前回書いたユーザーの問題で昨日は一悶着あった。そのユーザーの傾向とは、
なのだが、その後も他ユーザーの「忠告」も無視し続け(理解してない?)我が道を通していたところ、
いよいよ問題のユーザーのidページに他ユーザーが乗り込んできて「対話」が行われていた。
「対話」とはいうものの、かなり過激なやり取りだったように思う。
しかも書き込んでいるユーザーが問題のユーザーのidを揶揄した明らかなサブアカウントである。
正直、若干の恐怖を感じた。路地裏に引っ張り込んでリンチかましているような。
問題のユーザーのスタンスにも問題があったのかもしれないが、あまりにも度を超えているんじゃないだろうか。
わたしははてな内の揉め事にそれほど詳しくないのだが、ダイアリー辺りでもこんなやり取りが起こるんだろうか。
ハイクのような場の流れが早い場所で、矢継ぎ早に追い込みをかけるようなやり方はいかがなものかと思った。
また他方では積極的に運営に働きかけ、アカウント削除を試みる人もいたりするようだ。
確かに問題のユーザーとの対話は暖簾に腕押しのような印象を受けたし、
実際に人によっては「粘着」と受け止められかねない絡み方が原因でハイクを去ったユーザーもいるようだ。
それにしても「毒には毒を以て」というのは問題があるんじゃないだろうか。
「そうは言っても、理屈が通じない」と言われると上の行と無限ループが起こってしまいそうだが。
しかし問題ユーザーを責めるための「正義感」はあまりにも不確かだし、いちユーザーがそこまでの権限を持つとも考えにくい。
このように一部のユーザーが強硬な姿勢を示すことで、それを目にしたライトなユーザーは何らかの「畏怖」を感じるのは想像に易い。
こうして一部ハイク内に「学級裁判」な空気が蔓延し、より「村」としての性質が強まる。
TOPページでのライトな雰囲気の裏にidページ等に流れる重い黒さ。
何が正しいのか分からなくなる。
最近は落ち着いているなと思っていたけど、それは表向きの話で、
裏ではあれやこれやと起こっているようだ。
たまたま目にしたところだと、あるユーザー間の揉め事が運営への通報沙汰まで発展しているようだ。
通報されたユーザーに関しては、しばらく前からそのスタンスを巡ってハイク内では話題になっている。
あまり詳しくは把握していないが、どの辺りが問題視されているかをざっとまとめると、
投稿内容があまりに独特かつ、多数に及ぶので上手くまとめ切れていないが、概ねこんな感じだろうか。
一見さほど問題ないように思える行動であるが、どうも人の様子を伺うことなく独自に突っ走った行動を行う辺りが問題視されているようだ。
また、自分から質問を投げかけておいて、周りから回答なり提言なりを受けるもそれを消化することなく、
同じような投稿を続けているのも問題視されている点かと思われる。
当初はハイクユーザーの人の良さ?もあって、あれやこれやと相談に乗っていたようだが、
そのこともあって「騒動」としては沈静化したかと思い見ていたのだが、どうもそうではないらしい。
少し長くなってきたので、次回に続く。と思う。
近頃はずいぶん落ち着いた雰囲気になったような気がする。
相変わらず「議論」も「長文」もちょいちょい見られるが、割と溶け込んでしまっている感じがする。
熱さも喉元過ぎればなんとやらなのか、ユーザー同士なんらかの無言の調整を行っているのか落ち着いている。
表向きは一時期のようにネタの投稿が増えてるみたいだ。
いわゆる「馴れ合い」のようなユーザー個別のやり取りみたいなのはidページ中心になってるみたいだし、
ある種棲み分けがされるようになってきたんだろうか。
前回「アカウントを幾つか使い分けているユーザーがいるようだ」と書いたところ、
実際に使い分けていると思われるユーザーからトラックバックがあった。
アカウントごとにキャラクタを使い分けるというのはなかなか興味深いと思った。
やはり人間関係みたいなのが構築され始めるといろいろな「しがらみ」が生まれて書きたいことが書けなくなるのは必至のようだ。
その辺はネットと言えども日常生活と変わらないってところか。当たり前と言えば当たり前なことだけど。
「ネタ」「日常」「絵」など一つのアカウントですべての要素を含ませてしまうより、
投稿内容に応じてアカウントを切り替えるというのはひとつの選択しかもしれない。
特にハイクはその仕様上投稿したエントリーの管理が煩雑になりがちだし。
はてなの他のサービスとの繋がりを推進したいというような書き込みも先ほどチラっと見えたし、
これからもっと変わっていくのかもしれないな、ハイク。
でもその時はまた、既存ユーザーとの衝突は避けられないのかもしれないけど。
近頃はネタの投稿がずいぶん多くなってきたような気がする。
そのせいか1日のエントリー数も伸びてるとか。
その反面、既存ユーザーの「休止宣言」も相次いでいるようだ。
やはり「議論」だったり「長文」だったりと新しい傾向のユーザーと折り合えないんだろうか。
「めんどくさいことが増えた」と言うようなことを言っている人もチラホラ見かける。
ユーザー同士の繋がりができて人間関係なりが形成されていった結果、「めんどくさい」ということなんだろうか。
他に目についたのは、今までのアカウントを捨てて、新たなアカウントでリスタートする人。
これもやはり他ユーザーとの何らかの繋がりが「めんどう」になって先のような手段を講じたようだ。
そのような旨の発言をしている人をたまたま見かけた。
長く続ける秘訣は深く繋がらず、淡々と自分のペースで投稿を続けるということなんだろうか。
一見落ち着いているように見えるが、かなり複雑になってきた印象。
具体的には言い表しづらいのだけど、いろんな要素が複雑に絡み合っているというか。
相変わらず「議論」は続いているようだし、それを苦々しく思っている人もいるみたいだ。
色々な思惑が渦巻いているというと少し大げさな気がするけど、そんな感じ。
よく「ハイクがカオス」なんてフレーズを目にする。でも今とちょっと前とではその中身が違うみたいだ。
少し前は、ある一定の範囲の話題内で突拍子もない発言が飛び出したり、そこから更に別の話題に発展することを指して、
「カオス」という表現を使っていたような気がするが、最近は少しそれが変化してきている。
繋がりのない話題やたくさんの人がごった煮になって「カオス」を作り出している印象。
「古参」がかなり離脱したとは言え、幾らかは残っており、その間で繋がったりという雰囲気はまだ見られるが、
それ以上に新しい人が流れ込み、そういう繋がりと関係ない場所での思い思いの投稿が増加している。
この手の投稿の増加が諸処の衝突の原因になっているようだ。
これまでの「暗黙のルール」を遵守する「古参」とそんなルールとは関係ない場所で自由な投稿をする「新規」。
衝突が生まれるのは必然か。
前回の記事に、
というトラックバックをもらった。
「ボランティアハイク管理人」という表現はなんだか不思議な感じだけど、
こんな拙い文章を楽しみにしてもらっているのはありがたいことだわ。
特別熱心に書き続けようという気持ちはないけど、気の向く限り、書けるだけ書いてみようとは思っている。
そういえば、この増田のエントリーに関する言及をたまたま見つけた。
前回の下記の部分が引っかかったらしい。
仮にそのキーワードでの議論が不要であると思えばFollowingという選択肢もあるし、グリースモンキーのスクリプトを使うという手段もある。
にも拘らず、敢えて苦言を呈し自粛を促すというのはどういう流れなんだろうか。
これに対しての言及が以下、
一方的な物言いだなー。
仮にそのキーワードでの議論が有用であると思えばidページという選択肢もあるし、自分のダイアリーを使うという手段もある。
にも拘らず、敢えて苦言を呈し自粛を促すというのはどういう流れなんだろうか。
つか強く言う人間がいないからいい気になるんだよなーああいう奴ら。
周りと折衝して双方折れるところは折れる感じでやればいいのに何で「相手にだけ対処を求める」のかね。
と思ったらしい。
言葉が足りなかったせいか、私が「議論側尊重派」という風に捉えられてしまったのだろうか。
「一方的」というのは議論を敬遠する人に対して、
「気に入らないならFollowingでもグリモンでも使えばいいじゃない」と言っているという印象なのだろうか。
私自身に関して言うと、「議論」に関しては尊重も敬遠もしない。
ただ「「キーワードで繋がる」というのがテーマのハイク」というのがあるので、
キーワード上でその話題に関して論じる分には問題はないのでは?とは思っているというだけの話。
これに関しては前回のエントリーにも書いている。
ハイクのテーマを考えたとき、該当キーワードを離れ「idページでやれ」という流れを不思議に感じただけ。
別にある程度のところで続きはidページに移動するというのも別に問題はないと思うし、逆に移動しないというのも当事者の自由だと思うし。
双方の妥協点で上手くやればいいじゃないっていうのには同意します。
別に利用者が気持ちよく使えるような多少の譲り合いがあっても良いと思うし。
先ほど見たところそういう流れにもなってきているようですけどね。
前回書いた「議論」がまだ尾を引いていて一悶着があったようだ。
議論の内容はさておき、そのやり方がどうも問題だったようだ。
一つはTOPページでそれを行ったこと。もう一つは議論の参加者のスタンス。
ざっと流れを見てみたけど、いろいろな価値観が入り交じりすぎてもはや良く分からない。
ただハイクへの人の流れが若干変わってきてる感じはした。
「はてなキーワード」から流れてきているかもしれない、という声が見られたがその辺が関係しているんだろうか。
あとはブックマークか。
ハイクのエントリーにもブックマークがついていて、それを見て来たという人もいたし。
前回は「ハイクが山奥の集落化に向かってるかもしれない」と書いたけど、
実はそれは逆でキーワードのリニューアルやAPIの解放などによって、風穴が開き様々な風が流れ込んできている状態なのかもしれない。
その延長でブックマーク(B)やダイアリー(D)から人が流れてくることが多くなるのかもしれない。
いや、もともと(B)も(D)の人も眺めていたのかもしれない。
ただハイクはほかのサービスと微妙に空気が違ったため、書き込むまでいってなかっただけかもしれない。
今回のような「議論派」だったり、ほかのサービスを中心に使ってる人が何らかのキッカケでハイクに流れてくるとまたハイクの雰囲気が変わるかもしれないな。
これからハイクはどういう方向に転がっていくんだろう。
キーワード同士がうまく連結されるといいんじゃないかと思うんだけどね。 なんか素敵な仕組みはないかね。
というのがあり、確かに「はてなキーワード」とも繋がったし何か面白い使い方が生まれるといいな、
と思っていた矢先に興味深いことが起きていた。
あるキーワードの下でちょっとした議論が起こっていたようなのだが、
話の内容が重かったせいかTOPページでの展開を嫌う流れが起きていた。
基本的にライトな話題が多いハイクだけに少し重い話が出ると際立つらしい。
またそれを指して「ここでやるな」的な雰囲気に包まれるのも不思議な感じだ。
確かに論調によってはTOPページの場の空気は重くなり、緊張感が漂いいたたまれない感じになることもあると思う。
しかしながら「キーワードで繋がる」というのがテーマのハイクなら問題は無いような気がしそうなものだが。
仮にそのキーワードでの議論が不要であると思えばFollowingという選択肢もあるし、グリースモンキーのスクリプトを使うという手段もある。
にも拘らず、敢えて苦言を呈し自粛を促すというのはどういう流れなんだろうか。
やはり「TOPページ尊重論」というのは「個人の理解を超えるものに対する排除」ということに繋がるんだろうか。
だとすれば、その「個人の感覚」というのは誰に寄るものなんだろうか。
この辺りの感じがブックマークやダイアリーと比べた場合のハイクが特異な点となるんだろうか。
ハイクはただの村から「山奥の集落」の状態に向かってるんじゃないかとふと思った。
【追記】
もうひとつ気になったことがあった。
Google Adの表示形式が変わったようなのだが、これに嫌悪感を感じる人が多いように見受けられた。
確かアドの文章を使ったキーワードなんかもあって、かつてはそれなりにPOSTもあったと思うのだが…。
前回のエントリーを読み直したところ、自分でも若干しっくりこなかった部分があったので、
まずそこを補足したいと思う。
「へのへの事件」を引き合いに出して上記の内容が最近のハイクに当てはまるのではないかと書いたけど、
最近の「長文議論」までそれに当てはめてしまうのは、いささかズレているような気がした。
長文の投稿に関しては「理解を超えているもの」としてしまうのは言い過ぎかもしれない。
「長文議論」及び「排除志向」に関しては別の方向からもう少し考えてみる必要がありそうだ。
ブコメを見ていたら、「はてなはなぜセグメンテーションをしないのか」という向きのものがチラリと見えた。
これに関して私見を述べると、セグメンテーション以前にハイクの位置づけ自体がハッキリ決まってないんじゃないかなぁという気がする。
なんというかある種実験的な場所。はてラボの延長みたいなもんだったりするんじゃないかなぁと思う。
私のような一介の素人がどれだけ考えたところで正解に辿り着けるとは思わないので、これだけにするけど、そんな気がする。
だからセグメンテーションのような幅を狭めるようなことはしないんじゃないかな。
ユーザーの志向による振り分けみたいなのは、現状のキーワードとユーザーのFollowingシステムによってある程度確立されていると思うし。
ただ、このFollowingシステムがハイクの「狭い」世界をより狭くしているような気が最近してきた。
自分のFollowingページをメインで使う、所謂「idページ引きこもり」ユーザー(この例えに他意はない)に関して言うと、
Followしているもの以外はあまり見ない傾向があり、それ以外への接触の回数が減っているんじゃないかと思う。
その手のユーザーの発言を見ていると、「自分のFolloingしか見ていない」というようなものもチラホラあるし。
その結果セグメントが生まれるという構造に繋がるんじゃないかと。
今後そのセグメントによって何か新しい動きが起こるかもしれない。
「長文論議」はひと段落したようだけど、ユーザー間の揉め事(?)が原因で、退会やエントリー削除が幾らかあったようだ。
こういう場合の心理状況ってやはり、「もうめんどくさい」とか「もう見たくない」だったりするんだろうか?
それとも一連の行動自体が「抗議」的なスタンスだったりするんだろうか。というのは考えすぎかな。
個人間の揉め事もそうだけど、色んな要素が絡まりあってハイク全体的に不穏な空気が漂っているような気がする。一触即発というか。
直接ハイクの出来事とは関係ないが、たまたま読んでいた本に書かれていたことが引っかかった。
それは、「人は理解を超えたものに遭遇したとき、それを恐怖、嫌悪、排除の対象とする」みたいな感じのこと。
これを読んでピンときた。「あぁ、そうか。ハイクで時折見られる現象はこれか」
もう何ヶ月も前の話になるが、ある特定の時間帯になるとひたすら「へのへのもへじ」を連投するユーザーが現れた。
特に文章の投稿もなく、ひたすら「へのへのもへじ」。
そのころには既に「TOPページ尊重論」が出来上がっていたので、程なくして衝突が起こった。
「へのへの」側のユーザーの言い分は正直、私も良く分からなかったので割愛する。
そして既存ユーザーの言い分はこう。「そんなに画像を連投したら携帯ユーザーが見づらい」など。
この主張は近頃の「長文議論」にも通じるところがある。まぁ、それはいい。
その時、たまたま見かけた書き込みで引っかかってたものがあった。それは「正直、気持ち悪い」。
そう、始めは無言で、その後の「へのへの」ユーザーの主張はなかなか難解なこともあり、多くのユーザーが理解し切れなかったのだ。
そこから「自分が理解できないものは不快、だから排除」この向きがハイク内では強いということが分かったのだ。
もちろんそうではない流れもあるのだけれど。
当時も漠然とそれは理解していたし、その傾向に関して言及する人も幾らかいたように思う。
ただここへきてそれがより明解になったというか。
先日書いた「長文議論」に動きがあった模様。
誰かが何万字単位(正確には数えていない)のエントリーのPOSTを行ったようだ。
それがキッカケかどうかは分からないけど、長文議論が再燃、それに加えて大dis・仄めかし大会。
ふと思った。
長文自体も嫌悪対象となっているが、今日の騒動は「長文が問題になっているのは明らかなのに敢えてそれをやる」
そのことに対する不満が噴出したんじゃないだろうか、と。
やはりTOPページにおける「暗黙のルール」の効力はかなり強いようだ。
あと「長文」の定義が困難なところから「システムで制御すべし」の話も幾らか行われていた。
この手のシステムに関する井戸端会議(この表現に悪意はない)はしばしば行われる。
そこでまたふと思った。
はてなの運営側ってハイクの内情ってどれくらい把握してるのかな、と。
jkondoさん自身もハイクにPOSTしているので、割りあいハイクは身近なところにありそう。
そういえば最近誰かが、ハイクは何文字までPOST出来るか、その上限は○万字?(文字数は忘れた)
みたいなエントリーを書いたときにjkondoさんが「当たり!」なんて無邪気なReplyを返してたっけ。
もしかしたらこの辺の「揉め事」みたいなのも、「へーこんなことになるんだ、面白いなぁ」くらいで見てたりして。
新たな機能の実装もしばしば行われるので、ハイクをもっと先に押し進めるようではあるけど、
ユーザビリティ部分に関して早急に大きく改善していく予定はないのかな。
と、すればこの手の「長文論議」は続きそうだな。
あ、あと普段はidページ中心で書いてる人もここぞとばかりにTOPに出てきて、
積極的に「ツッコミ」を入れていた感じがしたのも興味深かった。これが「自警団」思考だろうか。
数日前に見られた話題に「長文はハイクには不適当だ」というのがあった。
ハイクは基本的に1、2行ほどの短いエントリーがほとんどで、長文はあまり見られない。
そのためちょっと長文のPOSTが続くとこういう話題が出る。
確かにハイクのTOPページの仕様からいって、あまり長い文章が上ると見づらいという部分はある。
あと嫌長文派の言い分としては「モバイル版の人が迷惑だ」というのもある。
「スクロールがめんどくさい」とか「読み込みに時間がかかる」とかその辺が気になるみたい。
実際モバイルを使ってる人もかなり多いようなので、その主張も分からなくない気がする。
そこでふと疑問に思った。
「じゃあどこからが長文?」ってこと。
わたしが見た限りではそれに言及している人はいないように見受けられた。
結局個人の感覚が頼りということなんだろか。非常に曖昧である。
人によっては10行くらいまでは短文と感じる人もいるだろうし、逆に5行でも長文と感じる人もいるかもしれない。
要するに非常に定義しづらい問題なんである。そんな曖昧な尺度に関して紛糾しているのだ。
この辺りがハイクの特色なのかなという気がする。なんというか「狭い」感じ。
ある方向の主張の色が強く出て、それが「みんな」の主張のようになってしまうというか。
もちろん異を唱える人も幾らかいるけど、あまり表立ってやり合うことは少ない。
いや、「少なくなった」か。かつてはもう少し議論的なこともあったような気がするけど、
そういう議論がめんどくさくなったのか、なんなのかあまりやり合わなくなったみたい。
この手の「TOPページ尊重論」による小競り合いは今後もあるかもしれない。
「このエントリーは新手の仄めかしか?」
書きかたは仄めかしのように見えたかもしれないけど、仄めかすつもりはないです。
見たこと、あったことをそのまま書いただけです。
「そういうあんたは楽しんでんのか」
うーん、ここで文章を書くことは単純に楽しんでますけど、
内容に関しては特に楽しくもつまんなくもないです。
ただ文章を書くネタとしてハイクを見ているだけ。「ふーん」って感じ。
と、こんな返しを書いたところで当人に読まれるのか疑問だけど、まあいいや。
どんどん殺伐空間化が進んでいるような気がする。
ちょっと極端な書き込みをする人が出てきたらidページで仄めかし。
ちょっと気に入らないことがあれば仄めかし。何かといえばすぐに仄めかし。
ダイアリーなどのように直接やり合う事はほとんどなくて、何か一枚壁を隔てたようなやり合いがちょいちょい見られるようになってきた。
Followingの仕様が変わって好みのユーザーやキーワードのみを追えるようになったことで、
より閉じた馴れ合いを持つ人が増えたように見える。
自分が能動的にFollowしているキーワードだけに気に入らないことが見つかると、その嫌悪感は余計に増すんだろうか。
idページの引きこもりが進み、一部を残して「古参」の離脱も相次いでいるように見える。
そんな中で新規参入(サブアカウントの可能性もありそう)も相次ぎ、色んな性質を持ったユーザーも増えてきている。
各々に独自の倫理観やモラルを論じ、何かがくすぶり続けている。
ハイクを評するのに「カオス」という言葉が頻繁に使われていたけど、今こそ本当の意味での「カオス」になっているのかもしれない。
相変わらず新しい人が増えているみたい。或いは最近活発化しだした人。
中には独自の使い方だったり、提案めいたことをする人もいるみたいだ。
それが所謂「古参」と思われる人との摩擦に繋がりつつある場面が目に付いた。
どうも「古参」に類する人たちの中には「暗黙のルール」によってハイクを自治したがる傾向があるようだ。
特に誰が取り決めたわけでもないルールではあるが、「古参」によってはそれからはみ出すのが我慢できないらしい。
確かに多くのユーザーの目に付く場所だし、共有の広場という役割も持っているので、
ある一定の気遣いは必要だと思うけど、「そこまで言うの?」という場面も少なくない。
それは一部「TOPページの神聖化」と揶揄している人がいるほど。
もうひとつ気になったのが「人工無能」。
あるロジックをもとにハイク内のワードを収集して自動的に文章を作成するボットとのことで、
現在3人(体?)が稼動している模様。
初期はほとんどランダム?にワードを収集して意味不明な文を作ったりして、それがユーザー間で人気になったりもしていた。
最近では開発が進んでいるのか、文章はより自然に、動作も単純な投稿に限らずスターを付けたりリプライもしたりするらしい。
同じ作者の人が何体か制作していたりするみたいだけど、複数体制作する意図はなんなんだろ?ロジックが違うのかな?
個人的にどんな狙いがあるのか少し気になる。
ただこの人工無能に関しても、多少良からぬ感情持つ人はいるらしい。
これも「TOPページの神聖化」の考え方によるものなんだろうか。
タイトル変えた。ブコメで「日誌と言うからには毎日」なんてのがあって、
「毎日なんてさすがにムリ」ってなもんで。
テキトーに眺めて個人的に何となく思ったことを綴るだけだし。
近頃「ハイクがTwitterぽくなっている」というのをチラホラ見る。
確かに初期に比べるとコミュ色が強くなったここ数ヶ月を経て、
今度はミニブログ傾向が強くなってきたかもしれない。
前回だったかに書いたidページ引きこもりもそれに関係してるのかも。
もともとはてな的には「ミニブログ」としてハイクを位置づけているみたいだから、
ある意味本来の形になったと言えるのかな?(先日S-inしたi-mode公式のメニューでは「コミュニティ/SNSのカテゴリに入ってるけど」)
それぞれの生活に即したミニブログとしての使い方が浸透してきたのかもしれない。
そう考えるとテレビとかオフの実況だったり、音楽ネタだったりが投げられるのも自然か。
とはいえ依然「ネタ意識」が強い人も多いみたい。「ネタ合戦のころのほうが面白かった」という声もちょいちょい見るし。
それが原因の揉め事もあったりしたしなー。
でも普通の人が継続的に「ネタ」を投げ続けるのは難しいと思うんよね。
だから長く続けるとだんだん書きやすい「生活」に近づいた話題に傾くのはある意味必然かと。
ハイカー縮図なんてのが出てたりしたけど、似たようなユーザータイプの分類ができるかもしれないな。
誰がどうというわけじゃなくて、こういうことやってる人たちがいる、くらいの感じのやつが。
なんか微妙にブクマされていたので、コメントを踏まえつつ調子こいてまた少し書いてみる。
TOPページの投稿数が少なく感じているのは、確かにidページへの書き込みが多くなったのは一因だと思う。
マイページの仕様変更もその傾向に一役買っているのは間違いないだろう。
ただいくらか「常連」と思われているであろうユーザーのページを見てまわると、
idページへの書き込みは減っているように思う。
新規参入が増えていることと併せて考えると、ある程度の入れ替えは起こっているのかな。
あと傾向として、多くのユーザーが乗っかるような「祭り」みたいなのがなくなった。
割と初期のころは特定ユーザーをネタにしたキーワードで盛り上がるようなことも幾らかあったように思うけど、
近頃はめっきりそういうのも見なくなった。
内輪ネタだからと言えばそれまでだけど、その内輪が割と広かったというか。
もちろん逆に内輪色が強くなったことで入りづらくなったユーザーがいたのもまた事実と思われる。
あと別の意味での「祭り」もあまり見られなくなった。所謂「荒らし」だったり「揉め事」的な話だけど。
ただ「荒らし」に関しては、一概に荒らしとは言えない部分もある。
どういうことかというと、「荒らし」の渦中にいるユーザーが必ずしも「荒らしている」意識をもっているとは限らないから。
(もちろん明らかに荒らし的な態度を取っていた場合もあったように思うけど)
結果的に「荒らし」と「認定」されてしまってる場合も多々あったように思う。
それはたまたま場に合わないエントリや発言を「常連」だったり、やや「積極的」なユーザーが批判なり意見した場合だ。
個々の例については割愛するけど、そんな「荒らし」・「揉め事」を経る度に、
徐々に「暗黙のルール」だったり、ユーザーの関係性の変化が見られたように思う。
と、ずいぶん長くなってきたから今日はこれくらいにしとこ。
ここまで書くんだったら、もっと順を追って書けば良かったなー。ま、いいや。
「どうやって話題に入ればいいか分からない」っていうコメントがあったけど、
取り合えず自分が好きなことに関するキーワードにどんどん投稿してみたらいいんじゃないですかね。
例えば実況系とか。実況系のキーワードは物事に対する共有するものが他に比べてハッキリしてる分、投稿してる人同士で共感しやすいだろうし。
あと、気になるエントリがあったら積極的にスターつけたり、リプライしたりして。
あんまり度が過ぎると敬遠される可能性があるけど。なんせ出る杭は打たれることが多い場所ですから。
ここ最近見ていて気がついたことを軽く書いておこう。
一時期に比べるとずいぶん書き込みが減ったような印象を受ける。
時間によっては流れが速くなることもあるみたいだけど、それもそんなに長く続かない印象。
あと少し前に比べると馴れ合い度が低くなった感じがする。
閉じた馴れ合いをしていた常連をあまり見かけなくなったのは関係あるんだろうか。
仄めかしあいやら、disりあいに辟易して人が離れて、その結果自分も詰まらなくなっちゃったとか。
真偽は知る由もないけど、馴れ合い度は前に比べるとずいぶん低くなった気がする。(それでもオフはちょいちょいあるけど)
その反面、新規参入が目立つようになったよう。
APIの公開などもあって新しいことをやる人も増えたようだ。(ただやり方をマズって常連組に叩かれたりもしてるけど)
でも色々な使い方だったりを試行錯誤する人がチラホラ出てきたのは面白いなぁ。
横の繋がりあまり持たない書きたいことを書きたいように書く人が増えた感じがするな。
あんままとまらないけどそんなところか。