はてなキーワード: ニセ科学とは
春ですね。
A-政治、国際、ニセ科学批判批判、法(死刑問題)、社会、人生相談、IT(プログラミング言語)、ダジャレ、日本語の生死、ネットカルチャー批判、OFFレポ(セックス)、経済
―――「手を出したらモヒカンどもに犯され殺され埋められるライン」
B-医療、性、学問、専門ニュース、株式、新聞・テレビ、アップル
C-ニセ科学批判、法(著作権)、2ch批判(全般)、IT(コード晒し)、音楽、ジェネラルサイエンス、会社、英会話、家具・雑貨、デザイン、大学
―――「慎重にググればなんとかライン」
D-食(料理)、統計(ジャンル不問)、はてな村、書評(新書)、法(少年犯罪)、漫画、ゲーム、スポーツ、芸能、就職、アンケート
―――「要求される事は少ないけど、できれば慎重に。ライン」
E-食(外食、ジャンク)、書評(文芸)ネタ動画・画像、ダイエット、ジョーク、ガジェット、VIP、OFFレポ、ライフハック、雑学
―――「というかコメントすることあんの?orネタ師歓喜ライン」
「考え無しにハジケてもみんなでやれば怖くない。イナゴにお勧め」
↓
F-ニセ科学批判批判批判、メンヘル吊るし上げ、2ch批判(ニュー速)、現代アート、増田
「放っておいてくれ」
↓
いっちゃあなんだけど、ニセ科学批判者も分かってる人は分かっててやってると思うよ。
メジャーに向かえば反発者は必ず出る。ニセ科学批判は政治でもあるわけだから、必ず出る。出ないほうがおかしい。暴走もでる。出ないほうがおかしい。
そもそも、ニセ科学信奉者とニセ科学批判者、これが分かりやすいといわれる二分法になっている。ニセ科学の十八番の二分法になっている。しかし、そうでなければ広まらない。広まれば二分法になる。賛成か反対か。それが政治だし社会だし人間だし。それは仕方がない。科学的に厳密な話はしない。求めるのは科学者ではなく政治的な話をする人だ。社会に参加するとはそういうことだ。大上段でバッサリ二分するように見える人だ。ニセ科学もニセ科学批判もニセ科学批判批判も、だから盛り上がる。そうでなければ表に出てこない。これが人間だし社会だし政治だ。
でも、だからといって実際にその通りかといえば、その通りではない。世の中は複雑で二分できなくて総論賛成各論反対になる。如何に大上段に見せつつ、如何に各論を聞いていくか。ニセ科学もニセ科学批判もニセ科学批判批判も、そういう人が引っ張っている。
ニセ科学批判批判の心理を見た気がした。
除外の人、ひとり増やしました。あとタイトル変えました。
はてなで盛り上がってるのは半可通が多いと思うんだよね。ひどいとこだとみちアキとかね。最近は「ああ、またはてなか」って思う。
はてな以外で話題になったといえば政治ブログ騒動だけど、あれは実質ニセ科学関係なかったし。
半可通を避けることができれば回り道が多少減ると思うんだ。言ってる事がめちゃくちゃでも、言い切っている文章だとなんとなくそうなのかなと思ってしまう事もあると思うし。だとしたらはてなを避ければいいんじゃね?って思ったんだ。
王道を行くなら真っ先に読むべきはkikulogだということくらいは覚えていて欲しいかな。
今さっきググったら、東大の駒場の学生向けに、生命科学の入門的教科書が出版されていることに気がついた。
東京大学より初の文系向けテキストが登場!「食」「健康」などの身近な話題から「生命倫理」まで,社会的関心の高いテーマを軸に生命科学の基本を解説.一般教養を身に付けるために最適!日本図書館協会選定図書.
東京大学発の必修教科書第2弾!今回も強力な執筆陣が,分子から細胞,個体,種への連なる生命現象の全体像を基礎から解説.理・医・農・薬・歯学部など生物系を専攻するなら,必ず読んでおきたい一冊!
教授から、上記のような生命科学の教科書をつくる動きがあると聞いたときに、開口一番
「是非、科学史の人たちに作ってもらってください」
と言ったことを思い出した。
本自体は総合文化研究科の生命系の人たちがオムニバス形式で作成したようだ。
擬似科学やニセ科学、進化論論争といった話が盛り上がるのを聞くたびに、
科学史が決定的に足りていないよな、と思う。
理由は、「あまりに科学が進みすぎた」こと。
「」付きにしたのは、「普通に生きている人が共通常識として共有するには進みすぎた」程度の意味。
もちろん、「普通の人」だけではなくて、医師国家試験でも、そういった進歩の弊害は指摘されているようだ。
現代において正しいとされている科学的知識を得たところで、
多くの人は空中分解しちゃうんじゃないかな。
だからヒストリーとしての科学が必要だろうと思う。(ヒストリーと書いたのは「ゲシヒテではなくて」程度の意味)
もちろん学問としての科学史が科学者研究的な面や公共政策学的な面があるのは、
(デカルト研究とか、ダム建設の科学的根拠を住民がどのように受け入れたかとか、そういうテーマ)
寡聞ながらも承知しているのだけど、
「大きな科学の物語」が必要なんじゃないのか、と思うのですよ。
今の教授たちが学生だった頃に比べると、修士といえども桁違いの知識が要求されるわけでしょ?
しかも、ネットを使って、そういった知識に簡単にアクセスできるから、
「知りませんでした」とは言えない。
Analysis Paralysis になっている大学院生も多いんじゃないかな。
Analysis Paralysis なのは、大学院生だけではなくて、
普通の人も同じでしょう。
普通の人にとって「科学的であるためのコストが大きすぎること」が問題の本質なのではないですか。
今更、科学の量は減るわけではないので、
触媒が化学反応に必要とされる活性化エネルギーを下げるように、
工学出身の東大現総長の小宮山先生が、「知の構造化」を掲げている。
確かに、マインドマップ的な構造化・可視化も、科学理解の手助けになると思うけど、
物語が一番理解しやすいと思うんだよなあ。
アタシ
黒曜石
割るとガラスみたいに尖りやすい
昔から
ナイフに使われてた
みたいな
だからさ
ねぇ
磨いてよ
なにやら色々流行ってるよね。ニセ科学批判なんてしても無駄だとか、んなことねぇよ、とか。
とりあえず、嘘で儲けてるやつがいれば真っ当に儲けてる側から見れば腹立つし、批判してしかるべきだと思う。
現状のままだったら本当に健康効果のある商品を作ってくれる人がいなくなっちゃうし(て言うか本当にそんな風になってない?)。
まぁ、ニセだと知ってて信じてる人はともかく、ニセ科学を信じてる人の大部分はそれを「科学的」なものだと思ってる人だろうし(特にマイナスイオンとかその辺)それを「科学的」にネットでひたすら批判するのは結構理にかなった活動だよね。
批判者「そのゲルマニウムがどうのって商品、実際健康効果なんてないですよ。っていうか、ゲルマニウムがどうのって商品は基本的に全部嘘っぱちです。」
おばちゃん「そうなの!?じゃあ買うのやめとくわ。」
わーわーわー
いっぱいブックマークついてうれしいよー
でもね、イチバン知りたいことがスルーされちゃってるよー
書き方が悪かったんだけどね。
そんじゃあらためて。
そういうのを目にするといつもぼくは、うーん、と唸ってしまう。いい、とは思えないから。はてブの存在すら気づいてないような人たちに対してブコメで見下したような言葉を吐く、という行為。こういうのって、
- はてブそのもの
- はてブの成果
- はてブの副作用や弊害
- はてブとはまったく関係のないもの
- ニセ科学批判そのもの
- ニセ科学批判の成果
- ニセ科学批判の副作用や弊害
- ニセ科学批判とはまったく関係のないもの
- 別の何かそのもの
- 別の何かの成果
- 別の何かの副作用や弊害
- 別の何かとはまったくかんけいないもの
- いろいろ
のうちのどれに当たるんだろうか。ぼくにはわからないのだ。
赤軍の総括ですか。
そういう面もあるのかもしれませんね。
ただ、何か同じ目的を持って活動したり議論したりする場合は、
やっぱり何らかの参考資料、叩き台が必要だと思います。
共通前提すらないと、議論が成り立たない場合が多く、
そうならないための提案のつもりなんですが、駄目ですかね。
参考資料はネット上の情報ではなくて書籍にするべきだと思いました。
「メディア・バイアス」は安価ですし、特別難しい内容でもないです。
また、仮にニセ科学批判批判者の方の推薦する図書があれば、それも知りたいです。
良書なら、それを参考資料、議論の叩き台にしましょう。
追記:
(全てhtmlで記載したので、読みにくかったらごめんなさい。)
最近、
ニセ科学批判者になりたいけど、何か色々と絡まれそうで怖い
とか、
ニセ科学批判批判者なんだけど、何かやってるうちにどんどんむかついてしまって止められない
とかいったご相談をよく受けます。嘘です。
僕自身は、いわゆるニセ科学批判者でもニセ科学批判批判者でもないのですが、
こうやれば簡単になれるかな、と思ったことを紹介します。
参考にしていただければ嬉しいです。
今だったら、松永和紀「メディア・バイアス」(光文社新書)が個人的にはお薦めですが、
(もっと良い本があったらどなたか紹介してください)
とりあえずこの本を一冊買うか、借りるかしましょう。
そして、読みましょう。
以上です。
おめでとうございます。
既にあなたは立派なニセ科学批判者の一員です。
後はこの本の内容を、まず自分自身のために活用してみてください。
それだけで十分です。
最初に自分自身のために活用することが、いずれは他の人の助けにもなるはずです。
ある意味においては既に他の人の助けになっているとも、僕は思います。
まずは読んで知ることから始めましょう。
今だったら、松永和紀「メディア・バイアス」(光文社新書)が個人的にはお薦めですが、
(もっと良い本があったらどなたか紹介してください)
とりあえずこの本を一冊買うか、借りるかしましょう。
そして、読みましょう。
以上です。
おめでとうございます。
既にあなたは立派なニセ科学批判批判者の一員です。
後はこの本の内容を、まず自分自身のために活用してみてください。
それだけで十分です。
最初に自分自身のために活用することが、いずれは他の人の助けにもなるはずです。
ある意味においては既に他の人の助けになっているとも、僕は思います。
まずは読んで知ることから始めましょう。
100000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000時間かけて。
追記:
(不快な思いをさせてしまったのなら謝罪します。ごめんなさい。)
ただ、少なくとも「メディア・バイアス」一冊を読んで、まずこの本の批判から始めてほしいと思います。
それだけの(時間とお金の)投資をしてから、批判をしてください。お願いします。
それから誰かを嫌いになるのはもちろん自由ですが、
だからといってその発言全てにいちゃもんを付けるのもどうかと思います。
どんな形であれニセ科学問題に関わっておられる皆さん。
その情熱や苦労は見ていて痛いほど分かるのですが、どうか冷静な対応をお願いします。
最後になりますが吟じます。
ニセ科学批判者とニセ科学批判批判者のぉ~
二人のからみを見ていたらぁ~
なんだかやおい本を作りたくなるぅ~~~
あると思います。
http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20090124#1232802027
「あなたたちの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」とイエスは言いました。
なぜなら科学者が批判してるのは非科学的な物それ自体じゃなくて非科学的なものを科学と言い張る態度だからだよ。
ホメオパシー論者がもし「ホメオパシーはキリスト教と同じく私の信仰です。科学的根拠なんて一切ありません」
これ最悪じゃなかろうか
がん患者についてのコーディネーター医師が、ホメオパシーを出してエビデンスが無いけど…とか言ってる、なんだこれ
途中から見始めたが、2chの実況板やtwitterでかなり言われてるようだ
これはマズイ、非常にまずい
明日報ステのサイトでこの特集の動画が公開されるそうなのでチェックする予定
動画が公開されています
http://www.tv-asahi.co.jp/hst/contents/movie/090122/index.html
http://www.tv-asahi.co.jp/hst/contents/movie/090122/movie.asx
ブコメから
ublftbo 医学, 医療, ホメオパシー, ニセ科学, 科学 ホメオパシーの所で、帯津良一氏が出ていますね。”科学的な理論は実証されていないが、効果が認められており、世界的に普及している”←5:44頃にナレーション これは、明確にダメですね。
このシーンを見て、あらためてうわぁと思いました。ソースは何なんだよと
http://www.obitsusankei.or.jp/
そこのページで、古い版の広辞苑を用いてホメオパシーを説明していました
http://www.obitsusankei.or.jp/page09_b.html
http://anond.hatelabo.jp/20090122133244
ここまで低脳を晒して、tittonは一体何が楽しいのだろうか。
tittonの中では『正しい自分がこれだけ批判されるのだから自分が絶対に正しい』という確信が膨らんでいるのだろうと想像はつくが。
>何故ならそれは科学者の態度ではないから。何故ならそれは科学者の態度ではないから。
titton『疑似科学を社会的に有害なものとして排除すべきだという主張は「科学の問題」ではない。「社会的な問題」であり、科学者の態度に束縛されない。宗教が「宗教者の態度」に基づいて科学を排除しようとしたのが中世だよね。一方が他方を社会から排除しようとするならば、一方の価値観内で正当性を主張するだけではダメだということ。』
上記のtittonの反論(?)が対象としている文:
『今までの経験から2をやる人間は大体無知である可能性が高いよなあという話はすれども、2の段階で相手を切り捨てるニセ科学批判者は今後も出てこないだろう。何故ならそれは科学者の態度ではないから』
対応が分かりやすいように「A:ニセ科学」、「B=科学者(ニセ科学批判者)」、「C=ニセ科学批判批判者」とした場合、
tittonの反論(?)対象文『Aを批判するBを批判するCは経験上無知である事ばかりでCと話をしても時間の無駄だとAが愚痴ったとしも、話をする前からCを無視する事をAしていないし今後もしないだろう』
tittonの反論(?)『BがAを社会から排除しようとするならば、科学の価値観内で正当性を主張するだけではダメ』
もう『反論(?)』と書かれている理由に、賢明な読者の方はお気づきだろう。
そう、tittonが何に向かって話をしているのかがさっぱり分からないのである。
titton『3)については、それが社会から排除されるに見合うほどの大罪なのか?という量刑が常に疑似科学批判者の一方的な判断で行われているのが問題。』
titton『そういう判断はそれなりの慎重さで行われるものだ。むやみに他人の思想や言動を制限することにつながらないように必要最小限に。そもそもそれが不十分だと感じるからあなたは警察に任せずに自分で疑似科学批判をしてるのではないのか。なぜ不十分だと感じるかといえば物事の一面しか重視していないからだろう。』
やはり対応が分かり易いように「A:ニセ科学」、「B=科学者(ニセ科学批判者)」、「D=科学」、とおくと
titton『Bの一方的な判断で、Aが社会的に排除されるのは問題だ。Aはそれほどの罪ではない』
反論文『Aは(裁判という場で疑似科学批判者とは異なる)裁判官の判断で犯罪(=罪)だとされている物もある(からAの一方的なではない)し、犯罪は社会から排除されるべきではないの?』
tittonの再反論(?)『そういう判断(犯罪が社会から排除されるべきかどうか)はそれなりの慎重さで行われる。むやみに他人の思想や言動を制限することにつならがないように必要最小限に。警察・司法による犯罪の抑制が不十分だと感じるからあなたは警察に任せずに自分でニセ科学批判をしているのではないのか。なぜ不十分だと感じるかと言えばニセ科学の犯罪的側面しか重視していないからだろう』
ニセ科学は人を騙している故に犯罪だと判断されたのだから、人を騙しているという犯罪的側面を重視するのは当然。
というか人を騙しているという実態があるからこそ批判されてるのがtittonには分からないらしい。
tittonの理屈を採用すると幸福の科学とかオウム真理教なども批判できなくなる。
>実証されていないものを実証されたとするニセ科学は、その意図が有ろうと無かろうと科学を否定するものだ。
titton『それは科学側の言い分。そんなことを認めたら、宗教にも「科学は宗教を否定するものだ」という言い分を認めなければならなくなる。このような判断は慎重かつ控えめに行われるべき物であって、あなたのように「そんなの決まってる!」みたいな単純かつ安直な判断で行われるべき物ではない。』
元文『実証されていないものを実証されたとするのは、科学ではない』
tittonの反論を読み解くと『それ(=実証されていないものを実証されたとする行為が科学ではないという事)は科学側の言い分。そんな事を認めたら宗教にも「科学は宗教を否定するものだ」という言い分を認めなければならなくなる。そんな判断は慎重に行え。あなたのように『実証されていないものを実証されたとする行為は科学ではない』みたいな単純かつ安直な判断で(科学かどうかの判定は)行われるべき物ではない』
1.どうやら実証されていないものを実証されたとする行為が科学となる世界がtittonの中には存在するらしいが、そんな世界は少なくとも現実には存在しない。あるとしたらtittonやtittonに類するニセ科学ビリーバーor擁護者or批判批判者の中ぐらいだろう。
2.実証されていないものを実証されたとする行為が科学を否定する行為だと認めるならば、科学は宗教を否定する物になるらしいがどういう理屈だろうか? tittonがそれを説明できるとは思えないが。
3.もしかしたら単にtittonの読解力と日本語表現力がないから話が伝じないだけで、tittonは何か別の意味の事を言っているのかもしれない。だがそれをtittonが主張しても日本語表現力がないので第三者どころか対話者にさえ分かって貰える可能性は低い。
titton『どんなに価値のある思想であっても、ちょっとでも抵触すれば断罪され社会から排除されなければならないのかどうかという点について、説得力のある説明を用意していない点が疑似科学批判の問題。その説明をしないと疑似科学批判批判が世間から信頼を失う』
titton『それは「疑似科学批判が科学の進歩を妨げない」という主張だよね。それはそれで疑問があるが、今はそういう話をしているのではなく、思想や宗教を排除しようというのに「科学の進歩を妨げない」だけしか考慮しない点が、科学の面だけしか見ていないと批判される。つまりすべて「科学の一方的な都合」でしか物事を判断していないのが問題だと言っている。』
ここはtittonにしては珍しくまともに読めている。上段の反論文だけを読んで行った、反論文だけに対する再反論としては間違っていない。
だが、『ニセ科学批判の批判対象は科学を装う物だ。思想や宗教を排除しようとしている例など存在しない』という、他所でなされた事実の指摘はtittonの脳には残っていない。
詭弁を用いて為にする反論に終始し、何も学んでいない証である。
たとえば終末医療。医学とは基本的には人の命を助けることが目的だ。しかしそれだけが目的ではない。だから様々な側面から終末医療はどうあるべきかが論じられるわけだ。「一日でも長く生き延びさせることこそ正しい」という価値観だけで終末医療を論じて、世間が納得するのか。人の感情や心理、その時代の価値観、様々なものを勘案して判断すべきものだ。それを疑似科学批判は「科学にとって○○だ」という一面だけで正当化しているから批判される。
1.終末医療がニセ科学ではない事はtitton以外には自明な事である。
2.「一日でも長く生き延びさせることこそ正しい」という価値観だけで終末医療を論じる事とニセ科学批判が何故対応するのか不明。だがtittonからの説明は期待していない。破綻した説明が出てくるだけだからである。
3.ニセ科学批判は「科学にとって○○だ」という一面だけで行われているものではないという事実はtittonには見えない。
4.ニセ科学批判はニセ科学批判の正当化を目的としていないという事実もtittonには見えない。
5.「一日でも長く生き延びさせる事が正しいかどうか」は科学の範疇では無いので、それに対して科学が何かを判断する事がそもそもない。科学が何か判断しているように見えるのは、人による科学以外の側面の判断であるが、科学を理解していないtittonはそれを区別できない。
6.『関係がありそうで関係が無い事を話し始める』という詭弁の典型である。
読解と日本語表現と論理が破綻しており、さらに自覚がしているかは知らないが詭弁を用いる。
終始、一顧だに値しないゴミ主張の典型例だと言って良い。
本人はユニークだと思っているらしいことが可笑しさを通り越して涙を誘う。
http://anond.hatelabo.jp/20090122023102
疑似科学を社会的に有害なものとして排除すべきだという主張は「科学の問題」ではない。「社会的な問題」であり、科学者の態度に束縛されない。宗教が「宗教者の態度」に基づいて科学を排除しようとしたのが中世だよね。一方が他方を社会から排除しようとするならば、一方の価値観内で正当性を主張するだけではダメだということ。
そういう判断はそれなりの慎重さで行われるものだ。むやみに他人の思想や言動を制限することにつながらないように必要最小限に。そもそもそれが不十分だと感じるからあなたは警察に任せずに自分で疑似科学批判をしてるのではないのか。なぜ不十分だと感じるかといえば物事の一面しか重視していないからだろう。
それは科学側の言い分。そんなことを認めたら、宗教にも「科学は宗教を否定するものだ」という言い分を認めなければならなくなる。このような判断は慎重かつ控えめに行われるべき物であって、あなたのように「そんなの決まってる!」みたいな単純かつ安直な判断で行われるべき物ではない。
それは「疑似科学批判が科学の進歩を妨げない」という主張だよね。それはそれで疑問があるが、今はそういう話をしているのではなく、思想や宗教を排除しようというのに「科学の進歩を妨げない」だけしか考慮しない点が、科学の面だけしか見ていないと批判される。つまりすべて「科学の一方的な都合」でしか物事を判断していないのが問題だと言っている。
たとえば終末医療。医学とは基本的には人の命を助けることが目的だ。しかしそれだけが目的ではない。だから様々な側面から終末医療はどうあるべきかが論じられるわけだ。「一日でも長く生き延びさせることこそ正しい」という価値観だけで終末医療を論じて、世間が納得するのか。人の感情や心理、その時代の価値観、様々なものを勘案して判断すべきものだ。それを疑似科学批判は「科学にとって○○だ」という一面だけで正当化しているから批判される。
投稿ミスったら変な事になった(汗
http://anond.hatelabo.jp/20090121235603
に対して。
疑似科学批判者が二言目には「疑似科学擁護者や疑似科学批判批判者はおそらく無知」というのはどうなんだろうね。確かに確率的にはその方が多数だろうから、そう思うのも無理はない(実は俺も内心そう思ってるし)。しかしそれを公然とおおっぴらに認めてしまったら、「こいつらとは話し合う価値もない」で終わってしまうわけで、それならその通りなにも話す必要はない。
そもそもニセ科学批判批判者がニセ科学批判を批判しなければ話し合いが発生する余地は無い。
なぜならニセ科学批判の目的はニセ科学批判であってニセ科学批判批判への応答では無いから。
1.ニセ科学を批判したら
2.擁護or批判批判をして来たので
3.話し合ってみたら
5.話を終える
最終的に無知と判断されるニセ科学擁護者やニセ科学批判批判者と、ニセ科学批判者とのやりとりって大体こんな順番。
で、tittonさんが言ってるのは『4、5をやるならなら、そもそも3をやるなよ』って事なんだが、3をやってみないと相手が無知かどうか何て判断出来る訳が無い。
今までの経験から2をやる人間は大体無知である可能性が高いよなあという話はすれども、2の段階で相手を切り捨てるニセ科学批判者は今後も出てこないだろう。
何故ならそれは科学者の態度ではないから。
疑似科学批判はある意味「馬鹿を相手にする作業」だ(学校の教師とか新米社員を指導する上司とかも同じ)。逆に言えばそれに耐えきれず「こんな馬鹿とはまともに話したくない」とサジを投げてしまうような人には疑似科学批判は向かないと思うよ。
ここで突然に疑似科学批判者が相手にしている物が『疑似科学擁護者・擬似科学批判批判者』から『疑似科学』と入れ替わった話になっているのは何故だろうか。
また「科学を根拠に水伝をダメだとは批判していない」については、「適切な根拠を用意できていないまま批判している」から問題だと言っている。
『馬鹿は騙されるぐらいが良い』って詐欺を容認するような事を言ってのける人間が判断する『適切』は、一体誰が許容する『適切』なんだろうか。
疑似科学批判のパターンはだいたい次のようなものが多い。○○が批判される立場の疑似科学だとすると、
1)○○の科学的な誤りを列挙。それゆえ○○は科学的に誤っていると結論。
2)にもかかわらず○○は科学と自称していると主張。
2)で『にもかかわらず』を使いたいならば、1)に『○○は科学を自称していない』が必須。日本語と論理的に言って。
つまりは日本語が破綻しているか、論理が破綻しているかのどちらか。すなわち『駄目』って事。
疑似科学批判の中にはほとんど言いがかりやこじつけのような安易なものが少なくない。これはいわば魔女裁判と同じで「魔女だ!」と言われてしまえば、疑似科学側から反証することは難しい。またそのような「暴走」に疑似科学批判者側が自主的に歯止めをもうけようという動きもない。
破綻した物を前提に話を進めているので、それだけでも意味が無い話だと結論できる部分。
ついでに現実に存在する疑似科学批判は『実証されていないものを実証されたと強弁している物』を対象にしている物ばかり(水伝とかゲーム脳とか血液型性格判断とか)なので、
というのは事実に反する言いがかりやこじつけに類する物だと言える。
破綻に言いがかりを重ねた上で発せられる『暴走の懸念』は、徴候さえ存在しない事実も踏まえれば、ほとんど考慮に値しない。
3)については、それが社会から排除されるに見合うほどの大罪なのか?という量刑が常に疑似科学批判者の一方的な判断で行われているのが問題。
法的にも犯罪だという判断が行われてるが、犯罪は社会から排除されるべきではないとでも?
現実に被害者が出ているというのに『一方的な判断』とは、無知もここに極まれり。
かつて科学が神を冒涜する気などないのに神への冒涜だと一方的に断罪されたことの裏返し。どんなに価値のある思想であっても、ちょっとでも抵触すれば断罪され社会から排除されなければならないのか。
実証されていないものを実証されたとするニセ科学は、その意図が有ろうと無かろうと科学を否定するものだ。
かつて、神の存在を確かめようとしていたのに神への冒涜だとされた科学とは明確に違う。
それについて疑似科学批判側は説得力のある説明を用意していない。そういう点が問題であり、疑似科学批判側が何らかの自浄作用を見せないと、疑似科学批判そのものが世間から信頼を失うだろう、と警鐘を鳴らしている。
色々な場所で、幾度も、ニセ科学批判の批判対象に『将来科学になり得る物は入らない』と説明されている。
これに説得力を認めないのは『科学が何を対象としているかを理解できない人間』の個人的資質に帰結する問題だ。
警鐘を鳴らすのは勝手だが、それが考慮に値する者として受け入れられないのは、疑似科学批判批判の場合は往々にして警鐘を鳴らされた側の問題ではない。
http://anond.hatelabo.jp/20090121023411
にお返事。NATROMです。他の方のコメントとかぶりますが。
http://b.hatena.ne.jp/titton/20081229#bookmark-11467052
「半年ロムれ」とまでは言いませんが、「みんなもっとちゃんと読もうね!」などと上から目線で仰るのであれば、該当者の過去の発言ぐらいは読んでからにしてはいかがか?kozimaさんの過去の発言も調べてみましたが、はてなブックマークもはてなダイアリーもご利用されていないようなので、わかりませんでした。
疑似科学批判は『水伝の実験はダメダメなんだぜ』までで留めるべきで、『だから水伝の思想はダメダメなんだぜ』までは、「科学を使って」言うべきではない。
もちろん、その通り。まっとうな主張です。で、どなたか、「科学を使って」「水伝の思想はダメダメなんだ」と言っています?(いるなら個別に例を挙げて批判してくださいな)。「水伝の思想はダメダメなんだ」と言っている人はいます。でもそれは、科学の文脈から外れて言っているものと私は認識しています。「偽装はよくない」というのは一般的な社会通念ですが、科学的な主張ではないです。
の三種類の人が居る状況で、aにしか通用しない『水伝の実験は科学的じゃない』っていう主張に意味は有るのか?ってことですよ。(ましてやその主張が再三されてaはほぼ絶滅してる状況で)
「水伝の実験は科学的じゃない」という主張が再三されてaはほぼ絶滅してるんですね?すごいぞ!ニセ科学批判の意味は本当にあったんだ!科学的じゃなくても信じる人はご自由に。それはそれとして、ウソ宣伝は絶滅していないんだから、ニセ科学批判としての水伝批判はまだ必要ですね。
諸君、私はニセ科学が好きだ
諸君、私はニセ科学が好きだ
諸君、私はニセ科学が大好きだ
水からの伝言が好きだ
ホメオパシーが好きだ
ゲーム脳が好きだ
インテリジェント・デザインが好きだ
教室で
テレビで
新聞で
物理学会で
家庭で
剥きになって否定する人間に「たかがテレビだ」と冷たく言う時など心がおどる
パナソニックがマイナスイオンをさらに進化させ、「ナノイー」を売り出した時など胸がすくような気持ちだった
極端な相対主義が好きだ
「信じるという意味なら科学も医学も宗教」と言い捨てる時など感動すらおぼえる
ベストセラーの10冊中3冊を血液型本が占めた時などもうたまらない
根拠もないのに「愛の存在は証明済み」と言い切るのは最高だ
偏狭な科学者がウェゲナーを否定し続けたのを
数十年のときを経て真実で捻じ伏せた時など絶頂すら覚える
毅然と抗ウイルス薬を拒み死んでいく姿はとてもとても悲しいものだ
諸君 私はニセ科学を 不実で厚顔無知の独裁者様なニセ科学を望んでいる
諸君 私に付き従うニセ科学好きの諸君 君たちは一体何を望んでいる?
更なるニセ科学を望むか
糞の様なニセ科学を望むか?
高潔で人の心を大切にし、祈るだけで地球上すべての問題を解決できる絶対者のようなニセ科学を望むか?
よろしい ならばニセ科学だ
だが、2ちゃんねるのようなひどいインターネットで科学教信者の猛烈な批判に耐え続けて来た我々には
ただのニセ科学ではもはや足りない!!
我々はわずかに小数
納豆ダイエットがやらせだっただけで「騙された」などと手のひらを返す連中に比べれば物の数ではない
ならば我らは諸君と私で総兵力100万と1人の善意のMLM集団となる
我らを忘却の彼方へと追いやり、他者の価値観を口うるさく非難する科学狂信者を叩きのめそう
髪の毛をつかんで引きずり下ろし 眼(まなこ)をあけて思い出させよう
連中に子供がいじめられるのは奴らが父親を嫌いなせいであることを思い出させてやる
連中にランドリーリングを使えば洗剤は必要なく地球に優しいことを思い出させてやる
ニセ科学には奴らの哲学では思いもよらない現代科学では説明のできない力がある事を思い出させてやる
1000人の真のビリーバーの集団で 世界をフォトンベルトのゼロ磁場で埋め尽くしてやる
「マコモ風呂 featuring EM菌」作戦 状況を開始せよ
征くぞ 諸君
私はニセ科学批判者が嫌いです
攻撃的な姿勢と 改心要求
知識のひけらかしと 優越感で生きている
間違いだ 詐欺だ 馬鹿だと はっきりと書き込んで人をはやしたてる無神経さ
私ははっきりいって夢邪鬼です
スルーのそぶりも見せない 遠慮のかけらもない
空気を読む心も 乱入された側への思いやりも 何にも持っていない
そのくせ 上から見下げたようなあの態度
次のエントリを上げる時は足でまとい
逃げ時は悩みの種
そんなお荷物みたいな そんなモヒカン族みたいな そんなニセ科学批判者が嫌いだ
私は思うのです このネット上からニセ科学批判者が壊滅してくれたらと
ニセ科学をブログで褒め称える そんな善良なブロガーだけのネットならどんなによいことでしょう
ニセ科学に無関心な そんな善良なブロガーだけのネットならどんなによいことでしょう
私はニセ科学批判者にならないでよかったと胸をなで下ろしています
私はニセ科学批判者が嫌いだ ウン 私はニセ科学批判者が嫌いだ
ニセ科学批判者が世の中の善良なブロガーのために何かしてくれたことがあるでしょうか
いいえ ニセ科学批判者は常に善良なブロガーの足を引っぱるだけです
身勝手で 右手が臭い!
七田式
赤い血液さらさら
簡単なものしか手を出したがらない 難しいものは見て見ぬふりをする
「それは科学の問題ではなくて別の問題です」と書けばすむと思っている所がズルイ
非の打ちどころがないニセ科学批判者も嫌いだ!
チクチクと細かい批判ばかり繰り返し 落としどころも決めずうろちょろしやがって
いつまでもヲチし続けて いつもどんどん群がってくる
あの大局を気にしないネガコメがいやだ!
あの計算高く揺らがないネガコメがいやだ! ネガコメが不愉快だ!
何がリテラシーだ! なにが落ち着いてまず調べろだ!
なぁにが目先の利益、安易な善意に囚われない冷静な思考だ!
そんなニセ科学批判者のために 私達善良なブロガーは なぁんにも対応する必要はありませんよ
第一私達善良なブロガーがこっそりとエントリを修正したところで
これだけニセ科学批判者がいながら一人として 感謝するニセ科学批判者なんていないでしょう
どぁったらいいじゃないですか それならそれで けっこうだ
ありがとう! ネ!
はっ 離せ 俺は善良なブロガーだぞ!
誰が何といおうと私はニセ科学批判者が嫌いだ
私は本当にニセ科学批判者が嫌いだあああああああ!
私は〜が嫌いですのガイドライン
http://ton.2ch.net/gline/kako/1006/10065/1006595233.html
http://jp.youtube.com/watch?v=0B2FZDzXUV4
追記:
映像、歌詞、解説付きなので、こちらの方が目の保養になるかも。
【苺ましまろ MAD】子供達を責めないで(私は子供が嫌いだ)【ニコニコ動画コメント付き】
http://jp.youtube.com/watch?v=32xLyAb_y9k