はてなキーワード: トムボーイとは
ないか?そういうの
違うんだよ。ボーイッシュっていっても多様なんだよな。
あるいは俺がこのあとボーイッシュのタイプを複数あげるわけだけど、それってボーイッシュなのか?
って疑問を持つ人もいると思う。
それはごもっとも。
もう少しちゃんといえば、ボーイッシュとはある運動にかろうじて与えられるラベルってことなんだよな。
あと、このあと挙げる具体例が二次元ばっかりでがっかりする人もいると思うけど、俺は三次元も好きだから。
で、じゃあそんなボーイッシュボーイッシュっていうのであれば、男でいいんじゃねえの?
って人も出てくると思う。
適宜追加していくわ。
1)「ボクッ娘系」
これは当然入るよな。
2)「パンク・不良系」
まあこれも入るな。王道ってとこだろ。俺敵にはここから2人入ってもいいと思う。
まあ、これはおさえるよねみたいな。
4)「男勝り系」
まあこれも妥当なノミネートか?俺はそんな好きじゃないんだけどな
例:なし
5)「ショートカット系」
これも入れないとダメでしょう。
他のカテゴリーと被る人がほとんどだけど、いずれにも入らずかつこれ、ってのが多いから。
6)「女可愛がり系」
さしあたり女とマークされているが、女をかわいがっているないしメタキャラクター的ポジなので実質男でしょう、みたいなもん
これがミソ。これをちゃんとボーイッシュに分類できるかどうかで資質が試される。
8)実質男枠
これなんだよな。
6.と被る面はおおいにあるんだけど、ちょっとずれるんだよな。
これ、わかるやつはわかると信じてる
例:わたもてのもこっち
自分が男に生まれていればなぁ、と思うことがよくある。人にも、特に男性に「どうしてきみは男に生まれてこなかったんだ」と言われる。いつもそう言う上司がいるのだけれど、実はその人に限らず、中学のころの同級生やら、もと同居人やら、仲良くなった男友達にはたいてい言われる。そう言われると、嬉しい。男の子の仲間に入れてもらった気分。
中学高校の同級生の男友達にも「女がいないからいえるけどさー」みたいな会話の時にも仲間に入れてもらったし、今でも、夜遊びに行くときに、ボーイズナイトとかいって男だけで女の子を引っ掛けに行く夜遊びにも混ぜてもらえる。仲よしの男友達に彼女ができても嫉妬はしないけれど、自分みたいに男友達みたいにつるむような女友達ができたら、たぶんちょっと嫉妬すると思う。
自分の中に、理想の女性像みたいなのがあって、今の自分はそれの対極にいる。これは間違いがない。ただ、それだからといって、その理想から対極にいる自分が嫌いか、というとそう言うわけではなく、自分が男だったらなぁ、と思うのだ。
素敵な女性がいると、ああ、素敵だなぁ、と思う。自分のなかの理想の女性像に近いような人がいると、ああ、なんて素敵なんだろう、と、その人を眺めてしまう。自分がそうなりたいのか、というとそうではないのだ。ああ、素敵なひとだ、と思うだけなのだ。
逆に、素敵な男性がいると、わたしはその人のようになりたい、と思う。その人とあれこれしたい、じゃなく、そのひとみたいになりたい、と思ってしまう。だからどんどん男性化してしまうし、一緒になって遊ぶし、男だったら許されるけれど、自分の理想とする女性像からかけ離れた行為をしている自分に、はっときづき、あ、わたしは男じゃなかったんだ、と、がっくりする。ふと気づくと、ますます男らしくなった自分がいて、ああー、なんで男じゃないんだろう、と思う。
わたしがイマイチ男性とうまく恋愛をしていけないのは、自分が男だからなんじゃないかと思ってきた。すごくすごく好きな男性=そうなりたい、という尊敬の対象、になる。だから、それは恋愛ではなくて師弟愛みたいになってしまう。いっしょになってくっついているわたしを女性としてではなくて、そのひとの仲間、みたいな、なんというか、可愛がってくれると、すごく嬉しい。
いつも、自分のことを好きになるような男性は好きになれないのだと思っていたけれど、なんか違う気がしてきた。わたしのことを、男友達や、弟子のように見てくれる人が好きで、わたしを女の子として見るひとには「やめといたほうがいいって、あいつ(自分)は友達にしといたほうがいいって、絶対」と、自分を好きになってくれるひとなのにツッコミを入れてしまう。だって、女じゃないモン。こんな女にうつつを抜かすような男は問題外、だ、と思ってしまう。同じ人でも、他の女の子にうつつを抜かしているのを見ると、なんだかほほえましくさえ思える。
だから「わたしのことを女性として好きになってくれるひと」=一緒につるみたいひと、ではない。それまで男友達みたいにつるんでいた人から、女性扱いされたとたん、あんたどうしちゃったのよ、と思う。だから、友達から恋人に発展するというパターンはないんだ、わたし。
その逆はあり。恋人から始まってすごくすごく尊敬するようになると、ああ、この人みたいになりたい、と思って、恋愛関係でいるのが嫌になる。師弟愛のほうがいい、と思ってしまう。女性としてその人を見ているのではなく、男性、或いは一人の人間としてその人がすごく好きなだけで、もし自分が男に生まれていても、同じように慕うだろうな、と思ってしまうのだ。もし男に生まれていたら、わたしはホモになっていたと思う。
自分のセクシャリティがよくわからなくなってきた。
たぶん、女より男が好きだ。でも、その好きになっている主体の自分は、女ではなくて男のような気がする。女の子をみるときも、だから、女の子らしい女の子が好きだ(自分とは正反対)。可愛い子がいると、単純に、あーかわいい! と思うし、女性らしいしぐさを見ると、素敵だなぁ、と思う。
それに、わたしはけっこう女の子とも一緒につるめる。女同士のだらだら会話だって楽しめるし、実はもう長いこと女の子とシェア生活をしている。でも、もし、彼女が男でも、同じように暮らせるだろうし、女同士でまったくなにも問題がない。女だけしかいない家って気楽でいい。「女だけの生活」って「わたしを男扱いする男友達との関係」と似ている。ぜんぜん違うんだけれど、すごく似ている。
男になりたい、というか、なんで男じゃないんだろう、と思う。だから、男友達みたいにつるんでくれる人がいるとすごく楽しい(だいたい自分の男友達はそう)。でも、トムボーイ願望はないし(スカートとかハイヒール好きだし、毎日スカートで出勤してるし、レースもピンクも大好き)、女性に対して性欲を覚えるというのは多分ない(男性に対してもあんまりないけど)。
自分の周りにも、ゲイとかレズビアンとかいるけれど、彼らみたいに確信を持って、そこまでじぶんが非へテロだとは思えない。でも、ヘテロである確信もない。
男の人に抱きしめられたらどきどきするけれど、女の子にされてもすごくどきどきする。相手が男だからどきどきしているわけではなくて、抱きしめられるとか、そういう行為にどきどきしているだけのような気もする。
ジーンズを履いていると、すわるとき足を広げてしまう。喋り方も男っぽくなる。男友達とつるむときには、ジーンズで行った方が、一緒に肩を組みながらビールを煽れる。スカートでハイヒールで行くと、なんとなくまたちょっと気分が違う。男性と肩を組んでビールを酌み交わす女性というのが、女性としてはとってもはしたなく見える。でも、自分が男のつもりの時は、むしろそうするほうが自然なのだ。
「どうして男に生まれてこなかったんだ」と言われる反面、すごく女性的だとかいわれることもある。両極端らしい。不思議と、女の子扱いされるのも好きなのだけれど。なんだか、洋服にしてもしぐさにしても、コスプレ気分なのかもしれない。女の子っぽい格好のときは、女の子にみられると、今日のコスプレ成功、みたいな。
一番いいのは、「どうして男に生まれてこなかったんだ」と言ってくれるようないつもつるめる男友達と、擬似夫婦になることかもしれないなぁ、と思う今日この頃。30になっても嫁の貰い手なかったらもらってやるよ、と言ってくれた友達が数人いたけれど、もうすぐ30。最近、なかよしの男友達と、20年後くらいに結婚しようか、なんて話をしたりもする。それはなんというか、男友達みたいなこの関係を続けたくはあるけれど、一応結婚もしといたほうがいいよな、という、ある種の、偽装結婚のようなものを想定しているわけですが、でも、そういう事を言ってくれるような、いつもつるめる友達だったらうまく行くような気がする。
つまり、恋愛はしていないんだけれども、それぞれに恋人や配偶者ができて、それが原因でつるみ続けることができなくなるのであれば、まぁ、つるめるあいだはつるんどいて、それが不自然な年齢になったら偽装結婚でもすりゃいいじゃんよ、というような。実際、そう言う友達というのは、一緒にいないというのが不自然なくらいであって、ただ、でもそこにはロマンチックな恋愛はないだけ。もしくはそれがわたしの恋愛の形なのか。とすると、一人に絞るのは難しいなぁ、みんなだいすきだもん。
わたしのことを女性として見る人には、ちやほやしてくれるぶんにはすごく楽しいけれど、実際付き合うとかなると、わたしが嫌気を覚えてしまうか、相手が物足りなくて去ってしまうか、どちらが先に来るかの違いでしかなく、いずれ破綻するような気がする。
レズビアン、ではないと思うのだけれど、ノンケとも違う気がする。いうなれば、ホモ。でも、自分の性別はやっぱり女なので、外から見るぶんには、ノンケ。でも、ノンケじゃないの。なんといったらいいのかな、こういうの。