はてなキーワード: かせらとは
初動捜査
「3cmとは曖昧な・・・。それはもしかしてプニってことなのか・・・?」
新たなる情報
「何!? ガイシャは制服で覆われていただと!? ふん、不利な状況になってきやがったぜ」
新人教育
「がんばった!?でもやっちまった!? あぁ!?ふざけんなその時は、一度にがして泳がせるのが基本だろうが!!」
つかの間の休日
「はぁっ(汗) はぁっ(汗)! 谷間に・・・谷間に・・・お願いです。 イサキが!イサキが!」
「ふう、ダルいヤマになってきやがったな。なんか食べに行くか!?・・・・ん?アイシテル・・? 妙だな。ひとつ違っているぞ?」
ふかまる謎
「むう 悩むなぁ。 鋼鉄製の棒状物で、不仲の親子が・・・いや、根拠のない予想はいい加減やめないとな・・・」
部下の急な所属転換。孤立する福星刑事
「あいつも飛ばされたか、ふん所詮おんなにゃまかせられんよ・・・どうせ火照る体を・・・いやいや最近はセクハラとかできびしいんだったな・・・。しかし、驚いたな。もう俺だけか・・・・」
「ダイアン、ここのチェリーパイはまずまずだ。地元のチアリーダーの歓迎をうけ、現在に至る。特に覚えておきたいのはここのチアリーダーたちはかなり・・・その・・センセーショナルだ。彼女らのぶつかり具合は・・・そうとろけそうだ」
「フハハハ、サイゴにワらうのはオレなんだよ!ナニシロせーらーフクだからな ハハハ」
部下たちの声
「うわ、ふくほっさん月曜からきげんわりーなー。やっぱあちーのかな」
捜査は続く
「てめえら!現場に張り付くのが基本なんだよ、ぴったり隅々なめまわすようにみてこい!そら、はりきっていくぜ!!」
効率化っていうのはさ、「いかに余計な事をしないか」てことなんだよね。
無駄を省くってこと。
だからさ、「効率化の為になにをすべきか」なんてのを議題に会議やるのってどうなの?
そんな議題だから、「個人個人が自覚を持つことが大切です、その為に毎日ToDoListとレポートを提出するのがいいと思います。」なんて小学校のオールドミスの先生みたいなこと言い出すやつが現れて、他に考えがない上司が「んじゃそれね」となるんだよ。
その会議が非効率だっての。
で、「効率化の為にこれをやってます」なんて嬉しそうにいうけど、「効率化の為にこれを省きました」ってのを出さなきゃダメだろうが。
何がいいたいかっていうとだな、そんな下らん会議に出たあげく、時間ごとに状況が変わる現場にToDoList入れて硬直化させて、終電真際にレポート提出するののどこが効率化なんだって話し。
で、さっきまでの会議は「ちゃんとやってないひとがいま〜す、ちゃんとやりましょう。」ってのと「もっと効率化する為になにをしましょうか」だって。
どこまで小学生かって話しだ。
会議中、下っ端のくせにちょいと怒ってしまったけど、結局、みんなで決めた事なんだからやろうよ、みたいな話しで無理矢理落ち着かせられたよ。
もうさ、いい大人なんだから、ライフハックとか、啓発本とかで、これがいいっていってたからって俺も!ってすぐに飛びついちゃうような事しないでくれよ。
俺が効率化の為にまず第一にやるべき事を教えてやろう。
業務時間内に「シゴタノ!」とか見ている時間を、他の人が今何やっているのかを把握する事に使え、臨機応変という言葉の意味を知れ。
そして、増田に書込んだりするのも止めろ。
WEB制作を生業にしてる人間からすると、知人に「“ホームページ作ってくれない?”」て安易にいうような会社なら、結果的には値段が高い製作会社に頼んだほうがコストパフォーマンスも高いように思う。デザイン力だけでなく企画力、実現力があって、その価格なのだから彼らは。バスキュールとかさ。http://www.bascule.co.jp/
やりたいことが具体的に決まっているクライアントであれば、ただデザインに起こすだけのオペレーターに近いような制作費の安いところに頼んでも、それなりに元が取れるくらい働かせられるだろうが、何一つ具体的な希望を持たないクライアントが制作費の安いところに依頼しても、そのあいまいさが思い切りサイトに反映されるだけではないかなあ。そうなると、コストパフォーマンスがさほど高くないサイトになってしまう。
自分が親になって、子供に「どうして勉強しないといけないの?」なんて言われたとする。
自分の子供なら自分の性格をある程度受け継いでいるはずだから、自分が子供の時の場合で考えてみる。
どんなに正しい理屈言おうが、情に訴えようが、先生の教え方の問題にしようが、嫌なものは嫌以外の理由はないから、下手に真面目に扱われたら、余計にうっさいなぁと思うだけだと思う。
いかにやりたくない事をやらないで済ますかに全知能の限りを尽している子供もいる。
そういう場合は、もう、有無も言わせず、やらなきゃ殴るというのか、「よし、分かった、んじゃ、やらんでいい。そのかわり、どうなっても知らんぞ。」と、価値観を押し付けるか、突き放してしまうかしないとダメだ。
子供の人権だなんだって、結局やりたくない勉強をやらそうとしているんだから、変に優しい言葉でなだめようとしたって、賢い子供のはそれをうまく利用して、表ではいい子、裏では何やっているんだかってやっていくよ。
殴ったって、裏でさぼったりするだろうけど、どのみちそうなるのなら、ばれた時の事態の重さを知りながらやる方が、なんとかごまかせられるやとか、ばれる事すら想像できないでやっているより、数倍ましだと思う。
オレだったら、まず、自分の責任において勉強しないなら構わないって言うね。
そうすると、オレと同じように実は気が弱いから、しぶしぶながらもやると思うよ。
で、勉強して成績が上がったりでもしようなら、褒めてやる。
嫌がるだろうが、それは照れているだけだろうし。
親に気に入られたいから勉強する。これが心地よいと思う子供もいると思うぞ。
で、それが余計なプレッシャーになって引き蘢ったなんて自分の体験談を話しはじめる奴がでてくるだろうけど、それはお前の場合であって、そうじゃない人もいる訳で、要はね、自分の子供をしっかり見ろって事だけだ。
「なんで勉強しなきゃいけないの?」の答え、または、それを答えないか、なんて事は考えなくったって出てこないといけないものだよ。
この論争に、本当に子供がいる親が悩みながら参加しているとしたら、子供が勉強しないなんて問題よりも、もっと重大な問題を抱えているんじゃないかと思った方がいいね。