はてなキーワード: バックボーンとは
結局、その「科学的な説明」が与えるインパクトで判断している気がする。
あとは、その説明を語る人間の立ち位置、なんてのも気にしてる。
「商品を売りたい」とか「情操教育をやりたい」ってのがミエミエだったりすると、途端に嘘臭く見えてしまう。
もちろん、上記に当てはまらないパターンも数多くあるし
「科学的かどうかを見分けるのに、非科学的な方法に頼るのはおかしい」という反論も予想できる。
でも、科学リテラシーを持ちえない一般人には、このレベルでしか見分けがつかないように思う。
言うなれば「雰囲気の暗い路地裏には入るな」と同じようなニュアンス、かな?
ここには理系に強い諸氏が多いと思うので、どのようにして判断しているか興味のあるところ。
数学なら答えが決まってるから正否があるけど、国語はなんでもありだからな。
世界観の中でならなんでも言える。
に対して
数学でも1 + 1 = 2 じゃないことだってあるでしょう?
と返せるのが国語力です。
少し説明するね。
下の返答は、ざっと見ただけで以下のようなことに配慮して書かれていることが分かる。
・その相手に分かるような用語を選び
・断定を避けて相手の感情面に配慮し
・逃げ場を用意して譲歩を引き出す
もっと言えば、『相手の思想的バックボーンを類推し、その相手に分かるような用語を選』ぶためには、普段から様々なフィールドの「言語」に高い関心を払っておく必要がある。数学の話に乗れる、というだけでなく、『臨機応変に』『数学の話にも乗れる』ことが重要。
繰り返しになるが、こういうのを総合して国語力という。たとえて言えばスポーツに似てる。たとえば、テニスでは「こう打ち返せば正解です」…とは教えないだろう。どんな態勢・状況でもきちんと打ち返せるように最低限の基本(漢字の読み書きみたいなもんだな)だけは教えるけど、実際の試合(読み)に入ったら、単純に「こう打ったから不正解」とは言えない。
そんな風だから、『正否とそれにたどり着く方法が明示できる教科』とは(教育の)方法論が異なるのは仕方ないさ。
同居人と一緒に住み始めて一年が経とうとしている。当時彼は自宅がなく、会社の倉庫兼マンションに間借りして生活していた。家がないのはあそこら界隈では有名だったそうなのだが、私があっさり招き入れた事によって彼の放浪生活は終わりを告げる。
彼と初めて会った時、私は彼のバックボーンについての情報は一切持ちえなかった。ただ彼そのものが持つ数々の反応があるだけ。守るものが自分しかない私にとっては、あちらの反応による勘みたいなもので十分だったのもあるが、周囲は「なぜ彼なのか」と不思議がった。わざわざバツイチで別居してはいるものの子が3人もいる40代と付き合わなくてもよさそうなものなのに。
昨日、色んな人と話をしていて、なんとなく感じた事は、彼と私はシェアではなく「女の家に転がり込んだ」と思っている人が多いのかもしれないなあという事だ。彼と私はかかる経費完全に折半だよという件を伝えると、目の表情が変わるのがおもしろい。
あげまんと言ってくれるのはうれしいけど、私は慈善事業家でもないし、恋愛依存体質でもない。働かざるもの食うべからず、同居人には、昼の仕事をクビになったら一人暮らししてくださいと言ってある。相手を養ってやるところまでは惚れていないし、勿論私も扶養してほしいとは思っていない。
ただ、心のより所をあそこらへん界隈に依存していた彼にとって、帰る場所がないという現実は、より強く依存を強めることになりかねない。二度目に会った時、別居している子どもの事をうれしそうに話す彼を見て、この人に帰る場所を作ってあげなくてはいけないと思った。前にどんな結婚生活をしていてダメになったのか、全貌を知ることはかなわなかったが、それが、彼と同居をはじめようと決断した大きな理由なのである。
ってこんな湿っぽい事、呑んでる席で言えるわけねーじゃん。あはは。
やっぱ、女にモテたい!って内容のエントリーが伸びるのは、それだけ皆必死なんだろうけどさ。
今俺は、とりあえず相手がいるからいいけど、いないときは同じ心境だった。マジで、色々試行錯誤した。
恋愛教則本とか買って、必死にその通り実行した。その本の作者がアメリカ人で、あっちの文化とこっちの文化ではズレがあるような内容の部分でも構わず実行した。
それが実ったかどうかは良く分からんけど、なんとか彼女は出来た。
とにかく言えることは、とにかく行動するしかないってことじゃねぇかな。どーしよーもなくダセェ奴は、まず服装から。次に髪型とか眉毛とか整えてそれなりにフツーの見た目に戻すことから始めろ。
やっぱ時代によって、フツーの格好ってものがある。それをうまく取り入れないと女から「あいつは駄目だな」って烙印を押されてしまう。
結局は、人間なんて見た目から入っていくもんだ。その見た目で躓くと後で取り返すのは、かなり厳しい。就職の面接だって一緒だ。第一印象が大事だとどこの転職サイトでも言ってる。
第一印象が大事なワケは、それ以外に情報が無いからだ。まだ話したこともない、この人がどんな人なのかまだ分からない。だからとりあえず判断できる見た目からという流れになるんだ。
どんな不細工だろうが、ある程度着飾ればそれなりにはなる。太ってる?甘えんな、痩せろ。ここで言ってることはとりあえず中肉中背の奴に限ってだ。
とりあえず、見た目がまともになったら、モテる友達を頼れ。モテる友達ってのは、それだけ回りに女がいる。だから合コンや紹介のチャンスも多い。コバンザメみたいなやり方だが、ナンパみたいな精神的ストレスはある程度軽減される。それにモテる友達っていうバックボーンがあるから、女の方もある程度こっちに対して安心をしている。
何?モテる友達がいない?今まで、ヲタクみたいな連中とばっか集まってたから、そんなイケメングループの友達なんかいないだって!?
だったら一人で頑張るしかないな。つーか今からイケメンの友達を作るしかない。どうやって?とりあえず、週末のクラブとかそーゆー場所に行ってみろ。カッコよさげな人いるから。
「クラブとか無理!」とかは無しね。俺なんか出会い求めて毎週一人で行ってたんだから。もちろん最初は緊張しまくったから店入るまでに、2時間ぐらい店の前をウロウロしたりしたけど、徐々になれてくから。
とりあえず、カウンターのかっこいい兄ちゃんと知り合いになれたし、女にも逆ナンされてお持ち帰りした事もあった。あーゆー場所ってなんか酒のんでて皆良い気分だからな。
うだうだ書いたけど、行動したらそれだけ結果としてやってきたことが残る。お洒落するために服買ったり、髪形整えたりするのは形として残る。以前の自分とは違う形になってる。んで、だんだん精神的にも徐々に自信がついていく。
ちょっとづつ自信をつけていって、クラブとかに行ったりも出来る。だからいきなり彼女はできるもんじゃない。それなりのステップが必要なんだよ。とりあえず彼女つくるまでのステップは10や20なんてもんじゃない。細かく分ければ1000ぐらいのステップがあるもんだと考えて行動しろ。
何事もうまくいくという自信がもてるまで、動かない生き方をするより、当って砕けろで失敗しながら生きていくほうがはるかに成長できる。失敗はやっぱり嫌なもんだ。ストレスになったりする。だけど、同時に貴重な経験が出来る。知ってると知らないとでは、次に動くときに大きな差が出る。
http://browserjs.blog102.fc2.com/blog-entry-676.html
この記事を書いた人の客観性のなさに驚いた。
この人何やってる人?
google・youtube知らないってのはさすがに驚いたけど
(ニュース見てれば一般常識として普通わかるだろ)、他は知らなくて当然。
自分がパソコンできるからって、他の人も同じようにできるわけじゃない。
同じパソコンを5年やってる奴でも、
パソコンが好きな奴と、ケータイの延長でただの道具としてしか見てない奴では、
知識量が違うのは当然だし、後者は技術的なバックボーンになんて目が向くはずがない。
俺はWEBデザインやってて、初心者のクライアントとやりとりする機会が多いんだけど、
メールの書き方も知らないし(署名がないとか)、添付もできないし、
これでHPもっちゃって大丈夫なのかなぁ・・・って思うことが結構ある。
僕は哲学とか宗教とか倫理観にちゃんとしたバックボーン(哲学科とか)がある訳ではないので、諸所の綻びがあるとは思いますが、お手すきの方に読み流して頂ければ……。
「百億の昼と千億の夜」(光瀬龍)とか「幼年期の終り」(クラーク)を読んでいて、輪廻転生であったり解脱に対してのちょっと角度の歪んだアプローチを思いついたので、メモがてら書かせて下さい。
『こんなん全然新しくねーよ!』な方は、既に語られてるそっちの説について教えて頂けると嬉しいです。読みにいきますw
以前はてなでバークリを教えて頂きまして、非常に楽しませて頂きました。今回も新たな発見に期待。
「解脱」っていうのは、一つ上の次元・階層で目覚めること。なんじゃないかと思ったんです。
例えば細胞って、それ自体生きてるし分裂という形で繁殖も世代交代もするじゃないですか。だけど細胞たちは自分が「"僕"の細胞60兆分の1」である意識は無い。(…と、思う)
だから、僕らが"細胞"的な存在でない、とは言い切れないよなー。と時折思うのです。
"国家"(←これはちょっと違うか)とか"地球"が、"宇宙"にとっての心臓とか肝臓みたいなものかもしれないし、むしろ"銀河"がもっと上の何かの胃かもしれない?
個人的には、その"もっと上の何か"が「神」なのかなー、なんて思ったりもしますが。
だから"細胞"である僕らの1サイクルが終わったときに、次はその一個上の"僕"(仮に"神"としましょうか)の意識として目覚められたらいいな、と希望的に思います。
・人間として死んで、人間に生まれ変わる("細胞"→"細胞")のが「輪廻」。
・人間として死んで、上の階層に生まれ変わる("細胞"→"神")として目覚めるのが「解脱」。
……って解釈はどうでしょう?
同期入社の男はブサイクだろうがハゲだろうがアイドルオタだろうが全員美人と結婚した。
きちんと家庭を守って料理作って子育てする美人妻っつーものが現実に存在すると知ったよ。
スイーツ(笑)とか言うけどさ、ちゃんとした家庭で育ったお嬢さん達が男を年収と脳みそ(DNA)で選んで子孫を残すワケだ。
稼ぎがあって専業主婦も教育費かけて子供育てる環境もあればいいんだよね。
有名無名問わず学歴も問わず、ただ福利厚生の手厚い会社の正社員になれば。
なれるだけのバックボーン(親族が系列企業や取引先の偉い人)もってれば。
と30代喪女な私が言ってみる。
私は5歳で「いかず後家と後ろ指差されながら生きる」決意してる。貯蓄は1000万、全然老後に足りない。嗚呼。
そういうところの既婚子持ちは夫婦喧嘩なんて当たり前、DVやら摂食障害やらPTSDやら、ありとあらゆる不幸にまみれている。子供が可哀想だから、10歳になるまでかろうじて離婚はしていなかったりとか、むしろ独身のほうがうらやましがられたりしてる。
ただ、そんな不幸にまみれた参加者の中には、幸せになった参加者がいることもある。そういう人も、かつては不幸にまみれていた自分が、なんとかかんとか這い上がって回復してきた人。だから、どうやってその人が回復していったか、みんな共有できる。そういう不幸の先につかんだ幸せは、根っこは同じだから理解しあえる。
最初から幸せな人はそんなところには現れない。必要ないから。
思うんだけど、ある個人史の終焉という文章は、そういう自助グループ的なものが必要ない人が書いた文章だから、我々が持つ不幸のバックボーンがない幸せに対しては本当に憤りを感じるし、攻撃したくもなる。
でも、そういう人に向かって攻撃しても何の意味もないんだ。もちろん、今でも攻撃する気持ちは痛いほどよくわかる。でも、それを表だって表明したところで何の解決にもならないことは、自分自身よくわかってるのではないかと思う(ただわかりたくないだけで)。
医者やカウンセラーは、本来歩く手助けだけする立場にあるのだけど、たぶん強引に引っ張る医者とか、ひたすら意見を押しつけてきたり、気づきを提供せず本当にただ聞くだけのカウンセラーに当たったんだろうなあと思う。
必要なのは、他人によりかからずに自分の足で前に進めること。他人は決してゴールへ連れて行ってはくれないけど、自助グループは、その最低限のルールだけ守れば、あとは背中をそっと押してくれたり、ゴールの方向を指し示してくれたり。もちろん相性はあったりするけどさ。探していけば、相性の合うグループも案外うまいこと見つかったりするよ。
http://www.youtube.com/watch?v=XL2od1AF_Cs
http://stage6.divx.com/user/Cryogenics/video/1045696/Heavenly-Star-Genki-Rockets
元気ロケッツって、正直オーソドックスすぎ、っていうか端的に言って古くね? そのくせハウスなのに1番2番があるんだぜ?
【前提:元気ロケッツのプロデューサーの水口哲也氏は元セガで「スペースチャンネル5」とか「Rez」、「ルミネス」のディレクタやった人】
【今日のサマリ:ゲーム音楽側からのダンスミュージックへのアプローチは、かなりポテンシャルが高いんじゃないのか。90年代に音ゲーが蒔いた種が、需要と供給の両方で芽生えようとしている?】
えっと、最近思ったのは、こういう「ポップのジャンルに真っ正面からハウスで切り込んでいこうとする人」がゲーム方面から出てきたっていうのは実は重要なんじゃないのかな、という。だってLive Earthのメンツ見てみなよ! 大塚愛と倖田來未にはさまれてるってことは、もう弩ポップの戦場で殺りまくる気満々でしょ!
[参考:http://liveearth.jp.msn.com/event/default.aspx]
で、いまマクドとかで有線聴いてると分かるんだけど、けっこうJ-POPに四つ打ちのリズムは浸透してる。むしろ安室やんを筆頭にロック以外だとだいたいそう。
でも、J-POPの中で真っ正面からハウスをやる人はあんまりいない。今さら恥ずかしいってのもあるのかも。ダンス道を行く人たちはもっと先に行っちゃったし、J-POPの人はそっちに愛情とかないし。例外はパフュームくらいか。でもアレもライブ行くと分かるけど、8割方アイドル消費されちゃってるしな(それもひとつの方策だが)。
で、なぜゲーム畑から?
っていうのがあって、それは'90年代後半からリズムゲームが掘り起こした(細々とした)四つ打ちの鉱脈があるんじゃねえかなあ、と。
ここですこし脱線。
この話を逆からすると、8bit music(チップチューン)の隆盛、になる。つまり電子音楽からの、ゲームへの接近(ダンスからのロックへの接近がビッグビーツで、ロックからのダンスへの接近がニューレイヴみたいな)。ymckでもトンガリキッズでもなんでもいいんだけど、そこでは同じように原点回帰運動が起こってる。手法=音源ツールの原点回帰だね。ラップトップであらゆる音がエミュレートできるにもかかわらず、あえてFMPSG音源。あえて80年代。これの真逆のパターンが元気ロケッツで、ミニマルもノイズもあるのに、あえて直球ハウス。あえて80年代。みたいな。
[参考:http://micromusic.net/<(音でるよ)]
でもその関係が表裏一体なら、同時に起こってしかるべきだったのに、なぜ8bitに数年遅れて「今」なのか?
これは単純に作り手の帰属の問題だ。
んじゃゲームの四つ打ち鉱脈の話にもどろうか。たとえばBeat Maniaシリーズなんか(まあ後期は自家中毒で奇形化したけど)、すごく真っ正面からダンスミュージックをやってた。なんでかっていうと、ビートが強くないと指がつかない=機能性重視=ダンスミュージックの原点回帰ってのがあったんだと思う。ここでも原点回帰。ん、まあ初めてのトライをするときは初級から、というだけの話かもね。
ここでまた少し脱線。トニーティー先生こと七類氏に教わるまでもなく(『黒人リズム感の秘密』は希代の名著なので、すこしでも音楽とかダンスとか身体論に興味がある人は読んどいたほうがいいよ)、白人のダンスは下半身、黒人のダンスは体幹、アジア人のダンスは上半身を原点とする。それぞれ社交ダンスのステップ、レゲトンのムーブ、パラパラの手踊りを思い起こしてもらえればいい。その意味で音ゲーってのは日本人によるダンスの再獲得だったのかもなぁ、ってこれは妄想&本質主義にすぎるか。
[参考:http://www.netjoy.ne.jp/~skikuchi/intro/18/kokujin_rhythm.html]
そうそう。「作り手の帰属の問題」の話をも少し詳しくしとこう。なぜ今になって、ゲーム側からハウスミュージックが出てきたのか、という話。
これは単純に経済的、社会的な話で、ゲーム音楽というのは社員が作ってるからだ。「た」からだ、かな。社員である以上は、個人的に作った音楽作品を、商業流通にのせるなんて、もってのほかだ。またもし許されてたとしても、労力の配分として「お遊び」としてしかできなかっただろう。ところが00年代も半ばに入って、音屋として90年代音ゲーを支えてきた層が、年齢的な部分もあるだろう、数年間の業界不況も影響してるだろう、独立をはじめた。これはちょっとした鉱脈じゃないか?
てなわけで、顧客、人材双方に四つ打ち耳になってる人は一定数いても良いような気がする。だからこそ、いま元気ロケッツみたいなユニットが出てくる必然性があるんじゃないのかな。
80年代歌謡にバックボーンを持ったつんくが、そのルーツである70年代ディスコを復古させてモーニング娘。を世代のアイドルに仕立てたように(だからパフュームには期待してるんだが)、
90年代音ゲーを作って/消費してきた人たちが、80年代末〜90年代初頭のダンスミュージックをもう一度ポップのフィールドに持ち込んで成功するんじゃないかって。元気ロケッツはその嚆矢で。
みたいな。ハウス中毒患者の無調査の仮説です。しかも自分はそれほど音ゲーにはまったわけではないので屋上屋もいいところ。偽史偽史アンバランス! 略してギシアン!! みたいな。
ツッコミ募集中。
本質的に話題にした先生がそれを理解していないのが困るんだよ。アドレスはアドレスは。はいアドレスはそうですね。で、それリーチャブルに保てるようにするにはルーティングプロトコルをまた変えるんですか。BGP4も93年頃からバックボーンで使われるようになったEGPなのでまだ15年たってないとはいえねぇ。いまでも経路集約で頭悩ましてるのにどうすんだ。パンチングホールも完全排除か。
それ以前にマルキシストとケインジアンのいう経済学は聞く気がしない。ほとんど古典物理の完全剛体で演習問題やってる気分だ。このネタだって「何が」社会的費用になるかすら記述がないなんて妄想経済学みたいなもんだ。もういいよ新古典派とあくまでも闘争していればいいよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070605172952だよ
http://anond.hatelabo.jp/20070605175212
そうそう、世代や地域によってぜんぜん違うんですよね。
それを、さもみんなバックボーンは同一だと乱暴に扱われるのがイヤっていう点がちょっと疎外感とは違う感覚な気がして、別名を考えようと思いました。
おそらく、やってる方の人間は、それがすべてだと思い込んでるんですよね。給食といえば揚げパンだと、委員長といえばクラス委員で真面目な女子がなるもんだと。
http://anond.hatelabo.jp/20070605174909
ほんと東京中心ですね。
一応関東地方出身なんですが、やっぱりぜんぜん違いますね。
関東でこのレベルとなると、もっと地方に行くとどうなることやら。
地方の話題でも、数の多い東京の人間はおいしく消費出来ちゃう。方言とか、おいしくいただかれちゃいましたね。
逆は成り立たない。なんだかね。
例外っつうかおまえさんはどういうところで働いているんだい?
個人的な経験から言えば能力に男女差はないとおもう。
局面によっちゃ、私情を挟まずに処理する女性の方が強い場合もある。
もしかして、君のまわりには飼い殺された女性しかいないのかな?
個人の力でどうにでもできないと悟ると動物は無気力になるそうだ。
君のまわりは、たぶんそんな環境なんだと思う。
能力に差はないがバックボーンには差がある。
たぶんそういう環境で仕事を続ければ女性であるがゆえに能力を獲得できないということもあると思う。
いっそ、男だけの会社にすればいいとおもう。
一昔前は女性は消費者金融からしかお金を借りられなかったが、昨今はそのようなことも表ざって行われなくなったので、起業もしやすくなっている。女性経営者は近年急激に増えているので女子はそのような会社にいくのがいいんじゃないかな。
当初は売春婦っていう具体的なトピックがあったけど、もういろいろ幅広い事象を含めた差別っていう一般概念にまつわる話になってるので、なんか書かれてることが軽くてしょうがなくね?
ネット上では、「誰が書いたか」よりも「書かれた内容」信者が多いからしょうがないのかね。喩え話ではあるが、同和地区も、外国人労働者も、ゲイもレズビアンも、射精産業も、ゴミ処理場も食肉工場も、何にも身の回りにない小奇麗な住宅地で育ったような高校生に「差別はよくないですよ!」とか言われてもな。「(……)あー、そりゃあ差別はよくないよ!」って、大事なのは(……)だろう。
もちろん性別や貧富の差なども差別の対象になるわけだから、まったく差別に無縁で育った人間なんていうのは想像しようがないけど。そういうのも含めて、やっぱりこういう問題って人それぞれがかかえるバックボーンを抜きにすると、本当につまらないんだよなあ。というか、書いてる人たちの論の食い違いを見ると、そういう温度差抜きに差別語り合ってるからじゃんとも思える。
あ、「差別を知ってる俺の書くことは正しい」ということじゃなくて、意見を読み解く際の参考にさせてもらうということだからね。念のため。ちなみに僕は20代後半の関西生まれ育ち、身近な得意分野は同和と在日。