はてなキーワード: ソフィーの世界とは
「獣の奏者」読んでるんなら、同じ作者で「狐笛のかなた」(少し恋愛要素が入る)。
「指輪物語」読んだなら、作者同士がお友達ということで「ナルニア国物語」。
そんなつながりで読んだら?
まあ、古典として「ゲド戦記」と「はてしない物語」(個人的には同じ作者の「モモ」)ぐらいは読んだほうがいいのかもしれないが、無理に読むもんでもない。
「盗まれた記憶の博物館」「パーラ」のラルフ・イーザウは、はまる人にははまるかも。
「ソフィーの世界」で有名なヨースタイン・ゴルデルも、好きな人は好きだな。理屈っぽいのが嫌ならやめといたほうがいい。
他のトラバでもあったダイアナ・ウィン・ジョーンズは、「クレストマンシー」のシリーズがおすすめ。それ以外は、あえて勧めない。かなりパンクで、頭がクラクラするようなのが多い。
あまり売れてない本だが、「リリーと海賊の身代金」は、ちょっとおもしろかった。
「アルテミス・ファウル」は、おもしろいと聞いてるが、読んでない。どうなのかね?
何もないクリスマスが終わって、これから特に変化の起こりそうな予定もまるでないことだし、自分にとって今年この一年がどうだったかを振り返ろう。具体的に何したかなんて言わない、というかただのニートだったけど、どういう心構えで一年を過ごしてきたか書いてみる。
自分が生きていく理由とか意味とか価値とか必要性とか、哲学史をかじったわけでもない(ソフィーの世界は一度通読したけど、理系学問は自分の範疇じゃない)のに自分なりにひたすら徒然と考えてた。時間だけは多くかけたけど、結局何度も大体同じ結論に行き着いて、
・理屈ではなく実感である
・他人との間に生まれるもの
・他人から見出されるもの
・正当に評価される実力を持っている
で自分が生きていくためのアイデンティティは形成されうる(主に一番最後)、ということになって、どうにかして自分がこの条件を社会の中で乗りこえられる人間であるように、考えてみたり行動してみたりはしたけど、「正当な努力の必要性」を年甲斐なく今更ながら実感して訴えてきた割には、(自分の出来うる)努力ではどうしようもない現実を見てしまって、自分がこの条件の不適合なことに余計裏づけをしてしまう結果になった。また、各ネット界隈に質問を投げかけながら、そもそも考え方を変えることでも生きる意味を見出そうともしたり、今ここに残されたリソースで自分がこれから(自分の納得できる)何ができる?とか考え続けてたけど、そもそも積み上げた努力がまるで足りないんだから、これからどう転んでも結局この人生誰にとっても(特に自分にとって)無意味だしつまんないだけだろ、って考えるのがしっくり合理的だし一番楽って気づいて、それからはほとんど考えるのも動くのもやめて、ただただ横になってるだけだった。日が経つのだけは早くなっていた気がしたけど、自分には意味の無いことだった。死に近づいてるだけ得な気がした。
意味について考える過程で自分に意味を見出せなくなったので、生きる楽しさも次第に無くなっていった。食べるご飯もちっともおいしくない。人間として腹がとりあえず減るから食べるだけ。退屈しないために誰にも評価されないような身についた手癖を時間潰しでしてるだけで、意味なんてまるで無い。何も楽しくなかった。ああ何も楽しくなかった。
今が自分が人生のどれだけの割合を生きたのかはわからないけど主観的にも客観的にも、人生の中で今年は頭抜けて最悪だったと思う。たぶん、来年はもっとひどくなるし、再来年はもっとだろう。それなら、自分なりに不幸の天井を見に行こうか。それを人に語ったらきっととびっきりの冷笑をされるんだろうね。というかその前にまず死んだほうがいいよね。
などと心にも無いことを叫ぶだけのダメな人間に、今年で完全に成り下がってしまったという実感が残った。
まあ自分にとってはずいぶんと厭世的な変化のあった一年だった。一年を振り返って、そこから見つかったものを以って来年からの人生に繋げて行くのは、ありきたりだけど、建設的だと思うよ。自分はそんな気さらさらないけど。だって、自分は生きている意味がないんだから。わずかばかりの可能性をも放棄した。
あと増田を見つけたのは今年からだった。「ブログなのに匿名」なのがツボにはまって、ほとんどROMってただけだけど、学術かぶり人間模様便所の落書きその他もろもろ、チラシの裏ながら色々興味深い話が見れたと思う。大体見たことは覚えてないけど、そのときに退屈は決してしなかった。