ではない。
なお、概要だけを知ることは無意味だという議論は間違いだ。ほとんどの人はよく分からないブラックボックスの上に現在の専門知識を成り立たせている様に、概要からさらに別の何かに役立てられることも多い。これは証明の仕方が解らない定理でも利用できることに似ている。定理を使って別のことをやりたい人に、本人が望んでいないのに定理の証明方法を教える必要はないだろう。(プログラマなら、定理=関数やクラス、証明方法=実装と読み替えると感覚的に解りやすいかも)
あなたがどのぐらいの内容の回答を欲しがっているのかは「・・・ってどういう事ですか?」という様な単純な質問からではなかなか解らない。自分がその問題の概要だけを知りたいのか、前程となる部分からの仕組みを知りたいのか、習得したいのかなどはきちんと相手に伝えなければならない。
そして概要を説明するのも、専門家なら誰でも簡単に、という物ではない。面接の質問などがこれに近く、例えば「あなたの在学中の活動やそこで得た物を簡潔に教えてください」という質問に、自分の人生の専門家であるあなたであっても、事前に何の準備もせずあなたを全く知らない人が感心し納得してくれるような話をするのは難しいのと同じだ。
今の時代は様々な、苦心してまとめた結果が保存されている便利なサイトがあるのだから、可能であればそのようなサイトを見る方が手っ取り早い上に、内容的にもそちらの方が得策であることも多い。
また世の中には概要を説明しづらいものも多く、さらに「・・・はどう凄いのか」という様な感覚実感も含めた問は、前程知識など無しに説明するにはせいぜい例え話が限界である場合がほとんどだ。これは小説の面白さをネタバレ無しに他人に語るのが難しいのと同じだ。(そしてこの例え自体がそうだ)
なお、知的好奇心を満たすだけであればそれほど完成度が高くない概要でも事足りるが、その概要を別の物事(例えばプレゼンや記事など)に利用する場合は完成度の高い「商品としての概要」が必要になる。しかしそのような物を作るのは先の面接の質問の例でもあるようになかなか難しい。専門家と言っても商品としての概要を作ることが専門ではないため、この様な場合は、あなた自身が前程知識の概要を理解し最終的に必要な商品としての概要を自分で組み立てるべきだろう。
色々な人の意見を参考にすれば私が気付いていなかった箇所なども考えることが出来ると思いますので、はてブなどに回答してみます。出来る限りひねくれずに答えたいと思います。「書いていただけませんか?」というフレーズを使いますが、特にこれに関しては嫌みの意味を一切込めないで書くつもりです。
また念のため、追記より上の部分は文章の間違いの修正以上の修正はしないことを誓います。単語間違いレベル以上をもし修正する場合はdelタグを使います。信用できない人は魚拓なりローカルなりに取っておいてください。
なお、以下に一つだけ私が定義した言葉を使いますので説明しておきます。(ネット上ではそれなりに使われていますが正式な言葉ではありませんので)
※ 「オレ定義」とは… 辞書的意味ではなく、「この言葉はオレの中ではこういう意味だ」という意味・定義。人それぞれなので議論するだけ時間の無駄。
追記を書いていたら案外多いのでまとめます。
「頭がいい」をどう定義するかはここでは問題にしません。
理由は追記4に詳しく書きましたが、「本当に頭がいい」という言葉は人によって定義が違いすぎるからです。なお「よく言われる・・・」という項目は、Googleで「頭がいい」「本当に頭がいい」など、適当に思いつく言葉で検索した先を20-30件ほど読んだ結果と、とつげき東風氏の本当の頭の良さという記事から私なりにまとめたものです。もちろん「定義」ではありません。
ここで一番問題としたい核の部分は、どのようにすれば良い質問と回答が出来るかです。伝わってなければ私の文章力の欠如が問題でしょう。大変申し訳ないと思います。
これらの理由により「本当に頭のいい人は…」で始まるような記事はコメントは結構ですのでご理解ください。
以下、既に書いた部分に関しては残しますが、以降「頭がいい人」のオレ定義に関するような部分は追記しません。
2007年10月07日 penkun はてな, ブログ 頭がいい悪いは別として、正しいことを適切に簡単に教えてほしいと願うのが教わる側です。
それはそうでしょう。私も現在受験しようとしているとある資格が一発で取れるぐらいの試験の要点などを簡潔でしかも眠くならないよう教えてくれる講師がいれば、月額20万ぐらいなら本当に支払ってもいいから受講したいと思います。しかし世の中にはそんな便利な物はありませんから受験勉強しています。
また、あなたが適切と思うラインは質問文に盛り込まれていますか? あなたの現在の知識は伝えてありますか? ジャンルは解りませんが、例えば学問的内容であれば、高校レベルはもう解らないとか、中学レベルなら解るとか、そう言うことは書いていますか?
質問とその答えというのは、会話や応答文である以上お互いの共同作業によって成り立つものです。片方の発言に足りてない部分があれば質問意図は相手に伝わりきらず、あなたが適切と感じる回答は得られないでしょう。責任は説明する側と質問する側、両方にあります。
2chの自作板にはエスパースレといわれるスレッドがあります。不十分な質問からその人の質問意図を出来る限り読み取り、出来る限りそれに答えてあげようというスレッドです。もちろん質問意図を読み違えることも多々あります。あなたの質問はエスパーに頼らないといけないような質問になっていませんか? エスパーに頼らずに済む質問にしたければ事前調査が必要ですが、質問の前に調査していますか? 2chであればテンプレは読んでいますか?
249 Socket774 :2006/04/08(土) 22:08:10 ID:B56/Hai2
わからない五大理由
読まない
調べない
試さない
理解力が足りない
人を利用することしか頭にない
乱暴ではありますが真実だと思います。少なくとも他人の疑問に山ほど答えて疲れ果てた人の心の叫びだと、私は感じます。
2007年10月07日 zonia コミュニケーション, 教育, イメージの齟齬 あー、100÷30のアナロジーは不適切だなあ。「頭がいい=割り算を理解している」というのは飛躍しすぎだ。頭がいいって何だ? 割り算を「理解」しているって何だ? 「理解」してないと説明できないのか?
仰るとおりで、適切な例を誰もが解る例で出せなかったのは私の解説力の無さです。未だに思いつきません。本当に嫌みではなく、もし可能であれば適切な例で解説記事をお願いできればと思います。
なお、「頭のいい」や「理解している」は所詮オレ定義になってしまうので、こちらに関しては結構です。
2007年10月07日 hebomegane はてな 僕が腑に落ちる説明の仕方してくれる人がやっぱスゲーなと思います。
同じく凄いと感心します。私もそのような理由で尊敬している人もいます。しかしそれは次の状況を満たしていたんだろうと思います。
私はとあるローカル局の番組でコメンテーターをしている方の解説能力を尊敬していて、その人で帯番組を持って欲しいと常々思っているのですが、私が既に勉強している分野の事に関しての解説は不満を感じることが多いです。その人は説明の前程として中学程度の知識などを前程にしているから、既に知っている人間には冗長な部分が多く突っ込みが足りないんだと、自分がある程度詳しい分野の事を解説しているときに見えてきますね。
2007年10月07日 SiroKuro 教育 それは「頭のいい人」じゃなくて「良いプレゼンター」。ところで、その簡単な説明だけであなたは難しい概念を理解できるのですか?
仰るとおり、「良いプレゼンター」だと私も感じます。ただし「頭のいい人」という言葉の意味は所詮誰しもオレ定義ですので、別に気にしていません。今回はググってある程度色々な人のオレ定義の「頭のいい人」を読みつつ、とつげき東風氏の本当の頭の良さという記事も参考にしました。なお追記2及びこれらの理由より、「頭のいい人」論は結構です。もし適切な質問方法と適切な回答方法に関する記事を書いていただけるのなら是非お願いしたいと思います。
後半、「その簡単な説明だけで・・・」ですが、結論だけ言えば誰かの概念の説明だけでは理解できません。それを取っ掛かりにして調べたり書物を読んだり、数式が出てくることなら解いて、プログラムなら車輪の再発明をして、そこまでやって初めて、当該項目が仕事に利用できるぐらい本当に理解できると思っています。この様な手間が掛かったとしても、指針があるだけ自分で一から勉強するよりも早く勉強できるので回答していただけることはかなり有用だと思っています。
2007年10月07日 ululun はてブ米に入りきらないのでエントリを起こす
お待ちしております。
2007年10月07日 REV あたまのいい、が未定義
はい、意図的に未定義です。理由は前述の通り、どうやってもオレ定義になるだろうと考えられるからで、文中の「よく言われる・・・」はググった結果と前述のページから私なりにまとめたものです。
またこれも重複してしまいますが、オレ定義の乱発になりますので「頭のいい」に関する定義問題は結構です。
2007年10月07日 mmasuda mmasuda 「説明させる」と「理解させる」の間には困難な道のりがあることを忘れている人ほど「簡単に説明しろ」と言いがちのような気がする。
同感です。実感まで含めて理解するには、浅くでいいので前程知識の部分などを一通り、実際になぞってみる必要があると感じています。
少し見ない間にブックマークがかなり増えていて驚いています。
2007年10月08日 monnet 教育, 考え方 「難しい概念も簡単に説明できる頭のいい人」とは物語を語れる人。なるほど。でも具体例は1つの解釈とは思うが、もとの算数の例では、易しい説明で、概要理解→計算習得まで教えるプロセスが含まれているのでは?
元の算数の例というのがなにを指しているのか不明瞭なのですが、「切ないエントリ群」の事であれば、元が読めないので私には解りません。
私の割り算の例を指しているのであれば、もし足し算すら知らない人に割り算まで理解させるとなると、教育方法としてはある程度のラインであると考えられる義務教育ですら、割り算を教える所まで到達するのに270時間程掛けています(参考:会津若松市立一箕小学校)。「易しい説明」という言葉の語感にこれだけの時間が詰まっているとは私には考えられないのですが…
本題とは関係ないのですが、私も書く前に少し考えたことなので。
2007年10月08日 tokoroten999 「「本当に頭のいい人は・・・」で始まるような記事はコメントは結構です」こういう他者との意見交換をしたいならブログや日記でやればいいのに。なぜ増田?
自分のブログや日記を持つ気がないからです。ちまたに溢れるブログサービスに捨て垢で、ということは考えましたが、はてなのアカウントを持っていれば増田が使えるからいいか、とこちらにしました。多少意見交換が面倒ではありますが、運用で何とかなる範囲だと思っています。
2007年10月08日 kokokubeta ヒント この種の問題でいつも悩むのは、「相手がどこまで理解していて理解してないのか」を把握するのが難しいのと、「どこまで理解したいのか(知るだけか、理解したいのか、できるようになりたいのか)」だなあ。
同感ですね。文中にも書きましたが、教える側はこれを感じ取る・聞き出すことが胆だと思います。
2007年10月08日 petem 増田, 教育, *思考法 私は説明する前に「すごくわかりやすく説明するけど7割くらいしか正確じゃないから」といって例外部分をはしょります。深く理解したい人はその後も質問してくるのでそのとき対応。
私も教育においてまず例外部分を削るのは良いことだと思います。例外は見方によって何段階にも分けられますが、小学校3年生で割り算を習う際に分数や小数はまだ教えないのも、整数以外を例外と見なして単純化だろうと私は考えています。
ただ概要の説明だけの場合は例外を省略するのは当然として、枝葉は省略しつつも幹だけでなく全体の形や他の物との関係性の説明も必要であったりと、省略の仕方がなかなか難しいところです。
2007年10月08日 cappin 剰余「30円商品は100円なら3つで10円余り」きっちり「100Lの水を30人は一人3.3L」余らす^o^「100万を30人で割勘なら一人3.4万で余り2万」一般に、使う場面での役に立ち方を言うと納得されやすいと思っている。
そのような説明も良いですね。私が使用した説明は、元々小数や分数での割り算の意味が分からないという話の際の説明から来ているので、今回の例としては不適切ではないかとも思いますが、記事を書いていた際には他に思いつきませんでしたのでこれを使用しました。
2007年10月08日 terracao 言及された 「解説」書いてもらったのに難癖をつけるのは申し訳ないんだが、増田主にとって「割り算」は難しい概念なのかな。私は現代思想とか社会理論とかを想定していたんだけど。/増田にあるまじき丁寧なレスに感動!!!
ご本人様からお返事を戴き有り難うございます。
割り算が難しい概念かどうかという事ですが、「難しい」というのは相対的な感覚なので例として使えないことは無いと考えました。義務教育を受けていることが当然の現代の日本人からすれば全く難しくない問題でしょうが、中世の「読み書きそろばん」を習わずに一生を過ごした人からすればある程度難しい問題だと思います。難しさの実感も含めてとなれば、例えば高校レベルの問題を例にすれば難しく感じる人も増えてくるかと考えましたが、そうすると「難しい概念を簡単に説明するとは何か」という私が本質としたい部分から議論が離れていきそうだと思い、こちらにしておきました。
ガスコンロの使い方しか知らないのは考えもんだけどさ、マッチの使い方覚えてれば充分じゃないの?
マッチはそれほどブラックボックス化されてないから、ちょっと調べれば摩擦で燐が発火して燃え上がる程度のことまでは理解できるし。
下のレイヤーのことも数ヶ月の研修だろうとその程度のことは知ってるよ。燃え上がりってどれくらいのことを指してるか知らないけど、ちょっとしたことなら出来るくらいにはなるでしょ。
あとその辺が理解できたとしても、ガスコンロしか使わない火起こしならそのレベルで理解するのは無謀かと。見えないところはこだわらずに、適切なバルブの開け閉めとか覚えるのが先じゃないかな。付け焼刃の薪の燃やし方じゃガスはもてあます。
http://anond.hatelabo.jp/20070908070434
自然科学やITに携わるような人間はゆとりうんぬん言ってられない気がする。
このままでは、確実に他の国に引き離される。
「自然科学やITが好きな人が好きなだけやればいいんだよー。」
これは正論だが、ある程度負荷を分散しないとたぶん大変なことになる。
一方で、大衆がIPodやインターネットをたしなみだしてそれがなんで出来ているのかよく考えずにブラックボックス化しているわけなんだけど
それら情報機器に対する大衆の要求は以前にも増している。
ゆとりうんぬん言ってられんのです。ほんとは。
でも、追い詰めたら精神を病んでしまう。
その辺が難しい。
最後に、「人材の最適化」について
私自身がADHDで、その特性を生かせるようなことを今模索している。幼少のころからこういうことをやっておけばよかったと思う。
ADHDにように名前でカテゴライズできないような気質も世の中にはいくつも存在すると思うので
どうにかしてそれらの気質をカテゴライズして、人材の配分の最適化ができないものかと思う。
これは、レッテルを貼って強制的にというより、
「こういうのが向いてるよ。」と、僕のもっているような障害も気質としてひっくるめて指導するようなシステムがあればいいんだろうと思うんだけど・・・。
とりあえず俺のおすすめを書いておくよ。
まあでも結局、「プログラミングがしたいからプログラムを覚えよう」っていうのは身につかないんだ。
「PCにこれこれをさせたい!」と強烈に思って、なんとしてもやりきらなきゃいけない状況に追い込まれれば簡単に習得できるよ。「ゲームが作りたい!」「エロ画像自動で集めたい!」「卒論のデータをどうにかして分析しないといけない!」でもなんでも良いんだけど。
EXCELでテキストファイルから物凄い大量の入力をしてグラフを大量に印刷しなきゃいけないとかいう羽目になってVBAの達人になっちゃうとか、そんな感じ。
なんでか募金=善、となってるのは小学校以来刷り込まれた思想のせいか。
そもそも募金が本当に困っている人たちのところに行き着くかなんて判らないじゃない。
無料で配給されるはずの国連の救援物資すら、当該国に行くと市場で売られていたりするという現実。
今まで募金した先で、使途明細なんて貰ったことある?
何だか良く判らないブラックボックスに金を入れて、良いことした気にはなれないよ。
「悪いことではない」っていう意見も有るかもしれないけど、だったら積極的にやるほうが偉いってほどのもんでも無いよね。
小銭で善意は届かない。
善意を届けるにもコストが掛かるんだ。
やりたい奴だけがやればいい、だが強制も説教もごめんだ。
http://anond.hatelabo.jp/20070327073912の方へ。
お話を伺っていて思い出したのですが、「人間は考える葦である」という言葉、パスカルでしたね、人間とは自然の中ではとても弱いものである、しかし考える力を持っているというお話です。
私たちの先祖は、二本の脚と二本の腕と一つの頭=考える力でもって、厳しい環境の中を生き延びてきたのでしょう。それを思えば考える力の大切さにもうなずけますし、「考える力が無い」ように見える女性たちに何か言いたくなるのもごもっともです。
しかしそれだけに、貴殿の考える力の使われ方がもったいないような気がしてならないのです。余計なお節介かもしれませんが、もしよろしければお聞きください。
「分からないこと」に出会ったときこそ発展的な思考が必要である、ということに、私はむしろ賛成です。しかし、さらに、自分が「分かっている」と思っていることに対しても発展的な思考が必要である、と私は考えます。
私なら、電車の中で円周率の問題を茶化している若い女性たちを見て、「ああ、考えてないなあ」と思うと同時に、「待てよ、考えてる考えてないっていうけど、『考える』って何だ?」という問いを放ちます。自分が無自覚に持っていた「『考える』とはこういうことだ」が揺らぎ始めます。そこから問いが広がってゆきます。
・「考える」って何だ?
・他人が「考えてる」か「考えてない」かは、どうすれば分かるんだ?
・問題文を見たとき、何をしていたら「考えてる」ことになるのか?
・頭を抱えて唸っていたら「考えてる」ことになるか?
→×。それなら俺もいくらでも頭抱えるよ。何も解決しないけどね。
・時間をかけていれば「考えてる」ことになるか?
→×。暗算で一瞬で因数分解ができる子が「考えてない」ことになってしまう。
・そもそも問題に答えようとすることだけが「考えてる」なのか?
・他にもいろいろなことを「考えてる」んじゃないのか?
→仲間とのコミュニケーションとか、すでにあるものを利用する効率性とか……
さらに、「そういえば今の若い女性はだいたいこんな感じだなあ」と感じたとします。そこにも問いをぶつけるチャンスがあります。「それは本当か? 本当だとして、なぜか?」
・それは本当か?
・自分がそう感じてるだけではないか?
・自分がそう感じたのはなぜか?
・他の人はどう思っているか?
・どんな調査をしたら本当だと確かめられるか?
・本当だとして、なぜか?
・それは本当か? 本当だとして、なぜか?
・それは本当か? 本当だとして、なぜか?
・世の中がブラックボックス化しているからでは?
・そもそも人間にはそれほど知的探求心がないのでは?
まだまだ書けますがこんなところで。さらに「彼女たちが老いてからが心配だ」と思ったら、そこからも問いが始まります。「老いたら何が心配なんだ?」
・老いたら何が心配なんだ?
→若さのエネルギーがなくなって、独立した生活が立ち行かなくなる
→人を惹きつける才能のようなものかもしれない
・若さがないと独立した生活が立ち行かないのは問題じゃない?
→そう! だからこそ考える力がね
・だから考えるって何さ?
・どうやってそれをもたらすの?
・別に考える力でなくても、若さなしで独立した生活が立ち行くようにすればいいんじゃ?
問いは行きつ戻りつしながら絡まりあってゆきます。
私が貴殿の考える力をもったいないと思うのは、
・「考えるって何だ?」の問いについて、「考えるとは書かれた問題を検討することである」の段階で止まってしまっている。仲間たちに気を使うことも「考える」かもしれないのに。
・「本当か?」の問いが出ていない。考えてないのは一部の女性だけかもしれないのに。
・「本当だとして、なぜか?」の問いが出ていない。特に、知的探究心を持つことが女性にとって不利な社会だからでは? といった「社会の側から見た」問いが出ていない(これはフェミニズム的思考だと思いますがどうでしょう)
・「老いたら何が心配なんだ?」の問いについて、「なぜ若さが人を惹き付けるのか」→「なぜ若さが魅力になってしまう社会なのだろうか」という問いが出ていない。
このように、問いに大きく抜けが出来てしまっているからです。もっと「考える力」を使う余地が、必ずあるはずです。
他人は当然ブラックボックスであって何を考えているかわかるわけもなく、こちらから突っついたり、あるいは普段の挙措を見、周囲の状況とそれに対する反応を見て「何をされたら嫌がるのか、喜ぶのか」という無数の類例を積み重ねて、どういう思考パターンをしているのかというのを推測するしかない。
普通の人間は無意識にそういった学習を積み重ねることで、ある程度は周りの人間の行動や反応を推測できるようになっている、というだけの話。他人の考えが最初からわかっている人間などいるわけがない。
おのれが幸せに生きるために、多少はそういう能力を身に着けておいたほうがいいと思うが、そういうのが出来ない人もいるだろうし、そういう人は、計画的に、他人との関わりが最小ですむような人生設計をすると少しはマシなんではないか。あるいは同類が相手ならばうまく付き合えるだろうから、そういう場を探すか。
コミュニケーションテーマの傑作SF「グッドラック 戦闘妖精雪風」にて、主人公が女医に「君がなぜ怒るのかわからない。胸に感情/思考の計器をつけていてくれると助かるのだが」といったようなことを冗談交じりに言うシーンがある。
返ってきた言葉は「計器があってもあなたはそれを見ようとしない。あるいは、見ても理解できない。そういう人なのよ、あなたは」
いろいろと示唆的なので読んでみれば面白いかもしれない。一巻が「戦闘妖精雪風<改>」、二巻が「グッドラック…」、早川SF文庫。
久々に興味ある話題なので転載してまとめるよ。
巷で蔓延するニセ科学批判。多くの人間の共感を呼んでいるが、実は問題はそう簡単なことではない。
確かに、追試により証左を求めることが出来ない科学は全て『ニセ科学』だ!
と、定義できればこれほど簡単なことはない。
実際、そのような定義が正しいとは思う。
しかし、科学者自身がニセ科学を批判するには人類が築き上げてきた科学は脆弱すぎる。
科学がニセ科学を糾弾できない真の理由はを知るには『進化論』問題を見れば解るだろう。
なぜ進化論がニセ科学かは、具体的に事例を出してゆ行けば自ずと結論がでるのだが、これは実に根が深い問題である。
人と猿は近い種と考えられているが子供を作ることは出来ない。そこには明確な断絶があり、どのような手段で『進化』がこの壁を乗り越えることが出来たかは今だ明確な説明できない
猪から豚が、狼から多種多様な犬が生まれたからといって、進化はあると言うのは紛れも無いニセ科学的な論法である。事、人間に関してはミッシングリンクなどと言う名称までつけて事の解決を図ろうとしているが、これは現在は実証しようがないと認めているに等しい行為である。
進化論をやっかいなニセ科学にしている理由に多種多様な化石の存在がある。
そして、始祖鳥を筆頭に恐竜から鳥が、魚から両生類が、両生類から爬虫類が…と言うように進化したと言われている。しかし、これを証明できるほど遺伝子工学は進歩していないし、結論は別のものであると考えたほうが遥かに健全であろう。今の段階でこの希望的観測を学校の授業に取り入れるのは間違いである。
クローン猫の事例を出せば納得してもらえるだろうか。
恐らく多くの人間は遺伝子が同一なクローンはオリジナルに極めて近い性質であると考えたであろう。
私もそう予測した。
しかし、実際は違った。模様から性格に至るまでそれは明確に別の固体のように振る舞い、一卵性双生児のように極めて近い存在とはならなかった。しかし、同じ遺伝子であることに間違いは無い。細胞の寿命に関する機能が原因ではないかとも言われているが、多くの遺伝学者、識者が予想もしなかった結論がでた。
つまり、当時のクローン技術で予測された結果は正しくはなかったと言うことだ。
科学とは証左できない存在を排除するプロセスを経て初めて機能する具体的事例をここに出した。
しかし進化論では、状況証拠から結論を予測するしか出来ない。これは間違いを必然的に孕む手法であり、何より間違いを正す手段が無い。
更に言えば、進化論を形作る多数の証拠には扱いに困る物も多い。
例えば、中国政府が北京原人は実在すると主張し続ければ北京原人は存在することになる。(証拠が既に紛失してしまったので検証しようがない)
◆進化論の背景
現在、進化論のような理論が提唱されても学会で否定されるであろう。
このような証左を求めることが出来ない存在は現在の科学では入り込む余地がない。
しかし、これは当時の時代背景を考慮に入れなければ説明できない問題である。
実は科学とはアインシュタインの相対性理論をターニングポイントにその性質がガラリと変わっている。
それまでは、科学には無限の可能性があり、明らかに出来ない事象は存在しないと信じられてきた。
しかし、このドイツ出身の物理学者が提唱した相対性理論によって、そのことが明確に否定されてしまったのだ。ビックバンと呼ばれる宇宙開闢以前の時間が存在しない『モノ』の考証を物理学は放棄した。
これは、当時の科学者には相当な衝撃であり、決して受け入れられないと考えた学者も多かった。
しかし、誰一人、論理的にそれに対抗できる概念を作り出すことが出来なかった。
(その残滓がタキオンやエーテルと言えば理解できるだろうか?)
さて、話は戻るが進化論はアインシュタインの相対性理論発表前にダーウィンが提唱した論文が発端になっている。科学が万能であると信じられた時代の遺物。まだ、科学が錬金術と近い間柄だった時代に生まれた存在である。
はっきり言ってしまえば、進化論とはアインシュタインが科学の万能性を否定する以前の学会だからこそ認められた存在であり、これは科学というより歴史学といったほうが良い代物である。
◆本文を書こうと思った背景
ちょうど大阪大学の菊池誠教授の『水からの伝言』でニセ科学が話題になっていたので常々思っていたことを文章にしてみようかと。それまでは、非常にナイーブな問題で、米国のほうではインテリジェント・デザインとかいう物まで生まれてしまうほど議論にさえならない状態だったこの問題に区切りをつけて、科学とニセ科学を明確に分けたい!という衝動から書かれた文章。
伝えたいことは進化論の科学的な証明プロセスはありえない存在であり、進化論を科学と扱うことを否定して貰えればそれでいい。
進化論が流行らせた最大の間違いは何か?と聞かれれば私は獲得形質を挙げる。
既に遺伝学的に否定された獲得形質ではあるが、
この考えが根本となり、ナチスの優生論が生まれ、多くの人間が犠牲となった。
淘汰は自然には起こらず明確な人の意志によって行われたのだ。
(追記)
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20061226222936
実はこの手の話は感情的になる人間が必ずいる。しかし、大事なことは追試をどう行えば進化論が肯定・否定されるかを彼らが提示することはないという事実だ。
私は進化論が間違いだと言っているわけではない。そもそも進化論は否定する必要さえない段階の説なのだと言っているのだ。
タイトルが釣り過ぎという指摘はその通りでございます。賢い貴方に乾杯。
07:41:09-12/27(水)/2006
インテリデザインという不正確な表記をインテリジェント・デザインに訂正
14:11:45-12/27(水)/2006
【A】に対して。
科学の中でも追試が行われ易い分野とそう出ない分野がある。これは、時間スケールが関係しているよ。長い時間をかけて出来るような、天文学や進化の関連では検証が簡単ではないものが多いです。
でも、進化でも検証されてきてる分野はでてきてる。たとえば、大腸菌を使った進化を検証したものでしょう。だから、まったく、追試が出来ないかと言えばそうではない部分も持ち合わせているようです。それ以外にも社会性の昆虫の分野の性比の問題なども進化的な検証から成果を上げていますよ。パルサー天体のようなものもあるくらいだから恐らく、天文も同じでしょう。また、検証が難しくとも現存するデータで理論が正しいかどうかを確かめる為に統計学を利用しているが、20世紀半ばの集団遺伝学を引っ張ったフィッシャーのように統計学へかなり影響を与えたような事も産まれている。
科学ってものは未解決なものをといていく事で知見が深まっていく。未解決な例を上げて、否定する論法は偽科学と科学の関連でよく使われてるが、それでは説得力が乏しい。たとえば、進化が関連しそうな未解決なものを進化的な方法を取り入れずに解けたならそれは一つの有力な考え方になるだろうし、進化を否定する事につながるかもしれない。要するに、他の方法で未解決なものを説明する試みをしてみないと行けないです。もちろん、インテリジェントデザインのように、超自然的な存在がそうしたのだ。と一言で言われたら、変わりの未解決問題の解決説なのかもしれないが、ここで大きな問題は、超自然的な存在を持ち出す事によって、ブラックボックスを常に作ってしまう事にある。
このブラックボックスってのは、何か都合が悪い事があれば、超自然的な存在の影響だと言う捉え方も可能だし、逆に良い事があってもです。そうする事によって、それ以上の知見を求めない事に問題があると考えていますね。もし、超自然的な存在がいたとしたら、知見を深める事をタブーとはしないと思うけど。倫理的な問題はちょっと別だが。思考を止めて盲目的に信じる事がどのような事に通じるかそれは書かなくてもわかる人が多いだろう。
ただ、偽科学と科学の間にある対立で残念なのは、相互理解が全くないところにある。偽科学だと言われてるものたちが科学(=科学的手法)に対して誤解があるし、科学者が偽科学に対して攻撃的なだけのことも多い。科学じゃないけど、感情的な理解を少しはしていかないと理解はされない。情緒と論理の間の対立のようなものだ。ただし、科学への誤解が解ければ、おそらくニセ科学の多くは科学の顔をしないようになるだろう。
【A】に対して。
そもそも一卵性双生児の性格がまったく一緒かというと、そんなことはないわけで、つまり性格は遺伝要因と環境要因のうち後者の影響が大きいと考えられます(通常は似たような環境で育つので近いものになるとは思いますが)。昔の人はいいことを言った。「生みの親より育ての親」
模様については以下を参照のこと
http://plaza.rakuten.co.jp/kemusiro/diary/200608170000/
素人考えで性格も模様も一緒になるはずと考えるのは勝手ですが、みんなもそう思ってたと考えるのはどうかと思います。どちらも知識さえあれば事前に予測できたことです。昔の人はいいことを言った。「下手の考え休むに似たり」
以下蛇足。
この手の文章を読むと、だいたいどういう方面の人かというのが分かるのだけど(インテリジェントデザインがキリスト教右派の主張の焼き直しにしか過ぎないことがバレバレなように)、この文章はどうも分からない。分からない原因は対立概念が書いてないからだと思うのだけど、「進化論」がニセ科学だとするならば、人間その他の生物はどのようにして発生したと考えているのでしょうか。そこを詳しくききたい。
俺にとって「反証可能であるか」「追試可能であるか」どうかなどどうでもよく、
血液型性格判断も、マイナスイオンも、ゲルマニウムも、水への言葉も
「ナゼ」「どのような仕組みで」と言う部分をすっとばしているから「科学ではない」ではない。と言いたい。
「理由はよく分らないのですが、こうするとこうなります」
ではただの経験則であって、万人に通用するかは分らない。
「B型は身勝手だから」「マイナスイオンは体にいいから」「水が人の心(の波動)を受けるから」
全て「どのような仕組みで」をすっ飛ばしている。
だから『科学ではない』これではいかんのか。
ひとつの理由。
偽者と本物が同じ土俵に立つわけにはいかない。
同じ土俵に立って戦えばピエロになるだけ。
科学とはできないを突き詰めるもの。
可能性を夢想するものではない。
科学は万能などではない。
我々にはできないことの方が多すぎる。
だから前提条件が必要なのだ。
空を飛ぶ為には人間が両手を広げてブーンと言うだけでは飛べない。
これは前提条件だ。
「人間が飛べない」というものを証明したものではない。
同じ論点で、宇宙人がいないと断言するのは間違っている。
「宇宙人は少なくとも確認されていない。」
科学からすれば、それ以上でも以下でもない。
それを「居る」と断じる人たちと戦おうとするのが間違っているのだ。
「居る」「居ない」で戦おうとする人たちに
「いまは確認されていないのでは?」と問う声は届かない。
すべてはおまじない程度の可能性。
すべての可能性は否定はしない。
テレビが映るのを不思議と思わないのに幽霊を見るのは特殊な才能だと思っている。
そんなアンテナ感度の違う人たちと同じ土俵で戦えるわけがない。
仮説にもなっていない言説ということなんでしょうか?
かせつ 0 【仮説】
〔hypothesis〕ある現象を理論的に統一して説明するために立てられた経験科学上の仮定。その真偽の検証は、仮説から必然的に演繹(えんえき)された諸命題を実験や観察によるテストで確かめることによってなされる。検証された仮説は法則や理論として公認される。