ハイクを見ていて、コマチ氏に少し興味がわいたので書いてみます。
読みにくいかもしれませんが、よろしくお願いします。
id:nijiirocomachi という人がいる。
ハイカーには非常に有名な人で、「お気に入りの数」では全はてなーでもぶっちぎりの1位だと思う。(史上初の5桁越え達成者)
今回は「なぜそんなにお気に入りに追加するのか?」について考えてみる。
(^○^)☆/
あるハイカー:
「コマチさんはTwitter始めれば自称100万人とお友だちになれるんじゃ?」と言ってフォロワー数ランキングを見せる。
↓
コマチ:
「フレンドで無ければお友達とは言い難いですよね!(^-^)一方的では・・・」
↓
別のハイカー:
「双方向であっても交流がなければお友達じゃありません。お気に入りシステムなんてシステムでしょ?片方だけだろうが互いに入れていなかろうが友達な時は友達。逆は逆。」
↓
コマチ:
「私はハイクのシステムの話をしているのではありません。友達と呼べる本質について書いたのです」
↓
別のハイカー:
「私も話したのは友達の本質についてなんだけれど(´・ω・`)」
(^.^)☆/
これまで自分は、コマチ氏のお気に入り数の膨大さは「弱小はてなーでもお気に入りに入れてあげることで読者のいない寂しさから救ってあげるアテクシテラヤサシスwwww」的な感覚によるものだと思っていた。(そんな風に考えている人の意見を見たからだけども)
つまりお気に入りに追加した時点で、氏の目的は達成されていると解釈していたのである。
しかし、どうもコマチ氏の目標は「お友達になること」だったらしい。
といっても「双方向であっても交流がなければ友達ではない」と言う意見に対し、
「私はハイクのシステムの話をしているのではなく、友達と呼べる本質について書いた」と言っているので、
氏の「友達と呼べる本質」というのは「お気に入りがフレンド状態になること」のようではあるが。
ここでも述べているように、お友達100万人のステップとしての「お気に入りの数」ぶっちぎりの1位だったというわけである。
以下に、とあるハイカーのidページに書かれていたことを転載する。
それぞれがそれぞれの使い方
それぞれがそれぞれに自由で構わないと思います
私を表面的に見て嫌おうが
内面的に見て嫌おうが構いません
私は私の伝えたいことを果たしていくだけです
他人の自由を束縛する権利もありません
価値観もまた自由です
自分に自由を求めるためには
他人の自由を尊重すると言うことです
私が身勝手なように見えるでしょうが
私はこの姿で、私に身勝手を押し付けてきた方々のことを表現したいのです
ここに居るコマチが私のすべてでもなく
リアルにおける私自身でもありません
表現すべくして作られた姿に過ぎません
どうぞ気ななさらずに、ご自由に(^-^)
これを読んで自分は以下のことを感た。
これを見て、あなたはお友達になりたいと思いますか?
\(^o^)/サブリミナル!
またしても、はてなハイクでユーザーの排斥が起きたようだ。
今回の対象者はtakashi-ha。
無差別にスターをつけてまわる、無差別にリプライをする、あるいはtakashi-ha氏の投稿内容から、嫌悪感を覚えられたらしい。
排除のプロセスはhiro_kun騒動時などと同様。
以前からtakashi-ha氏の活動に違和感を表明するユーザが存在した。ここ数日のうちに、氏のidページに、氏のリプライおよびスターが迷惑である、不要である、不快であると言明するハイクユーザーが現れ、4月17日になり 6名からidページへと発言を寄せられた。
残念ですが、私のあり方にも問題があったことでしょうが、心ない発言にたたかれて、この場に居ることができなくなりましたm(__)m
いつまでも、あなたの復帰を願っていますので
どうか、あきらめることなく
他のみさんから応援を得て幸せになってください
takashi-ha 2009-04-17 16:18:45 from mobile
最後にはこの言葉をとあるハイクユーザーに残してtakashi-ha氏ははてなハイクを後にした。
また、追い打ちをかけるかのようなこの言葉が趣深い。
結局なんの反省もしないで「心ない発言に叩かれて」ですか。
どれだけ自分が可愛いんですかあなたは。あれだけの人に注意されても何も思わなかったんですか?
もうあなたは二度とここに戻ってこないほうがいいです。あなたにとっても、私たちハイクユーザにとっても。
by 2009-04-17 16:30:22 from web
いつ何かのきっかけでこれが自分に向くかもわからないマイノリティに属す身としてはまったくもって世知辛いコミュニティの存在するサービスである。
* 以前ハイク観察記を記していた増田とは別増田です。
* takashi-ha氏ははてなから退会したわけではないのではてなハイクで活動を続ける可能性もあるが
前回の記事には、ここ最近の観察記には珍しくちょっとブクマが付いたみたい。
トラックバックもあったし、取りあえずその中からピックアップしてみよう。
まずトラックバック。
ところで、増田でid書いても本人にidコールはされないし(はてラボだからかな)、idとか
確かに私はやや遠回しな表現、その事例を知っている人じゃないと分からない書き方をすることが多いので、分かりづらい部分があるかもしれない。
でも私は「誰が」そうしているのかはさほど興味はなくて、単純にハイクで起きてることが気になるだけなので、敢えてエントリーのURLやidの明記はしていません。
ハッキリ引用する場合はその限りではありませんが。でもそうすることはほとんどないと思います。
特別糾弾したいわけでもないし、何かを変えたいわけでもないし。その辺は「観察記」なので、ということで。
そもそもこれを書き始めたのも自分の中にあったハイクに対する「違和感」、それを探し求めるのがキッカケだったので。
彼が本気で納得ずくでアレをやっていたんなら、別に何も言うことはないんだけどね。あまり対話姿勢は彼の方にもなかった気がする。
LoveBeer
イマイチこのコメントの真意を測りかねるけど、そもそもハイクの使い方に関して他人が何かを言う必然があるのか?というところに疑問を感じます。
何を指して「対話姿勢」と言うのかハッキリは分からないけど、何らか提案をしてくる人に対してはちゃんと「ユーザーI」なりの考えを説明していたと思うけど。
ハイクってローカルルールがうるさそうだけど、具体的に何がダメなのか不明だからな。僕も自分用のメモにハイクを使おうと思った事があるけど、止めといて正解だったみたい…
llil
「具体的に何がダメなのか不明」なのも問題で、都度都度で尺度が変わったりもするからタチが悪い。
仮に「ダメなことリスト」が明示されてても、オフィシャルなルールに入ってなければ拘束力はないと思うけど。
そもそも「自警団」の人だって「いちユーザー」に過ぎないのにも関わらず、あんな勢いで難癖つけられるのが不思議。
せっかくいろいろなことができる余地を持ってるサービスなのに、このコメントの人みたいにブレーキかけてしまうのが残念だと思う。
「日頃、どっかから「わがままな親がどうの」なんてニュース拾ってきて難癖付けたりする」のはブクマの事じゃないのかな?はてな群ブクマ町民の例をだして、ハイク村を論じるのは理にかなっていないと思うが。
cpgwp910
ブクマ界隈でもよく見られる事例だけど、ハイクでも割とよく見られます。
実際結構辛辣な書き方してる人も見かけました。先に書いた理由により、URL等の明示はしませんが。
コメントの中にもあったけど、ブクマをしていたのはハイクで良く見かける人が多かったみたい。
それなりに関心のある出来事だったのか、それぞれに思うところがあったのか。
それにしても良くこの観察記を見つけてきたなぁというのが率直な感想。
それはさておき「通報」の件はどうなったんだろう?
見たところ「ユーザーI」のエントリーは続いているし停止には至らなかったんだろうか。
通報したユーザーも特にその件に関しては触れていない。そもそも返信が来てなかったりするんだろうか。私が知る由もないけど。
でもあれで警告なり停止勧告が来たら、それはそれで問題のような気もする。
通報が通った後、該当しそうな物は根こそぎ勧告なり停止をするならそれはそれだけど。
結局個人の「不快感」というところだけが排除の原動力に印象が強いからね。
良かれと思って(思い込んで)あれこれ行動するのは別に良いと思うけど、もう少し客観的にというか、論理的に考えてから突っ込めば良いのにと良く思う。
これは通報した人に限らず、ことあるごとに難癖付けたがる人みんな。
これまで「思い込み」というワードを何度かキーにしていろんな問題のこと考えてきたけど、そこにもう一つ「不快感」というのも原因としてくっつきそう。
しかも「不快感」=「『全体』に対する迷惑行為」のように捉えがちな部分がありそうな気がするな。
それに関しては次回にでも。
またしても「不快→通報→排除」シーケンスに入ったらしい。相変わらずというか、何というか。
今回「問題」の発端はとあるユーザーが政治関連の長文をPOSTしたことらしい。
このユーザーに関しては以前からしばしばハイク内で他ユーザーと衝突していたが、しばらくするとPOSTが止まっていたので都度収束していた。
しかしなぜか今回はそうはいかなかったらしい。
通報の名目は、戦争でケガ人をした人や亡くなった人の画像を貼っていることが規約に反する、みたいな感じらしいんだけど。
でもこれ、どの項目に該当するんだろう。
第6条(禁止事項)
2-3:倫理的に問題がある低俗、有害、下品な行為、他人に嫌悪感を与える内容の情報を開示する行為。
2-4:迷惑行為、嫌がらせ行為、誹謗中傷行為、正当な権利なく他者に精神的被害・経済的被害を与える行為
考えられそうなのはこの辺だろうか。仮にそうだとしたら相当無理があるような・・・。
黙っていても結果はハイクで報告してくれそうなので(この通報の件もわざわざハイクで報告されてた)、これは取りあえず置いておく。
どうも政治的だったり社会的な内容が絡むと過剰反応を示す人が多いらしく、今回は件のユーザー(便宜上「I」とする)に絡んでいく人が割といた。
その絡み方は様々で、お決まりの「長文ポストは携帯の人が見にくいから控えたほうがいいですよ」みたいな割とソフトな感じのものから、「何がやりたいのかわかんねぇ」といったもの、少数ではあるけどエントリーに対する意見、議論のようなもの等々。
どのパターンを見ても何となく「不快感」が透けて見えて、ひどい場合にはそれの押しつけにしかなってないものがあったりして、事態は平行線を辿っていた。
見たところ(完全に私の私見だが)「ユーザーI」は頑固そうなイメージを受けるし、やや高圧的な部分も見受けられるので、不快感を持つ人がいるのも分からなくはない。
立場によっては「何も知りもしないクセに」と思ってる人がいるかもしれないのも分かる。
だからといって突っかかっていくのはどうなのかと思う。しかもその突っかかり方が中途半端。そして挙げ句に「通報」って。
ハイク村の「自警機能」は凄い。
一部騒いでる人たちは「あの人には何を言っても無駄」とか思ってるみたいだけど、別に「ユーザーI」は誰の話も聞かないとは言ってないんだよね。
信念のようなものを持ってるみたいだし、頑固そうではあるけど自分のエントリーに対して批判も意見も受けるとは言っている。
でも何も変えないのは、あの人を納得させる「ちゃんとした」批判も意見もないから。
取りあえず「不快感」を投げつけるだけのものは論外だろう。「暗黙のルール」を持ち出すのも意味がない。
それなりに理にかなった意見じゃないとダメなんじゃないかしら。と、書くと「上から目線だ」なんて思うかも知れないけど、人に意見する上で当たり前のことじゃないのかな。
日頃、どっかから「わがままな親がどうの」なんてニュース拾ってきて難癖付けたりする割に、それと変わらないことをしていたりするから不思議。
そういえば日常生活ではどうしてるんだろう?同じような「不快感」のぶつけ方してるんだろうか。やっぱり不思議。
単独の意見として「自分のことは棚の上に上げておいて」というスタンスはありがちだし自己完結してる分には構わないと思うけど、誰かに意見する更には何かを変えさせるとなれば、それじゃ通用しないでしょ。
その点にほとんど誰も気づいていない。もしかしたら気づいてるのかも知れないし私が見逃してるだけかもしれないけど、それに類する書き込みは未だ見かけていない。
「そんなことやってられっかよ」って思う人もいるかもしれない。そう思うんだったら「スルー力」とやらを発揮して無視してもらうしかないだろうね。
「だって長文は携帯ユーザーに迷惑」っていうのもダメだろうね。ハイクの機能として可能となっていて、規約等に禁止が明記されていない限りは禁止事項じゃない。
「たまたま」多くの人がそれに納得して気を遣っているだけで、本人が納得しない限り、いちユーザーが強制できることじゃない。不服ならアイデアでもなんでも出すしかない。一応そういう「ルール」になってるみたいだし。
もう少し気になることあったけど、ちょっと長くなってきたから今日はここまでにしておこう。
年が明けました。あけましておめでとうございます。
気がつけばこの観察記も30回を越えて、うどんの人がマメに取り上げてくれているおかげか、ハイクの人とかも幾らか読んでくれているらしく。
どこまで続けるか分かりませんけど、今年もひとつ。
一応、新年のあいさつ、終わり。
前回書いてからも色々あるらしく。まずは今さら感のある話題だけど取りあえず。
2chにハイクのヲチスレがあるのだが、どうやらそこで私とうどんの人を同一人物と思っている人がいるらしい。
想像力が豊かというか、思い込みが激しいというか。
確かにお互い考え方の方向性が似ている部分があると思うけど、ちょっと読めば別人だというのは分かりそうなものだけど。
今日ここを見てみたら、私以外にも[ハイク観察記]のカテゴリーで書いてる人がいた。
別にこのカテゴリーは私の占有カテゴリーではないので(結果的にそれに近い形になってるけど)、他の人が書いていても全然問題ないんだけど、書いてた内容が不思議だった。
ヲチスレに向かって「こうしたら?」と提案してるみたいだけど、なぜここでそれをやるんだろう?
直接ヲチスレで言えばいいのに。そのほうがよっぽど届く確率は高くなると思うけど。
前回以降ハイクを見ていると、相変わらず思い込みが激しい人が多いなと思う。
一応「ハイク観察記」としているから主にハイクから例を拾うけど、この「思い込み」ってのはネット上のいろんなところで見られるけどね。
観察記32にトラックバックされてたエントリに出てくる「某ユーザ」について、ハイクヲチスレでこういうのを見た。
これも「勝手ルール」で判断した結果だし。「ハイクは会話するところ」「基本が会話」という思い込み。どうしても「会話になる"こともある"し、そうじゃない場合もある」という考えには行き着かないようで。
場所変えてハイクについて語ってみてもこーゆー方向になるのはなんでだろうね。
せっかく「いろいろできる」ようにしてあんのに「あぁじゃないから、こぅじゃないから」とか言い出す。
なるほど確かに不思議だなと思った。
あまりにも自由すぎるとどうして良いか分からなくなっちゃう人ってしばしば見かけるけど、それみたいなものなのかな。
自分から敢えて制限を課して可能性を狭めることで、ようやく自分なりの使い方を見つけ出せるようにしてるとか。
そこから「自由」な使い方してる人にいちゃもんつけるってのは非常に残念なんだけど。
新年早々、自分から絡みにいってそれに反論されて「あの人はちょっと違うから云々」みたいにやってる人いるし。
挙げ句の果てに「話通じないから放っておきましょう」なんて呼びかけてる人まで出てきてるし。
もういっそのことmixiみたいにコミュニティ機能でも実装したらいいんじゃないだろうか。
やたらmixi毛嫌いしてる人をたまに見かけるから、そんなの作ったらその手の人はまたブツブツ言うんだろうけど。
でもグループ機能は持ってるから、無くは無いような気がするなぁ。
「実況論」は取りあえず置いておいて。
観察記32に対する反応で少し興味深かったものを。
あとこれも観察記29で書いたけど、ハイクの利用ユーザー数が増えたらどうするの?
極端な例えだけど、常に「実況」が行われているような流れの速さになったらどうするの?
下記は、上の文に対する反応。
やっぱそん時は「ハイク終わったな」とかゆーんじゃないかね?
API利用してデータ抜いて統計出して傾向を一言添えるのをやってるじゃん?あとおまつりアイコンを切り貼りして並べたりとか。
今なら全体見渡してなんかやり遂げた気分にも浸れる(観察記然り)つーか。
確かにそろそろ「全体」を見るのは難しくなってきたかも知れない。
見慣れないアイコンの人もどんどん増えているし、それに呼応してユーザー間のやり取りも多様化してそうだし。
私が「達成感」に浸っていられるのも今のうちでしょうね(笑)
でもお陰様でこの観察記を始めた当初感じていた「違和感」についても概ねのところで結論は得ることができた。
その辺は『ここ十数回分は「同じこと」言ってるし』というところに集約されるかもしれないな。
現状で「ハイクさいこー!」っていってる人らは今のローカルさ、輪の小ささ・少なさみたいなのに居心地の良さを覚えてるんじゃないだろうか。
ほんで、そこが「暗黙のルール」が広まり易くもある部分か。
逆を言えば、もっとユーザーが増えて輪が大きくなって広くなったらそんな「暗黙のルール」なんて通用しなくなるのかも。
通用しないとは言わないまでも、効力はだいぶ薄まるだろう。
そうなったら今現在のせせこましい問題なんてほんと「一部が何か騒いでら」くらいのほんとのせせこましい問題になるんだろうな。
そう考えたら「暗黙のルール」なんて言ってられるウチが華なのかなとも思ったり。なんだか滑稽に思えたりもしたり。
それはこれを書いてる私もまた然り。
結局のところwebの隅っこのチョコチョコっとした出来事ですから。
そう考えると色々と不思議な気分になる。
前回分にトラックバックが付いていたので、もう一度それについて考えておく。
その内容を読んでみると、言葉が足りなかったせいか今ひとつ私の意図が伝わらなかったみたい。
以下、引用は特に断りがないものはhttp://anond.hatelabo.jp/20081224161454より。
各発言には優劣があるに決まってるじゃない。優劣というのは自分がハイクで楽しむための優劣のことでしょ?判断するのは各ユーザーだよ。
それに自分の発言が“自分にとって”ノイズになるわけないよ。それが全ての中心なんだから。
そんなんだから盲目的に実況を嫌がる人もいるけれど、盲目的に実況を続ける人もいる。誰も「実況だけ」がノイズなんて言ってない。
ここでの「優劣」という表現は少し違和感を感じるけど、受け取る人によって投稿の価値の有無が変わることは分かる。それについては前回書いた。
自分にとって価値がないと思われるものにフィルタリングをかけてより分けるのも特に問題ないと思う。
何度も言っているけど、頂けないなと思うのは、それらのフィルタリングを他人に強要するということ。
そんなフィルタリングを他人に押しつけてまで、前に出すアナタの「発言」にどれほどの価値があるの?っていう。
近頃「実況」周りでそのような雰囲気が見られるから、たまたま引き合いに出したけど、ほかのPOSTに関しても同じ。
きっと自分にとって自分の発言は価値があるものなんだろうけど、その価値観を人に押しつけなさんな、と。
誰の発言も価値が有る可能性はあるし、無価値の可能性もある。そういう意味で優劣はないでしょ?と言っているのです。
つまりさ、俯瞰的な感覚じゃなくて、ハイクユーザーは自分の発言が全体の中でいかに価値付けられるかに必死な部分があるでしょ?って話をしたかったのだけど。
別に自分の発言の価値付けに必死になるのは構わないけど、必死になる方向ズレてない?と思いますけどね。
そんなもんなんだか良く分からない「勝手ルール」持ち出さないで、それこそ自慢のネタでやんなよ、と思う。
「勝手ルール」の布教に精を出すなら、それこそ有無を言わさず星つけたくなるようなクオリティのPOSTのひとつでもしなよ、と。
これは単純にそう思い込んでるだけじゃないですか?
別にみんながみんなTOPページで全発言を閲覧してないと思う。
ひとつ例を挙げると、idページへの絵の投稿でいろんな人からたくさんの星を貰ってる人だっているし。
アナタが思っている以上にたくさんの人がTOPページ以外の「発言」もマメに覗いてると私は思いますけどね。
結局のところ、事例は変わってもいつも問題の根っこのあたりにあるのは、「個々の勝手な思い込み」って感じだ。
そりゃ私もうどんの人に『ここ十数回分は「同じこと」言ってるし』って言われるわ。
実況論に関してはもう行くところまで行って何となく結論は見えてるので、もう書く必要はないかと思っていたら、
前回記事にトラックバックが付いていたので一応それについて思うところを。
「実況を見てる人も楽しめるように書いてくれればいいのに」
というのは、しつこくお笑いについてのにわか技術論ばかりをぶちあげてた某ユーザを揶揄する意味で出た言葉であって、実況に有益性を求めている訳ではないよ
何となくそういう揶揄を含んだニュアンスを感じる書き込みも見たような気がするけど、そうじゃない人も確かいたので。
別に揶揄を含んでいるものに関してだけ言及したわけではないです。
また私が気になる問題の本質はそこじゃないです。
どうして「あれは良くて、これはダメ」みたいな勝手なフィルタリング思考がまかり通るのかというのが不思議に思えるだけです。
ちなみに「揶揄することをどう思うか?」と問われれば「愚痴程度なら好きにすればいいんじゃないか」と答えますけどね。
ここでひとつ素朴な疑問。
このトラックバックをくれた増田さんはその揶揄を書いた本人なんだろうか?
それとも揶揄の意味を汲んだほかの誰かなんだろうか。どちらでもいいけど。
もう一つ。
TOPが実況キーワードで埋まって、自分の書き込みが他の人の目に止まりにくくなってしまうことに不満があるんでしょ?
一覧性へのノイズ程度だったら、あんなに騒がない。
30回も観察記を重ねててそこが分かんないの?
ご指摘の「ノイズ」の可能性についてはもちろん気づいています。
ちなみにその可能性については観察記29で少し触れました。
残念ながらそれには気づいてもらえなかったようです。読んでもらえてないとしても仕方ないですけど。
29では敢えて「穿った見方」として書いたのですが、ここまでハッキリと宣言されては遠慮する意味もないですね。
このトラックバックを書いた方が「いらいら」してるかどうかは分かりませんけど。
ところで実況を「ノイズ」とするのなら、「自分の発言」は何になるの?「ノイズ」とそれ以外を隔てる基準は何?書き込みに優劣ってあるの?
以前この観察記で言及したと思うけど(申し訳ないがいつの回かは忘れてしまった)、私は投稿に関して明確な優劣はないと考えている。
受け取る人によって投稿に価値が有るか無いかは変わると思う。
実況に関して言えば、同じ番組なりを見ている人同士にしてみれば、場を共有しているという点で意味があることだろうし、見てない人にしてみれば意味がないかも知れない。
でもそれはほかの投稿に関しても同じで、「おっぱい」で大盛り上がり出来る人もいれば、不快に感じる人もいるわけでしょ。
自分が気に入らないからという一面だけで判断してどうするの?と思うわけよ。
あなたの自信満々のその面白いネタだってちょっと見方を変えたら全く価値のないことなのかもしれないのに。
それなのに「実況」だけを「ノイズ」とする意味がサッパリ分からない。これに関してはハッキリ言える。
もちろん好みもあるだろうから、単純に「実況つまんない、嫌い」という意見も分かる。別に嫌いと言うのも構わない。個人の好みだから。
ただそれを排除するとなると話は別。その理由は先述したとおり。
あとこれも観察記29で書いたけど、ハイクの利用ユーザー数が増えたらどうするの?
極端な例えだけど、常に「実況」が行われているような流れの速さになったらどうするの?その時も「ノイズのせいで自信の発言が流される、ムカツク」って言うの?
すぐにそんな状態になるとは思えないけど、実際ハイクのユーザーは増えてきているらしいし、必ずしもないとは言えない。
私が「実況」周りで思うことはこんな感じです。
今日はあまり深く考えず、流す感じで。
前回書いてから10日ほど経つが、その間は割合落ち着いている印象。
微妙にザワついていた「ハイク忘年会」も取りあえずは無難に終わったらしく(実際の内側は知る由もないが)。
ただ「忘年会」を企画して、わざわざプロジェクターまだ持ち出して2chのハイクヲチスレを眺めていたのには驚いた。
微妙な気分になる人はいなかったんだろうか。
先日はM-1があったこともあり、また「実況」周りでの批判めいた書き込みがチラホラと。
その辺りは相変わらずだな、という印象。「実況」は「実況」として一つの使い方として認識して頭を切り換えてみればいいのに、と思う。
「TOPの流れが早すぎてキーワードを追えない」って誰かが書いてたけど、
別にキーワードはTOPから追う必要はないし(むしろどのキーワードが盛り上がってるかはHot Keywordsのほうが分かりやすいかもしれない)、
キーワード自体の流れが気になるならそれこそキーワードのページを見れば良いし、
誰か特定のユーザーのPOSTが気になるならその人のページを見れば良いし。
エントリーの見歩き方も、状況に応じて都度やり方を変えてみれば良いのに。
あと「実況」に有益さを求めるのも難しいんじゃないかな。
「実況を見てる人も楽しめるように書いてくれればいいのに」って書いてる人がいたけど、それは恐らく無理。
「実況」って同じ番組を見てる人が状況を共有するために書いてるものだろうから。
同じ状況を共有している人同士、余分な情報をそぎ落とした手軽さがいいんだろうし。
そこに「番組見てる人以外も楽しめるように書いてくれ」って言っても難しそう。
そういう書き方する人は多分「実況」はしないと思う。
家で誰かとテレビ見てて、見てる番組について説明的な会話をするか?ということ考えたら分かりやすいかも。
恐らく「実況」はそんな感覚で行われているんじゃないだろうか。
なんか「実況」の話ばかりになってしまった。
ほかにも気になることが幾らかあるけど、次回。
30まで来てしまった。我ながらよく書くなぁと思う。
さておき、最近興味深いと思ったことを書いておく。
今週の大きな(と言うとやや大げさだが)トピック。
端的に言うと、ダイアリーであった市民制度をハイクにも広げたというものだけど、ハイクでのこれに対する反応はなかなか興味深かった。
これをネタにしてキーワードが盛り上がる、みたいなのはいいとして、私が関心を持ったのは、
「はてなハイク市民なんていらない」
こんな反応を示す人が幾らかいたことだった。
今後市民制度は何らか機能拡張されていくらしいけど、今のところは「はてなキーワード」の編集権を持つくらい。
それ以外の変化と言えば、「Entries」で表示されるアイコンにメダルらしきものが付くくらいだけど非常に過剰に反応している。
しかも割と長くハイクにいる人、いわゆる「古参」に部類される人の中にその傾向が散見される。
アイコンに「メダル」が付くのも面白くないらしく、アイデアで改修も要望されている。
上記のような反応をとても不思議に思う。そんなに目くじら立てるものだろうか?と。
以前ハイクで「Profile」タブが廃止され「Entries」タブに統合されたことがあったが、
これに関してはユーザーの使用感に関わることなので(「Profile」へのPOSTとそれ以外のキーワードへのPOSTを分けて管理したい場合など)、
ある程度要望が出るのも理解できる。でも今回に関して言うと、そのような使用感の変更は今のところない。
「メダル(バッジ)」にしても表示されているのが「Entries」の画像のみなだけなのに「そんなに?」と思う。
アイデアの件に関しては「人の画像を改変」というところが問題になるみたいだけど、そもそも「人の画像」をアイコンにしてるひとも多々いる(アイデアを立ててる人はそうではないかもしれないけど)わけで。
何というか、力みどころがズレてるような気がしてならない。
何が重要かは人それぞれだから一概に「ズレてる」とは言い切れないのかもしれないけど。
話を「勝手に市民に認定されること自体に違和感」を感じているというところに戻して考える。
今回の「自分の思惑から外れたことが降りかかってくること」に対する拒否反応って、これまでこの観察記で取り上げてきたハイク内の衝突に関係しないだろうか?
例えば先日取り上げた「実況」の件とか、しばしば話題に上る「連投」の件とか。
勝手に作り上げた「自分の」ルールから外れるものに対する拒否感の表出という点では似ていると思うのだがどうだろう?
必ずしも「実況」「連投」、その他の件に異を唱えていた人が「市民制度」に異を唱えているとは限らないのだけど。
上手く表現できないけど、何か繋がってる気がするんだけどな。
この週末見てて不思議に思ったことをひとつ。
「実況」の話。
ハイクではテレビ番組に関する実況のキーワードがしばしば盛り上がる。
実況という性質上、番組放送時間中はPOSTが大きく伸びTOPページへの表示数が増える。
どうやらそれを「うざい」と思う人が多々おり、その旨のPOSTにより一悶着あったみたい。
この手の何か特定の書き込みに対する嫌悪感による衝突って不思議だなと思う。
今回の「実況」に関して言えば、キーワードの元に繋がってるという意味ではそう間違ってはいないと思うのだが。
「実況」や「連投」を問題視する理由に「TOPページが一部の話題で埋まってしまうのは良くない」みたいなのをよく見るが、これも今ひとつ良く分からない。
そもそも書き込み自体に優劣なんてあるんだろうか、という感じで。
いつだったか「ハイクにはもっと有益な書き込みをするべき」みたいな話をしていた人がいたような気がするけど、何が「有益」か?なんてそれこそ人それぞれなわけで。
じゃあ連投批判してる人だったりのPOSTを見てみても私は別段「有益」とは思わないわけで。
そういうのを見ると、「うざいとか言って、結局のところ、TOPページの流れが早くなって自分の書き込みが流されてスターが付かなくなるのが嫌なだけじゃないの?」なんて穿った見方の一つもしたくなる。
そもそもTOPページに固執しすぎること自体どうなんだろう、という気も最近は少ししている。
当初は自分のFollowingにはスターフレンドのPOSTが表示されていたため、フィルタリングをかけるのが難しかった。
でも今やユーザーのみならず、キーワード自体もFollowできるようになっているわけだから、必ずしもTOPに固執する必要もないと思う。
これも前に誰かが言っていたが、現在はユーザー数700程度だからTOPの流れの早さはたかが知れているけど、
これがもし数千、数万レベルのユーザー数になったら流れ云々なんて気にしてる場合じゃなくなるんじゃないかという。
TOPページが特定の話題に選挙されていたら新規ユーザーが入りづらいんじゃないかという話もしばしば出るが、
そうやってハイクの使い方に関して、特に禁止事項として明記されていないにも関わらず、
あれやこれやと難癖付けるほうがよほど初心者に対して敷居を高くすることに繋がると思うんだけどな。
別件だけど、今日は何か「ハイク忘年会」で一部ザワついているみたいだし、同じようなことをクルクル繰り返すのが好きなのかな。
いろいろ不思議だな。
トラックバックを貰っていたので取りあえずその件に関して考えてみようと思う。
以下、引用はhttp://anond.hatelabo.jp/20081130112107より
どうしてRecent EntriesがTOPに来ていると、コミュニケーションを取ることが全面に打ち出していることになるんだろうか?
サービスのTOPページに最新情報が表示されることはコミュニケーションを想定したサービス以外でも普通にあることだと思うんだけど。
これに関してはどの時点を指して「まずidページがTOPに出てきてしかるべき」と言っているんだろう?
ハイクにアクセスした時点?ログイン状態を保持したままアクセスした場合ということだろうか?
ちなみにhatenabarを使ってアクセスした場合、ハイクボタンを押したらまず自分のページに飛ぶんだが、そういう意味じゃないんだろうか?
もしhatenabarを使わなかった場合、ハイクのTOPに飛ぶわけだけど、それははてなの他のサービスも同じだから、はてなのサービス全体の統一感を考えたら妥当な遷移だと思う。
なのでそれを理由として、「真っ白なノート」としてはてダのほうが適切という気には特にならない。
申し訳ないけど、どういう意図で書いてあるのかこれだけでは私には良く分からない。
なので「そういう意味」がどういう意味を指すのかも良く分からない。申し訳ない。
それはさておき、ハイクがコミュニティ化しやすいサービスであるという事に関しては私も異論はない。
私はハイクの使い方は人それぞれの自由で構わないと思っているので、交流をメインとしたコミュニティ的な使い方も選択肢の一つだというのも理解できる。
だけど決して「ひとつ」のコミュニティというわけではないと思う。
私が違和感を感じるのは色々な意思が集まってハイクを形成しているのに、勝手に「ひとつ」のという形で括ってしまうところなんだ。
そして勝手に作り上げた「ひとつ」のルールをさも全体のルールであるかのように運用されてしまうことに疑問を感じているんだよ。
これまでにも何度も書いてきているけど、ハイクのTOPが公共の場であるのは間違いないので、ユーザー同士の気遣いは必要だと思う。
が、それはあくまで各個人の尺度に任せられるものだと思う。誰かが強制するものではないと思うよ。
私は他のサービスを熟知しているわけではないので、「そうそうない」の基準が良く分からないけど、オフが活発なのって一部ではないの?
よく見かけるオフ系のキーワードで実際にオフに参加している人は、既に何度も同じメンバーで集まってる顔なじみさんって感じがするし。
新たに参加する人も幾らかいるみたいだけど、それにしても700人のうちのほんとにごくごく一部だと私は思うんだけど。
「オフが活発」という点もハイクを構成する一要素としては理解できるけど、だけどそれが「コミュニティ化」の主要素としては受け取れない。
最後にこの点について。
私はどうしても「チャット」というイメージでは捉えられないな。
「チャット」とは「会話」すなわち誰か他人と繋がることを想定している発言ってことでしょ?
確かにそういう体でPOSTする人もいるけどみんなじゃないし、仮にそういうものだとしたら、ネタ系のキーワードとかお絵かきはどこに行っちゃうのか?ってことになっちゃう。
あまり用途を限定して捉えないほうが良いと思うんだけどどうだろう?
と、ここまでトラックバックを貰った内容に対して私の捉え方をぶつけてみたわけだけど、やっぱり最終的には「人それぞれ」になるんだよね。
別にトラバをくれた人の捉え方はそれはそれで持っていて良いと思うし、たまたま私は疑問に思う点があったけど、納得して賛同する人もいるだろうし。
結局そういうことなんだよね。
だからほんとに思ったように好きな使い方をすればいいと思うんだ。いろんな使い方を混ぜちゃうのもありだと思うし。
ただ、先にも書いたように勝手に「ひとつ」に括っちゃって勝手な思い込みでそこに押し込めちゃうようなことさえしなければ。
ハイクってダイアリーとかブックマークに比べると狭い世界だけど、「文化圏」みたいな考え方が適用できるのかもしれないとふと思った。
そういえば前に「セグメント」について指摘されたことがあったし。
考えてみると興味深いような気がするけど、ケースを集めるのは意外に大変かも。
気がついたらずいぶん間が空いていた。
ハイクは見てたし、しばしば気になることがあったりもしたけど、グルグルと小難しく考えてるうちにまとまらなくなって書きそびれていた。
ここはひとつ肩の力を抜いて少し軽い気持ちで見たまま思いついたままの雑感を久しぶりに書いてみようと思う。
これまで何度か引用などをさせて貰っているダイアリーに少し前に下記のような提案があった。
お観察さんは「仮定したケース」ではなく、お観察さん自身のハイクの使い方やモチベーションをケースにすればいいと思った。
それとの比較によって「違和感」がはっきりしてくるんじゃないかしら?
私自身のハイクの使い方というと少し話が狭くなると思うので、私のハイクの捉え方を出発点に考えてみようと思う。
自由に好きなことを書く場所っていうことだけ。
規約に反したり、公序良俗に反したりというような明らかに問題があるようなことさえなければ何でも良いと思う。
以前もこの観察記でも書いたが「真っ白なノート」というのが一番適当だと思っている。
そこに日記だろうが、写真だろうが、動画だろうがなんでも書き込めばいい。
それこそ議論したければすればいいよ。
それぞれがそれぞれの思ったように使えばいい。
それが私のハイクの捉え方。
先のハイクの捉え方を踏まえたら、違和感のもとは拍子抜けするくらいあっさりと分かった。
前々から何となくは気づいていたけど。
結局何か「型」にはめてしまうようなことをしてるのを見ると違和感を感じるんだろうね。
とりわけ誰かが作った「型」を人に押しつけようとしている時に特に違和感を感じるみたい。
「こうあるべき」とか「こうしなくてはいけない」みたいな感じで。
例えば「長文は書かないべき」とか「使えないキーワードは作るべきではない」とか。
あとそれが転じて発生するルール管理やその一環のとしての自警行為みたいのもちょっとなって。
その手のは例の「ユーザーh」の件以降はほとんど無いみたいだけど。
ただ、以前書いたけど、極端なことは控えるみたいな他ユーザーへの気遣いはあっても良いと思う。「公共」の場だし。
取りあえず違和感についてはそんな感じだろうか。
この辺で突っ込み入れていくのって結局繋がりを意識した結果なのかなとふと思った。
「繋がること」が命題化してしまった結果というか。「繋がること」が当たり前みたいになってしまった結果というか。
「ハイク全体がひとつのコミュニティ」みたいな捉え方をしてしまうとそうなりやすいのかもしれない。
ほんとは全然そんなこと無いのに。
こうなってくると確かにもはや「ゆるい繋がり」とは言えないのかもしれない。
色々尻切れトンボになってるけど、長くなってきたから続きは次回にでも。
少しずつ色々思いついてきたので。
個人的にお絵かき系のキーワードは好きなので、形はどうあれこの手のキーワードが盛り上がるのは少し嬉しい。
それはさておき。
先のキーワードでは描いてもらいたい人がリクエストして、それを見た絵描きさんが描くというやりとりが行われていて、それを見てひとつ気がついた。
「最近交流を指向している人が増えてるかも」
なんとなくTOPページを眺めたとき、そういう雰囲気の人が多いからかもしれないけど。
ひとりごとを呟くというより、「誰か」に向けて呟いているのがチラホラ見受けられる。
もう文体自体が「誰か」に向いている。
この「誰か」というのは特定の誰かを想定しているわけじゃなくて、文字通りの「誰か」。
以前は誰に向けるでもない文字通りの「ひとりごと」があって、その中の何かが引っかかった人はReplyなりをするという形が多かった気がするけど、少し変わってきたんだろうか。
実際オフ会のキーワードへの反応で交流したいという気持ちを明言している人もいるし。
こうなってくるとやはり「ゆるい繋がり」というのとは少し変わってくるかな。
そこでふと「そもそも私は何を『ゆるい繋がり』と見ていたの?」という疑問が。
これについては次回にでも考えることにしよう。
仮定を駆使して一般論作り上げるのはまずいんじゃなかろうか。
仮定って検証しなきゃどーしよーもねーんじゃね?
至極ごもっともな意見。
改めて読み直してみると、単純に個人の雑感として書く分にはまだいいかもしれないが、仮にも「観察記」と銘打つ文章としてはズレがありすぎた。
また主張に対する論拠も仮定中心だったため不明瞭だった。あれでは「思い込み」と言われても仕方がない。反省。
ちなみに前回書いた、
この「人となり」というのはPostした人間の人となり。
「Postした人間に対して何らかの悪印象を持っている人でさえも、星を付けてしまうようなエントリーってそうはないんじゃないか?」
ということを言いたかったわけだけど、確かに「そうそういない」も仮定でしかないので主張としてはイマイチだった。
「暗黙のルール」と「ゆるい繋がり」そして「スター」、この三つの関連性は強く、これがしばしば起こるような問題とも関係があるんじゃないかと私は踏んでいるのだが、今のところ明確な根拠を見いだせていない。
前回に書いたような仮説は幾らでも思いつくんだけど、それを列挙するだけでは前回と同じ結果になってしまう。それでは意味がない。
難しいね。取りあえずこの件は保留にしておこう。
観察記23の続き。
例のごとく以下の文はわたしの主観によるものです。
前回「ルール」についてふっと思いついたことが、と書いた。
それはハイクでの「ルール」について考えることは「webのルール」を考えることに似ているということ。
ここで言う「webのルール」というのは「ローカルルール」に類するもの。
例えば最近はあまり見られなくなったけど「無断リンク禁止」とか「ブックマークはTOPページにしろ」とか。
これってページの管理者が主張するのは自由だけど、閲覧者なりがそれに従うかどうかもまた自由なわけで。
主張するのは自由なんだけど、強要はできないという。にも関わらず一定の効力を有する。なぜか?
その原因は「ゆるい繋がり」にあると考える。
前述の「ゆるい繋がり」について考える前に、一度エントリーへの反応について考えておこう。
ダイアリーではブクマやコメント以外にもPVなりで自分のエントリーに対する反応が分かる。
だがハイクでは自分のエントリーに対する反応の指標となるのはスター、Reply、スターコメントしかない。
これはハイクでは閲覧側が能動的に行動しないとエントリーへのレスポンスが反映されないということを表わす。
次に一番気軽な反応と思われるスターを付けるモチベーションについて考えてみる。
お手本的な答えをすると「エントリーに何らか共感を覚えたとき」となるだろう。
純粋にエントリーに対して共感を覚えることも多々あると思うが、この「共感」、ユーザーに対する印象にも大きく左右されないだろうか?
例えばよく見知っている仲の良いハイカーと見慣れない新規ユーザーどちらにスターを付けやすいだろう?
もちろんユーザーの姿勢にもよると思うが、前者のほうがスターを付けやすい人が多いんじゃないだろうか?
Followingページしか利用しない人にしてみたら、見慣れない新規ユーザーの投稿自体を目にしないということもあるかもしれないしね。
スターを多く得たいと思うならば、エントリーの内容に気を配ることに加え、既にある「輪」の中に入っていくのも一つの手だろう。
ここでもう一度「ゆるい繋がり」を考えたとき、この「共感」と「輪」はハイク内の「ゆるい繋がり」の一つの形と言えないだろうか?
わたしは言えると考える。
「ゆるい繋がり」に関してはこれまでも似たような言及もされていると思うので、敢えて言及する必要もなかったのかもしれない。
ではこういうケースを仮定して考えるとどうだろう?
他ユーザーからのレスポンスをハイク上で大きなモチベーションとしているユーザーがいるとする。
このユーザーがレスポンスを得るために「ゆるい繋がり」を頼りにしているとしたら?
「ゆるい繋がり」を維持するために「輪」の中の調和を乱さないように気を付ける必要があるだろう。
調和を乱さないためには「暗黙のルール」を守る必要があるかもしれない。
もしこの「暗黙のルール」から外れて「輪」から飛び出してしまったら?
ユーザー「h」ほどではないにしろ、他ユーザーから距離を置かれて自分のエントリーに対して能動的に反応されなくなったら?
そこまでハイクに執着する必要があるのか?という疑問を感じなくはないが、常駐に近い状態でハイクを利用している人にしたら切実な問題かもしれない。
人となりが影響しないほど、有無を言わさないほどのクオリティのエントリーをPostしている人なんてそうそういないしね。
この「ゆるい繋がり」を維持しようとするがゆえに「暗黙のルール」を守らざるを得ない人は結構いるかもしれないな。
この辺りがわたしの違和感の源泉と思う。いや、もう少し先があるかもしれない。
やや散漫な内容になってしまった気がするので、この件に関してはまた改めて考えるかもしれない。
観察記22の続き。
前回同様以下の文はわたしの主観であることをあらかじめおことわりしておく。
前回、ハイク初期の大喜利記を経て「ゆるい繋がり」が生まれ始めたところまで書いた。
Replyを使った個人同士のやり取りなんかもTOPページで見られるようになってきていたと思う。
今ではこの手のやり取りはidページで行われることが多いと思うが、当時はまだidページの使い方というのが今ほど浸透しておらず、TOPページの交流がメインだった。
(これはProfileというタブ名によるところが大きいのかもしれない。が、それは別の話。)
これまでのような大喜利の流れ、加えて「ひとりごと」などで行われる雑談的な流れ。
この辺りの流れが徐々に目立つようになってきた。
ほどなくしていくらかユーザー各の個性というか、色が見えるようになってきた。
そのせいかユーザーが個別にクローズアップされるなどのキーワードがチラホラ見られるようになってきた。
徐々に「内輪ネタ」であったり、所謂「馴れ合い」のようなものも目立つようになる。
そしてひとつ問題が持ち上がる。
「今のハイクはご新規さんには敷居が高いんじゃない?」
見知ったユーザー同士がレスを返し合ったり、誰か固有のユーザーのことで盛り上がっていたりすれば、それらの事情を知らない人からすれば入りづらいだろう。
でも今にして思えば「新規が入りづらい」ということ事態が「思い込み」だったんじゃないかなと。
だって必ずしも「輪」に入る必要なんて無いもの。それだけがハイクの使い方じゃないもの。
それに別にその人次第で「輪」に入っていくことなんていくらでもできただろうしね。
実際にいつの間にか「輪」に入っていた人はいたと思うし。
でも「こうあるべき」というものは徐々に出来上がっていく。
結局ハイクの多くの部分に影響を与えるのはこの「思い込み」の類なんじゃないだろうか。
ハイクの一部分はこの「思い込み」の輪の中で同じ事を繰り返してるだけなんじゃないだろうか。
以前も書いたが、利用者が気持ちよく利用できるようにユーザー同士の気遣いというのはある程度必要だと思う。
だけどそれは強要するものではない。
と、ここまで書いて「ルール」ってことについてふっと頭に思い浮かんだことが。
…24へ続く。
ユーザー「h」の件を一区切りとして、自分なりにひとつ結論が出た気がするのでまとめておく。
なお、以下の文はあくまでわたしの主観に基づく結論であることをはじめにおことわりしておく。
これまでハイク内で大小問題が起こり、収束するまでの流れを見ていて何度か違和感を感じてきた。
わたしはずっとその違和感の原因が分からないでいた。
でもひとつ、「ハイクはユーザーが思い込みで見えないルールを作り上げてしまう」ここに違和感の原因の一端があるんじゃないか、ってことに気がついた。
そのルールはいつできたのか分からない。誰が作ったのかも分からない。明確な基準もない。
そしてそれはどこにも書かれていない。
でも一部の人たちは何となくそれを意識していて、その枠の中で動いている。
ハイクはある意味、そのシステムは非常に自由なサービスなんじゃないかとわたしは思う。
例えるなら真っ白なノート。
そこに文字を書こうが、写真を貼り付けようが、絵を描こうがかまわない。
あまりに自由すぎて何をすればいいのか分からないから、試行錯誤しながら最初は使ってた。
はじめはきっとそんな感じだったんじゃないかと思う。
そんな中から何となく大喜利的な流れがひとつ生まれた。
でも少しずつ人が増えるにつれて、多様な使われ方が出てくるようになった。
そのうち常駐に近い状態でハイクを利用する人も増え、顔見知りみたいなのもできてきた。
そうして人と人との繋がりが生まれてくると、何となく他の人に気を遣おうという意識を持つようになる。
特にTOPページに関しては多くの人が目にする場所だし、みんなが気持ちよく使える方がいいよねという感じで。
そのためにはある程度ルールがあったほうが良いよね、みたいな流れで暗黙のルールが出来始めたんじゃないだろうか。
もちろんみんながみんなそのルールを知っていたわけではないと思うし、必ずしもそれに納得していなかったとも思う。
「わざわざ外れたことして文句言われるのも詰まらないし、別に意地になって破るほどのことでもないから、何となく収まっておけばいっか」
くらいに考えてたは少なくないんじゃないかと思う。
そうして何となく「ゆるい繋がり」が生まれ始めた。
・・・23へ続く。
前回はやや短絡的に雑感を述べてしまったような気がするので、
トラックバックのエントリなどを読みつつ、また少し考えてみようと思う。
ユーザー「h」の件に関しては、正直なところ、現時点でもどうすることが正解かは私にはよく分からない。
結果的に運営がハイクの利用停止という措置を取ったことはいささかスッキリはしないが、即効性を考えたらやむなしとは思う。
また一部ユーザーが通報という手段を取ったことに関しても、以前から書いているように問題ないと思う。
やはり何度考えても引っかかるのはそこに至る経緯なのよ。
結果論ではあるけど、[観察記19]で書いたように、ある程度の対話を交わし、
論議が平行線に向かう兆候が見えたところで「h」と距離を取り、通報し運営の判断を待てば良かったのではないかと個人的には思う。
感情にまかせた罵倒や、「つきまとい返し」、idページ等での通報の途中経過の仄めかしをせずに、だ。
Greasemonkeyでのユーザー拒否なんかも、結局ユーザーが作ってる「裏技」でしかなくて、はてなが用意した機能じゃない。
ハイカーが自発的にhをなだめたり説明したり、それができなかった結果、排除しようと様々な実力行使に出ざるを得なかった。
とあったけど、機能としてユーザー拒否ができないからといって、どうしてユーザー側が「排除」するための「実力行使」が必然となるんだろう?
仮に機能面での不備があったとして、そのことがユーザーの「実力行使」による「排除」を正当化する理由にはならないと思うのだけれど。
続いて、
運営側が何もしないのであればユーザーが何かしら行動を取るしかない。
とあるけど、運営側は何もしていないわけではなく、ユーザーからの通報によって注意は与えていたとのこと。
仮にアクションを起こすまで時間がかかっていたとしても、運営としては通報された事例が通告対象になるのかの調査・推移の観察が行われていたのではないかと考える。
通報だけではおいそれと注意なんてできないでしょう。万が一何かの行き違いなどがあった場合、はてな側が通告したユーザーに訴え返されてしまう。
もちろん私が直接やり取りをしていたわけではないので、これは伝聞からの推測だけど。
また拒否アカウントの設定をしないからといってそれを「怠慢」というのも分からない。
もし、はてなアイデア等でそれらの機能実装が検討、若しくは採用状態になっているにも関わらず一向に実装が進まないとなればそう言えなくもないのかもしれないけど。
(ちなみにそれに類する、はてなアイデアの調査はこれを書いている時点では私は行っていない)
結局のところ最終的にルールを作るのはユーザーではない。最終的にルールを作るのは運営だと思う。
ルールができるまでの「声(意見)」はユーザーが存分に挙げてもいいと思うけど。
その辺の境界線が曖昧(若しくは境界線に気づかない)になって、色々なことを「暗黙ルール化」して自警団化してるユーザーがいるのかもしれない。
他のユーザーへの気遣いはあってもいいと思うし、意見交換や提案なんかももちろんあってもいいと思う。
ただそれは明確にルール化されていない限り強制するものじゃないんじゃないかな。
別に「ハイクはこういう使い方をしなさい!そうじゃないと規制します」なんてどこにも書いてないし。
下記のブログにも先述のトラックバックに対する意見が書いてあったけど。
これまで色々な問題が起こる度にユーザー間に温度差が生まれたり、微妙な空気が流れたりしたのはその辺りの認識の差が原因かもしれないね。
最後に以下の部分だけど、
少なくとも復活した(と思われる)h2はまだまともな行動を取ってる。
h2が今後どういう行動をとるかはわからないが、
これは本当のところは分からないけど、ハイクが使えなくなって今までと同じようにできなくなっただけでは?
この場合の「アカウント停止の意味」とは単純に封じ込めるという意味なんだろうか。
だとすればそれなりの効力を発揮してるのかもしれないけれど。
その後、別アカウントにてそれらしき人物が現われた(便宜上h2とする)がごく一部を除いて、今回は特に絡んでいく人は少ない。
「h2」は「h」のようにTOPページでは極端な行動はしていないということもあるだろうけど。
ここから少し単純な感想を書く。
何というか虚しい。
あれだけ大騒ぎして利用停止にしても「h」は結局戻ってきている。
まぁ、2回目ともなればちょっとのキッカケがあれば再び停止に追い込むことは容易かもしれない。
「h」はやや極端な例だったけど、今回のように何か問題が起こる度に一連の追い出したユーザーは同じようにするんだろうか。
今回は極端だったから特例?どこがその境目?
どこまでその「戦い」を続けるのだろうか。その「戦い」の度に自分の不快を周りのユーザーにまき散らすのだろうか。
何がそこまでさせるんだろう。
取り留めない「?」が頭の中に浮かんでは消える。
前回のエントリーに対してのトラックバックや言及がいくらかあったので、
それに触れつつもう少し考えてみようと思う。
前回いくつかの要因の「合わせ技」によって停止になったのではないかと書いたのだが、実際は再三の注意勧告を無視してつきまとい行為を続けたことが決定打となったようだ。
その点に関しては下記のダイアリーのエントリーの指摘により理解した。
停止理由に関して理解はしたけど、注意勧告があったとはいえ、「迷惑行為」という判断基準が曖昧という考えは変わっていない。
詳しくは把握していないが、ダイアリー・ブックマーク界隈では明らかな誹謗中傷による処置はあったようだが、今回はそれに当てはめるには微妙な気がする。
観察氏は,女性ハイカーがセクハラ発言を連投されてつきまとわれていたことをご存知ないんでしょうか.
似たようなことをされて,またそれを目の当たりにして耐え切れずに辞めてしまった女性ハイカーが複数いることも.
もし知った上で『スルーしろ』『我慢しろ』というのは酷ではないですか.耐性は人それぞれ違います.
たしかに,手放しにこれでよかったとはまったく思いませんが,すでに最近はスルーだけでどうにかできる範疇を越えていましたし、他に方法が無かったように見えます.
全容は把握していないけど、連投により付きまとわれていたのは認識しています。
しかしながら、それを感情的な観点から利用停止の原因と言い切るのには躊躇します。「セクハラ発言」の連投と限定するならなおさらです。
何を以て「セクハラ」とするかという問題に関しては、それこそ裁判でもその判断が争われるような事案です。
問題のユーザー「h」の発言がそれに掛かるか判断するのは難しい。わたしが見たところ直接的な卑猥な表現もないようでしたし。
卑猥表現がないからといってセクハラでないと言い切れないのは分かりますが、ハイク内にはほかにも卑猥表現をするユーザーはいますし。
実際「おっぱい」の連呼であったり「へっこ」によって不快感を感じている人はいましたしね。別に今そのことを糾弾する気はありませんが。
そのためわたしは「ある程度は仕方ないのでは」と思ったのです。結果的に運営側に「行き過ぎ」と判断されたわけですが。
初期段階でスルーしてしまえばよかったんでしょうけど,彼が質問系の書き込みをして親切なハイカーが応答してから,連投リプレイやコメント攻撃が始まったようなので「触らなければよかった」というのも結果論に過ぎません.そのリプレイ攻撃をスルーすればよかったのかもしれませんが.
またつきまといに関しても、上の増田氏が書いているように親切なハイカーの「好意」が始点の可能性もあります。
その「好意」を受けてユーザー「h」が寄ってきたと。
確かに「触らなければ良かった」というのは結果論に過ぎないと思いますが、触ってからの距離の取り方には他のやり方があったかもしれません。
わたしが見た限りですが、その距離の取り方はかなりヒステリックな部分があった気がします。
それに対してユーザー「h」がムキになった(おもしろがった)可能性もある。
もちろん耐性は人それぞれですから、どうしても我慢できなかったというのも分かります。
でもやり方によっては問題が拡大しなかったかもしれませんね。まぁ、これも結果論ですが。
あと、この件の引き合いに「へのへのもへじ」の件を出してくるのは違うと思います。
全く質が違う問題について言及することに意味を感じません。
もちろん通報したとして「へのもへ」の人が利用停止になることはないでしょうね。
前回も書いたように通報自体は構わないと思う。ただそのやり方にはやはり疑問を感じる。
ハイク内で逐一仄めかした途中経過を報告し、ところ構わず特定ユーザーによるユーザー「h」に「つきまとい」追い込みをかける。
「毒を以て毒を制する」つもりなのか分からないが、もしそれが正当なやり方だと思っているとするなら怖い。
そしてそのユーザーは「利用停止」という結果を得て喜び、今もハイクにいる。
ユーザー「h」に否があったとしても、やっていることはユーザー「h」と似たようなものだし。
これはこれで問題があるんじゃないかとも思ってしまう。
この辺りが違和感を感じる要因なのかもしれない。
最後に。
「依存度が異常に高い人」ほど「撤退宣言」を出したがったり、退会翌日には戻ってきたりという芸を誰も頼んでないのに見せてくれる人もいるんで、その辺は大丈夫なんじゃないの?
「ただ離れたユーザーは簡単には戻ってこない」ってのに関して大丈夫とは言い切れないと思う。
例に挙げられていたハイクに「依存」してる人が特殊であって、それ以外のほとんどの人はそうじゃないもの。
やや散漫な文章になってしまった気がするけど、今日のところはこんな感じかな。
前回書いた件に関して動きがあった。
どうやら問題のユーザー「h」は利用停止になったようだ。
はてな情報削除関連事例??迷惑行為
・08101501はてなハイク
前回のエントリーのように考えていたのでこの結果には正直驚いた。
確かに問題がなかったとは言い切れないが、「迷惑行為」というある意味曖昧な基準によって停止したというのは一つの事例になりそう。
複数人でのアカウント共有に関しても「ほのめかした」というだけで確証はない。
一つの問題点でと言うより「合わせ技」でアウトと言ったところだろうか。
当事者とそれ以外の者では当然のことながら温度差があるのであまり突っ込んだことは言えないけど...。
結果はさておき。
正直わたしは問題ユーザー「h」に関しては特に思うところはない。
「行き過ぎているのではないか?」と思うことは確かに多々あったが、
明確な禁止行為をしているわけではなさそうだったので、迷惑を被っている人には申し訳ないが「ある程度仕方ない」と思っていた。
今回の件で気になったのは迷惑を被った側だ。
問題を感じたことに関して「通報」という手段を取ることに関しては構わないと思う。
ただそのことに関してハイク内でほのめかすような投稿をし、一部ユーザー間で連携を取るようなやり方には若干疑問を感じた。
いや、ユーザー間で連携を取ること自体は問題ないか。それがハイク上でやり取りされていたことに違和感を感じたんだ。
その違和感の元が何であるかは今は分からないけど...。
そして利用停止が決定になった後には連携ユーザーの間ではその結果を得たことに対して称え合いが行われていた。
今回の処置に関しては適切であったか、何が正しいのかということは今のところわたしには分からない。
ただこれまであったような「追いだし劇」に運営が関与してきたことによって、何らかのしこりが残ったことは間違いなさそうだ。
積極的に「排除」に当たったユーザーとそれ以外のユーザーの間にも溝はできただろう。(実際この排除劇に関して否定的な意見もいくらか見られた)
「感情」が積極的に前に出た排除劇だっただけに(実際に直接的な罵倒もあった)、手放しに解決したとは言えない状態に今あるのかもしれない。
このあとどんな流れになるのかは今は分からない。ただ離れたユーザーは簡単には戻ってこない。
前回書いたユーザー(便宜上hとする)の件がいよいよ複雑になってきたみたい。
これまでの他の問題が吹き飛ぶくらいの暴れっぷりだ。
はじめは連投であったり、連Reply、他ユーザーのidページへの多投が問題とされていたが、
近頃では意味不明なキーワードの量産、他ユーザーのエントリーのコピペと動きの幅を増やしてきている。
「スルーが最良の方法」という認識も一部あるようだけど、自分のエントリーが無断で(引用元が記載されていない場合もある)、
かつ茶化したように(hの本意は不明)書かれていれば、全くスルーするというのもなかなか難しいのかもしれない。
これまでいくつかの方法(運営への通報、対話など)で解決(排除)を試みられていたけど、
どの方法も決定打にはなり得ていないだろうとわたしは思う。
それは「h」は明確な違反を起こしているわけではない(わたしが見た限り)というところが大きいんじゃないだろうか。
恐らく通報したユーザーは規約などを目を皿のようにして読んだと思うのだが、「h」の行動に関してはグレーもしくはシロと判断されるだろう。
結局のところ「排除」側ユーザーの動機として先に立っているものは「不快感」だ。
この辺りの傾向に関しては下記のダイアリのエントリーが的を得ていると思った。
先に書いたように、特に関わりたくなければひたすら放置するのが妥当な方法だと思うけど、
その不快感はハイク全体を巻き込むとは言い難いが、それなりの数のアクティブユーザーに影響を与える。
でもどうしようもない。そんな「負」のスパイラルにハイクは放り込まれてるのかもしれない。
ちょっと大げさに言うと。
あと何日か前の増田で見かけた「ネットゾンビ」というのもなかなか言い得て妙だと思った。