数学なら答えが決まってるから正否があるけど、国語はなんでもありだからな。
世界観の中でならなんでも言える。
に対して
数学でも1 + 1 = 2 じゃないことだってあるでしょう?
と返せるのが国語力です。
少し説明するね。
下の返答は、ざっと見ただけで以下のようなことに配慮して書かれていることが分かる。
・その相手に分かるような用語を選び
・断定を避けて相手の感情面に配慮し
・逃げ場を用意して譲歩を引き出す
もっと言えば、『相手の思想的バックボーンを類推し、その相手に分かるような用語を選』ぶためには、普段から様々なフィールドの「言語」に高い関心を払っておく必要がある。数学の話に乗れる、というだけでなく、『臨機応変に』『数学の話にも乗れる』ことが重要。
繰り返しになるが、こういうのを総合して国語力という。たとえて言えばスポーツに似てる。たとえば、テニスでは「こう打ち返せば正解です」…とは教えないだろう。どんな態勢・状況でもきちんと打ち返せるように最低限の基本(漢字の読み書きみたいなもんだな)だけは教えるけど、実際の試合(読み)に入ったら、単純に「こう打ったから不正解」とは言えない。
そんな風だから、『正否とそれにたどり着く方法が明示できる教科』とは(教育の)方法論が異なるのは仕方ないさ。
読解力が問われる教科としての国語とコミュ能力がごっちゃになってる気がする。
「読解力」は国語の一ジャンルに過ぎないし、コミュ能力みたいのを育てるというのはちゃんと学習指導要領に書いてある。 国語を適切に表現し正確に理解する能力を育成し,(→読解...
実際に国語って教科で問われるのはたいていは「読解力」で、みんなそれについての話をしてきたわけだよ。 そこで急に「学習指導要領に載ってる国語」の話を出しても仕方ない、とい...
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